自滅する天才悪役貴族に転生したけど、設定厨知識で闇堕ちフラグをへし折ったヒロインたちの様子がおかしい 作:涼暮皐
アビ子を部屋から送ったあと、俺は汗を流すため一階の浴場まで向かった。
正直、この派手で落ち着かない屋敷の中でも、唯一お風呂場だけはちょっと楽しみだったのだ。
服を脱ぎ、包帯を外してタオルを持って、期待に胸を膨らませたまま浴室に入る。
「おお……!」
広く綺麗な大浴場の光景にテンションが上がるのは、やはり俺も日本人の典型例として風呂好きだからなのだろう*1。
外が見える窓がなく、明るくて派手すぎるところはあまり趣味じゃないが、やはり浴槽が広いのはそれだけでもプラスポイントだ。石像だの噴水だのが設置されてたりしないだけ、屋敷の華美さと比べれば許容範囲の派手さではある。
風呂の飾りは質素で充分だ。主役はお湯なのだから。露天の要素がないことだけが残念だが、ここが日本じゃないことを考えれば求めすぎの範疇と言えよう。
さすがにシャワーや鏡なんかもないため、俺は桶で風呂の水を掬って体を流す。
「……結構な傷だよな」
胸元を見つめ、包帯を外して初めて目にした傷痕を見て呟く。
指で触れれば額にも裂傷の痕らしきものがあるし、やはりアロルドが最後に行ったという実験で受けた傷は、かなりの重傷だったということが窺える。
「帰ってきたあと、ヤミが包帯を替えてくれたんかな……?」
最初に意識を取り戻したときは、まだ少し包帯に血が滲んでいたような気がするのだが、風呂に入るとき外した包帯は綺麗だった。今は傷が完全に塞がっている。
自分で施した《
ただ気になる点もあって、それは原作のアロルドに《大きな傷痕があった》という設定を俺が知らない、という点だ。
もちろん胸元は衣服で、額は前髪で見えない部分ではある。
だから言われていないだけであったのかもしれない。あるいは単純に、傷痕が残るわけじゃないだけかもしれない。
それでも不思議だ。
そもそも
いかに『Cross Lord』が綿密な設定に裏づけされた作品とはいえ、決まっていない部分だってあったはずだ。だが今、ここはひとつの世界として成立している。
その差異は何で埋まったというのだろう?
卵が先か鶏が先か*2、――みたいな疑問すら湧いてくるレベルだ。
「……謎、だよな」
「何がでしょう?」
「うぉわあぁっ!?」
いきなり背後から声がかかって、俺は跳び上がるほどに驚いた。
ワケもわからず振り返ると、そこには――。
「な、ななな、なっ――何をしとる!?」
「何と申されましても。お背中を流しに参っただけです」
「だけです!?」
だけじゃなさすぎる――と、口がぱくぱく金魚みたいに動いてしまう。
だって気づけば、服を脱いで裸になって、その体を布一枚で隠しただけのヤミが、俺の背後に当たり前みたいに立っていたのだから*3。
白い布。服ですらないただのタオルしか裸体を遮るものがない。
俺は咄嗟に、視線を明後日の方向に逸らしながら、なんとか気合いで口を動かす。
だがヤミはといえば欠片も狼狽えず、いつも通りの淡々とした態度で。
「いつもの通りではないですか」
「いつもの通りなんですかァ!?」
マジ? アロルド、いつもヤミに背中を流させてた、ってこと?
は? それ許せんくないですか? 羨ま――じゃなくて恨めしいですよ本当。
咄嗟にヤミに視線を戻しかけ、その先にある光景にやっぱりそれができなかった。
一瞬だけ見えた白い肌。布で隠れていない、細く引き締まった腕や脚ですら直視をするのは憚られる。俺はもうヤミに背を向け浴槽側を向くしかなかった。
そんな背中に、メイドはひと言。
「まあ嘘なんですが」
「嘘なのかよ!」
「――嘘だと、わからなかったのですね。やはり」
「っ……!」
そう告げられ、思わず言葉を失った。
確かに、それはそうだ。今のヤミの言葉が嘘だとわからないのはおかしい。
アロルドであれば《そんなことはない》と知っているべきだった。
思わず言葉に詰まり、何も言えないまま硬直する俺。
その背中に、ふと――どこかひんやりとした手のひらが振れた。
息を呑み、何も言えなくなる俺。
それに構わず、ただ静かにヤミは声をかけてきた。
そして彼女は言う。
「――やはり、あなたは
「っ……な、なんで――そんな」
「私にも《魂術》の心構えはあります。勝手ながら魂を視させていただきました」
「――――――――」
四大術のひとつ、
魂と名がつく通り、この術は物体に宿る魂の力を引き出す能力だ。
――
日本人には馴染み深い、やおよろずの神へのアニミズム信仰に似た考え方*4が、この世界にも存在する。
その《モノに宿った魂》と同調し、力を借りる術が魂術だ。
武器の魂を引き出して戦闘能力を上げたり、特殊なスキルを発動するという、前衛向けの術――というのが基本的な魂術の存在価値だが、根本は魂への同調だ。
物体を解析し、その魂と同調することで、対象のことを深く知る。
それもまた魂術の基礎であり、そして――魂はモノだけではなく当然ヒトにも存在する。
人間に対して魂術による同調を行い、情報を引き出す。
原作においてキャラのフレーバーテキストを入手する手段であり、
――同じことが、ヤミによって行われたのだと俺は悟った。
「もちろん私の実力で同調できる範囲では、貴方のことなどほとんどわかりません。ですが、貴方の魂がアロルド様とまったく異なることくらいは私にもわかる」
「――っ、あー……」
どうせバレない、と高を括っていた自分を俺は恥じた。
魂が別人に変わっているなんて、いくらファンタジーなこの世界でも、普通に出る発想じゃない。そんな思考にはならない、と思い込んでしまった俺の失態だ*5。
――だが違った。
ここはゲームの世界だが、それでも現実になっているという点で同一じゃない。
俺は魂術の基礎技術に魂への同調があり、それがゲーム上では《人間のフレーバーテキストを読む》効果のために使われていることなら知っていた。
だがゲーム上のその技術が、現実化したこの世界でどういう扱いになってるのかという点までは、まったく考えていなかったのだ。
……本当に相手の魂とやらを確認することができるのか……。
設定知識だけではわからない感覚。魂、なんて地球にいた頃は確かめたことのあるはずがない概念に、本当の意味で触れることができるという異世界の認識。
そこに頭を巡らせなかった俺の間抜けだ。
「……降参だ。その通り、俺は本物のアロルドじゃない」
背中を向けたまま俺は言った。両手を挙げ、命を預けるかのように。
バレた瞬間にあった《誤魔化そう》という発想は、今の俺にはもうなかった。
これは、だって設定厨としての慢心が生んだ敗北であり、
同時にヤミの、あり得ないと切り捨てず主を疑った発想の勝利だ。
降参だ、なんて勝敗があるかのような言葉が出たのは、たぶんそれが理由。
実際には勝ち負けの話じゃないけれど。
それでも、なんというかヤミに対して抱えたこの感情は、たぶん敗北感と呼ぶべきものだと思ったのだ。
それが同時に納得感にも繋がったから、たぶん俺は
「……やっぱり、そうですか」
背中から聞こえるヤミの声。彼女の手は今も俺の背中に触れている。
心臓と同じ位置。きっと彼女なら、この位置関係なら簡単に俺を殺せるだろう。
主の肉体を勝手に奪った魂だ。復讐の権利は、彼女にはある。
「どうして、アロルド様の中にいるのですか?」
「悪い。その理由は俺にはわからない。俺も目覚めたらこうなってたんだ」
信じてもらえるか自信はないが、できることは正直に答えることだろう。
俺は嘘をつかず、せめて真摯にあろうとヤミに伝えた。
「では、元のアロルド様は……」
「それもわからない。少なくとも俺の身体の中に魂はないんだと思う。事故で死んだのかもしれないし、俺が入ったせいでどこかに叩き出されたのかもしれない。だから俺がここで死んだとしても――アロルドが戻ってくる保証はない」
いや。俺の世界観知識で語るなら、おそらく二度と戻ってこない。
魂は何かの器の中にあることでしか成立しない。どこかに保存されることなく抜け出た魂は、そのまま霧散して消え去るのだ――その設定なら俺も知っていた。
と、
「はい?」
だがそこでふと、背後から疑問するような声が聞こえてきた。
なんだ、と思う俺の背中に、ヤミがひと言。
「あれ。……もしかして私、アロルド様を殺そうとしてると思われてます?」
「え、違うの?」
「その反応されるとちょっと殺したくなってきますね*6」
「…………」
ということは違うらしい。
黙り込んだ俺に彼女は続ける。
「ちなみに、なぜそう思ったのか教えていただいても?」
「え……いや、だって主人はアロルドじゃん。その、つまり俺じゃなくて」
「それで?」
「そ、それで、って……や、だとしたら、ほら。主人の敵討ちとかするのかな、と」
「なぜ私が敵討ちなんぞしなければならないのですか?」
「なぜ私が敵討ちなんぞしなければならないのですか!?」
「なぜそのまま繰り返すんですか……」
なぜかヤミに引かれたが、え? これ俺が引かれるの?
引かれるべきはヤミの発言のほうじゃないの? え、これ俺がおかしい?
もはやよくわからなくなってきた俺に、ヤミはあくまで淡々と。
「私、元のアロルド様、正直嫌いなんで。敵討ちとか別に」
「えっそうなの? ――えぇっそうなのぉ!?」
しょ、衝撃すぎる。え、……そ、そうだったの?
だって、ヤミってアロルドに――あのアロルドが死ぬ最期のときまで、全ルートで付き従った最高の報恩メイドだったと……思って、たんだけど……あ、あれぇ?
「貴方がどこまで知っているのか知りませんけど。元のアロルド様はおそらく誰から見ても、人格的に好ましく思える要素はないだろう方でしたよ」
「そ、それは……」
「まあ貴方もなかなかいい性格をしているとは思いますが、アロルド様ほどクズではないですからね。正直、貴方が主なほうが私としては都合がいいです」
「そう、なんだ……いやなんか言い方ちょっと引っかかるけど」
だが言われてしまうと正論という気もしてくるから不思議だった*7。
カスだもんなー、アロルド。好きなわけないと言われればそれはそうすぎる。
そういう意味では納得でもあるんだが、それならそれで、ヤミは別に忠誠心もない主人に命懸けで従っていたことになるのだから、そこはやっぱり謎だった。
あれか。仕事と感情は切り離している、みたいな話なのだろうか。
そういうのがプロメイドってことなのだろうか。わからんが。
「え。じゃあ……ヤミは今後、どうするわけ?」
「どうもこうも。私が黙っていればバレない――というか、私以外に以前との違いがわかる者もいないでしょうから。これからもお仕えさせていただければ」
「い、いいんだ……?」
「でなければ路頭に迷ってしまうだけですし。どの道、私はアロルド様がいなければ生きていけません」
「ん? ……生きていけない?」
「アロルド様。こちらを向いていただけますか」
「いや、それはどう――ちょっ!?」
問答無用だった。ヤミの手が背中を這って上に向かうと、俺の顔を掴むなり強引に背後へと振り向かせたのだ。
足元の滑る浴室では無闇に逆らうこともできず、真正面から目線が合う。
「……、……!?」
黒くて深い双眸。長い睫毛。無感情なようでどこか艶めかしさを感じる表情。
その全てが至近距離に存在することで、心臓が強く跳ねるのを感じた。
「元のアロルド様は人嫌いで、決してこの方法を選ばれませんでしたが」
「な、あの……何が」
「申し訳ありません。私も朝のあの一瞬だけでは足りませんでしたので、今は我慢ができないんです。でも貴方なら、きっとそれでも構いませんよね?」
「いや、だからそれ、なんの話をし――」
その瞬間。いつかのように、ヤミに唇を奪われた。
「――――」
今度は最初のときよりも優しい口づけだ。薬を飲ませるために舌まで捻じ込まれた暴力的なそれとは違い、柔らかく触れ合うだけのキス。
強引なようでいて、どこか違う。遠慮がちについばむように揺れる唇の、頭の中が茹で上がるような瑞々しい感触までがしっかりとわかる――浅く、だが長い時間。
「ん……、ふっ。ん……」
やがて少しずつ欲を出すように、味わうようにヤミが唇を舐る。
じんわりと、体から力が抜けていくのがわかった。
それは別に比喩じゃない。またしてもいきなりキスされた驚きのためではない。
言葉通り――
「ん――、ぷはっ」
そうして長い時間をかけて、ようやくヤミは唇を離した。
二度目のキス。さすがに俺も頭が回るようになったせいだろうか、前よりはほんのわずかに冷静でいられて、だからその意味まで思考が届く。
「これは……?」
と、訊ねた俺にヤミは答えた。
「私は肉体に欠陥があり、助けがなければ生きられないのです」
「欠、陥……?」
「はい。私は
「――!」
……知らなかった。
くそ、そんな重要な設定、資料集には載せておけよ!
スリーサイズは載っててなんでそっちが載ってない*8んじゃ!
「それでも生きるためにはオドが必要で――だから、オドが適合する他人から分けてもらわなければ死んでしまう」
「……俺の、アロルドのオドとなら適合する、ってことか……」
「正確には
「…………」
衝撃の設定開示だったが、同時になるほどと納得もあった。
つまりはそれが、ヤミが最後までアロルドに従っていた理由なのだろう。
同時に、たとえ魂が違っても、俺を見捨てられない理由でもある。
他人のオドは適合しない。ティーを助けるとき、俺のオドが使えなかった理由も、それが毒になってしまうことが原因だ。
もちろん普通なら問題はない。どうせ術として消費されるオドが、体内に滞留することもないからだ。でなければ冥術で他人を回復することさえできなくなる。
だがオドそのものを取り込む場合は、そうはいかない。
最初から相性がいいか、悪い場合は長い時間を費やして慣らすか。そのいずれかの理由で適合するオドでなければ、体内に取り込むことができずオド欠乏に至る。
アロルドの場合はおそらく後者で慣らして、オドを分け与えることでヤミの生存を助けていた――ということらしい。
「起きた瞬間、薬を飲ませるためにキスしたのは、オドの回復のためだったのか」
「寝ている間も何度か襲いましたよ」
「そう言われるとすげえことされたなと思うけど……じゃなきゃ死ぬんだから、まあそれは仕方ないわな」
「元のアロルド様は、他人に触れる――ということを酷く嫌うお方でしたので。ただあのときは余裕もなかったですから、あとでどうやって機嫌を取ろうかと考えながら強引に奪わせていただきました」
鎮痛剤を飲ませるため――という言い訳をワンクッション挟んだのも、アロルドがこの方法でのオド供給を好まなかったから、らしい。
つまりアロルドは別の方法で、おそらくは手も触れずに、ヤミにオドを分け与えることができたのだろう。俺にはそれができないからキスで奪うしかなかった*9、と。
この理由を言われたら納得するしかないな……。
こうして風呂まで押しかけてきたのも、単純にオドの回復をさっさとしたかったというのが、いちばん大きな理由だったのかもしれない。
だって放っておかれたら本当に死ぬ。ヤミとしては最優先の課題だったろう。
なるほど、俺が本物じゃないことまで調べがつくわけだ。それだけいろいろ考えることがあったのだから、ゲームの世界だー、なんて浮かれていた俺とはワケが違う。
「――というわけですので。この通り、私は貴方がいなければ生きていけません」
と、ヤミが言う。相変わらず透き通った表情で、ただ続けて。
「ですが貴方のほうも、私の助けは、おそらく必要なのではないですか?」
「……それは否定しないよ。どう生きていくにしろ、ヤミの助けは絶対に欲しい」
「なら、これまで通りで構わない……ですよね? 私は元の主ではなく、今の貴方のことを《アロルド様》として扱う。貴方も、私を専属のメイドとして扱う」
「ヤミがそれでいいのなら。今後も、今日みたいに手伝ってくれると、嬉しい」
こくり、と俺は頷く。実際、アビ子たちヒロインを助けるのなら助けは必須だ。
ヤミがいつから疑っていたのかわからないが、この分だとかなり早い段階から俺がアロルドではない可能性に思い至っていたかもしれない。
これほど冴えたメイドは手放せない、と俺の理性と打算が語る。
だがそれ以上に感情的にも、俺がアロルドではないと悟りながら――それでもあの地下室で、自分を使って助けてくれた彼女に、恩は返さなくちゃいけない。
何より俺が救わなければならないのは、きっと、目の前の少女も含めてだから。
と。そこで、ふっと――珍しく、ヤミは表情を緩めて。
「やはり不意打ちは効きますね。狙い通りです」
「……もしかして、不意打ちでこの話がしたいから風呂に来たのか?」
「今のアロルド様には、色仕掛けも効きそうだったので」
「それ聞きたくなかったなあ!」
「あの地下室で、貴方がアビゲイル=ウィンベリーにやったのと同じことですよ」
「もしかしてスリーサイズの件を言ってるんですか?」
「学ばせていただきました。不意打ちは効く」
「お前のほうこそ、大概いい性格してるじゃねえかよ……」
薄く笑って肩を揺らした。まったく、あのクール系メイドのヤミちゃんが、こんな油断のならないキャラだとは知らなかった。ヤミルート作っとけ。今からでもさ。
俺の笑みを見たヤミも薄く笑い、それから彼女はその場にふと膝を突き。
「――アロルド様」
そう、俺のことを呼んだ。
その名で呼ばれて、俺も答える。
「うん」
「これより私は、貴方に忠誠を誓い、貴方の傍に仕えます。命潰えるそのときまで」
「……それはどこまで本心で?」
なんとなく訊ねてみたくなった俺に、ヤミは顔を上げてニコリと微笑むと。
「無論、心の底からですよ?」
「言ってくれるよ」
以上、0章です。
次回から1章。
よろしくお願いします。