「不知火です。ご指導ご鞭撻、よろしくです」
瑞鶴ちゃんと別れた後、掃除道具と新しく建造された彼女、駆逐艦『不知火』ちゃんを連れて提督室に戻って来れば、既に部屋は綺麗になっていて、提督が座る机の上では、この鎮守府では見ることの無かった妖精さんたちが何やら楽しそうに小躍りしている。
私が持ってきた掃除道具は………、と思わなくもなかったが、使える道具は不平不満は垂れないものだ。
チラリ、と背後に視線を向ければ、仏頂面の天龍さんと怯えた様子の駆逐艦『秋雲』ちゃんが立っている。
天龍さんはともかく、秋雲ちゃんまで……………。何か、提督に粗相をしたのだろうか。
不知火ちゃんの挨拶もそこそこに提督の側で控えていた大淀さんが手に抱えた資料に目を通す。
「………掃除道具、こちらに置いておきますね」
「はい、ありがとうございます」
私の言葉に、大淀さんはこちらを見ることなく答える。そこまで集中しているとは、いったいどのような資料なのだろうか。
掃除道具を部屋の隅に置いて、私は不知火ちゃんの隣へと並び直す。
部屋の中を言葉にできぬ緊張感が包む。秋雲ちゃんなんてもう逃げ出したい、と言いたいような顔色だ。
そんな中、小声で不知火ちゃんが話しかけてくる。
「………鳳翔さん」
「どうしたの?」
「司令はどうして何も仰らないのでしょうか?不知火たちが部屋に入って来てから一度もこちらに視線を向けてくれません。ずっと妖精さんと何かを話しています。書類と睨み合い仕事をしているのはずっと大淀さんです」
不知火ちゃんの質問に私は今一度、提督の行動を思い返す。
大淀さんの後ろにずっと引っ付いて、掃除道具を持ってくるように指示したのも大淀さん。明石さんの最初のぼやきからも、建造を指示したのはきっと大淀さんだろう。
なら、今の今まで提督は何をしていたのだろうか。
掃除?その割には彼の純白の軍服には目立った汚れがない。あるのは天龍さんに押し倒された時にできたと見えるお尻と肘の土汚れだけ。
………………提督は何もしていない?
「……………提督」
そんな考えが過ったと同時に、大淀さんは書類から目を話して提督に声をかける。
すると提督は先程までとは打って変わって立ち上がり、私たちの前へと歩き出した。ゆっくりと立ち止まった提督はまるで子供をあやすかの様な声色で話し出す。
「諸君。まずは私の呼び出しに応じて来れて感謝する。諸君らの置かれていた状況は大淀より伝えられている。提督という存在に不信感を抱いているはずなのに来てくれて本当にありがとう」
私は目を丸くして言葉を失った。
先程の、大淀さんの後ろに隠れて怯え、我儘を言っていた子供の様な人物とはまるで違う。そこには確かに『提督』がいた。
驚いたのは天龍さんも同じ様で、先程からちょくちょく声が漏れている。
そして、と提督は続けて不知火ちゃんを見た。
「よく、我が舞鶴鎮守府に着任してくれた。不知火、君を歓迎する」
「は、はい!」
ピシッと、綺麗な敬礼を見せる不知火ちゃんの肩を満足そうに持った提督は大淀さんから書類を受け取ると、立っていた位置に戻る。
「この一時間でこの鎮守府の現状はある程度確認させて貰った。とても事細かに書かれている。新聞風に書かれているおかげで何が重要なのかも分かり易い、誰だかはわからないが、この書類を作った者に後で何か褒美を与えよう」
「………提督。早く本題に入って下さい」
「あぁ、すまない。そうだった」
大淀さんに嗜められて、提督は提督室の窓から見える海を指さして、
「今から鎮守府近海の制海権を取り返すぞ」
そう言った。
しばらくの沈黙。そして動揺。さっきまで怯えていた秋雲ちゃんも状況を理解できていないのか口をあんぐりさせている。
不知火ちゃんを除く誰もが死んで信じられないと言ったように眉を顰めている。
「………あの、提督。資料にちゃんと目を通されたんですよね?」
「勿論だ」
嘘だ。
提督が持っている資料。それは重巡洋艦『青葉』さんが前提督にこの鎮守府の現状を鑑みた運営を具申するために作ったものだ。
結局、提出する前に前提督は逮捕されて必要が無くなってしまった。
現状として、この鎮守府はもはや限界だった。指揮や資源の点は勿論の事、全然はもう鎮守府近海まで押し込まれて油断を許さない状態。
遠征もままならず、資源も底を着き、前線すら押し返せない。
そんな状態で制海権を取り戻すなんて現実的に不可能だ。もし可能だと言うのならば、と私は最悪の結論に辿り着く。
「………特攻を、命じられるおつもりですか?」
ピクリと、天龍さんの手を動く。
「鳳翔さん!」
「大淀さんも、資料はご覧になった筈です。この鎮守府ではそれくらいでしか前線を押し上げるのは不可能です」
大淀さんが提督に視線を移す。
彼女の目には不安の色が浮かび、その場の全員が提督の言葉を待った。何秒、何分経っただろうか。
目を瞑り考え事をしていた提督はゆっくりと目を開ける。
「………これより、本作戦と、それに伴う編成を発表する」
私の望む答えを返すことなく、提督は淡々とそう告げた。
─────この人は何もわかっていない。こんな無茶振りを指示してくる人間が、私たちの提督となるのか。
これでは前提督と何も変わらない。私を戦場に出してくれるならいい、とは思っていたが、流石に必死の作戦には従えない。
私が声を上げる前に壁際で控えていた天理さんが前のめりに提督の胸ぐらに掴みかかる。
「いい加減その口閉じやがらねーとマジで首と胴泣き別れるぞ、テメェ」
天龍さんの脅しに提督は目を細めると、小さくため息を吐いて彼女の手を胸ぐらから外す。
「これは、誰一人沈まない為の作戦だ。異議があるのならば説明が終わってからするように」
部屋中がどよめきたつ。
今彼は何と言った?誰も沈まないための作戦?
「……………提督。それはいったいどう言うことでしょうか?資源の量から見ても出撃できるのはよくて三人。そのような戦力では制海権を取り戻すことなんて到底できません。それとも大本営から資源の援助を取り付けたのでしょうか?」
私たちが願い出ても頑として首を縦に降らなかった大本営も、流石に提督からの申し出であれば余程のことがない限り受け入れるだろう。
それはそれで、何だか複雑ではあるけれど、現状を打破出来るならば文句はない。
しかし、隣にいた大淀さんが眉間に皺を寄せる。
「……………いえ。先程、援助願いを出したのですが却下されました。今作戦決行に踏み切ったのもこれ以上資源が枯渇すれば本当にどうにもできなくなってしまうからです」
「大本営は、私たちを見捨てる算段だと?」
答えづらそうに首を縦に振る大淀さんに、私も少しだけ頭を冷やす。彼女に当たったって意味はない。結局、判断をしているのは大本営だ。彼女はそれを私たちに伝えているに過ぎない。
それは提督も同じだ。
こんな崖っぷちの上に提督を目の敵にしている鎮守府で、彼らは彼らのできることをやろうとしている。
「作戦の、説明をお願いします」
「鳳翔さん!?」
天龍さんが目を丸くして私を見る。
それでも私は提督の目を見据えた。
「本当に、誰も沈まないんですよね?」
「断言はしない。しかし、その可能性が現状考えた中で一番低いと言うのは保証しよう」
「そうですか」
私がようやく天龍さんの方を見れば、困惑した顔で私を見つめている。
「天龍さん。貴女の気持ちもわかります。でも今は、鎮守府の皆を守る為に協力して下さい」
私が頭を下げれば、それ以上天龍さんが何かを言うことはなく、そのまま壁際へと戻って行った。