【書籍化】自滅する天才悪役貴族に転生したけど、設定厨知識で闇堕ちフラグをへし折ったヒロインたちの様子がおかしい 作:涼暮皐
転移術。すなわち瞬間的な空間移動の術。テレポート。
少なくとも今の時代、つまり初代の時間軸においては一度も使用されていない。
この時代よりかなり未来を舞台としたソシャゲ版で、初めて近似の技術が登場するくらいにはあり得ない技術だ。
「……え、マジ?」
「まじですね。この資料によれば、技術的には完成しているものかとー」
「それは……ちょっと予想してた以上に厄ネタ*1か、これ?」
割ととんでもないことを言ってのけるクラウ。
俺は思わずくらっと来て、咄嗟に目の前にあった椅子を引いて腰を下ろした。
「俺にも見せてくれ、その資料」
「ういー」
とてとてと寄ってくるクラウから、俺はその資料を受け取った。
彼女が嘘を言っているなんて俺も思っちゃいないが、それでも一応、念のため自分の目で確認したい。
認識が変わった《お陰》か、それとも《せい》か、すでに日本語としてしか認識できなくなった文字を俺は自分の目で読んだ。
そして確かに、そこには
「……さすがに、術として個人で使うのはこれじゃあ無理か」
こくり、と至近距離のクラウも同意の頷きを見せ。
「ですね。マナを用いて龍脈の流れを利用するのが基本思想のようです。それに出発地点と到着地点の両方に、命術陣を描いた装置が必要になりますね」
「しかもこれ、装置を作るのには《
「でなければ龍脈との接続が難しいですからね。無理もないですがー」
ふたりで思わず考え込む。思ったほど自由自在というワケじゃなさそうだ。
というより、むしろかなり縛りの多い技術だと思ったほうがいい。
人間の術師がマナ――星の力を扱うハードルは極めて高い。
技術的には可能、というかそれを可能とする技術がつまり混術だが、人間ひとりが術単体にマナを上乗せするのは、これがもう尋常ではないほど難しいのだとか。
だからこそそれを簡単に、しかも技術としてではなく能力として可能にするフィーの異能は尋常ではない。
ただしハードルを下げる方法自体は存在する。
たとえばあの学院のように龍脈と近い場所を儀式場として使うとか、あるいは特殊なアイテム――この世界では《
この資料では後者の方法が示唆されていた。まあ前者では場所が限定されるため、できれば可能性の広いほうを取りたかったのだろう。それはいい。
問題は、まさにその《
指先ほどの欠片でも一般人じゃ一生買えない額だし、それ以上のまとまったサイズとなれば、そもそも王国に数えるほどだ。乂印教会にだってそうそうない*2。
「サイズ的には、1センチ*3もあればいいらしいけど。いくらするんだ?」
「そもそも普通には出回らないですが。まあ……買おうと思ったら安くて数千万から*4じゃないですかね」
「貴族でもそうそう手が出ないよな。……いや、どうなんだ、これ……?」
理論段階で実用化はしていないと見るべきだろうか?
資料には詳細な設計が載っているが、これを実際に作ったのかどうかまでは記載がなかった。
もし作っているなら、実際の実験データも残っていそうなものだから、おそらくは素材がなくて作れなかったのだろうとは思う。
「――何やってるんだ?」
「ほぁあ!?」
そのときだった。部屋の入口から声をかけられ、思わず俺は跳び上がった。
顔を上げれば、そこにはこちらを訝しげな表情で見ているオレンジ髪の少女の姿。
「あ、アビ子か……。どうした?」
「どうしたって、それはこっちの台詞だけどね。……いったい何をしてるんだ」
「何って、別に――」
言いかけて、そこでふと言葉が止まった。
ふむ。……突然だが、一度ここで今の自分を客観視してみようと思う。
ロケ地は普段は使わない、廊下の奥に開かずの間だ。窓が塞がれているためかなり薄暗く、また物音もそうそう聞かれまい。
次にキャストは、もちろん俺とクラウのふたり。今はプラスで、あとからアビ子が現れているが、彼女はまだ部屋の外だ。ドアが開いていて気づいたのだろう。
そして俺は椅子に座っている。
別にいいだろう、椅子があるんだから座ったっていい。
そしてクラウもちゃんと腰を下ろしていた。
どこにか?
そう、問題はそこだ。
――彼女は今、俺の膝の上にちょこんと収まっている。
「まあ……客観的に見るとちょっとアレか、これ?」
「自覚が遅い!」
叫ぶアビ子であった。
コイツ、ウチの陰の風紀委員長だよな……。意外とヤミは『外に見られてなければいい』って感じで、家の中のことにはユルいんだけど。
「仲がいいのは結構だけども、昼間からあまりイチャつくものではないよホント!」
「別にイチャついてるワケじゃねえよ……」
誤解だと否定した俺に、クラウも続けて。
「そうです。ネチャついてるだけです」
「ネチャついてるの!?」
「おい余計なこと言うなクラウ。真に受けるだろアビ子が」
だいたいネチャついてるってなんだ。
アビ子の奴、もう言葉の響きだけで適当に衝撃受けてるだろ。
ともあれ膝からクラウを下ろし、俺も続けて立ち上がる。
なんというか、クラウはやけにパーソナルスペースが狭い感じなのだが、なんでか小動物に懐かれている感覚があって、俺も自然と受け入れてしまう節があった。
「まったく……いいかい、アロルド? ただでさえキミは評判が悪いんだ。もう少し貴族として節度を持った態度をだね……」
「まあまあ。それよりアビ子、なんか用か?」
宥める俺に対し、アビ子はむすっとしつつも流されてくれる。
「……別に用はないよ。さっきまでヤミにお使いを頼まれて町まで出てたんだけど、戻ってきたら廊下の奥に開いてる扉があったから気になっただけだ」
「へえ、お使い? それはお疲れ」
「――それも本当にそうだよ!」
と、突如としてアビ子が勢いよく身を乗り出してきた。
つかつかこちらに寄ってきて、まっすぐ俺を睨み上げるアビ子。
「ど、どした?」
「どうしたもこうしたもさ。さっきも言ったけど、キミ、ちょっと町での評判が悪すぎるよ。悪すぎてもう一周回って誰か別の人の話かと思ったね、ぼかぁ」
「……そ、そう?」
「そうだとも。通りかかっただけで暴言を吐かれたとか脅されたとか、なんなら手をあげられたって人もいた。……本当にキミなのかい?」
「……あー……」
「一応、アロルドはそんなことしないと庇っておいたけどさ。そうしたら今度は何か弱みを握られてるんじゃないかと、ぼくが心配される始末だったぞ?」
「……そっ、かー……」
俺の話じゃないわけがないのに、一応それでも庇ってくれる辺り優しい奴だ。
しかもこの場合、本当に俺の話じゃないのがまたややこしいところだ。
いや、今となっては俺の話でしかないんだけど……。
やはり元のアロルド=ラヴィナーレという人間の悪徳は、どうあれ今の俺にも尾を引く大きな問題と言えよう。
正直、潮時かもしれない。
今のところ、まだこの世界ではヤミしか知らない俺の秘密。
俺が本当はアロルド=ラヴィナーレではない事実。
これに関して、アビ子とクラウには聞いておく権利があるはずだった。
「オーケー、いい機会だ。ふたりには、俺の秘密を話しておくよ」
巻き込んでしまった以上はそれが礼儀だろう。
考えてみれば隠す意味もない。もちろん吹聴して回ることでもないが、アビ子とクラウには知っておいてもらったほうがむしろ動きやすいだろう。
ひと息。間を取ってから、俺は言った。
「――実は俺、本当はアロルド=ラヴィナーレに乗り移っただけの別人なんだ」
俺としては衝撃の告白。
それを受けて、クラウは黙ったまま目をぱちくりと瞬き。
アビ子は、呆れた様子で首を傾げた。
「何を言ってるんだキミは」
「んーこれまったく信じてない」
手応えがあまりにゼロ。
でもそれはそう。
過去の悪行を誤魔化してる風ですらある。
……えっ、これどうやって信じてもらったらいいね?
どうしよう、そっちは考えてなかった。
だけど思い出してみれば、そもそも俺が言わないままでいたのは、どうせ誰も信じないと予想していたからだったはず。
俺自身、逆の立場でこんなことを言われてもそうそう信じはしないだろう。もしも日本にいた頃なら、誰に言われても百パー信じなかったはず。
見抜いたヤミのほうが例外だったのだ。元のアロルドの魂を知覚していたから違うと気づけただけ。
そうでもなければ、たとえ人格が大きく変わったところで、中身が別人だとまでは思わなかったかもしれない。魂ではなく性格が変わったと思うほうが自然だろう。
とはいえ、言ってしまった以上は冗談で流されても困る。
どうにか説明しようと俺は口を開き、
「いや、えーと……まあ言いたいことはわか、」
「――アロルド!」
突然、アビ子が弾かれたように顔を上げて背後を振り向いた。
――いや、顔を下げて、のほうが正確か。視線は廊下の床のほうに向いている。
「おい? アビ――」
「――
訊ねかけた言葉が、縫い留められるように止まった。
ドキリと心臓が高く跳ねる。冷たく硬質になったアビ子の声音が、決して冗談ではないことを示している。
「気配を感じた。しかもひとりじゃない。最低三人。あるいはもっと」
「それは――」
「しかも玄関や裏庭じゃない。……もうすでに、屋敷の下のほうの部屋の中だ」
「…………」
「それと、これは意味がよくわからないんだけど……まるで、
思わず俺は、手元にある資料を見つめてしまった。
転移装置の作り方。
さきほどの皮算用と異なり、もしもそれが実用化されていたのだとしたら。
「さすがアビ子同輩。わたしでは察知できませんでしたねー」
小さくクラウが言った。アビ子が首を振り、
「どうかな。明らかにおかしな気配がしたから気づけただけだ。それに、現れてすぐ息を潜められた。今はもうわからない。……クラウなら調べられないかな?」
「やってみればできると思いますが、――構いませんかー?」
クラウが、静かに俺のほうを見つめて訊ねた。
「え、……あ、俺?」
「ほかに誰がいるんだよ。しゃんとしてくれ、アロルド」
そんなザマをアビ子に窘められてしまう。
……それもそうだ。てきぱきコトを進めるふたりに任せてしまいそうになったが、この屋敷でのことは俺が責任を持つべきだろう。
意を決し、深呼吸をして。それから俺はふたりに問う。
「まずはヤミ。誰か居場所を知ってるか?」
「ヤミなら今は外出中だ。用件は聞いてないけどしばらく戻ってこないはず」
アビ子が答える。だからお使いを頼まれてたわけか。
次に俺はクラウに向き直って訊ねた。
「……こっちから探ったとして、それを相手に気取られる可能性は?」
「かなり低い――ですが、どうあってもゼロとは言い切れません。相手の実力次第としか。ただこの屋敷は、今いるこの部屋のように妙な術がたくさん仕掛けられてますので、その気配にかなり紛れると思います。……そうですね、探るのがわたしで侵入者もわたしなら、たぶん気づけないかと」
さすが、判断に必要な情報をわかりやすく伝えてくれる。
――さて、ではどうするか。
戦いにはなる、と思ったほうがいい。だが真正面から果たし合うような真似をする意味はない。謎の襲撃者がどんなつもりであれ、狙うならカウンターで不意打ちか。
「アビ子。剣は?」
「ぼくの部屋に置いたままだ。取りに行かないと武器はない。ただどの道、聖剣じゃ魂術は使えないからね。敵のところにまっすぐ行くなら、裏庭の出入り口のところに置いてきた木剣をついでに持っていくほうが早いとは思うよ」
「……それなら階段下りてすぐだな。そっちで行くか」
できるなら急いだほうがいい*5。
相手はまだ、こちらが気づいたことには気づいていないはず。向こうも隠れている以上、下手にこちらを探る真似はできまい。
「逆にクラウ、向こうから探られたら気づけるか?」
「同じ条件なら、屋敷のことをある程度わかってるわたしが有利かとー」
「よし。……まず一階に下りよう。アビ子が武器を取ってから術で探ってもらう」
言って俺は、懐からいつもの短剣を取り出した。
ヤミから借りたままになっている、名もなき暗殺者の武器――《
「持ち歩いてたんだ?」
「ああ。魂術は愛用すればするほど精度が上がる。なるべく肌身離さずが基本だ」
「……素人なのに、なんでかそういうことだけ詳しいよね、アロルドは」
それはもう、設定厨ですから。
俺は笑って言った。――たぶん気持ちを強く持つため。
「余計な知識だけは誰にも負けないね」
「……それ、あんまり自慢にはなってないと思うけど」
「何を言うか」
俺にとっては、これ以上ない自慢だとも。
そんなことを考えながら、俺は短剣を握って、空いた左手をアビ子に伸ばす。
「アビ子、手。クラウは……仕方ねえ、背中に乗ってくれ」
「ほい」
クラウはいつでも素直すぎるため、言われるがまま背中に飛び乗ってくる。
それをよいしょと担ぎ上げて、まっすぐ立ち尽くしたままのアビ子へと向き直る。
「何してんだ、早くしろ。俺じゃ触れ合ってないと術の効果内に入れられないんだ」
「え、で……でも」
「なんだよ」
アビ子はなぜかもじもじして、恥ずかしそうに耳を赤くして。
「……お、男の人の手を握るの……ちょっと恥ずかし……」
「…………」
やめてくれる?
そういうこと言われると俺まで照れてくるから。
思わず俺まで押し黙ってしまう。
するとそんな俺の背中で、クラウがなんでもないことのように。
「あ、じゃあ替わりますー?」
「…………」
「…………」
「……どっちがいい?」
「手でお願いします……」
観念したアビ子の手を取って、それから《透かせ》と解放令を発した。