デビルサマナー:おじさんハッカーズ   作:葛葉狐

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幼馴染の仇、幼馴染(天海空港)

 

 ーー海に突き出した天海ベイの根元に位置する、天海空港。

 そもそも開港前であり、利用者の姿はない。

 桜井によると、加えて原因不明のシステムトラブルが発生中とかで現在は閉鎖中、職員の姿もない。

 誰もいないはずの空港ロビーからはーー随分と、賑やかな音が聞こえてくる。

 

「派手に始めてやがるな……!」

「ちょっとーーなに!? 何が起きてるの!?」

 

 レッドマンが言うように愛車をさっさと買い戻しておけば、こんな運動せずに済んだか。

 空港前を疾走する俺らはーーすでに息があがっていた。どちらも喫煙者(の肉体)である。

 

「走るたびに煙草やめようって思うな……ゼエゼエ」

「思うだけで実行に移さないんでしょ……ハアハア」

 

 フィネガンも随分と鍛えられてる身体に見えるが、やはり葉巻愛用者だから、俺と同じですぐに息があがってしまうらしい。そのせいで、煙草なんて一本も吸ったことないだろうにネミッサも走るのがやたらきつそうだ。

 戦闘以前に、全力疾走ですでに死にそうになりながら空港内へと走り込む。

 派手な戦闘音や破壊音が聞こえてくるのはーー2F奥の出発ロビーのあたりからか。

 走り込んだ空港エントランス正面には……ボロ雑巾のような誰かが転がっていた。

 

 コテンパンにのされたのか。メタルターバンは乱れ、服もボロボロ、愛用のサックスも床に投げ出して荒い息をつき、リノリウムの床に座り込んで、無人のインフォメーションカウンターに背を預けている。顔も風体もよく見知った相手である。

 痣で腫れた顎を持ち上げ俺たちを見る、浅黒い肌の男はーー

 ーーファントムソサエティに所属するサマナー、ユダ・シング。

 

「……なに!? ウラベにフィネガンだと!? 裏切り者がどうしてここに……!?」

「よお、ユダ! お前よく生きてたなーーあんな怪獣決戦に巻き込まれてなあ!」

 

 俺が見上げるエスカレーターの先では、大火災かっていうくらい焔がぶつかり合っている。

 確か、どちらも炎術を行使するからーーバチバチに戦(や)り合ってるところだろう。

 階上から滑るように炎の舌が飛び出してきて、俺らの目前に着弾した。

 

「うわっとーーおぉい! 殺す気かぁ!」

 

 俺は階上に怒鳴り返す。

 今の流れ弾は「聞こえてるぞ」という意味だろう。地獄耳め。

 そしてーーなぜか、ぼっこぼこでエントランスに転がるユダを改めて観察する。

 

「ユダ。……何があった?

 どうしてナオミとレイが交戦している?

 その傷ーーナオミにやられたのか?」

「いや違う……。これは、クズノハーーレイ・レイホゥにやられた……」

 

 あんまり話したくなさそうなユダが語るところによると。

 なんでも、開港間近な天海空港の管制システムに悪魔が巣食ったらしい。

 ファントムよりその退治を命じられたユダだったが、ちょうどファントムのところへ、ナオミから謝罪と助力の申し出があったらしい。

 これは……あの中華料理屋の一件だ。俺らが手打ち斡旋を突っぱねたせいで、ナオミまで幹部(西)の心証を著しく損ねたため、バーターとしての提案をしたって事だろう。いやつくづくーーフリーのサマナーってのも大変だ。

 

 そこまで話したところもう一発、火炎弾が飛んできた。また俺は野次を返す。

 「しっかり聞いてるぞそもそもお前のせいだからな」って事だろう。本当に地獄耳め。

 

 でーー天海空港管制システムの奪還を目指すユダとナオミだったが。空港内は左右のウイング状に分かれていて広く、それぞれ別のウイングを探索する事にしたらしい。

 最終目的地を同じ管制塔として各ウイングへ同時進撃し、おのおの悪魔をサーチ&デストロイ&エンジョイ&エキサイティングしてゆく作戦だったらしい。後ろ二つは必要なのか。

 そして……右ウイングを担当したユダは、探索終了間近、空港入り口付近へ戻ってくる途中にーーかの、レイ・レイホゥと遭遇したらしい。

 国防を担う超国家機関ヤタガラスに協力する葛葉一族は、ファントムの不倶戴天の敵である。

 すぐさまユダとレイは戦闘に突入したのだが……なんと。レイは仲魔の一体も連れぬまま、仲魔を揃えたユダをたった一人で終始圧倒したらしい。

 三節棍と魔法による波状全体攻撃で仲魔ともどもボッコボコにされたらしい。それでこんな痣がついたのか、と俺はユダの全身をくまなく彩る青タンを眺めた。

 ところが。あとはトドメを刺すばかり、というところで急に。

 レイは攻撃の手を止めーー

 

“思い出して。貴方の名のーー真に意味するところを”

 

 とか言って去っていったらしい。

 まあ言いたいことはだいたいわかる。わかるが。

 ユダ。イスカリオテのユダか。聖書では裏切り者の使徒だが。

 ユダ。インド神話だと神の前に侍る勇猛なる獅子、だったか。

 グルカ人傭兵で文化圏の違うこいつからしてみれば喧嘩売ってんのかってところだろう。

 レイ勧誘下手すぎでは?

 でーーとりあえず仲魔ともどもボッコボコにされたユダがここでへばっていると、階段上へ立ち去っていったレイが、すぐにナオミと遭遇したらしい。

 声が聞こえてきたという。

 

“ずっとこの時を待っていたわ……!

 レイ。レイ・レイホゥ。

 師と兄弟子の仇ーー今ここで討たせてもらう!!”

 

 それからの2階出発ロビーからは、怪獣大決戦のような音しか聞こえてこなくなったのだという。

 まあナオミはあの通り、反則級の強さだし。

 葛葉の巫女のレイも神降ろししてるだろう上に、三年前になんかいきなり頼りなくなったキョウジを補佐して嫌というほど知見を積んだから、かなり強いはずだ。

 少なくとも俺なら正面からやり合いたくない。どちらともだ。

 炎が乱舞する天井を見つめて、ネミッサがつぶやいた。

 

「ナオミが仇持ちだって話は聞いてたけど……。

 どうするのウラべ? 加勢するの? それとも止めるの?」

 

 いや加勢は必要ないだろう。むしろ足手まといにしかならない。

 そして止めるのも無理だろう。ここへ割って入ったら余裕で死ねる。

 

「じゃあウラベは一体何しにーーここまで走ってきたの?」

 

 息があがる程全力疾走してきたのだから、まあもっともな質問ではある。

 俺は口を引き結び、腕組みをした。

 

「ーー気の済むまでやらせる」

「は?」

「それを見届ける。……もともと、それくらいしか出来る事はない」

「何の為に全力疾走してきたのよ……」

 

 ネミッサの嘆きはもっともだが、全てが終わる前に来れただけで意味はある。

 俺は火の粉舞い飛ぶ階段を登り、二人の死闘を視界に納める。

 

「ちょーーちょっと……」

 

 闘争の間合いに踏み込んでゆく事へ躊躇しつつ、ネミッサも後へ続く。

 エスカレーターを上り切った先。二階出発ロビーの中央で、対峙する二人ーーカプセルを指に手挟んだ自然体のナオミと、三節棍を広げ低く構えるレイの姿が見える。

 二人はちらとこちらを見るが……すぐに果たし合いへと戻ってゆく。

 どちらの加勢でもないと判断したのだろう。それは正しい。

 三節棍が空を切り、獣の魔王の拳が床を穿つ。今は肉弾戦のフェーズに移行したのか。

 俺は適当な柱に背を預け、案内看板の陰にいるネミッサに問いかけた。

 

「ーーどちらが勝つと思う?」

「どっちって言われても……、レイって人の実力はわからないけどさ。

 あのソーマ神権現ていう反則技がある限り。ナオミの勝ちは揺るがないんじゃないの?」

 

 まあ俺も同意見ではある。

 ナオミは全回復の技を持っていて、わずか6という少ないMP消費で、HPもそれどころかMPまでも全回復する、という反則級の技をカプセルの一つに封じている。それがソーマ神権現だ。

 理論上は、継戦能力が無限ということである。かなり滅茶苦茶だ。

 レイも三年前の平崎を通じ、神降ろしから数多の死闘と、術者としての実戦経験は相当に積んでいるだろうしーーこうして見るかぎり、前衛まで一人でこなしている。ナオミの倍近い敏捷性を活かして先制攻撃、先制回復、回避と駆け回っておりーーかなりの強者だ。

 だがレイにはナオミと違ってMPの枯渇がある。当たり前だが。

 それゆえ炎術対決から肉弾戦へと切り替えたのだろう。MPが尽きたらディアラハンが使えなくなる。

 とはいえ。相手と同じ戦い方をしている限りは、継戦能力の高いナオミにいずれ軍配が上がる。

 レイもそれをわかっているのだろう。飛び回って獣の魔王の四連打を躱していたが、靴を鳴らして足を停める。

 素早く、複雑な印を組む。

 

「ーーShuffler!」

 

 お。キョウジの十八番だ。レイも使えたのか。

 ナオミは状態異常技使ってこないし、相手と違う事をしたければその選択になるだろう。

 それにナオミの無限回復を崩すには、状態異常成功させるくらいしか手が思いつかない。

 レイも俺と同じ考えに至ったらしい。

 キョウジのように、シャッフラーで札に封じてマハラギオンで焼き払う考えだろう。

 がーー

 ナオミは悠然と佇んでいる。鏡に変じる様子はない。

 

「浅はかね……レイ」

 

 速度こそ大幅に上回ってはいるが。知力や魔力はむしろナオミの方が上なのだろう。

 それでは状態異常術が成功するはずもない。

 とはいえ現状、他に手もない。レイは数撃ちゃ当たるとばかりにシャッフラーを連発するが……ことごとく成功せず。かえってMPの枯渇を早めてしまう。

 そしてーー

 

「……くっ……」

 

 ついに。満身創痍となったレイが、床へ膝をつく。

 傷ついた体を回復させるディアラハンの緑光も、もう輝くことはない。

 とうとうMPも尽きたのだろう。

 

「っ……」

「レイーーこれで終わりよ」

 

 膝をつくレイを見下ろし。

 ひとつ大きく息を吸い。

 魔王アンリ・マユの技を封じたカプセルを振りかざすナオミにーー俺は声をかけた。

 

「……待て。ナオミ」

 

 ナオミはしばし動きを止めてから、ようやく俺がいることを思い出したようだった。

 ゆっくりと顔を傾ける。黒髪を流して、肩越しにこちらを睨めつける。

 

「ーー何かしら、ウラべ?」

 

 応答の声だけは慇懃に。

 長年夢にまで見た、仇討ちの瞬間。だがその顔に喜びはない。

 幾夜とも知れぬ、永劫に続く悪夢のーーようやくの終焉。

 ナオミの表情はむしろ、安堵に満ちていた。

 まさかこの状況で旧知の女を助けようって言うんじゃないでしょうね?とその声は告げている。

 

「お前が仇討ちに執念を燃やしていたのは知っているが……。

 その女を殺した後は、お前ーーどうするつもりだ」

 

 その質問は虚を衝くものであったのか。

 ナオミは壊れたように笑い出した。

 

「どうするってーー決まっているでしょう?

 この女を殺す為に! 流派のみんなーー師匠や兄弟子たちの仇を討つ為に!

 私はここまで耐えて、耐えて、耐え続けて! 強くなったのよ!?

 それがようやく終わるなら! もう私は何もする必要なんてないじゃない!」

 

 もういい加減、楽にさせてよ。ーーそう悲鳴をあげているように俺には聞こえた。

 俺の表情を読んだのか。ナオミはまるで取り繕うように、髪をかき上げる。

 

「……まあ。あの中華料理屋のオーナーにでもなって。

 静かに暮らそうかしら、ね?」

 

 あの特別室で。ナオミが様々なデザートに舌鼓を打っている光景が思い浮かんだ。

 だがその卓についているのはーーナオミひとりきりだ。

 

「……もうお前にはそれくらいしか。残されていないからか?

 全部このレイ・レイホゥに。奪い去られてしまったからか?」

 

 俺は膝をつくレイを見やる。俯くその表情は読めない。

 

「ーーそうよ!!」

 

 髪を震わせるナオミの叫びは、破壊されたロビーにーーまるで爆発のように響き渡った。

 

「大切な家族も! 帰るべき場所も! 暖かな思い出も! 全部奪われた!

 全部まとめて、この女が殺してしまった!

 どれだけ戦場から生還したところでーーもう私にはその、帰るべき場所がないのよ!

 だからそれを奪ったこの女を殺すのよ!

 そしてーーみんなの仇を討ったら、自分の帰るべき場所へ帰るのよ!」

 

 ナオミのその悲鳴は、彼女なりの合理性に満ちた意思表明ではあったのだろう。

 だが俺は思う。そんなのはーー緩慢な自殺と何も変わらない。

 吸っていた煙草を捨て、俺は尋ねる。

 

「……ナオミ。お前がレイに奪われたものはーー全部か? ほんとうに全部か?」

 

 その問いに、ナオミは泣き笑いのような顔で応じた。

 

「何よ!?

 師匠も、兄弟子も、流派の皆も!ーーみんなその女が殺してしまったじゃない!

 これ以上私に、何が残っているっていうの!?」

 

 片方の手をジャケットに突っ込んだままーー空いた手で、レイを指さす。

 

「……。以前に、お前たちは幼馴染だったと聞いた。

 お前が全て奪われたというなら。お前の過去を象徴するものは。

 もうそこの、レイしかーー残っていないんじゃないのか?」

 

 激情のままにカプセルを解放しようとした、ナオミの手が止まる。

 

「お前が奪われた大切なものは、お前の過去に類するものなんだろう。

 戦場に立つたび帰りたいと願った故郷は。もう過去の思い出の中にしか無いんだろう」

 

 ーー俺もファントムに所属して長い。が、幾度戦場を踏んでも帰りたくなるのは変わらない。そして思い浮かべる帰るべき場所は、いつも家族の待つ我が家だった。

 だが……俺はもう、知っている。

 俺の帰るべき場所は。すでに失われているのだ。

 

「だがナオミ。

 お前は他でもない、自分の手でーー大切な、お前の過去を壊す気か?」

「違う……!だって……!この女が……!」

 

 ナオミが否定するのはわかる。思い出の幼馴染が家族の仇へと変わったのならば、暖かく感じていた記憶もすべて汚されてしまうし、もう相手にも憎しみしか覚えないだろう。

 けれども。ナオミの過去へとつながるよすがはもう……憎いレイしか、居ないのだ。

 

「それに。レイはなぜお前の師や兄弟子を殺したんだった? お前が一番よく知ってるな?」

「ーーそれは……」

「そう。仕事だ。ーー俺やお前がいつも生き残って帰ってくる。戦場の、仕事だ」

 

 身過ぎ世過ぎ、生きる為と言い訳をし当たり前にこなす仕事。

 罪悪感なく完遂できなければ、一人前の仕事とは言えない。

 その、ただの仕事の結果を、許すべからざる悪、と断定するのならーー

 同じような汚れ仕事を幾度となくこなしてきた俺やナオミも。

 また許されるべきではないのだ。

 ーーきっと同じようなことをしてきたのだから。

 ーーきっと誰かへ同じ思いをさせているのだから。

 

「お前自身の手で過去を否定して。お前自身がやってきた仕事を否定して。

 ーーそれでもレイを、仇と憎むのか?」

 

 二億四千万の悪。

 それは。今まさに、ナオミが復仇のため放たんとしているカプセルに封じられたーー悪魔の技名だ。

 

「……ううう……!」

 

 ナオミは嗚咽と共に。ついにその手に握るーー二億四千万の悪を解放した。

 しかし……

 万物を穿つ平等で理不尽な刃は、とどめを刺すべきレイを外れーー

 床石へと着弾すると、巻き起こる砂塵で辺りを覆い隠した。

 

* * *

 

 ーー数時間後。

 海を臨む中華料理店の特別室で、俺たちはとんでもない大虎を囲んでいた。

 恐るべきペースで紹興酒や老酒を煽りながら。さっきまで盛大に文句を言い続けていた女は、呂律が怪しくなった途端ーー回転テーブルに突っ伏し、それきり沈黙した。

 長い髪の向こうに安らかな寝顔が見える。どうやら眠ってしまったらしい。

 俺たちはようやく安堵し、ずっと(椅子の上だが)女から強いられていた正座を崩す。

 

「……いや助かったわ……」

「……ああ、足がな……」

「……アタシもう立てない……」

 

 正座による感電状態からの状態異常自然回復を待っていると、対面のレイが首を振った。

 

「助かった、ってのはそっちじゃなくてね。

 ーーナオミのことよ」

 

 文句を言いたいだけ言って寝てしまった大虎を見つめるレイの目には、呆れだけではない光が宿っている。

 

「……気にするな。余計なことをしただけだ」

「ふふ……、本当に余計なことね?」

「レイ。本当にわかってるのか? お前も余計なことをするんだぞ?」

「は? なによそれ?」

「仕事なんだから仕方がないが。せめて自分の仕事の責任くらいは取れ」

 

 何を言われているのかわからない顔のレイに、説教口調で教えてやる。

 

「ーーお前はナオミの帰るべき場所を取り上げた責任を取ってだな。

 お前が、ナオミの帰るべき場所になるんだぞ?」

「はあああ!? 何よそれ!?」

 

 怒るような笑うような。どちらともつかぬ表情で、レイは声を荒げる。

 

「もしアイツが次、仕事から生きて帰ってきたら。

 デザートビュッフェにでも付き合ってやれ」

「なんだ、そんな事。ーーそれくらいならお安い御用よ」

 

 レイはそう言うが。

 その程度の生還する理由すら、きっとナオミは失っていただろう。

 

「あの仕事以来、また幼馴染として付き合えるなんて思ってなかったけどーー

 ……あれだけ人に好き勝手文句言って大酒飲んで寝ちゃって、ねえ。

 相当、不満も疲れも溜まっていたようね。こんなに無防備に寝顔さらけ出して。

 ーーとても、腕利きサマナーのナオミ様とは思えないわね」

 

 くすくすと寝顔をつつくレイは、ようやく取り戻した絆を慈しむかのようだ。

 ふとーー俺へと視線を転じ、不可解そうに眉を上げる。

 

「三年ぶりだけどーーウラべって。そんな人だったっけ?」

 

 平崎以来に顔を合わせたレイは、三年前との違いを確認してくる。

 俺は黙って琥珀色のグラスを傾けた。

 

「……三年も経てば人は変わる。お前も、キョウジも」

「そうねーー」

 

 零す前にナオミの手から酒杯を取り上げ、残りを傾けるレイ。

 弛緩した空気に、俺も煙草へ火を灯す。

 

「葛葉は、キョウジはどうしたんだ。一緒じゃないのか」

「キョウジってーーどっちのキョウジ?」

 

 どっち、ときたか。俺は笑う。

 そういえば結局、肉体へは戻れないままだったよな。

 ……アイツも。

 

「ーー両方だ」

「両方て。二人いるみたいじゃない?」

 

 レイは少し笑い、思い直すように真面目な顔になってからーー続ける。

 

「……肉体の方は、平崎に留まっているわよ。あの事件が収まっても地下の悪魔はまだ残っているし、ーーそれに“彼“の地元だしね。

 魂の方は……知らないわ。また、一人でふらっとどこかへ出ていったきり。

 ーーお陰で私がお目付け役付きで派遣されたわよ」

 

 ぼやくレイ。なるほど、こいつももう一端の実力者だし、おそらくキョウジの名代として送り込まれたのだろう。

 ファントムの暗躍するこの天海市に。

 ということは目付け役のマダム銀子も一緒なのか。

 

「……ウラベはどうしていたの? なぜ天海市に?」

 

 その言葉を選んだ問いに、俺は肩をすくめて返す。

 ーー答えるまでもない。

 質問が遠慮がちなのは、俺の事情を知っているから。

 ここへ来た目的は、正直葛葉の連中と変わらない。

 紫煙だけを立ち昇らせる俺を見て、レイは少し考える顔になる。

 

「私が聞いていたのはーー

 “ウラべは見せしめに家族を殺されて、自暴自棄になっている”って話だったけど。

 ……当てにならないものね。人の噂なんて」

 

 俺は苦笑するかどうか考えてから、またグラスを傾け口元を隠した。

 

 ーーまあ、その人物評も間違ってはいないのだ。

 俺の本質には妻を奪われた怒りしかない。

 俺の本質にはファントムへの復讐しかない。

 その苦しみがわかるからと言って。

 ナオミに偉そうなことを言いながら。

 ーー俺はまったく、ナオミを笑えはしないのだ。

 

「ウラべ」

 

 いきなり。

 黒髪を振り乱してがばと顔を起こしたナオミが、俺の名を呼んだ。

 俺とレイは驚いてそちらを見る。

 あれだけ酒を飲んだというのに。まったく変わらない顔色でーーナオミは俺の両目を見据えていた。

 

「……なんだ」

「貴方にああ言われて。

 私はーー納得してしまった。

 言いたかった恨み言も全部ぶつけて。

 お酒に流す事だって、できたのかもしれないわ」

 

 ね?レイ?と確認を取るナオミに、レイはぎこちなく頷く。

 ナオミはふとネミッサの方を見て、流し目で笑う。

 

「でもウラべ。

 貴方には。それができるの……?

 貴方にはまだ、引き返す道があるの……? 私みたいに……?

 誰かがそれを与えてくれるの……? 本当に……?」

 

 ナオミの瞳の奥にある懸念は、ひとつの事実を示している。

 俺は腰の後ろのGUMPへ触れた。

 この中にはーー俺が失ってしまったものが入っている。

 俺が失くして、ネミッサや仲魔たちが取り戻してくれた……ひとつの魂が入っている。

 不完全な魂は、外見だけを似せ、人格を取り戻すことはなかった。

 辛うじて現世へと縛り留めている、仮初めの似姿。

 

 ナオミが、仇でありながらも唯一残った幼馴染、レイを失えなかったように。

 どうにか繋ぎ止めた妻の幻影を。俺はーー失うことはできないはずだ。

 その永劫に続くだろう苦しみからは、もう引き返せない。

 

 ナオミはそう言っているのだ。

 

「ーー」

 

 先ほどと同じように。

 言いたいことだけ言うと。ナオミはまたパタンと寝てしまった。

 

「……無神経ね。詫びるわ。ナオミの代わりに」

「いや、別にいいーー事実だ」

 

 ナオミの友達面をするレイに、俺は年上面をして返す。

 つとめてなんでもない表情を浮かべ、俺はさらに酒杯を重ねる。

 

「……」

 

 レイは何やら、そんな俺を凝視している。

 ふと考え込むような顔になるとーー

 

「ーーウラべ。今の貴方になら、言ってもいいのかも知れない……」

「なんだ? 改まって」

 

 ーーその奇妙な提案を切り出した。

 

「マダム銀子に……会ってもらえない?」

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