【書籍化】設定厨、悪役貴族になる。 ――原作知識で破滅シナリオを攻略し、闇堕ち確定ヒロインを全員光堕ちさせるまで── 作:涼暮皐
思えば『勝ちたい』と意識して戦いに臨むのは、この世界に来て初めてのことかもしれない。
初陣はクラウの追手だった。――あのときは時間稼ぎを念頭に置いていた。
シギナスとの戦いは死闘だった。――あんなの食い下がるだけで精いっぱいだ。
アビ子との訓練を始めた。――勝てると思って挑んでいない。
どの戦いも格上との戦いで、言ってみれば俺は勝とうとして挑んだことがない。
ただ死なないようにしていただけに過ぎないのだろう。
どこかで自分を弱いと認識していて、だからアビ子に指摘されたように負けん気が出てこない。
それは、必ずしも間違いではなかったと思う。
いつだって余裕はなかったし、降って湧いた力に自惚れなかったから生きている。
だがそれだけでは足りないのだということもわかり始めていた。
「――ッ!」
隠し持っていた《
気配殺しは意味がない。この開けた場所で一対一では気配を消す意味がないから。
だがそれでも、短剣と同調することで武器の扱いはわかる。
姿勢を低くして這うように駆けながら、余裕を見せて動くどころかこちらを目線で追うことすらしないヴィンセントの隙を突いてやろうと死角に回った。
だからといって突撃はしない。
原作に出てこないヴィンセントの戦闘スタイルを俺は知らないからだ。
そういう意味ではシギナスよりも謎ではある。
ただヒントもあった。なにせ本来は状態異常防御装備のタリスマンで
なら、まずは相手に対応を強いる。
クソ雑魚の命術を見せたこと自体を伏線にしてやる。
「――《
俺は再び下手くそな
ただし今度は、シギナス戦でやったように
理屈はよく知らないが、爻印教の大司教すら驚かせた特殊なスキルだ。俺が持っている手札で、おそらくは歴戦であろうヴィンセントに通じるものはきっと限られる。
撃ち出すのは、さきほどより大きな火の玉。
そうして死角を自ら作り、それと同時に口の中で呟く。
「――《透かせ》」
気配殺しを起動。ほんの一瞬でも視線を外れれば《破希》にも意味は出る。
現に正面に立つヴィンセントは、俺の放った火炎に目を奪われこちらを見失った。
「ほう」
果たしてヴィンセントは、火の玉を受けた。
否。軽く手を振るうだけで、それを弾いてみせたのだ。
――なんじゃそりゃ。
と言いたいところだが、どうせ通じないだろうことは織り込み済みだ。
つーか、この程度だったら俺が喰らう側でも対処できる。その場合は防御や回避をするという話で、まさか素手で弾くなんてことはできないが――。
刹那、俺は地を蹴って自らを撃ち出す。
遠慮も容赦もしない。もしヴィンセントが何も対応できなければ、勢い余って殺すことすらあり得る速度で急接近し、手にした短剣で首を狙う。
けれど。
「――素直すぎますな」
「っ、くそ――」
完全に隙を突いたはずの横薙ぎが、こちらを見もしないヴィンセントにあっさりと防がれてしまった。
短剣を持つ俺の手首に、老執事の力ある腕が添えられる。
そのとき、俺は攻撃を止めたヴィンセントの右手がわずかに光っているのを見た。
白い光――つまりは
見た目だけなら《
その名を、
「《
「正解です。ゆえに不正解ですな」
瞬間、ほんの一瞬だけヴィンセントの逆の手が白く光った。
かと思えばその腕が俺に突き刺さり、さきほどの腹パンなど比較にならない勢いで俺を背後へ吹き飛ばす。
「ぐあ……っ!?」
地べたを跳ね転がり、無様に吹き飛ばされて痛みを味わう。
確かに、こいつは容赦がない。元のアロルドがこの形で戦いを仕込まれたのなら、あいつ思ったより根性あるじゃねえかよ。ちょっと尊敬すら湧くぜ……。
「同調による運動補助は、素直すぎるのが弱点ですな。その武器を振るうに際し最も基礎的な動作をなぞるに過ぎず、ゆえに狙いがあからさまで読みやすい」
「……ぐ……」
「当然でしょう。それで済むのなら誰も自力で武芸など鍛えますまい。魂術とは武器を使うことであって、その逆では決してない。使われているようではまだまだ」
ヴィンセントは追撃すらせず、余裕で解説すらしてくる有様だ。
彼は別に俺を殺したいわけじゃないのだから当然だが、大見得きってこのザマでは俺のほうがいたたまれない。
「まして既知の武装ではなおさらです。初見の得物ならばまだしも、アロルド様がヤミの《破希》をお持ちであることに気づかぬほど、私も抜けてはおりません」
「……、そうかよ」
「暗殺者の武具である以上、首や心臓といった急所を狙ってくる動きになるのを私は初めから知っている。命術で心臓を狙う軌道を自ら防いだ以上、次に来るのが首であることは読めるというわけです。――いやはや、これはアロルド様への危害で『首が飛ぶ』と発言したことを、撤回せねばなりませんな?」
「…………」
「ふたりに基礎を叩き込んだのはこの老骨ですゆえな。はてさて……そういえば私の記憶が確かであれば、家を出られる最後まで、二対一でも土をつけられたことは一度もなかったままでしたか」
侮りと煽り。ほぼ挑発に等しい台詞。
それを聞かされた俺は、けれど正直なところ感心すらしていた。
そういうところが負けん気のなさに繋がっているのかもしれないけれど――。
でも、彼は強い。尊敬すら覚えるほどに。
それもアビ子やクラウたちみたいな才能に任せた強さでも、シギナスのように莫大なリソースを振るう強さでもない。
積み重ねが生んだ厚みのある強さ――経験値を力にした強さと言える。
そう。ヴィンセントからは、これまで俺が出会ってきた原作キャラたちのような、まるで世界に愛されているみたいな隔絶した力は感じない。
理解が届く力。納得できるからこそ遠いとわかる、老練な強さ――強かさだ。
「得物を振るいたければ扱いを学べ。口を酸っぱくしてお教えしたつもりでしたが、お忘れとあっては是非もなし。今一度、二度と忘れぬよう叩き込んで差し上げる」
「……上等……っ!」
言って、俺は立ち上がる。強がりだろうと走り出す。
このまま同じところに転がって、見下されるのはうんざりだ。
いや、でも、しかし……だからってどうする?
魂術の同調によって、肉体にトレースされる武器の動きは通じない。
決まりきった動作しかしないため、ヴィンセント相手だと動きを読まれるらしい。
原作でも《しっかり訓練したほうが強い》という設定は確かにあったけど、それを現実で言語化するとこういうことになるのか。
いや、思えばアビ子だって、言葉にはしなかったが俺の動きをいつも読んでいた。
この《破希》は暗殺者が使っていた短剣だ。
それに同調すると、アドリブの利かない
フレーバー通りの動きだけでは、それがなくても動ける奴には通用しない。
同調はあくまでも教科書。それを自分の肉体に教え込み、叩き込んで初めて武器を扱える。
わかった。理解した。理解したなら次へ行け。
ヴィンセントの戦術はひとつ見た。
冥術《
回復や補助がメインの
主に武器にかけることで攻撃力をプラスする術。
それを今回、ヴィンセントは自分の両手にかけることで、いわば手刀という武装の硬度を高めたってトコだろう。それで短剣を受けて、逆の手で俺を打ち抜いた。
実際、原作にもステゴロの格闘を得意とする
まあ、言っちゃなんだが舐め腐っている。
なにせ《
いや……だがこれはゲームじゃない。
この世界では、鍛えればそれだけで必殺たり得る。
そういう意味では実際、脅威だ。
さきほどは余裕で見切られたためやっていなかったが、たぶんその気になれば刃も素手で受け止めてくる。ヴィンセントの素手は鉄みたいな硬度があると見ていい。
あくまで設定上のフレーバーで考えたほうがいいんだろう。ゲーム的な強さは正直だいぶ参考にならない。
そりゃそうか。原作のボスキャラなんて、味方キャラの攻撃術、普通に何十発とか喰らうもんな。ライフポイント、平気で何十万とかあるもん。
でもこの世界では、低級術の《
なんなら原作で言う《
――逆を言えば。
何かひとつでも通せれば、俺でもヴィンセントに勝てる。
「……けっほ。ああ゙……ちょっとシャバかったな、俺も……」
距離を取るように動かしていた足を止め、未だ後を引く痛みに思わず咳き込む。
ヴィンセントが俺にしているのは、あくまでも指導だ。
つまり原作の――元のアロルドであれば遥か昔に乗り越えたハードル。
アロルドも、こんなふうにボコられてたワケだ。
設定だけは知っていたけど、実際同じ目に遭うと違うね、印象が。
あの悪役貴族のことだ。
きっと、いつかヴィンセントを殺してやる――くらいのモチベーションだったに違いない。いたぶられた分だけ嬲り返すとか。そういう意識だ。鍛えてくれた恩なんて感じるほど、素直な奴じゃないのだから。
その気持ちが、今ちょっと少しだけわかる辺り、
ふ――と、わずかに笑みが零れる。
なぜだろうと考えたが、確かな答えは出てこない。
たぶんだけど、大きいのはこの戦いに
だから少しだけ、心の中に――楽しいと思う気持ちが出ていた。
※
ヴィンセント=アンデルスは不思議な気分だった。
彼にとっては珍しく、言語化しづらい感覚を得たと言っていい。
初め、あの物置で、明らかに振る舞いの変わったアロルドと再会したときから。
落胆を通り越して困惑が強すぎた。
戦闘力を重視されて採用された彼だから、視点もすぐにそこへ向く。
その意味で言えば絶望的だ。ヴィンセントの教えを忘れ、別人かと見紛うほど隙だらけになったアロルドは、そこだけ採点するなら零点に近い。
だがそれだけでもないのだと、彼と話してヴィンセントは思った。
「立ち止まるのは感心しませんな。こちらからは手を出さないと甘えているならば、正して差し上げねばなりますまいな?」
こちらを見て不敵に笑う元教え子の姿に、ヴィンセントは告げた。
その姿も、やはり元のアロルドとは似ても似つかない。本当に同じ顔をしているだけの別人としか思えなかった。
だが意気は揃った。
かつてのアロルドは殺意すら籠もった、憎しみの目でヴィンセントを見たものだ。
ヴィンセントとしてはそれでも構わなかった。どんなものであれ、モチベーションなくして厳しい訓練など続かない。
その意味で、復讐と報復に強く執着するアロルドは、意欲だけは満点だった。
一方、今のアロルドにそれはない。
突如として使用人に殴られ、誘拐されるという暴挙を受けて、痛がりながらも意味を探して受け入れる姿は、かつてのアロルドになかった寛容さと言える。
だがそれは同時に己で戦う者の姿ではない。
貴族に求められる態度ではなかったのだ。
そのアロルドが今、ヴィンセントを見据えて不敵に笑っている。
かつてと異なる、それは己の弱さを受け入れながらも勝ち筋を探す挑戦者の目だ。
けれど根っこは意外と似ている。
どうにかして、この腹の立つ爺に一泡吹かせてやろうと勝ちを狙っている。
以前の在り方が強さを求めるモノだったとすれば、
今の在り方は、ただ勝利という結果を求めるモノだと言える。
ならば受けて立つのが責務であり役割だろう。
この日初めて、ヴィンセントは自ら攻勢に出ると決めた。
「――――」
戦うとき、ヴィンセントは常に相手の心情を考慮に入れる。
元は冒険者だった彼にとって、それはひとつの癖だ。
思考は読まない。読むのは感情だ。何を考えているのかではなく、何を感じているのかを捉えることにかけて、ヴィンセントは歴戦と言える。
冷静なのか焦っているのか、怒っているのか悲しんでいるのか。
それを掴むことで行動を誘導するのだ。
相手が何をするかを考えるより、感情を掴んで何をさせるかこちらで決めてしまうほうが、結果的には楽に済むのだから。
――実際、ヴィンセントが本気で敵として向き合うなら、今の時点で正面からぶつかることを避けただろう。
集中して熱を上げている今のアロルドは、言い換えれば冷静さに欠ける。
それを逆手に取るくらいは普通にするのだが、今ここでそんな選択肢を採るのは、たとえこの戦いの目的が教導ではなかったとしても――、
「――
一転。地を蹴ってヴィンセントは突貫した。
小細工はいらない。近接に限れば、それだけの力の差は実際にある。
それを弱者の特権とすれば、むしろ使われるのを期待する。
「――!」
アロルドは小声で何かを呟き、どこかふらつくような素振りで腕を振るった。
破れかぶれの抵抗か、否、それすらできないほどダメージがあったか。
だとすれば期待外れだが、答えはこの先の一瞬が教えてくれる。刹那の躊躇いもなく距離を詰めたヴィンセントの膝が、無防備なアロルドの腹を打ち抜いた。
「……っ」
吹き飛ばされていくアロルド。
その感触に、しかしヴィンセントは想定以上の軽さを感じて目を細める。
――浅い、いや
老執事の目に、アロルドの口角がニヤリと歪むのが見て取れた。
おそらく受けることを覚悟で後ろに跳んでいる。二度も腹ばかり狙った、わずかな稚気を読まれたとすれば、思いのほかアロルドもギャンブラーだ。
やはり以前とはまるで違うが、こちらのほうがヴィンセントの趣味には合う。
とはいえ、それでは一生かかっても勝ち目はない。
そんなことは向こうもわかっているはずで、
「――ッ!」
「む――!?」
瞬間、鋭く振られたアロルドの腕にヴィンセントの感覚が危機を訴えた。
いや――そういえばおかしい。
アロルドが、いつからかその手に
――なるほど。
ヴィンセントは即座に目論見を看破。
アロルドが投擲した短剣を、わずかな白光を表す手刀が弾き落とす。
これは《破希》の気配殺しを手に持つ短剣
ヴィンセントは知らないが、それはアロルドがシギナスとの戦いの折に編み出した投擲の小技だった。
人間の意識とは散漫なもので、そこから一瞬でも外れたものは、たとえ不自然に消えても意外と気づけない。そしてアロルドは、意外とその刹那の見極めが上手い。
今のアロルドは、常に限られた手札で戦っていた。
膨大な設定知識を持っている割に、その中から引っ張ってきたものを、ぶっつけ本番で使うことを無意識に拒んでいると言っていい。
むしろ知識だけはあるからこそ、完璧でないものを使うことを、本人も自覚しないまま避けている節がある。
混術こそ《下手に人前で使うものではない》という思考で避けているが、一度見ただけの命術や、知識だけ持っている冥術などは、よほど必要に駆られない限り実戦にいきなりの投入はしない。
だからこそ彼は持っている手札の切り方が、――実はことのほか優れていた。
「……、?」
短剣だけを弾き飛ばしたヴィンセント。
その足掻きが作ったわずかな時間にアロルドは地面に着地する。
そして直後、何を思ったか――彼は天高く己が両手を突き上げて立った。
そのまま今度は、掲げた腕を地面に振り下ろす。
「む――!?」
直後、ヴィンセントの目を完全に晦ませる、眩すぎる光が世界を包む。
この目晦ましは、初めて完全に老執事の不意を突いた。
《
――とはいえ。
「まだまだ――!」
理屈はわからない。いかな歴戦のヴィンセントでも、星を生命に見立てて回復するなんて発想はさすがに持っていない。
だが視界を潰されることを読めなかったとしても、それで狼狽えるかは別の話だ。
即座に目を閉じ、全身の感覚を鋭くする。動こうとしても、術を使おうとしても、その気配は必ず生まれるものだ。――いや。
「……これは……」
その必要もないほどの莫大な気配を、目を閉じた老執事は感じ取った。
膨れ上がるエネルギーの気配。何か明らかに強力な術を使おうとしていることを、ヴィンセントは即座に感じ取った。
よもや、と震えるほどの莫大なエネルギーの渦。
記憶喪失はただの演技で、この機会に暗殺を狙ったのかと勘繰ってしまうほど。
無論そんなはずもなく、いずれにせよこのままにはできない。
アロルドは、正面たった数メートル先。目を閉じていても位置ならわかる。
光はもうすぐ止む気配がした。その直後に即座に距離を詰めれば、どんな術であれ発動は防げるだろう――そうヴィンセントは判断した。
それは正しい。強大な術であればあるほど発動までのラグも必然。
目潰し程度でその隙を晒すヴィンセントではない。どんな必殺を隠し持っていたか知らないが、むざむざ許すはずもないと飛び込む構えを取るヴィンセント――。
「――いいえ。もう詰みです」
声は、その背後から聞こえてきた。
ヴィンセントは動けない。その首筋に当たる冷たい刃の感触があれば。
「……なるほど、そう来ましたか」
気づけば《破希》を握ったヤミが、ヴィンセントの背後を取っていた。
前を見る。その視線の先では、術など使う気もなく棒立ちのアロルドが、ニヤリと厭らしい笑みを浮かべて。
「二対一でも土をつけられたことはない、だっけ。その看板は今日限りだな?」
「……これはこれは。よもや、短剣を
タネは単純。アロルドは初めから短剣をふたつ持っていて、その両方に気配殺しをかけていた。
火の命術を派手に使っていたのは、まだ来ていないヤミたちに居場所を伝えるためといったところか。その先まで考えていたかは怪しいが、この表情、おそらく老執事の挑発を聞いたときに『んじゃヤミと組もう』と意趣返しを考えたに違いない。
彼は先んじて――おそらくヴィンセントの蹴りを喰らう前に、先に《破希》を投擲しておいた。その後にヴィンセントへ投げたのは、持っていた別の短剣だろう。
あとはさきほどの目潰しの光で、ヤミが接近する隙を作る。
これ見よがしに発していた膨大なオドも、おそらく意識を自分に縫い留めるため。
いや。挑発を受けて戦いに意欲を見せたところから、今の自分がまさか仲間と組むはずがない――と意識を誘導していたに違いない。
まったく、あれほど啖呵を切っておいて、即座に仲間を頼るとは。
その感情の使い方は、なるほど確かに、老執事の弟子らしい意地の悪さだ。
意地はあったが、悪かった。
それが今のアロルド=ラヴィナーレなのだと、老執事は理解した。
「俺の勝ちだ、ヴィンセント」
「ええ。――まったく、面白い成長をされましたな」
そう。今の彼であるのなら。
古来から忌まわしきしがらみに囚われた、ラヴィナーレを変えるかもしれない。
降って湧いた淡い期待に、老執事は年甲斐もなく、相好を崩して微笑んだ。