【書籍化】自滅する天才悪役貴族に転生したけど、設定厨知識で闇堕ちフラグをへし折ったヒロインたちの様子がおかしい 作:涼暮皐
「
気づけば、俺は尻餅をついていた。
浮遊感すらないような数センチの落下を伴って、自分の座標が変わる感覚――とでも言えば近いだろうか。
「…………」
立ち上がり、辺りの様子を軽く見回す。
そして改めて俺は、さきほどまでと違う場所にいるのだと自覚した。
どこかの部屋だ。似たような物置の佇まいではあるが、さきほどまでいた屋敷の地下室よりは少し広かった。
実際に物置として利用されているのだろう。古い壁掛け時計や壊れかけの棚、白い布がかけられた木箱や謎の石材などが並んでいて、さっきまでより感覚では狭い。
少し埃っぽいが、こちらの部屋には窓が存在していた。
窓、とは言ってもガラス窓ではなく、木製の扉で隠されているため室内は暗い。
それでも隙間から少し光が漏れているし、振り返れば外への扉もある。
さきほどまで、俺は屋敷の一階西側、厨房脇から下りる地下室にいたはずだ。
だが今いるのはおそらく地下じゃない。
というかなんなら別の建物だ。まだ屋敷を全て確認したわけじゃないが、どう見たって部屋の造りから違う。
「……まずい。絶対これ転移した……!」
わかりきっていた現実を、ようやく受け入れるように言葉にする。
くそ……何が『普通にはたぶん発動しないのだろう』だ!
的外れなこと考えてた設定厨が恥ずかしいだろうが。
触った瞬間に起動したじゃねえかよ。触れるだけで転移しちゃうんじゃ装置として使い勝手が悪すぎる――いやでも、確かに短剣持ってた髭面は触ってたはずなのに。
不用意に起動させない特別な扱い方でもあったのか?
だとしたら逆であれ。特殊な手順は発動させるほうに必要であれや。
「いや、いやいやいや落ち着け。別に大丈夫」
自分の間抜けっぷりに動転していた心を、言葉でもって落ち着ける。
確かにいきなり転移してしまったのは予想外だが、逆を言えば転移装置は使えるということだ。来たときと同じように触れれば、それで元いた場所に戻れるはず。
事実、今も足元には装置があるのだ。
薄い石板状の転移装置。この部屋は床の材質が木だからわかりやすい。
屋敷と違い、床に嵌め込まれているのではなく、ただ置かれているだけだ。
ともあれ俺は、来たときと同じように床の転移装置に手を触れる。
「……おい」
だが装置が発動しない。石板が光を発することはなかった。
軽く叩いてみたり、刻まれた紋様を指でなぞってみたりを繰り返すが無反応。
「起動。発動。スイッチオン。転移。跳べ。ワープ」
言葉で起動するかも、と思いつく単語を並べてみたが、やはり無意味だ。
まあ、この装置は
「……参った。お家に帰れない」
徐々に状況がヤバくなっていくせいで、俺も逆に冷静になってきた。
いや別に状況は変わっていない。把握が進んでいるだけだ。
さて、なぜ転移装置は起動しないのだろうか?
さきほどの侵入者どもが転移でやって来ただろうことを考えるに、繋がる先であるこの部屋は敵のアジトか、少なくともそれに類する建物である可能性が高い。
リスクを考えれば、さすがに本拠地直通ってコトはないだろうが……だからって、チャンスだから探りを入れてみよう、とは考えていなかった。さっきまでは。
だが来た道から帰れないとなれば話も変わってくる。
ここがどこにせよ、物理的な移動で帰還しなければならない可能性が出てきた。
「…………」
転移装置が発動しない理由だが、現状でも思いつくことがいくつかある。
まず装置自体の問題だ。
たとえば転移に必要なエネルギーが切れたとか、初めから転移に回数制限のある装置だったとか、あるいは何かの技術的問題で装置が壊れてしまったとか。
そういった電池切れや本体破損などの可能性である。
可能性は高そうだが、反面、アロルドの研究室で見つけた資料とは食い違う。
いや、俺も別にしっかり読み込んだわけじゃなかったが、使用制限があるとか壊れやすいというような記述は別になかった気がした。エネルギー切れの問題も、石板の中央に嵌め込まれた《
だがほかの可能性が、今のところちょっと浮かばない。
来たときには触っただけで転移した以上、少なくとも俺は起動ができるはず。
一応、何かの
アビ子やクラウは装置に近づいてもいなかった。つまり原因じゃない。
ならば発動者は転移先――俺が今いる側のほうに誰かがいなければおかしい。
だが待ち伏せもなければ、たまたま誰かがいたオチもない。
結論、やはり起動したのは俺としか思えない。
「ダメだ……わからねえ」
正直もう《なんもしてないのに急に壊れた》としか思えない事態だった。
装置、と呼ぶにはあまりに
なんかインターネット壊れたぁ。
みたいな感じ。
と、頭の中で馬鹿みたいなことを考える俺の目の前で。
「――!」
突如として物音がした。この部屋の入口の側である。
かと思えば、いきなり扉が開かれた。誰かがドアを開いたのである。
開け放たれた扉から光が差し込み、俺の視界を白く塗り潰す。
それも一瞬。すぐに順応した俺の視界に移ったのは、見知らぬひとりの男だった。
――黒い装いの人影。
その色に爻印教徒かと一瞬だけ焦る俺だったが、よく見れば燕尾服のような格好とわかる。
折り目正しく仕立てのいい衣装は、典型的な《執事》を思わせた。
年の頃は初老くらいか。すらっと背が高く、引き締まった体格をした、ダンディなロマンスグレーの出で立ちが見える。俗に言えばイケオジ様だ。
右目には
男は言った。
「――アロルド様」
「何……?」
名前を知られている。――それはいい。
ここが敵側のアジトなら当然。問題はその恭しさだ。
彼は続けて、
「失礼ながらお帰りでしたら、お声がけを頂きたく」
「……、……ああ。おう」
俺は適当な返事をしながら、頭を高速で回転させる。
執事風の老人は、明らかに俺を――元のアロルドを知っている風の態度だ。
だが俺には誰なのかがわからない。
原作にいたキャラか?
いや、違う。確かに現実化したこの世界では、元のイラストから想起するのに少し苦労するが、ここまで特徴的な外見でまったくピンとこないなら知らないはず。
だが俺は設定厨。
たとえ原作に登場しなくても、設定だけで語られているキャラすら記憶にある。
「……悪かった。何か用か?」
「いえ。物置から妙な物音を感じたため確認しに来た次第です」
「……そうか」
「ヤミはご一緒ではないのですか? そもそもアロルド様はいつこちらへ?」
「いや、……今来たところだ」
「……左様ですか」
会話を引き延ばして得たヒントで、脳内をさらに詳細検索。
俺を様づけで呼ぶ態度。さらには外見から、おそらくラヴィナーレ家の使用人だ。
丁寧だが、あのアロルドに物怖じすることなく疑問を投げるのも特徴的。
――思いつくキャラがひとりいた。
原作には登場しない。彼の存在は資料集の中で、アロルドのプロフィールに存在が匂わされているだけだからだ。
確か、名前は――。
「……ヴィンセント」
「は」
捻り出した名前に彼は頷いた。
あ、危ねえ……。俺でもだいぶギリギリの設定すぎる、これは。
だがこれはもう間違いない。
彼の名はヴィンセント=アンデルス。
ラヴィナーレ本家の執事長であり、ヤミとアロルドに術を教えた師匠だ。
つまりここは、
「ひとつ訊きたいんだけど。ここは本邸ってコトで、……いいんだよな?」
「無論、その通りでございますが。……ふむ」
執事の男は顎に手をやって、それからわずかに目線を細めた。
射貫くような視線が、まっすぐこちらに向けられる。
「何やら事情がおありのご様子。ご連絡のない帰還はそのせいですな?」
「まあ、ちょっとね。だいぶいろいろと」
「なるほど。しかしアロルド様、――その分ですと」
そこまで言って、彼は初めて、ほんの少しだけ相好を崩した。
まるで、どこか遠いところを見るかのように俺のことを見つめながら。
「いくぶん落ち着かれたご様子とお見受けします。……大人になられましたかな?」
「……ははは……」
元のアロルドなら、こういうときどんな態度を取ったのやら。
苦労と感動を窺わせる執事の態度に、俺は曖昧に微笑むほかなかった。
――しかしまあ。
帰れないのかと思ったら、まさか帰ってきていたとは。
※
貴族ラヴィナーレ家の本邸は、インフィディアから北にずっと離れた場所だ。
原作では完全に全体マップ外となる土地。
地名で言うと、だいたい《スノリア》という街の付近になる。
インフィディアから伸びる街道を辿っても、獣車でだいたい数時間。
元の世界の自動車に近い速度を出す魔獣に車を牽かせてこれだ。普通の馬車などで行こうと思えば一日じゃ着かないだろう。
要するに、とてもじゃないが歩いて帰れる距離じゃない。
「どうぞ、アロルド様」
「……どうも……」
だだっ広い屋敷の、だだっ広い食堂。
その中の無駄に長い食卓の隅で、俺はヴィンセントさんから紅茶を淹れてもらっていた。
傍には本家のメイドもひとり、無言のまま控えている。
さすが行き届いた様子だが、それでも隠しきれない困惑がわずかに伝わってきた。
「――さて、アロルド様」
紅茶をひと口味わったところで、立ったままのヴィンセントが切り出す。
「旦那様がご不在のこの折、供も連れずにおひとりで、我々にも告げずのご帰還。果たして如何なる御用向きかお伺いしても?」
「おっふ」
客観的に聞くと怪しすぎるな俺。
といっても、説明できるような事情はない。だって偶然なのだから。
「――――――――」
問題は、どこまで正直に語るかだろう。
ヴィンセントは使用人だ。よって普通に考えれば俺の――アロルドの不利になるようなことを勝手にすることはないはず。
だがそもそも問題、ラヴィナーレ家自体がまずもって
こいつが爻印教側なら安易に話などできない。
だから俺も、転移装置には何も触れずに物置を出てここまで来た。
ヴィンセントはどういう立場だ……?
俺が知る情報は、ヤミとアロルド双方の教育係を担っていた執事の長であるということくらいだ。プラスで、かなり厳しい訓練を課していたらしいということ。
フルネームがわかるだけでも奇跡なレベルで原作に出てこない。
つーかラヴィナーレの本家自体が、原作じゃぜんぜん関わってこないからな。
アロルドくん、存在感は結構あるけど、所詮は途中で死ぬ中ボスだし。
見たとこ真っ当そうな感じはする。
だが仮にも貴族の執事が、見たとこ真っ当じゃないほうがおかしいだけだろう。
ラヴィナーレ家では数少ない、正面からアロルドに意見できる存在。
もちろん立場はあくまで下だが、屋敷の使用人は、厳密には俺ではなく、現当主であるアロルドの父を主人としている。完全に従順というわけじゃない。
「――別に、大した用件はないよ。親父殿がいないってことすら知らなかったし」
ひとまず俺は、様子を見ることに徹すべく言葉を作った。
アロルドが原作で父親を『親父殿』と呼んでいた台詞は確かあったはず。
「本当は帰ってくる気もなかったしね」
「……であれば、なぜわざわざインフィディアから?」
「正確にはイースティアからだけど」
嘘は何も言っていない。事実が異常なだけで、なるべく嘘は言わないほうがいい。
彼がどんな能力を持つのか知らないが、アロルドとヤミの師匠であるという時点で上位の術者なのは間違いない。
そういうのはさすがに原作でも希少なスキルだったが、存在していた以上は、彼が違う保証もないのだし。警戒は怠るべきじゃない。
「とにかく――」
別に君たちに用はないから放っておいてくれていいよ。
そう告げようとした俺は、直後、上の階から響く妙な物音を聞いた。
どすん、と何かが揺れるようなわずかな気配。
思わず顔を上げた俺に、続けて同じく天井を見たヴィンセントが言った。
「……またしても物置から音がしましたな」
「マジかよ」
使えなかったはずの転移装置がまた起動したのか?
だとすれば誰が来た?
アビ子たちが追ってきてくれた、と考えるのがいちばん楽だ。
だが、そもそも転移先がラヴィナーレ本邸だったことも正直よくわからない。
まさかあの侵入者たちの出発地点がここだったとも思いたくないため、だとするとあの装置、資料の説明とは違って転移先が複数存在するのかも。
であれば確認する必要がある。
行ったり来たり使えたり使えなかったり、どうにも今日は忙しい。
「見に行こう。……いっしょに来るか?」
俺はヴィンセントに訊ねた。
すると彼は、なぜか愉快そうに薄く笑みを見せて。
「――そういたしましょう」