オーバーロードにTS転生者を叩き込んでみた 作:連載として再構築
アスファルトの硬質な冷たさが背中から伝わってくるはずなのに、わたしの感覚を支配していたのは、腹の底で爆ぜた焼けるような熱の塊だけだった。
それは瞬く間に形を変えてわたしの身体という器から血を、そして命そのものを根こそぎ奪い去っていく絶対零度の奔流となって全身を駆け巡る。
「あ……っ」
喉からこみ上げる鉄錆の味に、呼吸が詰まる。
視界がぐらりと揺れて夜空の暗闇と街灯のオレンジ色が不気味に混ざり合う中で、わたしの体を抱きとめる兄さんの顔だけが強烈な明度を持って焼き付いていた。
「亜理紗! 嘘だろ、なんで血が止まらないんだよ!?」
「うあぁっ! 貴様ぁ!!」
獣の咆哮のような怒号が、駅前の雑踏を切り裂いた。
視界の端で、銀色の鎧の代わりに仕立ての良いスーツを纏ったたっち・みーさんが、わたしの腹を刺した男を地面へと叩きつけるのが見えた。
普段は温厚で誰よりも理性的であるはずの彼が、今は正義の執行者としての表情すら投げ捨てて、男の腕をへし折らんばかりの勢いでねじ上げている。
その横顔はわたしが知っていた頼れる男性のそれではなく、大切な友人の家族を傷つけられた一人の男としての、激しい憤怒に染まっていた。
「放せよ、俺は悪くない! 悪いのはそいつだ、そいつが俺のアリサちゃんの隣にいるのが間違いなんだよぉ! 俺は救ったんだ、汚らわしい男から天使を救済したんだぞぉっ!」
「黙れ下衆が! 貴様ごときの妄想で……貴様ごときの身勝手な理屈で! 我らが友の、最愛の妹を……殺してやる、今ここで俺が裁いてやる!!」
「ウルベルトさん、やめろ! 殺したらあんたが捕まる! こいつは警察に突き出すんだ、今は亜理紗ちゃんだろ!!」
殺意を滾らせて男の頭を靴底で踏み砕こうとするウルベルトさんを、ペロロンチーノ――龍也が必死の形相で羽交い締めにしている。
いつもは『悪』を標榜しながらもおどけていたウルベルトさんが、現実の世界で本物の殺意を露わにしている。
その歪んだ表情の下にある、仲間の妹を傷つけられた悲痛な叫びが、薄れゆくわたしの意識にも痛いほど伝わってきた。
「亜理紗ちゃん、しっかりして! 今、救急車呼んだから! もうすぐ来るから! ねえ、やまいこ! 何か、何か止血できるものないの!?」
「今やってる! わたしのストール使って……くそっ、傷が深すぎる……圧迫しても血が止まらないよ……っ!」
教育者として常に冷静沈着なやまいこさんが、今はなりふり構わず自身の衣服をわたしの腹部に押し当て、真っ赤に染まっていく手を震わせている。
彼女の眼鏡の奥にある瞳が、恐怖と焦燥で見開かれているのが分かった。
茶奈さんも、あんなに大切にしていたブランド物のバッグを放り出して、わたしの冷たくなっていく手を両手で包み込み、必死に温めようとしてくれている。
「……いや、ダメ……血が、多すぎる……! 悟くん、もっと強く押さえて! もっと!」
「だ、誰か! 誰かタオルとかないんですか! 人が死にそうなんですよ!!」
周囲を取り囲む野次馬たちに向けられた茶奈さんの叫びは、悲鳴に近い。
けれど、指の隙間から溢れ出る生温かい液体は、わたしの命そのものが決壊したダムのように流れ出していることを、残酷なまでに伝えていた。
ゲームみたいに回復魔法もポーションもない現実世界で、これだけの出血をして助かるはずがない。
どこか冷静なわたしが、他人事のように状況を分析していた。
不思議と痛みは遠のき、代わりに襲ってくる泥のような、それでいて抗いがたい強烈な眠気がわたしの最期が近いことを優しく、しかし絶対的に告げていた。
(ああ……これは助からないな)
兄さんに友達ができて、ギルドができて、これからもっと楽しくなるはずだったのに。
両親の死を乗り越えて、二人で頑張ってまた幸せになろうって思えたばかりだったのに。
運命の女神様は、鈴木家にどこまで厳しい試練を与えれば気が済むのだろうか。
「亜理紗、目を開けてろ! 頼むから……置いていかないでくれ! 父さんも母さんも死んで、お前までいなくなったら……俺はどうやって生きていけばいいんだよ! 神様、頼むよ……俺の命でも何でもやるから、亜理紗を助けてくれよぉ……」
兄さんの悲痛な叫びが、鼓膜を震わせる。
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに汚した兄さんは、原作の中で恐れられた『至高の御方』の威厳など微塵もない。
ただの無力で、傷つきやすく、妹を失う恐怖に怯える一人の青年だった。
その姿が、わたしの胸を何よりも強く締め付ける。
わたしが死ぬことよりも、遺されてしまう兄さんの孤独が、何よりも恐ろしく悲しかった。
「……にい、さ……」
喉の奥からせり上がる血の塊を飲み込み、わたしは霞む視界の中で、わたしたちを囲む仲間たちへと視線を巡らせる。
兄さんを一人遺していくこと、それだけが心残りだった。
けれどここには彼らがいてくれる、仮想世界で背中を預け合い現実でもこうして涙を流してくれる仲間たちが。
でも原作を知ってしまっている私は傲慢と知りながら、彼らの心に鎖をかける。
「たっち・みーさん……ウルベルトさん……、龍也……茶奈さん……みんな……」
「喋るな! 体力を使うんじゃない!」
「そうだぞ亜理紗ちゃん、今は何も考えずに、生きることだけを考えろ!」
茶奈さんが冷静さを保とうとしながらも、その声の震えを隠しきれていない。
わたしは首をかすかに横に振り、最後の力を振り絞って、言葉を紡いだ。
「お願い……兄さんを……悟兄さんを、お願い。兄さん、寂しがり屋だから……一人にしないで……」
それは妹としての最期の願いであり、これから孤独に放り出される兄へのせめてもの祈りだった。
わたしの言葉に、取り押さえられていた男への怒りで顔を歪めていた彼らが、ハッとしたようにこちらを見る。
そして、全員が涙で顔を濡らしながら、わたしの目を見て力強く頷くのが見えた。
「当たり前だろ! 我らがギルド長だぞ!? 絶対に見捨てたりなんかしない!」
「ああ、約束する! 我が『悪』の名にかけて誓おう! 鈴木悟は、我々アインズ・ウール・ゴウンが一生守り抜く!」
「だから……だから君も一緒にいるんだよ! アリサ、亜理紗ちゃん!」
たっち・みーさんの正義の誓いも、ウルベルトさんの不器用な宣言も、龍也の懇願も何より頼もしい福音だった。
彼らの言葉を聞いて、胸の奥につかえていた鉛のような不安が、スッと溶けていくのを感じる。
大丈夫、きっと彼らは原作のように兄さんを一人にはしない。
わたしの大切な兄さんを託せる。
「……兄、さん……」
視界が急速に狭まっていく。
それでも、わたしの目の前にいる兄さんの輪郭だけは、最後まで消えずに残っていた。
「俺はお前がいなきゃダメなんだよぉ! お前がいない世界なんて、何の意味もないんだよ! 亜理紗!」
「……泣かないで、兄さん……せっかくの、イケメンが台無しだよ」
「こんな時にバカ言うなよ! もっと喋ってくれ、罵倒してくれてもいいから……声を聞かせてくれよ!」
鉛のように重くなった右手を、意志の力だけで持ち上げる。
震える指先が兄さんの頬に触れると、そこにある温かい涙の感触が、指先を通じてわたしの魂にまで染み渡ってくるようだった。
これが、わたしが触れられる最後の『生』の証。
「……ご、めんね、兄さん……」
「頼む! 謝るな……謝らないでくれよ……」
「でも、兄さん……兄さんの周りには、こんなに素敵な人たちが……いるから」
呼吸をするたびに、肺が焼きつくように痛む。
意識をつなぎ止める糸が、ぷつり、ぷつりと音を立てて切れていく。
もう、時間がない。
伝えなければならない。
わたしがどれだけ兄さんを愛していたか、そして、これからの兄さんに何を望むのかを。
「生きて……兄さん。わたしの分まで、幸せに……なって、ね」
「亜理紗! 嫌だ、行くな……行かないでくれぇぇっ!」
兄さんの慟哭が、遠い世界の出来事のように響く。
五感が一つずつシャットダウンしていく中で、わたしは残された全ての愛を込めて、口元を緩めた。
最後は、笑顔で。
兄さんの記憶に残るわたしが、泣き顔ではなく、最高の笑顔であるように。
「愛してるよ……お兄ちゃん」
「――亜理紗ーッ!!!!」
言い終えた瞬間、頬に触れていた指先からふっと力が抜けた。
重力に従ってアスファルトへと落ちていくわたしの手を、兄さんが必死に掴み直す感触があったけれど、もうそれを握り返す力はわたしには残っていなかった。
兄さんの絶叫が、サイレンの音と混じり合って、渦を巻くように遠ざかっていく。
兄さん――
どうか悲しまないで――
思考はそこで途切れ、わたしはログアウトボタンのない永遠の闇へと、静かに、そして穏やかに溶けていった。
◇
意識が途切れた瞬間の、あの絶対的な闇と冷たさは、永遠に続くかのように思われた。
けれど、次にわたしが感じたのは、凍えるような寒さではなく、羊水のような温かさと、身体が押し潰されるような強烈な圧迫感だった。
息ができない。
苦しい。
でも、それは死に至る苦しみではなく、新たな世界へと産み落とされるための、生への胎動だった。
「――オギャアアア! オギャアアア!」
自分の意志とは無関係に、肺が空気を求め、喉が震えて産声を上げる。
視界はぼやけ、光と色の奔流が網膜を焼く。
耳に届くのは、くぐもったざわめきと、誰かの歓喜の声。
アスファルトの硬さも、腹を貫く痛みも、兄さんの絶叫も、もうどこにもない。
(ここは……どこ? わたし、死んだんじゃ……)
混乱する思考の中身体が温かい布に包まれ、誰かの腕の中に抱き上げられる感覚があった。
その手は大きく、少し無骨だけれど、割れ物を扱うように慎重で、震えるほどの愛おしさに満ちていた。
「おお……なんと美しい。まるで月の雫のような銀髪だ」
頭上から降ってくる声は、聞き覚えのない男性のものだ。
けれど、その声に含まれる深い安堵と喜びは、かつてわたしを「自慢の妹だ」と言ってくれた兄さんの声色と、どこか重なるものがあった。
「陛下、第三王女殿下でございます。母子ともに健康です」
「うむ……よくやった王妃よ。王家の血筋には珍しい銀の髪と碧眼だが……見ろ、この気高さを。間違いなく余の娘だ」
陛下?
第三王女?
何を言っているの?
ここは病院じゃないの?
まだ上手く開かない瞼を必死に持ち上げ、わたしは声の主を見上げようとした。
ぼんやりとした視界の中に、豪奢な天蓋と、中世ヨーロッパの貴族のような衣装を纏った人々が映る。
そして、わたしを抱いている男性の顔が、至近距離で覗き込んできた。
金髪に白いものが混じり始めた髪、意志の強さと優しさを兼ね備えた碧眼。
その顔には見覚えがあった。
いいえ、正確には「その顔をしたキャラクター」を知っていた。
兄さんが愛した『ユグドラシル』のシステムに振り回される異世界転移の物語、『オーバーロード』。
その作中で、苦悩と悲劇の王として描かれていた人物。
「我が娘よ……リ・エスティーゼ王国の第三王女として健やかに育て。そなたの名は――アリサ。アリサ・セレスティン・ニーベ・ライル・ヴァイセルフだ」
ランポッサ三世。
リ・エスティーゼ王国の国王。
彼が今、わたしの父として、慈愛に満ちた瞳でわたしを見つめている。
(う、嘘……でしょ?)
驚愕に、産声を上げることすら忘れて呆然とする。
二度目の転生。
それも兄さんがアインズ・ウール・ゴウンが降臨することになる、あの『オーバーロード』の世界へ。
運命の悪戯というにはあまりにも劇的で、そして残酷な巡り合わせだった。
◇
季節が幾つか巡り、わたしが自分の足で歩けるようになる頃には、ここが間違いなく『オーバーロード』の世界であり、わたしがランポッサ三世の娘に転生したという事実を受け入れざるを得なくなっていた。
王城の窓から見える王都の風景は、アニメや挿絵で見たものそのままで、街を行き交う人々や馬車の喧騒は、ここが現実であることを雄弁に物語っていた。
けれどもわたし自身は、一番の「異常事態」だった。
豪奢な姿見の前に立つ。
そこに映っているのは、四歳という年齢にしてはあまりにも完成された、生けるビスクドールのような少女。
流れるような銀糸の髪に、宝石のように輝く碧眼。
王家の特徴である金髪を持っていないにも関わらず、誰もがその美しさに息を呑み、傅いてしまうほどのカリスマ性。
(……これ、前世のわたしそのまんまじゃない)
そう、鏡の中の少女は――兄さんが一番好きだと言ってくれた「一番可愛かった時期」のわたしと瓜二つだったのだ。
違うのは服装くらいで、この顔立ち、この色彩、成長すれば間違いなく前世のわたしと同じ顔になる。
もし、兄さんやギルドのメンバーがこの顔を見たら、一瞬で「亜理紗だ」と気付いてくれるだろう。
それほどの相似性。
これは偶然なんてものじゃない。
わたしの魂が、肉体を書き換えたとしか思えない奇跡だった。
「アリサ様、本日はどちらへ?」
「父様のところへ。執務室にいるのでしょう?」
侍女の問いかけに、わたしは年齢離れした流暢な言葉で返し、廊下を歩く。
今のわたしは四歳。
第三王女。
そして、この世界にはまだ、あの『黄金の姫』ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは存在していない。
歴史通りであれば、彼女が生まれるのはもう少し後。
つまり、わたしはラナーの姉として、この生を受けたことになる。
(兄さん……)
重厚な絨毯を踏みしめながら、わたしは心の中でその名を呼ぶ。
前世の最期、わたしは兄さんに「生きて」と託した。 幸せになってほしいと願った。
けれど皮肉なことに、今のわたしは『兄さんが来る前の世界』にいる。
あの日わたしを看取った兄さんは、その後どうなったのだろうか。
そして、いつか彼は『モモンガ』として、この世界にやってくるのだろうか。
もし、原作通りなら。
兄さんは骸骨の姿をした絶対者となり、ナザリック地下大墳墓を率いこの世界を蹂躙する。
そしてわたしの父となったランポッサ三世を、わたしの生まれ故郷となったこの王国を、絶望の淵へと叩き落とすことになる。
「ううん……そんなこと、させない」
小さく呟いた声は、幼子のものとは思えないほど低く、決意に満ちていた。
兄さんが悪になるのが嫌なわけじゃない。
彼が仲間たちと作り上げたナザリックを守るためなら、世界を敵に回したって構わない。
でも、兄さんが望まない虐殺や、悲しいすれ違いで彼の手が汚れるのは見たくない。
何よりあんなに優しかった兄さんが、孤独な魔王として心をすり減らす未来なんて、絶対に嫌だ。
「パパ!」
執務室の重い扉が衛兵によって開かれると、わたしは前世の演技力を総動員して、無邪気な子供の仮面を被った。
書類の山に埋もれていたランポッサ三世――父様が、顔を上げて破顔する。
今の彼はまだ若く、覇気があり、原作で見せたような枯れた哀愁はまだ薄い。
「おお、アリサか! よく来たな」
「お仕事、お疲れ様です。パパ、あまり無理しちゃダメですよ?」
駆け寄って膝に乗ると、父様は愛おしそうにわたしの銀髪を撫でた。
その手は温かい。
わたしを刺した男から守ろうとしてくれた兄さんの手と同じくらい、守る意志に満ちた手だ。 この優しい父を、兄さんに殺させたりなんてしない。絶対に。
「ふふ、アリサは賢いな。四歳とは思えぬ気遣いだ。……ああ、そうだ。お前に紹介したい者がいる」
父様が目配せをすると、部屋の隅に控えていた一人の老剣士が歩み出た。
白髪交じりの髪を撫で付け、歴戦の猛者特有の静謐な空気を纏った初老の男性。
「ベスチュア・ラウフェンと申します、アリサ王女殿下。陛下より、王女殿下の護衛兼剣術指南役を仰せつかりました」
「……!」
ベスチュア、先代の王国戦士長。
まだガゼフが頭角を現す前のこの時代において、王国の武の象徴たる人物。
鋭くも慈愛を含んだ瞳でわたしを見る彼に、わたしは居住まいを正した。
そう、前世で刺殺された私は、二の舞にはならないと父に剣の指南をお願いしたのだ。
役者は揃いつつある。
運命の歯車は、確実にあの『未来』に向かって回っている。
けれど、
(兄さん待ってて)
わたしは父様の膝の上で、ベスチュアに向かって、かつてのトップアイドルとしての完璧な微笑みを向けた。
銀髪を揺らし、碧眼を細めて。
それはもし兄さんが見ていれば、懐かしさで泣いてしまうであろう、わたしだけの『武器』。
「はじめまして、ベスチュア様……期待しています。貴方がこの国とパパを……そしてわたしを守ってくれることを」
わたしの言葉にベスチュアはハッとしたように目を見開き、そして深く頭を垂れた。
その姿を見下ろしながら、わたしは窓の外に広がる青空を見上げる。
この空の向こうで遠い未来のどこかにいるはずの兄に向けて。
(早く会いたいな、兄さん……でも、今はまだ我慢)
(今度こそ、わたしが兄さんの心を守るから)
わたしの三度目の人生は、こうして幕を開けた。
これは『オーバーロード』ではない、そうはさせない。
兄を孤独な魔王にしないための、わたしと兄さんの再会の物語にするのだ。
再転生後の年齢設定は短編時から少し変えています。
理由は、プロットの再度の練り込み時にラナーと同じ年齢だと、話を進めるのにちょっと無理があるかなと考えたためです。
ご承知おきを
あと、ちょっとした傾向確認をさせてください
一応プロットは考えてますが、柔軟性は持たせたいので
読者皆様のアリサの相手候補の意向確認
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モモンガ
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ペロロンチーノ
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ジルクニフ
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ガゼフ
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ラナー
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クレマンティーヌ
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イビルアイ
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ラキュース