デビルサマナー:おじさんハッカーズ   作:葛葉狐

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『社会科見学』(天海バイパス)

 

 ーー豪華客船、業魔殿前。

 岸壁に佇むコート姿の金髪は、相変わらず齢の分からない顔に柔らかな笑みを浮かべたマダム銀子。

 

「久しぶりね……ウラべ」

 

 波止場に向かい合う俺たちの間を遠く、霧笛が流れてゆく。

 平崎以来の旧知に。

 俺は久闊を叙する暇もあらばこそ、先制の釘を刺す。

 

「ああ。久しぶりだな。マダム。

 話があるそうだがーー葛葉への勧誘ならば断るぞ」

「違うわ」

 

 そっけなく首を振るマダムは、俺の返答を予想していたらしい。

 

「今の貴方はファントムを巻き込んで吹き飛ぶ一歩手前の、爆発物にすぎない。

 そんな人を組織に招き入れようとする人間は……いないわね」

 

 なるほど的確な読みだ。俺は笑う。

 そうマダムは言うものの、マダムはそもそも人間ではない。正体は古狐だ。

 とーーマダムは俺の背後のレイへ、視線を移した。

 

「正直、私の受けた印象は覆らないのだけど。

 ーーこのまま会わない方がお互い幸せのような気がするけれど。

 もう一人前のレイが言うからには……その判断に従いましょう」

 

 よくわからない事を呟いて、マダムは踵を返した。

 そのまま客船内へ続くタラップを登ってゆく。

 ついてこい、という事らしい。

 俺は首をすくめ、ジャケットに両手を突っ込んで後を追う。

 

「……当初はね。ファントムの内紛に、動くことを決めたのよ。

 天海市の計画にまで関与する予定は無かった」

 

 マダムが背中で説明するのは、葛葉の活動方針だろう。

 俺は後ろを歩くレイが、ユダを勧誘していたことを思い出す。

 ファントムの内紛に乗じて離反者を抱き込もうという考えか。

 

「ファントムが見せしめに家族を殺すのは知っていた。

 だからエージェントを急行させたんだけどーー間に合わなくて」

 

 マダムの話はぐっと解像度を増してくる。

 これは俺の話か、と思い至る。

 深紅の絨毯。上着をかけられた亡骸。

 

「どうにか間に合ったのはーーもう一人の方だけね。

 ひどい傷がようやく癒え、ベッドを離れられたのもごく最近よ。

 ……ようやく快復した処へ傷を重ねるなんて。感心しないのだけれど」

 

 もう一人、という言葉にどくんと心臓が跳ねる。

 思い出す。

 あの時、家の床に倒れ伏していたのは妻。

 そして子供部屋から出てきた敵を倒し、俺は何も考えられぬまま、その場をーー

 まて。

 何の話をしている。

 まさかそれはーー

 

「……正直。復讐に弾け飛んで消えるだけの親ならば。

 どうせ会わせたところですぐに目の前から消え去ってしまう。

 もう死んだことにして、会わせない方がマシだと思ってたわ。

 ーー今でもその感想は変わらないけれど、ね」

 

 マダムは深紅の廊下を進み、個室の扉を引き開けた。

 その奥にはーー

 椅子に座り外を眺める、ごく小さな人影がーー

 

「っ…………!!」

 

 再会を果たした俺の存在を認めながらも。

 遠く海を望む窓辺に。

 けして、振り返る事もなくーー

 

* * *

 

 ヴィクトルにクレジットを叩きつけ、ようやく買い戻した愛車の運転席。

 が。懐かしい本革の感触にーー背を預ける気分には到底なれない。

 俺はシートベルトを緩めながら、横目で助手席の様子を伺った。 

 

 そこにはーー小さな男の子がひとり。

 まるで広すぎるシートを持て余すように。包まれるように座っていた。

 背は直角に起こされたまま。

 両拳は両膝の上で固く握りしめられたまま。

 運転席の俺に一瞥すら寄越さず……フロントガラス越しに前方を凝視している。

 

 ーーこいつは。

 どうやら命を拾っていたらしい……俺の息子の、怜一朗だ。

 

「…………。」

 

 ーーお前だけでも助かってよかった。

 そう真っ当な言葉をかけるにはーー互いの距離が遠すぎた。

 平和だった日々を思い返す。家族に欠損がなかった幸せな日々。

 俺は仕事で家を空けてばかりで、幼いこいつの教育は妻に任せきりだった。

 たまに帰っても大人しい息子はどこか控え目で、いつも母親にべったりだった。

 妻にして母親。父と息子とを結ぶ存在は失われ、もう俺とこいつとの間に繋がりはなかった。

 家が襲われ妻が死んだあの時ーー俺の中ではすでに、息子は死んでいた。

 妻の死にばかり心を奪われ、怒りに任せて、幼い息子の命も奪われたものと決め込んでいた。

 ーー失われたと思っていた子が。幸い、命を拾ったところで……

 俺にそれを喜ぶ資格はない。

 とっくに死んだと思い込んで、過去へ流し去っていたのだから。

 

「ーー」 

 

 何かを感じたのか、小さい顔がこちらへと向けられる。

 助手席から上目遣いを送ってくる、幼い男の子。

 妻の語る通りに控え目な性格だと思っていた頃ならば、父親へ気でも遣っているのだろうと誤解しただろう。

 だが今ならばわかる。これは遠慮や隔意などではない。

 この目つきはーー懇願だ。

 

「…………。」

 

 もともと無口だったこいつだが。

 破壊された我が家からの救出・治療後もなお……一言さえ発してはいないらしい。

 ショックによる失語症だろう、とマダムは話していた。

 あるいはーー『言葉を発してはならない』という強迫症に囚われているのかもしれない、とも。

 現場に駆け付けた葛葉のエージェントの話では、こいつは破壊されたクローゼットの下敷きになる形で見つかったらしい。

 だいたい想像がつく。……妻がこいつに、何を言ったのかは。

 襲撃者を見て、まず息子をクローゼットに隠してーー

 “この中に隠れて絶対に声を出すな”。おそらくそんな事を命じたのだろう。

 

 ハンドルに両肘でもたれ、俺は瞑目する。

 

 おそらくーー幼い息子の見ている前で。妻は惨殺された。そりゃショックで言葉もなくすだろう。

 ママの言いつけ通りに声を出さずにいた坊やは。しかしそれでも見つかってしまって、危うく殺されかかるほどの重傷を負わされた。

 止めを刺される直前に−ー恐らく俺が帰ってきたのだろう。妻ともども殺されたものと、俺は決めつけてそのまま去ったが……内紛を嗅ぎ付けた葛葉に救出され、治療を受け生き延びた。

 だがそれでも、母親の言いつけを守り続けているのだろう。たとえ目の前でその相手が殺されても、もう言いつけに従う理由なんかとっくになくなっても。

 幼いこいつがそうする理由は、おそらくーー

 

「…………。」

 

 俺は目を開く。息子はそうするしか知らぬとばかりに俺を見つめている。

 俺はその、ひたむきな視線ーー期待の眼差しより目をそらす。

 

 妻がこいつに、父親をどのように語っていたのか。仕事を何と説明していたのか。

 目の前で母親を無惨に殺された子の、この眼差しでーーだいたいわかってしまう。

 きっとーー父は死者をも蘇らせる凄腕の、召喚士だと。そう言ったのだろう。

 だから目の当たりにした母の死に対しても心折れず、父による死者蘇生を待っているのだろう。

 蘇った母から、もう口をきいてもいいと、改めて許しをもらうため。いまだ沈黙を続けているのだろう。

 

 俺は黒帽子の中に手を突っ込み、頭髪をかきむしった。

 

 霊魂の召喚くらいならこなすが、死者蘇生なんて。できるわけがない。

 俺は神様なんかじゃない。

 俺はただのーー悪魔召喚士でしかないのだ。

 

 さらに最悪なことにはーー

 俺は後腰のGUMPへ目をやる。

 中に収められているのはまさしく、妻の似姿。

 ーー今の俺には。

 こいつの願いを、叶えてやることだってできてしまうのだ。

 

 だが。

 死を覆して、現実を否定する。

 血を分けた実の息子にーーどんな教育を施せ、って言うんだ?

 

 上を向いて天井を睨み、俺は教育に悪い煙草を荒々しく吸った。

 ウィンドウを下げ、長々と煙を吐き出す。

 紫煙のもたらす霧が脳内から完全に消える頃にはーー頭も冷えていた。

 

「……怜一朗」

 

 久しく呼んだこともない名に、小さな身体は震えを返す。

 

「お前が俺に何を望むかは。訊くまでもない事だろうがーー」

 

 俺は答えのない助手席へ声を放つ。

 

「いいか?ーー俺から教えられるのは、ひとつだけだ。

 お前もそう思っておけ」

 

 沈黙の助手席の反応を見もせず、ただ考えをまとめてゆく。

 俺は俺にできる教育を施すしかない。

 それがどんなに手荒であってもだ。

 

「さて……楽しい楽しい、社会科見学のお時間だ」

 

* * *

 

 開けた窓から風が飛び込み、俺の帽子と息子の前髪を揺らして去る。

 

「……依頼者は不明。依頼内容は、天海バイパスに巣食うというーー悪魔の退治だ。

 報酬は50,000。現金ではなく電子通貨だ。まあ……とりわけ安い仕事だな」 

 

 由良島の海沿いに車を走らせながら、俺は助手席にひたすら、請けた仕事の概要を説明していた。

 傍から見れば、まあ狂気の沙汰だ。ーーこの業界のことなんて何もわからない小さな男の子へ、まるで相棒のごとく、仕事の説明をしているって言うんだからな。

 息子はやや首を傾げながら、黙ってそれを聞いている。

 父親による職場見学がはじまった、くらいに受け取っているのかもしれない。

 もちろん、そんな生やさしいもんじゃあ済まない。

 

「建設中の天海バイパスには、高速で走るバイカーの亡霊が出るという噂だ。

 過去に発生した、とある交通事故以後ーーその現象が目撃されるようになったらしい」

 

 高速で追い越してゆくバイカーは人ならざる異形だとか。そのバイカーには首がないとか。白髪の長髪ババアが和服姿で四つん這いで高速道路を突っ走るだとか。

 益体もない噂の数々はーーすべて、ただの悪魔の仕業だろう。

 だが当然。悪魔の発生には起因……原因が存在しなければならない。

 

「……数年前、依頼者の息子がこの天海バイパス近くで事故死。

 以来、天海バイパスで化け物の目撃情報が出るようになったという」

 

 悪魔召喚の依代。それは、マグネタイトというわかりやすい燃料ばかりではない。

 この世に未練を残しうろつく魂が受肉の依代となり、悪魔を顕現させる事だってある。

 

「要はまあ……そいつを成仏させてやればいい、って話だ。簡単な仕事だな。

 さてーーじゃあ、どうやって成仏させるかだが……」

 

 幼い目は俺の背中、上着から突き出すGUMPのストックを見ている。相変わらず聡い子供だ。

 父親がどんな仕事をしているかは。恐らく母親が語ったよりも多く……すでに悟っているらしい。

 

「まあーーそうだな。力づく、てのも悪くはない。

 だがもうちょっとスマートにこなすなら……綺麗に片付くし、後腐れもない」

 

 不思議そうな顔で俺を見上げる子供へ、未練だよ、と煙草を振って教えてやる。

 

「ーー夜な夜な暴走に明け暮れるバイカーの亡霊。

 目撃されるくらいだ。よほど走り比べたいんだろう。誰かとな」

 

 子供はハンドルに置いた俺の手を見やる。理解が早くていい。

 だが競争するのは俺じゃない。

 その時、車載電話がけたたましい電子音を鳴らし、着信を告げた。

 片手で受話器を取り上げつつ、バイバス入り口にぼんやり光る、公衆電話ボックスへと目をやる。

 

『よう、ウラベ。……本当に付き合うとは思わなかったぜ』

「こっちも仕事だ。因縁の決闘を邪魔して悪いがな」

『いや。助かる。もしも俺がしくじったら、その時はーー後始末を頼む』

 

 霧の中にぼんやり浮かぶ電話ボックス。

 中で受話器を握り、こちらを見ているのはキャロルJだ。

 

『インターは警察がすでに封鎖してる。目立たない作業道から入るから、ついてきてくれ』

「強引に突破しないで済むのは助かるな。

 何しろトランクにはーー縛り上げてさるぐつわを噛ませた男がひとり、放り込んである」

『……え? おい冗談だよな?』

 

 低く笑い、俺は受話器を置いた。

 ちらりと目をやるシート後方。……諸事情から、フィネガンは拘束してトランクへ放り込んである。今は大人しくしているようだが。まあ当然か。

 電話ボックスから出てきて大型二輪にまたがるのは、花束を担いだキャロルJだ。

 収納ボードを引き開け花束をしまうと……両腕はハンドルバーを握る。

 雷のような排気音を、二、三発鳴らしーー

 地鳴りめいた走行音を引きずって、キャロルJの駆る大型二輪は夜道をサーチライトで切り裂いた。

 

「?……」

「ーーああ。バイパスで事故死したバイカーっていうのは、ヤツのーー古いダチなんだとさ」

 

 先行する大型二輪に疑問の視線を投げかける子供に。俺は煙草を口から離し、種明かしをしてやった。

 いつもの黒ツナギに風を纏わせ、キャロルJは慣れた身ごなしで愛機を加速させてゆく。

 まさか、あのキャロルJが因縁の相手とは思わなかったが。

 ずっと待っていただろう、競争の相手が見つかったのならばーー話は早い。

 

“ああ。ーーオレが、決着をつける”

 

 依頼を引き受けた直後。事故死した依頼者の息子の友人関係を当たっていた俺の前に姿を現したキャロルJは、迷いのない表情でそう告げた。

 ただしその額に深く刻まれた皺は、過去の憂い……深い後悔を示していた。

 

「あとは……心残りがなくなるまで。

 思う存分、やつらを走らせてやればーー仕事は完了だ」

 

 思う存分走るとは、一体どこまで? 助手席から子供が目で問う。

 俺は答える代わりに煙を吐き出す。

 

 命が燃え尽きるまで。

 建設途中のバイパスの工事中断地点まで。

 ーーやつらの行き止まりまで。

 

 煙草はいい。大人に堂々とため息をつく言い訳を与えてくれるから。

 しばらく下道を走っていた先行二輪のサーチライトが、壁に覆われた坂道に入り、斜面を登り始める。

 どうやらバイパスの、工事車両用出入り口にあたる側道らしい。ここなら警察も封鎖していないというわけか。

 本来は厳重に施錠されているべきバイパス壁面の非常開閉口も、完全に開け放たれている。

 デカ過ぎてずんぐりしたフォルムに見えるキャロルJのマシンは、坂を登り切るとーー側壁に覆われた無人のバイパスへと入り、腹に響く排気音を轟かせた。速度を上げてゆく。

 外車らしくギリギリの車幅を押し込め、その側道を登りきった俺もーー片側四車線の中央をサーチライトで切り裂いて走るキャロルJのバイクへと追随する。

 封鎖されたバイパスは照明もなく、ただ広い道を俺たちの排気音だけがひた走る。

 

「…………」

 

 しばらくそんな時間が続いてーー

 ーー変化は急に訪れた。

 背後から幾条ものヘッドライトが差し込む。色とりどりの光。

 光に続いて無数の排気音が迫り来る。

 当然だが、封鎖されたバイパスに併走車両なんて存在するわけがない。

 振り返る間もなくーー俺の車の両脇を、三台の大型二輪がぶち抜いてゆく。

 俺を追い抜くと三台は再び編隊を組み、前方のキャロルJの背後にぴったりつける。

 ……レース、スタートの合図だ。 

 キャロルJがいきなりエンジンを吹かした。発砲音みたいなバックファイアと共に急加速する大型マシン。

 背後につけていた三台もすぐさま反応し後を追うが……俺の車のサーチライトに照らされ、その異形はすでに明らかだった。

 両脇の二台を駆るドライバーには、そもそもヘルメットを被るべき首がない。

 中央の怪物めいた動きのマシンは……そもそも悪魔の名を冠する俺の車よりも、悪魔らしい異形のフォルムへ変貌を遂げている。

 三台の異形は、キャロルJの駆る、玉座めいた大型バイクへと猛然と喰らい付いてゆく。

 ーー四台が激しいチェイスバトルを繰り広げるその後方では。

 それを眺める俺を取り囲むように……さらなる異形と、それが放つ光条とが集まりつつあった。

 俺の車に併走し、前方のチェイスに興奮の咆哮を上げているのは……白髪頭の四足走行の着物ババアどもである。怪異ターボばあちゃんか。

 助手席窓から身を引く息子をよそに。俺は腰裏のGUMPを引き抜き、前方に向けて引き金を引く。

 フロントガラスをすり抜ける召喚光に。息子は驚いて前方を向き直す。

 召喚の雷がガラスの向こうに落ちた後には……強風に長い髪とロングスカートをはためかせ、ボンネットに立ち尽くす……造魔。ツクヨの姿があった。

 

「……!!!……」

 

 その姿を認めた息子が、声にならない吐息を漏らす。

 渇望する存在を求める腕が、届かぬフロントガラスの先へ伸ばされる。

 

「ーーTetra-karn」

 

 高速で走行するディアブロのボンネットに両足で立ち、後方を見据えるその女はーー強風に髪を乱しながら、ただ一言を口にした。

 途端……車を取り巻くターボばあちゃんどもの前方に不可視の物理障壁が立ちはだかる。

 

「「「!! ギャアアアアア!?」」」

 

 高速走行の勢いのまま物理障壁へ突っ込んだターボばあちゃんどもは派手に転倒して路面をバウンドする。視界から流れ去る。

 仕事を終え。造魔ツクヨ……ネミッサは、フロントガラスの向こうーー自分の姿に激しく反応する、幼い男の子に。

 ぱちんとウィンクを一つ返し、そして前方へと向き直った。屈んで暴風に耐える姿勢を取る。

 

「……!!?……」

 

 その返答に、助手席の息子の動きが止まった。

 ーー姿形は探し求めた母親でも。

 中身は別人だ、という事が伝わったのかもしれない。

 ボンネットにうずくまる造魔が邪魔で前方が見えない。

 俺は窓を開け、帽子を押さえて顔を出す。

 もうほどなくーーバイパスの建設中止区画に到達するはずだった。

 

「……目を覚ましやがれぇ!」

 

 果たしてーー

 ディアブロの二条のヘッドライトに。

 工事中止区間の仮隔壁前にて。

 煌々とこちらへ向けてヘッドランプを光らせる、三台のバイクの前へと膝をつくーーキャロルJの姿が見えてきた。

 愛用のギターは路面に落ちている。どうやら短時間の戦闘で仲魔も使い切り、万策尽きたらしい。

 

「……もう終わったんだよっ! 俺たちの夢はっ!」

 

 耳を弄せんばかりの排気音に声をかき消されまいと、傷だらけのキャロルJは叫ぶ。

 ーーバイクを並んで走らせる二人の若者。

 ひとりは路面を去って楽器を手に新たな夢を追い。

 人は事故で死に悪魔と化してもなお走り続けた。

 そこにどんな物語があったのかはわからない。

 二人の間にどんな経緯があったのかもわからない。

 悪魔と召喚士ーー二人を分かった運命の残酷さも、理由すらどうせ有りはしない。

 

 ただひとつ言えるのはーー力がなければ意思は通せない。

 現実という名の、鉄の掟だけである。

 

「やれやれ……

 後始末も仕事のうちだな」

 

 俺は車を横向きに急制動をかけて停めると。GUMPを手に車から降りた。

 靴が路面を踏むと同時に、上空へ飛んでいた造魔ツクヨが傍らへと着地する。

 助手席の子供がすがるような目を向けてくるが無視し、ドアを閉め戦場から隔絶する。

 三台の魔物がライトをキャロルJから俺へ向けた。わかりやすい標的変更だ。

 三体はハンドルグリップを握り、エンジンを空吹かしした。

 キャロルJはこれに倒されたのだろう。ーー突撃の予告だ。 

 俺はGUMPを手に短く命じる。

  

「ーーツクヨ」

 

 三台、六条の光条が俺へ突き刺さり、けたたましい排気音とともに膨大な質量が俺に向かって突っ込んでくる。

 

「Tetra-karn」

 

 轢殺必至の突撃は……突然現れた、俺たちを囲う不可視の障壁へぶち当たり、無惨な残骸を撒き散らし地べたに転がって終わる。

 俺は建設中途のバイパスを見やる。

 道は終わり。その先はなく。死という現実だけがそこにある。

 自らの突撃の衝撃でひしゃげ転がる異形のバイカーたちを、俺は大般若長光で冷静に突き刺す。

 こうしてーー短い戦いは終わった。

 いや。これは戦いですらなかった。単に、現実を示しただけだった。

 

 地べたに転がる異形のバイカーの亡骸が、光となって消えていく。

 マグネタイト片である光の粒子が、空に昇って溶けてゆく。

 それはーー星空のよく見えるこの街の夜空に、走ることしか知らぬ流星が。

 まるでその骸を燃え輝かせ、星座に加わらんとしているかのようにも見えた。

 墓標としては悪くない、と俺は煙草を取り出し火を付ける。

 視線の先ではキャロルJが泣いている。

 

「ーーあばよ、親友ーー!!」

 

 落涙するキャロルJは愛車のサイドボードから花束を取り出しーー空に向かう光に向けて、派手にばら撒いた。

 闇の中に舞う色とりどりの花。それは結局、空に昇りゆく光には追随できず、やがて落ちて闇色に塗れ、冷たいアスファルトへと転がる。そうしてそのまま朝露を待たず、枯れていくのだろう。

 ふう、と俺が吐き出した紫煙だけがゆっくりと空へ昇り、そして消える。

 車の助手席のドアが開く音がした。

 幼い男の子は目を大きく見開いたままーー亡き母の姿もつ悪魔へと、歩み寄ってゆく。

 造魔ツクヨーーネミッサはそれを見て。困ったように笑っている。

 どうすればいいかわからないのだろう。それも当然だ。ただ顔を似せただけの、本当の母親の魂ではないのだから。

 その小さな手が、ふわふわのセーターへと届きかけた刹那ーー

 

「ーーReturn」

 

 俺は造魔の召喚を解除した。

 ネミッサが少し寂しげな笑顔で。小さく手を振ったーー男の子に。

 男の子は想定外の裏切りに、その場に立ち尽くす。

 そのまま裏切り者ーー実の父親の顔を、まじまじと見つめる。

 

「…………。」

 

 俺はそれに目も合わせず、ただ煙草を吸っている。

 ーーこいつの考えていることはわかる。

 目の前で惨殺された母親は、自分の期待した通りーー

 不思議な術をあやつる父親が生き返らせてくれた。

 その母親へ息子たる自分が再会しようとしたのに……どうして?

 妨げるような真似を、するんだろう?

 ……おおかたそんなところか。

 

 息子は何か考えるように、母の姿の消えたあたりの地面を見つめている。

 

 ーー虚空から出現した、殺されたはずの母親。

 ーー走行するボンネットに両足で立つ、その膂力。

 ーー敵の攻撃をあっさり跳ね返した謎の術。

 ーーそして今また……俺の命に応じて虚空へとその姿を消した母親。

 ーー自分を見て浮かべる、母親らしくない、困ったような笑み。

 

 ーー『母親そっくりの姿をしたなにか』。

 

「…………」

 

 伸ばした手に虚空を力なく握り、息子は何かを噛み締めている。

 賢い子だ。

 きっと俺が何も教えずとも、言いたいことはすべて自得するだろう。

 だが。

 

 そうだな。俺は帽子を被り直す。

 ……いくら社会科見学と言えども。

 解説がなかったら、学習になんてならないよな。

 

 俺は吸殻を捨て、うつむく息子に歩み寄った。

 煙を吐くふりをして、盛大なため息をひとつ。

 小柄なその影へ煙草の煙を吹き付けると、息子は夜空を背負う俺を見上げた。

 俺の表情は帽子と逆光とで、きっと何もわからないだろう。

 

「ーーよう。怜一朗。ちゃんと言うのが遅れたが……お前。

 生き残ってよかったなあ?」

 

 何を今更、と言わんばかりに眉を寄せ、男の子は当惑の表情を向けた。

 その瞳の奥に渦巻くのはきっと……生き残ってしまったせいで経験してしまった、母の惨殺の目撃や、辛い別離や、知らぬ人達の中で心や体の傷を癒して暮らす苦痛などだろう。

 まあ少なくともーーうっかり生き残らなければ、そんな辛い目に遭わすには済んだわけだ。

 

「生き残らない方が良かった。そうお前は思っているかも知れないが。

 生きるってのは、生き抜くってのは、長い人生生きていくってのは……そういう事じゃない。

 まず。大前提として。お前自身が、生き残る事が大事なんだ。

 何をおいても、たとえ何を犠牲にしてもだ。

 ーーそうでなければ生きられない」

 

 ポンポンと気安く頭を撫で。

 わかるか? とごく当たり前のことを尋ねる俺を、息子はあまり父親を見るでもない目で見返してくる。

 一応、頷きは返してきた。

 俺とこいつの距離ならば、まあそれだけでも上々の返答と言えた。

 

「そしてもうひとつ。それと同じくらい、大事な事がある。

 生き残るのと同じ事だけど、まったく正反対の違う事でもある。

 ……わかるか?」

 

 路面に膝をつくキャロルJの辺りを見て言う俺に、男の子は首を横に振って見せた。

 俺は夜空に消えゆく悪魔の残滓……マグネタイト光を指さした。その光は薄れて儚く、上空に弱々しく煌めくばかりだ。

 

「『死に残らない』ことだ。

 死に残らないってのは……死に臨んでは、何も残さないって事だ」

 

 俺が口にしたあまり聞き覚えのない言葉に、男の子は首を傾げる。

 まあそうだろう。

 心と体に重傷を負わされてなおしぶとく生き延びて、『生き残る』ことについては理解が及ぶだろうが。

 『死に残らない』、なんて言われてもきっと想像できないに違いない。

 

「……死ぬときは死ぬ。いさぎよく死ぬ。

 想いを。願いを。未練を。轍を。残さない」

 

 俺の視線は、路面に醜く刻まれたブレーキ痕をなぞる。

 ここが亡くなった依頼者の息子とやらの事故現場なのかどうかは知らないが。

 生の痕跡にしてはあまりに生々しく。そして死の痕跡にしてはあまりに悲痛過ぎる。

 誰しも。誰一人として。こういうものを残してはいけないのだ。

 残された痕跡が……悪魔召喚のよすがとなる。

 喚び出された悪魔は本人とはかけ離れた暴走を繰り返し……そして、目の前に転がる機械の残骸。ーーこれが結末だ。

 

「たった今ーー見たばかりだろう?

 死に残ってしまうと……ああいう事になる。

 本人もきちんと死ねないし、また残された人も苦しみ続ける」

 

 俺は、朽ち果てた機械を前に地面に膝をつき慟哭するキャロルJと、それを地表に置いて去るマグネタイト片とを指さす。

 息子はどこか遠く、悲劇を観劇するような目でそれを眺めている。

 

「そういうのをどうにかするのが……お前の父親の仕事、というわけだ」

 

 俺がGUMPに目を戻すと。一緒に戻ってきた息子の視線は、やや熱を帯びていた。

 きっとーーその中に納められた母親の似姿に、死を覆す……大変な奇跡を見ているのだろう。

 きっと皆が従わねばならない都合の悪い法則さえ捻じ曲げて我意を通す、とんでもない裏技の使い手でも見ているつもりなのだろう。

 だが。

 俺が言いたいのはーーそうじゃない。

 そうじゃないんだ。

 

「……だから……なあ? 怜一朗……。」

 

 キャロルJの号泣を背景に。息子の正面に立ち、俺もまた路面へ膝を落とす。

 まるで懇願するように。

 ーー息子の細い両肩を掴み、そのままゆっくりと抱きしめる。

 

「……すべて片付いたら……。

 お母さんを……。

 もう、楽にして、あげよう……」

 

 その提案を脳が理解するまでの一瞬の後。

 俺の両腕の中で、幼い身体がーー固く強張った。

 

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