Nec Plus Ultra,   作:ひがしち

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第1話 吸血事件

6月某日。その日は梅雨明けから少し経って、意地悪な太陽が容赦なく照りつける暑い日だった。

 

今朝方雨が降ったばかりだというのに水溜まりひとつなく、その代わりジメジメと蒸し暑い。

故に教室のクーラーは朝から全快で、登校してきた生徒たちは外との温度差に身震いしていた。

 

「夏休み、どう過ごす?」

 

「……どうって、俺ら受験生だぞ。勉強しろよ」

 

「へへ、俺推薦あるもんねー。お受験勉強頑張り〜」

 

「クソかよ……」

 

友人の伊吹がひらひらと手を振り、こちらを煽る。

 

「受験受験ってそればっかり言ってたらハゲんぞ」

 

「縁起でもねぇこと言うんじゃねぇよ。ってか、推薦っつても筆記はあるだろ?勉強しなくていいのかよ」

 

「……思い出させんな」

 

「なんでウチの学校の自習室が壁で仕切られてないか知ってるか?周りが熱心に自習する姿を見て自分に焦りを感じるようにだよ。さっさとお前も勉強しろ」

 

「やるかぁ〜……はぁ」

 

伊吹はため息混じりにペンを握り、問題集を開いて……また閉じた。

 

「やれよ」

 

「やる気が起きねぇんだよなぁ。モチベがねぇんだよ」

 

「将来のことを考えてモチベを沸かすんだよ」

 

俺と伊吹は幼馴染だ。初めて出会ったのはたしか年長のころ、今と変わらず日に焼けた小麦色の肌をしていて、何故か目が真っ赤に充血していた。後で聞いたら、ゴーグルをしないで海に入ってああなったらしい。

 

「親父さんの後継ぐんだろ?勉強は必須だろ」

 

伊吹の親父は海上自衛艦いずも型護衛艦一番艦の元艦長、今は神奈川地方協力本部長の1等海佐で、俺の親父と仲がいい。

そんな親父さんの背中を見て育ったもんだから、伊吹は俺も防大出ていずもの艦長になるんだと息巻いている。

 

叶えられるかどうかは、お察しだ。

 

「勉強ってねぇ……別に筆記なんてあってないようなもんだしなぁ」

 

「士傑高校だろ?大阪の名門だぞ。推薦っつても絶対合格って訳じゃねぇんだから」

 

「でもみんな雄英がいいって倍率割ってんだぞ?ヒーローってのは東高西低。みーんなオールマイトに夢中だぜ。1番かっけぇヒーローはファットガムだっての」

 

「不貞腐れてねぇでさっさと勉強しろ」

 

「はーい席つけ〜。もうチャイムなるぞ〜」

 

そんな無駄話を他所に教室に教科担任が入室する。教師が入ってきたことで、生徒たちは急ぎ足に席に着く。

 

「今日は『個性』について話そうと思う。個性でまず君たちが知ってるのは……はい佐々木くん」

 

「最初に発見されたのは中国。先天性の超常異変です」

 

「そう。今から約100年ほど前、中国の軽慶市で発光する赤子が生まれたのが世界初。もっとも、世界には出生が知らされない子供も多くいるから、それが最初とは言いきれんがね」

 

授業は社会。個性の話だった。

正直今更で、ほとんどの生徒がスルーしていて、バレないように内職していた。俺もだ。内職をしていないのは伊吹くらいなもんで、爆睡してる。

 

「当時は軽くパニックだったそうだ。オカルト雑誌や陰謀論、都市伝説なんかが入り交じって。さらに特筆すべきなのは異変はそれだけにとどまることは無かった。次々と、各地で『超常』が確認され、原因は判然としないまま時が流れ過ぎていった。100年という時間は、歴史では短いが人の在り方としては長い。人類は超常現象に適応した。

現在では世界総人口の約八割が個性を持ち、残りの二割が無個性と言われている。個性は基本的に一人一つ。まれに複数持っているかのような個性も現れるが、突き詰めれば同じものだ」

 

個性の歴史が現代に差し掛かったところで、クラスメイトの一人が手を挙げた。

 

「まだ人類が超常に適応する前、個性複数持ち、全く関連のない個性を幾つも持つ男が裏社会を支配していたという噂がありますが、本当でしょうか」

 

「……ふむ。インターネットの噂話か。確かにそういう話はいくつもある。だがどれも公的な記録はない。それほどの巨悪なら、大変な事件が多発するだろう。ま、いたとしても半世紀も前の話だ。気にする事はない」

 

授業はそのまま進み、気がつけば放課後だった。

 

「さよなら〜」

 

軽く教室に残る級友たちに言葉をかける。

教室を出ると、ワイシャツをズボンの外に出した伊吹が待っていた。

 

「行くか」

 

「おん」

 

学校を出て、大通り沿いを南下し図書館に向かう。神奈川県横須賀市の少し外れにあるこの街は、駅を中央に南と北で大きく生活が変わる。

 

南に出ればモミジが立ち並ぶ学道が現れる。幅は約45メートル、片側二車線の広い車道と歩道。それが2km南に伸びている。

学童道沿いにはスーパーマーケットや図書館に個人塾、俺や伊吹が通っている中学や系列の高校、名門国立大学が並ぶ。学問の通り、だから学道だ。

 

ドイツの学園都市ゲッティンゲンをモデルとし計画的に作られたこの町には、小学校から大学まで数多くの学校が所在する。それだけに子育て世帯も多く住んでおり、彼らをターゲットとした教育サービスも充実している。

 

俺ははっきり言って恵まれている。

 

親父は陸上自衛隊武山駐屯地司令兼高等工科高校校長*1。母は有名大学出身のプロヒーロー、女性ヒーローNo.3のトップヒーローだ。

 

俺はたまたま、この街に住んでいる親の元に生まれたに過ぎない。緑豊かで治安も良く、不便もせず、十分な教育サービスが受けられる。幼稚園に通い、お受験を経て良い小学校、良い中学校、良い高校、そして良い大学に通い、労働条件の良い就職をする。

 

俺はそういう環境に生まれたんだ。

 

だから俺も、二人の子供として、この街で育った者としてふさわしい大人にならなくてはいけない。

 

「あ!おにぃ!」

 

学道の反対側、塾へ向かう小学生の列。この街では見慣れた風景だが、とりわけ見慣れた顔が。

伊吹の妹、みのりだ。

 

伊吹は相当な妹愛を持っていて、反対側にいたはずの伊吹は、横断歩道をダッシュで渡って、妹の傍に駆け寄った。

俺もみのりとは仲がいいので、伊吹と一緒に駆け出した。

 

「ん〜どうしたぁ、みぃ、お兄ちゃんが学校にいなくて寂しかったかぁ??」

 

「寂しくない!みぃもう3年生だもん!」

 

小学三年生の女子を軽々持ち上げる伊吹。こういう所を見ると、本当に士傑高校ヒーロー科から防衛大に行くつもりなのだと、日々トレーニングを重ねているのだと思う。

 

「みぃちゃんのお兄さん、大阪行くってホント?ヒーローになるの?」

 

「ん〜?まぁ、ヒーローじゃねぇけど、お前らを守る人間になるんだぜ。な、きぃ」

 

「ああ、でもお前の頭脳じゃ、なれるかどうか分からねぇぞ」

 

言うまでもなく、伊吹はあまり頭が良くない。と言っても、名門私立中学である秋白中学内でのランキングなので、一般の中学校でいえば十分上澄みだ。

 

「おにぃ、大阪いったらファットガムのサイン貰ってきてね!ちゃんとみのりって名前書いて貰って!」

 

「おうわかった。ついでに兄ちゃんのサインも添えてやるよ」

 

「おにぃのは要らない!」

 

「なんだと!?俺は将来、ホークスを超える男だぞ!?俺がいる限り、未来の日本の犯罪率はゼロパーだ!」

 

「みぃちゃんのお兄さんかっこいい!ねぇお兄さん、お兄さんなら吸血鬼ヴィラン倒せる?」

 

「おう!んなの余裕よ!」

 

「みぃちゃんはお兄さんがいなくなって、泣いたりしないか?」

 

「みのりもう泣かない!もう3年生だもん!」

 

伊吹の声を聞いた周囲の人々が集まり、気がつけばそれなりの人集りができていた。

彼は自然と人を集める。個性とは別の、彼の性質であった。

 

「ねぇねぇ」

 

その様子を遠巻きに見ていた俺の袖を、いつの間にか近くに来ていたみのりが引っ張る。

 

「どうかした?」

 

「喜ちゃんはヒーローにならないの?」

 

それは子供らしい質問だった。

 

「……俺はならないよ。俺の個性や性格は、ヒーロー向きじゃないから」

 

伊吹の個性は『人間空母』といい、自由に操作できる多数の艦上攻撃機、さらには水面を滑るように移動できる個性だ。

その反面、俺の個性は地味、超常前の人間に毛が生えたくらいだ。

そんな個性じゃヒーローにはなれない。そんなこと、自分でも分かっていた。

 

だから、無謀な夢などさっさと諦めて、また別の、自分に合った進路に進むのだ。

 

立派な人間になれるように。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

勉強は必要だ。いい高校に進学し、いい大学に入り、一流と呼ばれる企業に就職する。

 

そうすれば父や母は喜んでくれるし、もうわざわざ自分に付き合うこともなく、ゆっくりとした人生を送れる。両親が心配をかけることがない。

それが俺、永井喜一の人生目標だった。

 

可もなく不可もなく、ではなく、限りなく可を多く、他の人よりも幸が多い人生を送りたい。

ただそれだけだった。

 

「なぁ喜坊、お前もヒーローにならねぇか?」

 

「……なんだいきなり」

 

とある日、推薦とはいえ勉強はしないといけないので、俺は伊吹に教えながら図書館で勉強をしていた。

 

だがもちろん、勉強しているのは俺ばっかりで、伊吹はシャーペンを回して遊んでいた。

 

「いやさ、この前いっちゃんに聞いたんだ。雄英への推薦枠、一個余ってんだってよ。お前どうよ。西の伊吹、東の喜一、日本の安全は、二人の幼なじみの手にって。どうだ。かっこいいだろ」

 

「いや……俺は別にヒーロー目指してないし、このまま白高に行くよ」

 

「そっかぁ……」

 

つまらなそうに机に突っ伏す伊吹に、たまらず俺は勉強の手を止めてずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

 

「なぁフキ、お前なんでヒーロー目指したんだ?別にお前ヒーロー好きって訳でもないだろ?」

 

「うーん?なんでって……」

 

伊吹は少し前を置き、起き上がって、こちらに向かい柔らかい笑みを浮かべて言った。

 

「俺が強い個性を持ってるから」

 

「はぁ?」

 

言っている意味がわからなかった。

 

「ほら、スパイダーマンでもベン叔父さんが言ってただろ?大いなる力には大いなる責任が伴うってやつ。俺と一緒だよ。俺もこんな個性持ってるからには、必然的に空の安全を守るのは俺の役目になるんだよ」

 

「それって……」

 

大いなる力には大いなる責任が伴う──古代ギリシャの故事『ダモクレスの剣』を引喩とする格言だ。

 

超常現象発現前の人気コミック『スパイダーマン』では度々発せられる言葉で、物語全体のテーマでもあり、主人公ピーターにとっては、ヒーローとして人々を守っていくための原動力ともいえる。

 

伊吹はその言葉に感化され、ヒーローを志したと言うのだ。

 

意味が分からなかった。言葉自体の意味は分かるが、何故それが自分に当てはまると思うのが分からない。

 

だが伊吹と付き合って九年。コイツの行動が想定内に収まったことなど、片手で数えるくらいしかない。

つまり、いちいち突っ込むのは無駄なのだ。

 

「分かったよ。もう行くか」

 

「お、お勉強タイムはようやく終わりか」

 

「お前勉強してなかっただろうが」

 

「じゃーまた頼むぜ。そうだな、来週のこの時間、またここで」

 

どうせ来てもろくに勉強しないくせに来週の予定だけはキッチリする矛盾に呆気に取られたが、そういえばこういう奴だったと、「応」とだけ答えて俺は図書館を後にした。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

次の週から夏休みに入り、俺は少し遅めに起床した。

1階に降りてみると、丁度父が出勤するところで、見様見真似の敬礼で見送ると、父は嬉しそうに笑いながら返礼して出勤して行った。

 

食卓には既に自分のための朝食が用意されており、いただきますと言いながら着席し、もう一度いただきますと言ってウインナーに齧り付く。

 

テーブルの向かい側では出勤前の母がテレビを見ながらコーヒーを飲んでいる。

 

「きぃ、今日の予定は」

 

「図書館でフキと勉強。アイツ、勉強しねぇくせに勉強しようって言うんだよ」

 

「仲良いのね」

 

「まぁね」

 

それは否定しなかった。

 

「いぶちゃん、ホントに大阪行くんだって?」

 

「うん。ヒーロー科の名門だって。雄英でもいいじゃねって言ったら、俺は関西人になるんや!って」

 

「何それ」

 

「さぁ」

 

相変わらず意味不明な伊吹に、二人で笑った。

伊吹の両親を知っているが、その二人から伊吹が産まれてくるとは、ちょっと想像できない。

 

約束の時間は11時から。歯を磨いたら自室に戻り、軽く勉強をした。

成績は上なら上なだけいい。

 

時間はすぐに過ぎ去って、俺は簡素な服に着替えて家を出た。

図書館には自転車で十分ほどなので、途中で自販機で水を買って、図書館にゆっくりと向かった。

 

図書館の勉強スペースは予約制で、俺は受付で番号を受け取り、窓に近い席に陣取る。

館内は冷房が効いているが、体内には熱が残っていた。

 

伊吹が来るまでの時間、俺は勉強ではなく、何となく窓の外を眺めた。

 

見知ったヒーローがパトロールをしている。彼女は個人的に応援しているので、もっと頑張って欲しい。

スーツの男性は随分と暑そうだが、何故かジャケットを脱がなかった。

見たことない制服の金髪女子高生は学校終わりだろうか、随分と軽いステップで駅とは反対方向に向かっていった。

 

改めて思う。

伊吹は未来に目標を持ち、日々努力を……勉強以外を頑張っている。

だったら自分は?自分はこの街に、自分をここまで育ててくれたこの街に何を返せるだろうか。

 

母は市民にヒーローになった。

父は街どころか国を守るために働いている。

 

……なら俺は?

俺が勉強するのは自分が良い生活を送り、両親に安心して隠居してもらう為だ。

 

俺は街のために……

と、机の上のスマホが震えた。

 

『悪ぃ喜坊、ちょっと遅れそうだ』

 

『寝坊?』

 

『いや、女子高生が道に迷ったって言うから、目的地まで道案内する。だから遅れる』

 

道案内……遅刻の言い訳の常套句だが、アイツの場合本当だ。アイツはこういう時嘘は言わない。

 

『分かった。先勉強してる。窓際の席な』

 

『悪ぃな』

 

『気にすんな』

 

スマホからペンに持ち替え、勉強を開始する。おそらく三十分ほどで着くだろう。

 

時間はあっという間に過ぎていく……だが、何故か待っても待っても伊吹は姿を現さない。

もしかしたら道案内で街の外に出たのかと思ったが、それなら連絡をよこすはずだ。

 

遅いな……と思ったが、この街は小さいが徒歩で移動するにはそれなりに時間を要する街だ。

この時間も妥当だろう。

 

……そう思いこんでも、やけに遅かった。

一度伊吹にメッセージを送ったが、しばらく待っても既読がつかない。

一時間たったら図書館を一度出て電話をかけるが、やはり出ない。

二時間待っても来なかったので、先帰るとメッセージを送り、自転車に跨って家に帰った。

 

何故伊吹は現れなかったのか、連絡もなかったのか、俺はそればっかり考えていた。

 

記憶の限り、伊吹が約束を破ったことはなかった。

何よりも真っ直ぐな男だし、もしやむを得ない事情があったなら、必ず連絡を入れてくる。

 

ずっとえもいえない不安があった。どうやってこの不安を解消すべきか、そんなことを考えながら遅めの昼食をとっていたら、俺はどうして伊吹が現れなかったのかを知った。

 

伊吹は人生で初めて約束を破った。

伊吹とは、もう二度と会えなくなった。

 

ニュースが流れる。

 

クラスメイトで幼なじみの山本伊吹は、住宅街の路地で倒れているところを付近の住民に発見された。

発見後すぐに救急搬送されたが、懸命の治療虚しく、彼は息を引き取った。

 

ただそれだけ。

ニュースキャスターはただ単調に事実だけをこちらに伝えた。

 

発見されたとき、伊吹の体からはほとんどの血が抜かれていた。

伊吹は、噂の吸血事件に巻き込まれたのだ。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

司法解剖は町中心の病院で行われた。

直接の死因は心不全。だが司法解剖による結果は驚くべきものだった。

 

彼の体は、身体の八割以上の血が抜かれていたのだ。

 

八割。彼の体重は56kgだったので、大凡の血液量は約4L、抜き取られた血液量は実に3kgだ。人間の仕業ではない。まるで本当に吸血鬼に襲われたようだった。

 

だが死亡推定時刻は昼で、当日は太陽が厳しく照り付けていた。

犯人は吸血鬼ではなく、人間なのだ。

 

それから数日後、彼の葬儀は今にも落ちてきそうな重い雲の下で執り行われた。

 

彼の人望だろう。学校関係者のほとんどが通夜葬儀に参列し、焼香の列は葬儀場の外にまで伸びていた。

 

もちろん、俺も葬儀に参列した。

いつも笑顔が眩しかった彼は、当然遺影の向こうでも笑っていた。それが最後の笑みだった。

 

俺は数年前、祖父の葬儀に参列したことがある。あの時は98という長寿ぶりで、大往生だったと、みな哀しみに暮れつつも、それが天命なのだと受け入れているようだった。

 

だが伊吹はまだ未来があったはずだ。明るく、希望に満ちた未来だ。

そんな未来が、たった一人の殺人鬼のせいで閉ざされたのだ。

 

何故伊吹が殺されなくてはいけなかったのか。

 

棺の中の伊吹の寝顔を覗き込む。

その表情は安らかで、まるで今にも起きて来そうなほどだった。

 

「嘘みたいでしょ?」

 

ただ呆然と親友の顔を眺める俺に、伊吹の母親が話しかける。

 

「死んでるのよ、それで……」

 

「ええ。たった一箇所の傷で……傷の場所が悪かっただけで……」

 

嘘のようだった。

大した傷はない。死装束から見える、頸動脈上の傷。そこから大量に出血し、出血性ショックを起こし、彼は目覚めなくなった。

だが彼の死に顔を見ていると、今にも目を開けて寝ぼけた声で「おはよう」と言ってくるのではないかと思えてくる。

 

だが彼は決して起きない。

この街の、小さな街の大きな英雄候補は、もういない。

 

その時、俺の近くにいたみのりが大きな声を声を上げて泣いた。わんわん泣いた。

もう泣かないと、先週語らかに宣言した少女は、人目もはばからず泣いた。

目と鼻から水を出し、彼とにて鼻筋の通った可愛らしい顔は、酷く歪んでいた。

 

「──ッ!!──!」

 

もはやみのりは声にならない声を上げ、ただ慟哭を上げた。

 

大切な人を突然、理不尽に奪われて、悲しみに暮れる少女。

 

伊吹を殺した犯人は、きっと今ものうのうと人の世を生きている。

そんなこと、許されていいのだろうか。人を殺した人でなしが、人の世を生きるなど、許されていいわけがない。

 

「……なぁ伊吹、お前言ってたな。大いなる力には大いなる責任が伴うって……」

 

俺はその言葉が嫌いだった。

ダモクレスは王の立場を自ら望んでおり、その危うさを身をもって知った。

 

ではピーター・パーカーはどうだろうか。

確かにピーターも力を欲していたかもしれない。だが彼が力を得たのは、ただの偶然に他ならない。ただ蜘蛛に噛まれただけなのだ。そんな彼に、力を持ったのだから責任を果たせ、はあまりにも酷ではないだろうか。

伊吹だってそうだ。彼が強い個性を持ったのだって、両親の個性因子が上手い具合に噛み合った、ほんの偶然だったのだ。

 

偶然、ただの偶然で強い個性を持った者がヒーローにならなくちゃいけないなんて、誰が決めたのだろうか。

他所で起こるヴィランの事件も、有坂で起きる事件も、結局は他人事。第三者である自分たちに、責任などないなのだ。

 

……そう、思っていた。

 

「お前があん時言ってたこと、今になってようやく分かったよ。悪かったな。あの時同調してやれなくて」

 

俺は泣いているみのりを撫でてやると、静かに眠る伊吹に宣言する。

 

「大いなる力に大いなる責任が伴う……その責任、果たしてくる。警察と俺、どっちが早いか、向こうで見ててくれよ」

 

 

*1
神奈川県横須賀市にある、将来陸曹になるべく人間の養成を目的とした大臣直轄の教育機関。学校長は武山駐屯地駐屯地司令を兼任し、陸将補が当てられる

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