自滅する天才悪役貴族に転生したけど、設定厨知識で闇堕ちフラグをへし折ったヒロインたちの様子がおかしい   作:涼暮皐

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1-26『vsシギナス=アークタイド』

 ティーを連れ去ったシギナスを追って、俺たちは街の端を駆けた。

 メンバーは俺、クラウ、そしてアビ子である。

 今回、この中で最も戦力として期待しているのは――クラウではなくアビ子だ。

 

「本当にティーが連れ去られた先がわかってるのかい?」

 

 一直線に街を南下していく俺に、隣をついて来るアビ子が訊ねる。

 彼女の背中には足の遅いクラウが背負われていた。最初は俺が背負うと言ったのだが、アビ子から『ぼくが背負ったほうが速い』と正論を言われてしまったためだ。

 

「確証はないが自信はある! ――たぶんだがエルピス学院の校庭だ!」

「なんだって!?」

 

 ともあれ予想を答えた俺に、アビ子が驚きの声を上げる。

 

「あの学院は地脈の大きな交点なんだよ。この辺りで術を使うのに、いちばんバフがかかる場所だ」

「な、なんでそんなことを知って……ていうか、地脈ってなんだい?」

「――大地を流れるマナの流れです」

 

 知識がないのか首を傾げるアビ子に、その背中のクラウが答えた。

 

「マナの流れ?」

「ええ。大地の……この星そのものの生命の力です。人間が教会の洗礼によって得るオドとは、星から分け与えられ劣化したマナに過ぎません」

「そうなの?」

「本来、命術(バーン)魂術(ブレイド)によって消費するライフと、冥術(ブライト)で消費するオドは同じものなんです。どちらも元はマナです。星から自動的に分け与えられる、生物が生きるための最小限の力をライフ、それ以上に過剰に得ようとした力がオドです」

「そ、そうだったんだ……知らなかった」

「まあ要は星が持つマナが原液。オドはその十倍希釈で、ライフはさらに百倍希釈と思えばイメージとしてはわかりやすいかと。まあ倍率は適当言いましたし、薄いからといってライフが必ずしも劣っているわけではないですが。濃度が薄い代わりに強く持ち主の個性を反映しているため、なかなか尖った使い方ができます」

 

 オドはライフに変換できる(回復の術がある)が、逆ができないのは、今クラウが言った理屈のためだ。原理上《濃い(オド)》を《薄い(ライフ)》にはできるが、逆はできない。

 さらにクラウ先生の解説は続く。

 

「地脈とは星を巡るマナの流れの線です。よってそれらがぶつかる交点では、溢れたマナが地上に漏れる。その力を借りることで術の性能を底上げできます」

「……それが混術(ケイオス)ってことだね」

「です。教会が混術(ケイオス)を禁忌とする最大の理由はそこにありますね。星の命に直接干渉することができてしまう。()()()()()()()()()()()()()()()の問題は、他人に犠牲を強要できること以上に――星そのものの力まで引き出して使えてしまうことです」

 

 そう。命術(バーン)魂術(ブレイド)冥術(ブライト)も、別に無から有を生み出す術ではない。

 必ずリソースは必要だ。得ようとする結果に見合うだけの対価は求められる。

 それがどうあっても個人で払いきれる範疇に収まるから禁術にはならないだけだ。

 

 だが混術(ケイオス)だけは――消費を個人単位以上に増やして効果を上げられる。

 

「じゃあ、その術のための《祭壇》ってのを作ろうとしてるってわけだ」

「そうなんでしょうねー。まあ、なぜあの女の子を連れてったのかは謎ですけどー。その辺り、先輩は何かわかってるんです? さっきは濁してましたけどー」

「いや、そこはマジで心当たりがないんだよな……」

 

 サロスはともかく、ティーは原作に影も形もない少女だ。

 何がどうしてこうなったのか、予想することすらできず後手に回った。

 

 ――ていうか俺もうたった二日で原作ブッ壊しすぎじゃない!?

 正直ほとんど何もしてねーぞ!? サロスを詰めてティーを助けただけじゃない!?

 それだけで、アビ子とクラウにミリア、どころか爻印教の大司教まで、原作の重要キャラクターが向こうから勝手にやって来てるとか、逆にどういうことやねん*1

 

「クソ、なんか一気に不安になってきた……!」

「お、おいおい、アロルド。キミがそんな調子じゃ困るじゃないか」

 

 思わず暗くなって呟いた俺に、隣のアビ子が失跡するような言葉を投げてくる。

 

「わかってるけどよ。まあ、でも今回はお前が頼みだ。がんばってくれ。マジで」

「え……ぼくが? そりゃもちろんちゃんと戦うけど……」

「こっちの主力なんだよ、お前は。クラウは……今回も隠れててもらわねえと」

「え?」

 

 きょとん、とアビ子は目を見開いて首を傾げた。

 そしてその疑問には、当人であるクラウから答えが返る。

 

「シギナス=アークタイドは、わたしを捕らえていた爻印教の大司教です」

「……え? それは……つまり?」

「つまり《煉獄の蜘蛛(ヴィダム・クルゥ)》の開発者ということです。もし術が発動されてしまったら、わたしは使い物にならなくなりますよ」

「えっ」

 

 そう。原作では使われることのなかった術だが、シギナスが《煉獄の蜘蛛(ヴィダム・クルゥ)》の術者であることはヤミのお陰で明らかになった。

 つまり戦いにおいては、さきほどのように《クラウは隠す》作戦が必要なのだ。

 

「……大丈夫なのかい、それ?」

 

 不安、というよりは心配か。自分のことではなく俺を気遣うように問うアビ子に、虚勢というわけじゃないけれど俺は答える。

 

「大丈夫だよ。ちょっと敵が悪徳宗教の幹部で、こっちの最大戦力は術で封じられている上に人質まで取られてるってだけだ。そこまで絶望的じゃない」

「言語化されると絶望的すぎる!」

 

 ――《血河》の大司教シギナス=アークタイド。

 彼はその二つ名通り、血を媒介とした固有術(オリジナル)*2を操る男である。

 

 そのために彼は試験管のような細長い瓶に、奪った血液を詰めて持ち歩いている。

 己が実験の犠牲になった者たち、返り討ちにした冒険者や教会騎士たち、あるいは気紛れで殺した仲間であるはずの爻印教徒まで――殺した相手の血液を、魂の残り火ごと持ち歩く狂人。シギナスは生者を信頼せず、死者としか心を通わさない男だ。

 

 原作では主人公たちに立ちはだかり、各地で事件を起こす爻印教徒のトップとして登場する。クラウはその傍らにいる謎の少女といった空気感であり、基本的にプレイ中はシギナスがラスボスなのかと思ってゲームを進めていく。

 その目的は魔王になることだと語る彼を追い詰め、ついに撃破を果たしたところで真相が発覚。実はクラウが魔王だったとわかってラストバトル――という流れだ。

 

 ちなみにボスとして登場するのは冒険者ルートだけである。

 学院ルートでは中盤に裏切られるし、教会ルートでは序盤のうちに殺される。

 ルートによっては最終盤のボスとなるキャラクターが、別のルートではあっさりと命を落とすところも『Cross Lord』の面白さ……という話は、まあ措くとして。

 

「着いたな」

 

 エルピス学院の校門前に辿り着いて、俺は言った。

 

 ゲームだと、意外とこう、なんというか実は影の薄い学院である。

 別に授業を受けたりとかはしないからな……。シナリオ中にちょっと授業シーンがあったり、たまにスキルやアイテムが手に入ったりするくらいで、ゲーム的にはほぼ放課後になってからのシーンばかりだ。つーか大抵、後半からもう通ってない。

 とはいえ学院で起きるイベント自体はいくつもあるので、こうして実際に見られたことはそれなりに嬉しかった。……こんな状況で来たくなかったものだ。

 

「ああ。――いますね、あいつ」

 

 アビ子の背中のクラウが、学び舎の門を細い目で見て呟く。

 

「わかるのか?」

「ええ。……ほら鍵が壊されてますよ」

「わかる理由それかよ」

 

 もっとなんか、空気を感じ取った的なヤツかと思ったわ。

 思わず脱力してしまった。零れる苦笑に、自然と緊張がほぐれた気がする。

 そういう意味では、クラウのこのぽやぽやした空気は貴重だ。

 

「門を越えた先に校庭がある。シギナスがいるのはそこのはずだ」

「……どうする?」

「……役割を決めよう」

 

 ミリアに課せられた時間制限がなくとも、どのみち急ぐに越したことはない。

 時間をかけすぎればシギナスの仕込みが終わってしまう。その場合、どんな被害が出るのかなんて考えたくもない。

 何よりティーを奴が捕らえている時間など、一秒でも短くしてやりたい。

 

「クラウは……ひとまずバレるわけにはいかないからな。でも俺たちの中でいちばん火力があるわけだし、ティーを取り返せたらシギナスを倒してもらいたい」

「そですねー。であればわたしは校舎に忍び込んで、屋上とかから校庭を窺う感じにしましょうかね」

「ああ、いいな、それ。それでいこう」

 

 さすが、クラウはそもそもの実戦経験が違う。

 俺が必死に考えて捻り出した作戦を、即座にフォローする案を出してくれる。

 

「屋上からは距離があるので。最悪、蜘蛛を発動されても、めっちゃ痛くて動けない程度で済みそうですし」

「程度か、それは?」

「まあ、本人に使われるとさすがに。でも簡単な援護だったらできると思いますよ。あんまり強力な術を使うとわたしだとバレるかもですが、遠くから命術(バーン)を放つくらいなら、そう簡単にわたしだとはバレないかと」

「……とはいえ仲間がいることはバレるからな。俺がマジで死にそうだったら、そのときには援護してくれって感じで。基本はやっぱり隠れて様子を窺っててくれ」

「では、そうしますー」

 

 こくりと頷くクラウに俺も頷きを返し、次に視線をアビ子へ。

 

「アビ子はティーの奪還役。俺たちの中でいちばん動けるのがアビ子だからな。隙があったら即座に助け出してほしい」

「それはいい……けど。その場合は、ぼくも隠れて様子を窺うことになるのか?」

「できないか?」

「気配くらいは消せるさ。ぼくはこれでも狩りは得意だし」

 

 そうなんだ……。その設定知らない……。

 知らない設定はつい覚えようとしてしまう脳を抑制する俺に、アビ子は続けて。

 

「問題はアロルド、キミだろう。その場合、キミは――」

「――まあ、囮になるな」

「大丈夫なのか? それはキミがいちばん危ないってことだと思うんだけど」

「俺があっさり殺されたら逃げてもいいぞ」

「ふざけるな」

 

 軽く伝えた俺に、アビ子は射殺すような強い視線を向けて反発する。

 思った以上に強く言われて、俺は思わず目を丸くした。

 

「キミの安全だって大前提だ。もし危なくなったら飛び出すからな、ぼくは」

「そんなこと言ってたら助けられないだろ……こうして来ちまった時点で命懸けだ」

「それはそうだけど……!」

 

 まだも言い募ろうとするアビ子の目を、まっすぐに見て俺は告げる。

 

「大丈夫だ。俺はお前を信じてる」

「……っ」

「だからお前も俺を信じろ。まあ任せてくれ、ティーを助け出す隙だけは必ず作ってみせるから」

「……その言い方は、ずるいじゃないか……」

 

 アビ子はこちらを上目遣いで見つめ、それから諦めたように息をついた。

 別に俺だって死ぬ気はない。見捨てろとは言ったけれど、俺が死んでアビ子たちが見捨てたら、そのときはティーだってどうなるか知れたものじゃない。

 連れ去った以上はそう簡単に殺さないだろうが、用が済んだら殺すだろう。いや、直接害されることがなくても、いずれにせよロクな目に遭うまい。

 

「大丈夫だ、実はひとつ作戦がある」

「……どんな?」

「ちょっと自分の手札を考えてみたんだが――」

 

 かくして自分の考えを伝えてみた俺に、ふたりからの反応は次の通りだ。

 

「バカじゃないのか?」

「よくそんなこと思いつきますね」

「……まあ、無理だとは言われなかったんならできそうだな」

 

 俺にあるのは設定の知識。それだけだ。

 知識だけで使える手札がそうそう簡単に増えるわけじゃない。

 なら、できることでやり遂げることを優先する。

 

「――行こう」

 

 かくして俺たちはそれぞれに別れ、ティーの奪還作戦を開始した。

 敵はラスボス一歩手前の、この世界でもトップの悪役だ。

 だが悪役なのはこちらも同じ。そして才能だけなら――決して劣っていないはず。

 

 

     ※

 

 

 ――校庭の真ん中に、その陣は敷かれていた。

 遠目からでもわかったのは、血によって描かれた混術陣があるからだ。そのさらに周囲には砕かれた宝石の欠片が散らされ、簡易的な祭壇として成立されていた。

 陣の中央には、土を盛り上げる形で作られた土台がある。

 ティーはその上に寝かされていた。まるで神に捧げられた生贄のように。

 

「……ふざけやがって」

 

 俺は隠れることもなく真正面から、陣を敷くシギナスに近づいていく。

 そんな俺にシギナスが気づかないはずもなく、俺の姿を見て小さく舌打ちした。

 

「ちっ。――人払いは張っておいたんだがな」

「意味ねえよ。俺はそもそも、お前に会うためにここに来たんだから」

「……なんだと?」

 

 中央に長方形の祭壇。その上には横たえられたティーの姿。周囲を覆う円形の赤い陣は、半径にして約三メートルほどの大きさ。

 そしてその奥に、ヤミの記憶では持っていなかった長い杖を手にした男が立つ。

 

「――アロルド=ラヴィナーレだ。そう聞けばわかるだろ」

「ああ……なるほど、そういうことか。わざわざ来るとは物好きだな」

 

 男は非常に猫背だった。だがそれでも大きく見えるのは、全身に纏った邪悪すぎる空気のせいか、あるいはさきほどヤミの記憶で見た身体能力のせいか。

 

「ふむ。……どうかな。《失墜》から聞いていたほどの素材だとも思えんが。お前も私の実験に協力してくれるのか?」

「するわけねえだろ。お前が勝手に奪ってったモンを取り返すだけだ」

「……まったく。もう準備も終わるというのに、面倒な邪魔が入ったものだ」

 

 やれやれと呆れたようにかぶりを振り、それからシギナスはこちらを見た。

 それは明確な殺意が込められた――人が人を殺そうとするときだけに見せる表情。

 そのことが、俺でもわかってしまうほどの強い悪意だった。

 

「三秒やる。その間に消えろ。でなければ殺す」

「――あっそう」

 

 たぶん。

 その殺意に呑まれなかったのは、ひとりじゃないことがわかっていたから。

 

「《火走(イア)》」

 

 端的な術名の発声とともに、俺は正面に向けた手のひらから火球を撃ち出す。

 

「――!?」

 

 シギナスはその拙い命術に驚き、目を向いていた。

 だがそれだけだ。彼は一歩も動かずに、彼ではなくその前の地面に向かって飛んだ火球を不思議そうな目で見ていた。

 

「……なんのつもりだ?」

「いや、そりゃなあ? こんなあからさまに陣が描いてあるんだぜ?」

「…………」

「ひとまず消してみるだろ、そりゃ。ざまあみろ」

 

 炎上する地面越しに、俺は意図してシギナスを挑発するような形で告げる。

 それは思ったより功を奏したらしく、彼は明らかに苛立った表情をしながら、吐き捨てるようにこう言った。

 

「何をするかと思えば……。そんなことで祭壇を壊せると本気で思っているのか?」

「なんだ、無理なのか?」

「決まってるだろう、馬鹿が! こいつは俺のオドで描いてある。表面の血の紋など消したところで意味はない。そんなこともわからないで、よくも……!」

「ふぅん。……で? 火、消えてないけど。別に」

「――――、何?」

 

 未だに地面を焼き続ける炎。火種もなく燃えるそれに、初めて奴は目を細めた。

 

「……術が消えない? どういう理屈だ、それは」

「別に。俺だってこういう陣にはオドを通すことくらい知ってる。でも術を発動するためには線がしっかり描かれてることが必須だろ。途中に余計なオドがあったら成立しない」

「…………」

「参ったな、シギナス=アークタイド。この火を消さなきゃ祭壇は使えねえぞ?」

 

 挑発には理由がある。コイツの意識を俺に集中させるためだ。

 意識に俺しか入っていなければ、隠れているアビ子やクラウが動きやすい。

 そしてコイツがキレやすい性格なのは、ヤミの記憶を見るまでもなく原作の時点で知っていた。怒らせることさえできれば視野が狭くなるだろう。

 

 だが今回、その作戦はあまり上手く嵌まらなかった。

 

「……単なる低級の命術(バーン)かと思えば、なるほど。()()()()()()()()()

 

 想定では怒り狂って叫び出すくらいはすると思っていたシギナスは、だが意外にも冷静に俺の術を仕組みを読み取り、分析を始めた。

 そういえばコイツは、そもそもとして研究者の類いだったか。

 

「術に余計なライフを込めるということは案外難しい。だから詠唱違いで同じ効果の上位術が存在する。その手順を踏まなければ威力を上げられないからだ」

「……なんの講釈だよ」

「それをお前は、命術(バーン)に本来消費しないオドを込めることで威力を上げている。……オドを操作する精度が尋常ではないな。面白い。少しは《失墜》の妄言も聞く価値があったか」

 

 ――まずい。俺の術の精度が高かったことが、逆にシギナスを冷静にさせた。

 これがそこまで特異な性質だという自覚がなかったせいだ。

 俺は初めから、なぜかオドを操作する精度だけはやけに高かった。だから術を放つ際に消費するライフにオドを上乗せして、簡単には消えないようにしてみたのだが。

 それはどうやら、普通はできない技術だったらしい。

 

 言われてみれば想定すべきだったか。同じ火を出す術で低位から上位までランクの違うものがあるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だと。

 魔王が使う低級術は、一般人の上位術に相当する――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだと、考えればわかったかもしれないのに。

 実際、ゲーム本編でも、術自体のランク差をステータス差で覆すようなことはほぼできない。

 術攻撃力のステータスが高いキャラの低位術と、ステータスが低いキャラの上位術なら、よほど隔絶したレベル差がない限り後者が勝るのだから。

 考えればわかったことかもしれない。

 

 いや、同じか。結局、それを見たせいでシギナスが冷静になってしまうだなんて、俺には想定できなかったのだから。

 まあプラスに考えれば、シギナスの興味を俺に向けることには成功している。

 それならいいかと意識を切り替える俺の目の前で、男はひと言。

 

「面白い。気が変わった。三秒経ったが許してやろう。――お前も使ってやる」

 

 そう言い切った、ほぼ次の瞬間。

 シギナスは、すでに俺のすぐ目の前にいた。

 

「な、――ごあっ!?」

 

 防御などできなかった。なにせ反応からしてまったく間に合っていない。

 左腕の上腕部に軋むような痛みを感じた、そのあとで蹴られたのだと自覚した。

 

 死ぬんじゃないかと錯覚するような激痛を感じながら、俺は土の上を転がるように滑って数メートルを吹っ飛んだ。

 川で水切りに使われる小石の気分は、味わうとしたらこんな感じか。どこを地面に打っているのか、わからなくなるくらいあちこちが痛んだ。

 

「簡単に壊れてくれるなよ」

 

 さきほどまでの挑発を返されるかのような、シギナスの痛烈な言葉が届いた。

 当たり前だ。この程度の痛みで悶えてなんかいられない。クラウが、そしてヤミが受けた拷問めいた術の苦痛が、この程度じゃなかったことは記憶越しに知っている。

 アレは本当に、痛みだけで人を壊す術だ。

 比べものにすらならない。慣れない痛みを我慢しながら、俺は転がりながら必死にナイフを取り出して右手に構えた。俺にある武器は借り物の《破希(やぶりき)》だけだ。

 

 武器さえ装備すれば、魂術による同調で身体能力を底上げできる。

 今の俺では大した効果はないだろうが、それでもやらないよりはマシだと――。

 

「――《千流穿(ユクリューエ)(アギス)》」

「っ、ぁ――」

 

 唐突に、左肩に焼けるような痛みが突き刺さった。

 さきほど蹴られた痛みなど、あとから完全に塗り潰すような激痛。

 

「づぁあああああぁぁぁ……ッ!?」

 

 叫びを堪えきれない。涙を抑えきれない。

 実戦経験などないに等しい俺なんかの覚悟が、どれほど弱いものであるかを痛覚が冷徹に訴えてくる。後悔が頭を占め、今すぐ逃げ出して叫びたいという欲求に全身が支配されそうだった。

 

 ――赤い弾丸が、俺の肩口を抉ったのだ。

 

 いや弾丸なんてものじゃなかった。あんなの光線と何も変わらない。

 螺旋状に渦を巻いて直進する血液の弾丸が、高速で飛来して俺の肩を抉ったのだ。

 穴が、――穴が開いた。肩に。ぼたぼたと信じられない量の血が零れている。

 もう左腕を動かすことができる気がしない。痛い。痛すぎる。漫画やアニメの登場人物はこの程度の怪我くらい無視していたはずなのに――できるか? 無理だろ。

 

 だが結局は、それが俺にとっての現実だった。

 もうこれはゲームじゃない。エンタメとして享受するフィクションじゃない。

 それはわかっていた。わかっていたが、思い知ってはいなかった。

 

 ――現実を思い知るとは、だから、きっとこういうことを言うのだろう。

*1
それもこれもアロルドのせい……か? もうよくわからん。

*2
この世界、上位のキャラは何かしら固有の術を開発している。

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