「……ん」
―――まだ空も明けきれていない午前4時、静まり返った部屋の中で俺は目を覚ました。寝起きの朦朧とする意識の中でふと隣を見やると、眠りについている琴さんの姿が視界に飛び込んできて……一転、俺の意識は一気に鮮明と化した。まるで一国のお姫様だと言われても違和感のないその美しい寝顔に、思わず目を奪われてしまう。
いくらあの琴さんといえど、就寝中は常時放っている威圧感が嘘かのようにその鳴りを潜めていて……起きている時ももうちょっと棘が無かったら俺もあんなに怖がらずに済むのになー。
「刺々しい女で悪かったわね」
「つ、遂に寝言でまでニュータイプしてくるんですか!?」
「そのニュータイプというのが何なのか相変わらず分からないけれど……貴方の起きる音で私も目を覚ましてしまったのよ」
……寝起きだからだろうか?普段の肉食獣でさえ恐怖を抱き尻尾巻いて逃げ出しそうな琴さんの鋭い目つきは更にその威力を増し、もはや視線だけで人を殺せるのではないかという食物連鎖の頂点に君臨する覇気を放っていた。ひええ……
「ごご、ごめんなさい、起こしてしまいましたね」
「謝らなくていいわよ、文歌がこんな朝早い時間に起きているのは鞄も制服も無い今のままじゃ学校に行けないから、一度家に帰るためでしょう」
「あ、あはは……」
苦笑いを浮かべる事しか出来ない……勢いで琴さん家に泊まってしまったけれど、今日は普通に学校がある平日なのだ。本来俺の辞書に早起きという言葉は存在しないのだが、今回限りの特例である。アラーム無しで起きられるか不安だったけれど、やれば出来る子じゃん俺!きっと某呪いの王も今の自分を見て「誇れ、お前は強い」と褒めてくださるに違いない。いやそんなわけねぇけど。
「おめでとう文歌、これで晴れて貴方は朝帰り女デビューね」
「そ、その言い方はやめてくれませんか……?」
そんなツッコミを入れながら、俺は布団からノソノソと這い出ると……
「あっ、貴方!その恰好は一体何……!?」
琴さんが突然驚いたように大きな声を上げて、まるでペンキをぶちまけたかのようにその白い肌が一瞬にして真っ赤へと染まっていた。俺を指さす彼女の手がプルプルと震えている……何かと思い、目線を下へ向けると―――昨日琴さんから借りたオーバーサイズのTシャツ、それがはだけてしまっていた。ゆったりとした襟ぐりは横に大きく滑り落ち、肩から鎖骨のラインに果ては胸元近くまでが惜しげもなく露わになっている。ラノベやアニメで散々見てきたヒロインのエロハプを、まさかこの身で体現してしまうだなんて……
「ご、ごめんなさい紗月さん!私、気づかなくて―――」
俺は慌ててはだけた胸元を引っ張り上げ、着崩し状態を直しながら琴さんに謝ったのだが……彼女は顔を赤くしたまま、こちらをギッと鋭い視線で睨みつけてきた。
「…………貴方、実は痴女だったのね」
「ご、誤解ですよ!?」
「言い訳しないでちょうだい、わわ、私にわざとその彫刻のように芸術めいた綺麗な肌を見せつけてきたのでしょう!? そんなの痴女以外に許容できる表現が存在しないわ。さ、さっさと自分の罪を認めて自首しなさい!」
「さ、紗月さん何かキャラおかしくなってません??」
「わ、私は至って正常よ! 性癖だけじゃなくて観察眼まで腐っているだなんてもう救いようが無いわ大人しく懲役30年を言い渡されて刑務所へ入るべきじゃないかしらええそれがいいわね」
瞳をグルグルと回しながら、怒涛の早口でまくし立ててくる琴さん。流石に懲役30年は長すぎませんかね……って今はツッコミを入れてる場合じゃない。何故琴さんがそこまで動揺しているのかよく分からないが、ここは一刻も早く退散した方が良さそうだ。
俺は自分の荷物を取り。
「せ、洗面所で着替えたら私帰りますね!昨晩は泊めていただき本当にありがとうございました……!」
そう言って頭を下げると、俺は慌ただしく部屋から飛び出した……何かマジで自分と琴さんがそういう関係みたいになっちゃってるんだけど。これで数時間後には学校で顔合わせるとか気まずい……脳内でピコンと『朝帰り女』の実績を解除しましたとトロフィー獲得ボイスが流れ、俺は大きくため息をつきながら自宅へ帰るのだった。
「……あの女への復讐の為に文歌と付き合った、それだけ……それだけなのよ」
「―――おっはよー、フーちゃん!」
教室へ入ると、ちょうどドアの近くにいた小柳さんが明るい笑顔を浮かべながら元気よく挨拶してきた。グループに入った当初、誰とでも上手く接しられて皆から好かれる彼女は自分なんかとは遠く離れた別世界の住人だという認識が強すぎたあまり、話すたびに毎回緊張してしまっていたのだが……オタク同士だと分かった今は逆に気を許せる貴重な相手の一人である。だから疲れていても、小柳さんの笑った顔を見るとこちらも元気を貰えるのだが……
「……お、おはようございます、小柳さん……」
「ンン? フーちゃん何か元気無さげだけどどうしたのさ、もしかして朝の星座占いで最下位取っちゃったとか?」
「いっ、いやそれは1位だったんですが……」
―――今回ばかりはちょいと例外であった、教室を見渡すと先に登校して席に座っている琴さんと目が合ったのだが。
「……っ」
琴さんらしからぬ、どこか気恥ずかしそうな様子でサッと目線を逸らされてしまった。確かに素肌をかなり見せてしまったけれど、今の俺は男の子じゃなく女の子、つまり同性同士だ。ならそこまで恥ずかしがる必要はないだろうし……あ、やっぱり朝早くに起こしちゃったことに対してお怒りであられて!?『睡眠を妨害して、もし私の完璧な頭脳が機能不全に陥ってしまったら貴方はどう責任を取るつもりなのかしら?』とか……
額から冷や汗を流しながら必死に謝罪の言葉を考えていると、一連の流れを見ていた小柳さんが途端にその表情を真剣なものへと変えて、そして俺の耳元に口を近づけボソッと。
「えっ、サーちゃんとフーちゃん―――ヤッたん?」
「何言ってるんですか!????」
小柳さんがぶち込んできたあまりのトンデモ質問に、芦高に入学してから一番であろう大きな声量が教室全体に響き渡ってしまった。クラスメイト達の視線が一斉にこちらへと集中する。
「今のじゃ全然物足りないよぉ、録音した文歌様のお声を爆音スピーカーに繋げて耳に当てて聴きたいな~」
「ねー、それで鼓膜が破れても本望だわ」
……変なことを言っている女子生徒達は置いておいて、俺は小柳さんの両肩をガシッと掴み。
「やだフーちゃんったら♡ みんなが見てる前でダメだよ♡」
語尾にハートマークをつけて、わざとらしい反応をする彼女に呆れつつ言葉を重ねる。
「な、何を誤解したのかは知りませんがそういう関係じゃ決してありませんよ」
……最も期間限定とはいえ、偽りの恋人ではあるけれど。まあこれを話そうものなら余計に紛らわしくなるだけなので口が裂けても言えないが。
「全くもー、今のは軽いジョークだよジョーク。ただ最近2人が妙に仲良くして放課後とか一緒に帰ってるからもしかして……とか微塵も思ってないヨ」
「そ、その目は明らかに思ってますよね!? ほら、認めてください!」
「ちょっと今調子悪いから無理だね」
おいこら、さっき『ヤったん?』とかド直球で聞いてきたくせに……何とか誤解を解こうとぐわんぐわんと彼女の肩を揺さぶっていたそのとき。
「―――もー、2人とも喧嘩はめっ、だよ」
脳がとろけるような甘く優しい声、耳に入れるだけで感情を荒立てているじぶんが馬鹿らしくなり、平和に縁側でお茶を飲んでいたいという思考を抱かせる人物など全人類でたった一人しかいない。そう―――
「ふみちゃんもかほちゃんも仲良くしようね、よしよーし」
お馴染み、芦高の大天使こと瀬名さんである。俺と小柳さんは2人して頭を撫でられていた。
「アーちゃん! えへへ、ごめんなさいにゃあ」
「ウヘヘッ……!」
「……フーちゃんよぉ、とりあえずサーちゃんとの関係は気になるけどまあ同士である事に免じてこれ以上は触れないでおいてあげるぜ。それに、それよりも今はこの幸福に身を委ねようや」
「……そ、そうですね、100%同意です」
瀬名さんには聞こえないようお互い小声で伝え合い、そして無事和解したのであった。ありがとう瀬名さん、やはり彼女はこの世を明るく照らす希望の象徴だ。この人とお付き合い出来る奴はどれだけ幸せなんだろうな……ヤバ、想像したらガチめに辛くなってきちゃった……
「な、何かみんな楽しそうだね……?」
困惑した声色で俺達に声をかけてきたのは、我が友にして我が理解者の甘織さんであった。
「あっ、れなちゃん、おはよ~」
「れなちんおっはー!」
「おっ、おはようございます甘織さん」
……冷静に考えてみれば、3人中2人が朝から同級生に頭撫でられているのは何とも不思議な状況かもしれないけれどそこについては深掘りしないでおこう。そして甘織さんは俺に視線を向けてくると、「ちょ、ちょっと文歌さんに話があるんだけどいいかな?」とどこかたどたどしく尋ねてきて……話って一体何だろうか?
名残惜しいが俺は瀬名さんの元から離れ、甘織さんについていくように誰にも聞き取られないであろう教室の隅っこまで足を進めた。
「あ、甘織さん、話って何でしょうか?」
彼女は気になって仕方ないと言わんばかりに体を揺らし、そして僅かに躊躇った後決心したように。
「……あのねっ、文歌さんが少し前に送ってきたメッセージあったじゃん?訳アリ女子になりますってやつ。アレって一体どういう意味だったのかなってずっと気になってたんだ、そ、それにほら!ここ最近紗月さんと2人きりな事多いしそこと何か関係あるのかなって。あはは……」
顔を赤くしながら、目を逸らして気まずそうな様子。甘織さんが言っているのは琴さんと神社で偽りの恋人関係を結んだときに俺が送った『甘織さん、今日からまた訳アリ女子になってしまいました。こんな私でも仲良くしてくださると嬉しいです』、というメッセージについてだ。
アレはこれから始まる苦労の日々を憂えての行動だ、でも実際それから琴さんと関わっていって彼女の事を多少なりとも知っていって……ん?でも根本的な部分である王塚さんへの復讐という目的。未だそこに関しては始まってすらいないんだった、いや俺としてはそんな事やめてほしいのだが……でも実際。
「―――紗月さんは、王塚さんが帰ってきたらやっぱり復讐に動いちゃうのかな」
「……へ?今、紗月さんって……」
彼女の心情は俺には理解出来ない所が多い、国際電話でいたずらしてきたのもそうだしマジで王塚さん関連になると何やらかすか分からないからなぁ。
「ふ、文歌さんが紗月さんって呼んだ、クラスメイトにグループの人達や私だってみんな名字呼びなのに。え……ま、まさか2人は……!?」
琴さんが大暴走しないのを祈るしか―――って何か甘織さんの様子がおかしくない?
「あ、甘織さん?」
「うぅ……脳が、脳が破壊されていく……」
「だっ、大丈夫ですか!?」
原因不明ながらに凄まじい勢いで顔色が悪くなっていく彼女に驚き、どうしようとアタフタしていたそのとき……突然、ふわりと鼻をくすぐる上質な甘い匂いが漂ってきた。思わずその香りがする方へと振り向くと、そこには。
「やあ、待たせてしまってすまないね―――文歌」
一輪のバラを手を手に持ち、万物を魅了するような光り輝く笑みを浮かべる……王塚さんの姿があった。
れな子の出番はもうちょっと先でしっかり増えますので、それまでどうかお待ちください!