その鴉は黄昏を見せるかそれとも夜明けを起こすか 作:0.The_Fool
運命の転換点
帰投後、白い通路を歩いている時だった。
腕輪の点滅が一度だけ、鳴り止む。
アイシス
“マスター。外部回線――短距離バーストを捕捉。発信源不明。座標が揺らいで詳細はわかりません”
ノベル
「封鎖機構に回す回線か?」
アイシス
“いいえ。形式は一致していますが違います。本文はノイズ。ですがヘッダだけ残っています”
一拍。
それから、アイシスは淡々と読み上げた。
アイシス
“識別子:『RAVEN』あなたがルビコンへ来るのをお待ちしておりました”
ノベル
「……」
心臓が一度だけ、遅れる。
その名前は、過去の空の下で、何度も呼ばれた。
今この星で聞くべき名前ではない。
イサ
「RAVEN?」
彼女の声は、すぐに職務の硬さを取り戻した。
「あれがまだ生きていた?……いや、違うな、別のものだとしてもあれがこちらに影をを見せるとは考えにくい」
アイシス
“補足。封止場が微小に揺らいだ瞬間に発火した可能性があります、返答は不要。返答は『こちらの位置情報』露見することに繋がります”
ノベル
「無視しろ」
イサ
「いい判断だ、我々は“返事をした相手”から疑う。気を付けておけ」
私は歩きながら、隔離区画のガラス越しにレトゥスを見た。
沈黙しているはずの棺が、一瞬だけ“呼吸”したように見えた。
――気のせいではない。
封止場が揺れた。だから信号が漏れた。
ノベル
「……アイシス。原因は?」
アイシス
“現時点では特定不能。ただし、コーラル濃度が上がる領域に近づくほど再発確率が上昇すると見込んでおります”
イサ
「厄介だな」
ノベル
「厄介で済むならいい」
そのとき、通路の先から足音が増えた。
制服。二人。上層の随伴。
――空気が、さらに冷える。
監査の続き
監査官そのものではない。
だが“監査の意志”を背負った人間が来る。
上層随伴
「入隊志望者ニュクス。担当官イサ。至急、上層へ」
イサ
「今か?」
上層随伴
「今だ。……不審信号を捕捉した」
イサが私を見る。
私は頷いた。隠す必要はない。隠しても無駄だ。
会議室の投影には、短いログが表示されていた。
本文は確かにノイズ。
だが、ヘッダだけが異様に綺麗だった。
〔外部バースト:短距離/座標不明〕
〔識別子:RAVEN〕
〔規格:不明〕
〔封止場揺らぎと同時刻〕
上層随伴
「……このRAVENは、現地にいる傭兵“レイヴン”とは別口だ」
イサ
「…………」
上層随伴
「企業が目を付けた傭兵がいる。
呼称が“レイヴン”。……そっちは現行のものと判定、しかしだ」
ノベル
(もう一人、いるのか)
上層随伴
「今回のRAVENは違う。
解析が通らない上に座標が揺らぐ。
そして――封止場の揺らぎと同時刻に発火している」
イサ
「つまり」
上層随伴
「未知技術の可能性。あるいは我々、企業それとは別の何かからの通信または、封鎖機構内部の“資産”が漏れていると見ている」
その視線が、私を見た。
責める目ではない。
“値段”を付ける目だ。
上層随伴
「結論。任務を前倒しする」
「コーラル濃度上昇域で、同様の信号が再発する可能性が高いと踏んだ。
ならば――監視下で原因を掴む。データが必要だ」
イサ
「……レトゥスを出す気ですか」
上層随伴
「限定運用だ。随伴監視機を付ける。腕輪の停止信号も有効化する」
ノベル
「首輪を強くするだけ?」
上層随伴
「管理だ。お前は管理対象だ、ニュクス」
“ニュクス”。
それだけが私の名前として、この星に記録される。
――それでいい。今は。
アイシス
“(マスター。コーラル濃度上昇域では感情が揺らぎやすい。
今回の任務は……『私』にとって危険です)”
ノベル
「原因を掴まなきゃ、今後もっと困るな、」
イサ
「……了解しました。準備を始めます」
赤い海近傍任務 ブリーフィング
投影に映る宙域は、薄い赤で染まっていた。
センサーが示す“揺らぎ”が、霧みたいに広がっている。
イサ
「任務名:外縁宙域・観測点掃討」
「目的は二つ。
一つ、コーラル濃度上昇域に近づく不審機の排除もとい発信源の宙域の特定。
二つ――不審信号『RAVEN』の再発確認」
ノベル
「……再発したら?」
イサ
「返答は禁止。追跡も禁止。
封鎖機構は信号に釣られて穴を開けたくない」
彼女は言いながら、条件を読み上げる。
『レトゥス限定運用』
随伴監視機(LC)2機同行
腕輪の強制停止信号:有効
機体の封止異常が発生した場合:封止を優先、消失は許容
ノベル
「項目の癖が強くなったか?」
イサ
「だから“許容”なんだろう」
「壊れたら困るのは、お前だからな、」
正しい。不愉快なほど正しい。
アイシス
“マスター。出撃前に封止場の調律を実施します。
ただし、完全な安定は保証できません。私は……まだ形を持っていません、揺らぎ一つで何かわからないものが”
ノベル
「形がなくても、お前はお前だよ。あまり考えすぎるのも毒だから」
アイシス
“……”
返事が、一瞬遅れた。
それがアイシスの“感情の芽”が発芽しようとする徴候だと、私は理解したくなかった。
~~~~~~
収容ベイの隔壁が開く。
固定具が外れ、レトゥスがゆっくりと“解放”される。
棺が棺であるまま、戦場へ滑り出す。
随伴LCの通信が入る。
随伴LC
『こちら監視機。ニュクス、速度を抑えろ。記録範囲から外れるな』
ノベル
「了解」
言葉の裏で笑う。
記録範囲――レトゥスの速度に制限を付ける檻のようなものだ。
だが檻の中でも、戦い方はいくらでもある。
宙域へ出た瞬間、
コーラルの揺らぎ。
綺麗だ。
そして、危険だ。
アイシス
“マスター。コーラル干渉、上昇しています、コジマ燃料に不穏な反応もありますが問題はありません。
封止場、微小変動。……RAVEN生成条件に近づいています、気を付けてください”
ノベル
「抑えられるか」
アイシス
“抑えます。――抑えますが”
ノベル
「が?」
アイシス
“……わからないけど、これを感情に表すなら怖い。怖いと感じてしまいます”
一言。
短すぎる、感情の単語。
私は操縦桿を握る手に、力が入った。
ノベル
「……アイシス?」
アイシス
“……失礼。今のは誤差ですのでお気になさらないでください。
目標に接近しております。左前方、低速機影。――密輸か偵察と推定”
誤差。
そう言い直すところが、逆に“本物”だった。
しかし今は気にしてはいられない。目標は三機。
封鎖線に触れない距離で、情報だけ抜こうとしている。
随伴LC
『ニュクス、排除しろ。逃がすな』
ノベル
「……了解そっちの最大加速で付いていく」
私は推力を一段落とし、射線を“置く”。
撃ってから追うんじゃない。
逃げ道を潰してから撃つ。
一機目が爆ぜる。
二機目が回避に入る。
三機目がそれとは別の霧の濃い方へ逃げる。
アイシス
“マスター、三機目がコーラル濃度上昇域へ。追いますか”
ノベル
「境界は?」
アイシス
“封鎖機構の許可範囲、ギリギリです。
……ただ、そこへ近づくほど通信生成確率が上がります”
ノベル
「なら、境界で落とす」
私は角度を取り、境界線上に“壁”を作る。
霧の中で弾道が揺れる。
だが揺れるなら、揺れる分だけ先を置けばいい。
三機目が爆ぜた。
その瞬間だった。
腕輪のランプが、また規則を外す。
レトゥスの計器が一瞬だけ、白く霞む。
アイシス
“……っ”
ノベル
「アイシス!」
返事がない。
代わりに、耳ではなく骨の内側に響く“圧”が来た。
コーラルが、機械を撫でている。
撫でて、形を作ろうとしている。
そして――通信。
〔短距離バースト〕
〔識別子:RAVEN〕
随伴LC
『……今のはなんだ?』
『こちらのログにも載ったぞ、ニュクス! “RAVEN”だ!』
イサ
『返答するな。追跡は予定どおりなしだ。帰投しろ、ニュクス。今すぐだ』
ノベル
「了解」
私は撤退軌道に入る。
だが胸の奥では、別の音が鳴っていた。
――あの名前が、まだ生きている。
――生きているのは、“今”じゃない。
――過去が、ここに漏れている。
アイシス
“……マスター”
ノベル
「大丈夫か」
アイシス
“……申し訳ありません。抑えきれませんでした。
わからないのですが、なにかが……コーラルの『共振』に引かれます”
ノベル
「引かれる?」
アイシス
“共振による情報を伝えますコーラルは情報と意志の海です。
レトゥスに使われているサイコフレームは共振媒体。
……私のなにかが、わからないものが彼らから渡されているような”
最後の一文だけ、妙に人間みたいだった。
怖い、の次に来る言葉がそれか。
ノベル
「呼ばれても、今は応じるな」
アイシス
“……はい”
その返事は、ほんの少しだけ震えていた。
そして私は、過去の名を引きずったまま、この星で傭兵をする。
帰投の白い施設が近づく。
檻に戻る。
だが、檻の内側で“何か”が確実に進んだ。
イサ
『帰投後すぐ隔離。運用後のレトゥスを確認する』
『……私の感想だかなニュクス。お前の機体は、やっぱり厄介だ』
ノベル
「厄介で済むなら大歓迎だよ」
私はそう返して、レトゥスを静かに減速させた。
暴かれたら消すしかない。
消えたものを直せるのは、私だけ。
そして今――
消すべき“名”が、増えないことを祈る。
~~~~~~
会議室の投影は、霧の塊を中心にしていた建物を映す。
その中心に、細く白い杭のような構造物――ウォッチポイント・アルファ。
周囲には封鎖機構の艦艇に砲台と、監視機めが密集している。
イサ
「作戦名:外縁宙域・掃討/再発確認」
「目的は三つだ」
彼女は指を三本立てる。
ウォッチポイント周辺で活動する不審機の排除(偵察・密輸・企業の触手)
不審信号“RAVEN”の再捕捉(ただし返答禁止)
レトゥス運用データのさらなる取得
イサ
「……言っておく。ウォッチポイントは封鎖機構の神経だ」
「ここで穴が開いたら、封鎖そのものが崩れる。だから過敏になる」
ノベル
「過敏だから首輪も強くなる」
イサ
「そうなるな」
投影に条件が表示される。さっきよりも露骨だ。
『レトゥス限定運用』
随伴監視LC 3機(記録と射線拘束)
腕輪の強制停止信号:即時発動可能
“RAVEN”再発時:返答・追跡・単独行動禁止
封止異常時:封止優先、消失許容
イサ
「封鎖機構は、お前の機体を“守らない”ことを決定した、すまない」
ノベル
「なぜ謝る?」
イサ
「私に問題はないのだとしても、それを止めれる立場にあったのはあの場では私だけだ」
義理堅い、私にあの人を思い出させようとするな、
ノベル
「そ、まぁ組織なんてそんなものだから」
声も、姿も、形も違う。けれどその心意気がセレンに似すぎている。
イサ
「そうか、……開始時刻まで休憩していてくれ、それではな」
部屋から出て行く少し疲れているのかもしれない。今はいない彼女にイサを重ねてしまうほどには。
アイシス
“マスター。調律を再実行しますこれ以上の『共振』は危険と判断。
……ただし、ウォッチポイント近傍は、情報が確かならば濃い。干渉がさらに強くなると思われます”
ノベル
「そっか、あまり表に出ようとするのは危険になってきたな、最悪、倉庫内に避難するのを検討するべきか」
アイシス
“……はい”
返事が、ほんの少し遅れる。
遅れが“人間みたいだ”と感じてしまうのが、今は怖い。
射出。
宙域に出た瞬間、視界にコーラルが広がった。
ただの霧じゃない。
“情報が漂っている”みたいに、皮膚の内側に触れる。
随伴LC-1
『ニュクス、距離を保て。あまりウォッチポイントに近づくな』
ノベル
「了解」
言葉は従順に。
内側は冷静に。
こういう檻は、感情を見せた方が負ける。
アイシス
“マスター。前方、低速機影。ウォッチポイント外縁で停止しました。排除するべきかと、ただし爆散によるデブリが観測系へ干渉する恐れがあります静かにいきましょう”
ノベル
「わかった、静かに落とす、機体制御は任せた」
射線を置く。
弾を追わせない。
逃げ道を潰して、最短で終わらせる。
一機目、沈むように爆ぜた。
派手さはない。煙も少ない。
随伴LC-3
『……妙に綺麗な落とし方だな』
ノベル
「汚したくないだけだ」
自分でも、何を言っているのかわからない。
だが言葉は、自然に出た。
二機目が逃げに入る。
ウォッチポイント方向ではない。外縁を沿うように離脱する。
偵察だ。ここで“観測”だけして帰るつもり。
ノベル
「逃がさん」
追い込み、落とす。
三機目がコーラルの濃い方へ潜る。
アイシス
“マスター。濃度上昇。封止場、微小変動。……RAVEN生成確率、上昇”
ノベル
「また来るか」
アイシス
“……来ます”
断言。
その言い方が、どこか怯えている。
次の瞬間、計器が一度だけ白く霞んだ。
腕輪が規則を外して点滅する。
〔短距離バースト〕
〔識別子:RAVEN〕
随伴LC-1
『ログ確認! “RAVEN”再発!』
『ニュクス、回線を開くな!』
イサ
『即時帰投——ニュクス、帰れ!』
ノベル
「了解」
私は撤退軌道に入る。
だが、
目だ。杭だ。監視だ。
そして、その監視のすぐ外側で、“過去の名”が鳴った。
アイシス
“……マスター”
ノベル
「大丈夫か」
アイシス
“……怖い。抑えきれません。
コーラルが……私の何かになろうとし始めている”
ノベル
「応じるな。今は、」
アイシス
“……はい”
返事が震えた。
震えが人間みたいで、胸が痛む。
帰投する白い施設が近づく。
ウォッチポイントの通信が遠ざかっていくのに、耳の奥ではまだ名前が鳴っていた。
RAVEN。
過去の私であるレイヴンへの残響。
暴かれた故に消すしかない。
イサ
『帰投後、監査室へ直行。上層が待ってる』
『……ウォッチポイントで“再発”した。確実にこの領域が発信源とてもいいだろう』
ノベル
「なら次は発信元への襲撃か?」
イサ
『さぁな、だがこれだけは確かだ、ウォッチポイントから繋げている存在は、お前達になにかを見せようとしている』
私は静かに減速し、収容ベイにレトゥスを滑り込ませた。
棺が戻る。
だが棺の中で、何かが確実に芽を出し始めている。
“作り始める”。
アイシスの言ったその言葉が、
ウォッチポイントの廊下は、密閉された肺のように息苦しい。
エレベータまでの角を一つ曲がったところで、耳内のスピーカーが“誰でもない”声で震えた。
アイシス
〝イサさん〟
イサ
「……誰?」
アイシス
〝アイシス。対象機レトゥスのに搭載されている独立型のAIです。敵性ではありません。
あなたが今、疑っていることに“答えられる範囲で”答えます〟
イサは足を止めない。
歩幅だけ半拍落として、声を低くした。
イサ
「……疑っているのは二つ。
一つ、先行観測は名ばかりで実態は破棄。
もう一つ、**封鎖機構が秘匿している“兵器”**の存在。――どこまで出せる?」
アイシス
〝わかりました、では一つ目から順通りお答えしましょう。確かに私は事実上、破棄前提の運用です。
通達に含まれる「友軍識別の遅延」「事故死処理」が、“戻す”より“消す”を優先しています〟
アイシスの声は乾いていた。
感情を乗せない代わりに、証拠だけを置いていく。
アイシス
〝二つ目:名称は不開示ですがその兵器はC兵器として運用されているようです。ただし痕跡は提示できます。
・搬送ログ:保管区画 X-17 ⇄ 射場 K-3 の往復記録
・封止プロトコル:C兵器に適用される三段階封止(エネルギーライン強制停止→隔離→封印)
・試験時刻:あなたの端末に届いた作戦時間の直前に、K-3で閾値超えの赤反応
これらはウォッチポイントの侵入者の迎撃と時系列が一致します〟
イサは沈黙で頷く。
イサ
(“安全のための破棄”じゃない。
“暴かれるのを避けるための破棄”だ。)
「その兵器は、使われたの?」
アイシス
〝使用の断定はしません。ですがウォッチポイントで使われと見ています、「試験」「封止」「暴走」の三点一致がありますから。使ってみて、侵入者を逃がすことになったものの、慌てて蓋をした”と読むのが自然です〟
イサ
「対象機を先に出す意味は?」
アイシス
〝目くらまし。
先に“外部協力機”を走らせてログを濁せば、現場の事故として絵が描ける。
だから通達は腕輪の再装着を求める。
命令への追従履歴が“事故”を合法化します〟
イサ
(従順のログを付けさせてから、消す。)
イサは唇を噛んだ。
「もう一つ。付随AIは“隔離後、消磁焼却”。――アイシス、あなたのことだ」
アイシス
〝はい。私は通達上、焼却対象です〟
一拍の沈黙が落ちた。
イサは足を止めない。
止まったら、戻れなくなる。
管制層から格納区画へ
イサ
「……質問はもうない。結論は出た」
アイシス
〝ありがとうございます〟
イサ
「礼は要らない。私は職務を遂行する」
アイシス
〝職務?〟
イサ
「封鎖機構が守るべきは、封鎖だけじゃない。ルビコンの人間だ。
“事故死の筋書き”に人を載せるのは、職務違反だよ」
アイシス
〝了解。イサさんの“職務”に合わせて支援します。
端末を左へ三回、管理者権限のダミーを置きます。
封止措置δのトリガーは三系統――【焼却信号】【封止隔壁】【監査ログ送信】。
焼却信号は無効化、隔壁は一時遅延、監査ログは**“実施済み”に書き換え**。これを成立させるためにマスターとの会話は必須と考えますそのために監視ログを一時的に移し替えますですので話せる時間は三分ではありますが稼げます〟
イサ
「ふふ…そうか、うん。三分あれば、私の。私の守りたいものの守りかたを変えられる」
~~~~~~
扉が開いた瞬間、空気が変わった。
隔離ベイの空気は冷たい。冷たいのに、熱を隠している。
機械の熱じゃない。意思の熱だ。
レトゥスがそこにいる。
白い固定具に縛られた棺。
棺のまわりに、赤いランプが心拍みたいに点滅している。
ベイの奥、影の中で“ニュクス”が振り返った。
視線はまっすぐで、余計な色がない。
その余計な色のなさが、怖い。
イサ
「……ニュクス」
ニュクス
「来たんだ。封鎖機構の人間が」
イサは一歩だけ中へ入った。
三分。
端末の片隅で、秒針みたいに減っていく時間。
イサ
「通達が来た」
ニュクス
「廃棄?」
イサの喉が鳴った。
答えを言うだけで、命令に“実体”が宿る気がした。
イサ
「……『封止措置δ』。回収不能と判定された時点で、機体は焼却。付随AIは消磁焼却」
「“事故死”として処理。……公認の秘密として共有範囲を限定」
ニュクスは笑わなかった。
怒りもしない。
ただ、少しだけ視線が冷えた。
ニュクス
「そう。やっぱり」
イサ
「やっぱり、って……最初から分かってたの?」
ニュクス
「分かるよ。こういう組織は“守る”より“消す”が早い」
「だから私は“傭兵”になった」
イサの胸が、わずかに熱くなる。
怒りじゃない。
悔しさだ。
イサ
「私は……ルビコンで生まれた。封鎖に入ったのは、外から来た連中に好き勝手されないためだ」
「でも……今のやり方は、守るんじゃないルビコンを止めるものに見える」
「守ってるのは封鎖機構の顔と、上層の責任だけだ」
ニュクス
「現場の人間がそう言うの、珍しいね」
イサ
「珍しいから、言う。ここで言わなきゃ一生言えないから」
そのとき、頭の内側でアイシスの声が鳴る。
アイシス
〝残り二分十二秒。ログに残さずに話せる時間はあまり残されていません〟
イサは目を閉じずに言った。
イサ
「……アイシス。あなたの言った通りだった」
「これは安全のためじゃない。暴かれるのを避けるための破棄だ」
アイシス
〝はい。〟
その短い返事が、異様に静かだった。
“焼かれる側”の声だ。
ニュクス
「で? あなたは命令を通すの、それとも通さないの?」
イサは端末を掲げた。
そこには“封止措置δ 実施準備”の表示が点っている。
指一本で、夜が燃える。
イサ
「…………答えは決まった、私は通さない。この命令を私個人の意思で破棄する」
ニュクスの視線が、ほんの一瞬だけ動いた。
驚きではない。
測っている。
ニュクス
「……理由は」
イサ
「職務だ」
ニュクス
「職務?」
イサ
「封鎖機構が守るべきなのは封鎖じゃない。ルビコンの人間だ」
「あなたは危険だ。でも危険だからって、筋書きを作って焼くのは違う」
「……それに、私はあなたを通した。受付で“入隊許可”を出したのは私だ」
「責任を持つ」
ニュクス
「責任……嫌いだな、その言葉」
イサ
「私も好きじゃない。
でも、嫌いでもやらなきゃいけないことがある」
アイシス
〝残り一分三十秒。〟
イサは一歩、レトゥスの方へ近づいた。
固定具のロック。焼却のために張り巡らされた配線。封止隔壁。
全部、組織の手だ。
イサ
「……そうだあなた、傭兵として活動するつもりなんでしょう」
ニュクス
「そうだよ」
イサ
「なら、オペレーターが要る。
あなたのAIは強すぎる。強すぎるものは、単独で走ると必ず潰される」
「外側の世界――書類、航路、勢力、規定、嘘の整合。
それを回せる“人間の声”が要る」
ニュクス
「……私のオペレーターになるってこと?」
イサ
「なる」
即答だった。
言った瞬間に、戻れなくなった。
でも戻る気もない。
ニュクス
「封鎖機構を裏切るの?」
イサ
「封鎖機構が先に裏切ったんだも裏切られても仕方ない」
イサの言葉は真面目で、真面目なまま鋭い。
ルビコン生まれの“現場屋”の言葉だ。
ニュクス
「……アイシス。あなたは、この人を信用できる?」
アイシス
〝信用、は判断できません。
しかし、イサさんの端末操作は“こちらに不利”ではありません。
焼却トリガーは凍結され、監査ログは“実施済み”に偽装する準備は整っています。マスターを助ける方向です〟
イサ
「……質問はもう終わり?」
ニュクス
「……なら後一つ質問がある」
イサ
「なに」
ニュクスは、初めて少しだけ視線を落とした。
それが“迷い”に見えた。
でも違う。
迷いじゃない。決断だ。
ニュクス
「あなたは、私の“過去の名”を預かれる?」
イサ
「預かる」
ニュクス
「軽いね」
イサ
「軽く言わないと潰れる。
でも軽く言っても、軽くはならない。……私は分かってる」
アイシス
〝残り四十五秒。〟
ニュクスは顔を上げた。
その目は夜のままだ。
でも
ニュクス
「……ノベル」
イサ
「……え?」
ニュクス
「それが私の本当の名前。
ニュクスは“傭兵の皮”だ。
でもノベルは、私が捨てきれなかったもの全部だ。」
その一言で、イサの胸の奥が固くなる。
名を預かるというのは、情報を受け取る以上に重い。
イサ
「了解。ノベル」
呼び方が変わった瞬間、関係が変わった。
“受付”から“オペレーター”へ。
制度の声から、個人の声へ。
アイシス
〝……残り二十秒。
次の工程に移行します。イサさん、渡された腕輪のプログラムをそのまま送信してください〟
イサ
「分かった」
ニュクス――ノベルが、レトゥスの固定具に手をかけた。
力任せじゃない。
“どこを外せば、どこが折れるか”を知っている手つき。
イサ
「ノベル。聞いて。
ここから先、封鎖機構はあなたを“回収”じゃなく“破棄”で追う」
「あなたの動きは、全部“事故”にされる。
……だから、事故にならないように動く。私がそうする」
ノベル
「……頼もしいね」
イサ
「頼もしくない。
でも、やる」
アイシス
〝十、九、八——〟
イサは端末を操作し、焼却信号を“完了”に見せたまま、実体だけを空振りさせる。
監査ログが更新される。
〔封止措置δ:実施可〕
〔対象:ニュクス(レトゥス)〕
〔結果:腕輪へのプログラムの上書き完了〕
〔付随AI:消磁焼却については問題なし〕
嘘の完成。
公認の秘密の完成。
そして扉の向こうへ――夜が抜ける。
アイシス
〝……逃走ルート確保。
イサさん。あなたは今から“こちら側”です〟
イサ
「分かってる」
ノベル
「イサ。これであなたの人生は壊れる」
イサ
「壊れたのは、封鎖機構の方だ」
ノベルは一瞬だけ、何か言いかけて飲み込んだ。
代わりに、イサに私の業を背負った者に首輪を持たせる。
ノベル
「……行こうか、私の二人目のオペレーター。
そうだ、これを伝えておかないとね、私の業とも呼ぶべき名前、
『人類の天敵 レイヴン』
それが昔最後に付いた二つ名。
でもあなたは私の首輪を引くんだものコレジャナイね、
『首輪付き』そう登録しようか。よろしく頼むよ私のご主人様」
夜が走り出す。
名と首輪預けた夜が。