* * *
上昇してゆくエレベーターの中、俺は天井を霞ませゆく紫煙を見つめた。
ここから先はどうなるかわからない。
後方に佇むそいつへ、俺は肩越しに声を放つ。
「……無理についてこなくてもよかったんだぞ」
まあもうひとつの理由としては、みっともないところを見られたくない……というのもある。今さらだが。
ポケットに手を突っ込んだままの問いかけには、即座に反発が返ってきた。
「まさか。ーーアタシの復讐でもあるでしょう?」
その返答に、へっ、と笑う。
脳裏に結ぶのは一人の女の姿。不幸なまま死んだ女。
俺は背を向けているから、ネミッサが今どんな姿をしているかはわからない。
きっと。ネミッサは、ただ……電子化によってマニトゥから切り離され、「マニトゥに死を与える」という本来の役目さえ果たせなくなったネミッサ自身が、ファントムへ果たすべき復讐……って意味で言っただけなんだろう。
死への復讐と、永遠に続く生への復讐ーーか。
対極的なその両方が、同時に行われるなんてこともあり得るんだな。
地の底と天上を繋ぐエレベーターは、静かに俺たちを運んでゆく。
* * *
「フンーーついに来たか」
次官室の扉を開けると、正面奥の執務机、黒皮張りの背椅子に腰掛ける男の頭が見えた。
最上階の窓から人間どもの街を見下ろしていたらしい男は、椅子を回転させ振り返る。
「シェムハザを倒した程度で調子に乗り。この私の元へ乗り込んでくる浅慮を悔いるがいいーー反逆者どもめ、……?
お前たちだけか? クズノハはどうした?」
拍子抜けという様子で次官室の主ーー西は、不思議そうに訊ねてくる。
「ーーサタナエルの処にでも向かったのか?」
「サタナエル……? あいつも此処に居るのか?」
予想外なビッグネームが飛び出してきた。サタナエルもまた、ファントムの幹部としてよく名の挙げられる悪魔だ。
初耳といった様子の俺を見て、西は不可解そうに眉を上げる。
「この私でもサタナエルでもないなら……クズノハどもは一体、何を標的にしているのだ?」
「いやーー野良のサマナーが一人、暴れててな?
お前たちより厄介そうだから。倒しに行ったところだ」
組織ゆえ動きの鈍くなるファントムより、現在進行形で暴走中の桜井の方が優先対処対象となるのは仕方ない。
俺の返答にーー西は沈黙し、そして噴き出すように笑い始めた。
「ふっーーふははははは!
だからお前たちだけで十分、というわけか!
この魔王アザゼルが、こうも軽く見られるとはなぁ!」
笑う口元。しかしその上の双眸は怒りで真っ赤である。
俺は黒帽子を直しながら。返済期日の到来を告げる。
「アザゼル。俺の記憶が正しければ……
確かお前には、でかい貸しがあったよな?
今日はそいつをーー取り立てに来た」
GUMPを抜きトリガーを引けば。召喚光に照らし出される俺の全身は、心地よい暴風に包まれる。
暴力のーー復讐の時間だ。
ここから先は何も考える必要がない。
「……人間風情が。抜かせ……!」
西は椅子から立ち上がり、片手の一振りで執務机を粉々に消し飛ばすとーー赤黒く脈動する全身がその姿を変えてゆく。
真紅の肌に漆黒のマントを纏い、唇から突き出す長い牙はさながら吸血鬼の高位貴族だ。
これが。西次官を装う悪魔の本来の姿ーー魔王アザゼル。
:魔王アザゼル LV68
:HP8550 MP1196
:力22
:知15
:魔19
:耐23
:速14
:運12
: 使用特技
:ディアラマ
:タルカジャ
:回転斬り
:べノンザッパー
:ギロチンフェイク
仲魔を次々に召喚しながら。俺は彼我のステータスを比べ見る。
:ウラベ LV55
:HP623 MP297
:力11(9)
:知9
:魔4
:耐18
:速35(37)
:運7
:大般若長光
:ナンブ百式
:神経弾91
:アーメット
:マクシミリアン
:ラウリンの指輪
:ミラージュブーツ
: 使用魔法
:キョウ
:ハ・キョウ
:シ・キョウ
:メタモディ
そのレベル差は13と、実に大きく開いている。
だがーーサマナーの戦力とは、個人の戦闘力に留まるものではない。
……俺は、ずっと考えていた。
あの海天楼で。こいつのステータスを見た時から。ずっと。
「Summon:Geng-bu,Kukuno-chi」
俺は両脇に神獣ゲンブ、神樹ククノチを召喚した。
「……フン。この期に及んで何を喚び出すかと思えば。
お得意のーー亀卜(きぼく)ではないか」
鼻で笑うアザゼルの指摘通り。
俺が召喚したのは、卜部本来の家伝である亀卜ーーそれを模したとも言える仲魔達だった。
亀卜とは古代に伝来した占術にして、卜部の家門を以て任じられた賜職の御役目でもある。
この占いには亀の甲羅を用い、そこに焼けた桜の枝を押し当て、甲羅の割れ方を判じてさまざまな未来を占うというものである。
ゲンブは四聖獣中の亀。そしてククノチは木の神である。
「古ぼけた占術を引っ張り出してきおって……。
そんなものでこの私に勝てるつもりか?」
それが古い血にしがみつくお前たちの限界だ、と魔王アザゼルは嘲り笑う。
確かに、魔王アザゼルの目からすれば。国家守護という大昔に命じられただけの御役目にいつまでもしがみつき、とうに時代遅れと成り果てた武具を磨き続けるだけの原住民ーーくらいにしか見えないことだろう。
さも、後生大事に守ってきた秘蔵の悪魔を持ち出して、身の程知らずにも魔王に戦いを挑んできたようにも思えるだろう。
だがーーそうではない。
復讐を果たす為には、お前を殺す為には……
古ぼけた家門が神格化し大事にしてきた、この二体こそが最適であるのだ。
黒帽子の鍔と長髪の奥より、俺は静かに妻の仇を見据える。
「なら、試してみるがいい。
ウラベの亀卜(きぼく)ーー如何程のものか」
「ほざけ……!」
戦いが始まった。
開幕、アザゼルの繰り出すべノンザッパーが俺たち前列を襲うが、速度に優る俺が先んじて使用した物反鏡がすべてを跳ね返す。だがアザゼルは物理耐性持ちなので大したダメージも跳ね返らない。
自身の攻撃で手傷を負いつつもーー俺の手元を見てアザゼルがニヤリと笑う。見抜かれた通り、物反鏡の残りストックはもう無い。今ので底を突いてしまった。
アザゼルは続けてべノンザッパーを繰り出し俺たち前列へ被害を与えるが、後列のネミッサがメディアラマを唱え全快させたのを見ると、全体攻撃である回転斬りに切り替えてパーティ全体を攻撃してきた。
ダメージを負うネミッサだったが、それでも毎ターンの回復術行使で自分を含めた仲魔たちを全快させ続けているのを認めると、アザゼルは急に攻撃の手を止めた。
そのままーー補助魔法、タルカジャを唱え始める。
「ふふ。頑張るではないか……だが、こいつならどうかな?」
その回数、実に四度。
タルカジャ四度の重ね掛けによって攻撃力最大強化にまで到達したアザゼルは、満面の笑みで回転斬りを繰り出す。
「これほどの重い一撃であればーー回復の暇もあるまいっ!
喰らえっ!」
一撃全滅を期して繰り出された攻撃は……しかし、俺らのHPを半分削る程度に留まる。
なに、と息を呑むアザゼルへ俺はほくそ笑む。
今の一撃が期待通りに全員の命を刈り取らなかった理由は単純だ。
それは、ゲンブの使用魔法にタルンダとラクカジャという反則コンビが揃っているためである。
タルンダは敵の攻撃力を下げ、ラクカジャは味方の防御力を上げる。どちらも四回まで重ね掛け可能である。
そしとアザゼルのかけたタルカジャと、ゲンブのタルンダとは共に効果を打ち消し合う。ゆえにアザゼルは最大強化状態でもなんでもなかったわけだ。
俺は戦闘開始後、ゲンブにまずラクカジャの四回掛けを命じ、その後はずっとタルンダを唱えさせ続けていた。
それゆえ、アザゼルがタルカジャ四回掛け直後に回転斬りを放ったところで大したダメージが出るはずもなかったのだ。
そして。ゲンブが防御を固める一方でーーククノチは衝撃術であるザンマを唱え続けている。衝撃属性はアザゼルの弱点属性でもあるので、なかなかのダメージを蓄積している。
「……くそっ! たかが占いの家系と侮ったかっ!」
このままでは手数で負けると見て、アザゼルはまた戦法を切り替えた。これまで使って来なかった技、ギロチンフェイクを放ってくる。
「おっとーーそいつも読んでる」
「なにぃ……!?」
俺は後列の空きスペース二つに、幻獣ベスと地霊プッツを召喚した。
この懐かしい仲魔たちとは、かつて彼らが造魔の合体材料として自発的に身を捧げてくれた為に別れる結果となっていたものの、俺が業魔殿のヴィクトルに金を払う事で、あらかじめ悪魔全書に登録させてあった、かつての仲魔達を再召喚したものだ。再会できて良かった。
急にレベル10代の仲魔を召喚し始めた俺を見て、レベル68の魔王アザゼルは目を丸くしている。
「貴様、正気か……!? ここでそのような弱い悪魔を喚び出して、一体何になる……!?」
「知ってるぜ。お前の使うその技ーーギロチンフェイクは、ランダムに仲魔をCOMPへ戻したり、あるいは瀕死にしたりするんだってな?
有名ってのも考えものだよなあ、アザゼル?」
「クッ……!」
毒づくアザゼルが狙っていたのは、ギロチンフェイクによるこちらの頭数・手数の減少だ。またゲンブさえ召喚解除できればタルカジャ重ね掛けへ対抗できる悪魔もいなくなる。
しかし。乱数で命中するような大技には、その乱数を広げて対抗するに限る。
つまりーー召喚可能な仲魔の枠を限界まで埋めることで、単純に(戦力たる仲魔への)命中の確率を下げる。そして、新たに召喚したのも低レベル悪魔だから、ギロチンフェイクが命中して召喚解除されたところで戦列に支障はない。
ベスやプッツ、それにリャナンシーでも、囮……デコイとしての役割をしっかり果たせるわけだ。
「ぐはっ」「げふっ」
まあこんな風に、全体攻撃であっさり退場してしまう事もあるが……。俺は空いた後列へリャナンシーを召喚する。
ギロチンフェイクは一度だけネミッサへ着弾して瀕死に追い込むものの、回復の手数の充実した俺たちには問題なくリカバリーが可能だった。
そうこうしている内にーー万策尽きたアザゼルは、既に満身創痍である。
真っ向より振り下ろされた俺の大般若長光の一刀を浴び。苦悶の声と共に後退した魔王アザゼルは、総身を朱に染めつつも濁った獅子吼を轟かせた。
そのまま、回転斬りの構えに移る。
「「……」」
俺は素早く首を振り向け、ネミッサと短くアイコンタクトを交わす。
少し驚いたような色のまま、ネミッサはその瞳を閉じる。
俺はGUMPのトリガーを引き、新たな召喚光が溢れ出す。
「Summon:Tsukuyo」
ネミッサの身体が力を失い。
その眼前へ光と共に出現したのは、新たなる召喚魔。
長い黒髪をなびかせ、亡き妻の面影を留める……造魔ツクヨ。
「Tetora-karn」
その女は自らの仇へと両腕を差し伸ばし、光る障壁を展開する。
光の壁に跳ね返された回転斬りは六撃、魔王アザゼルの身を深々と穿つ。
マントの内側から弾ける赤は、闘争の終結を如実に物語る。
沈黙。
「……グ……くくく……」
西はーー魔王アザゼルは、笑っていた。
それは己が処刑を命じた女からとどめを刺される、運命の皮肉にか。
あるいは飼い犬や手駒を制御できず噛み殺される、自身の不明にか。
口端より血を零すその凄惨な笑みは、どちらとも読めない。
「……もはや、手遅れよ……マニトゥはわが手綱を離れた。
やつらは世界中へ拡散し、やがてーー」
遺言を最後まで告げぬまま、アザゼルはどう、と倒れ伏した。
完全に命を失ったその身は光の粒子と化し、そうして召喚前の世界ーー魔界へと還ってゆく。
仇の最期を油断なく見届けてから。俺はようやく手近な壁へともたれかかり、みっともなく上体を折って、えずくように忘れていた呼吸を繰り返す。
……すべては、短い時間の内に起きた出来事に過ぎないのかも知れないが。
ここまで長かった。
長いーー永い、戦いだった。
ようやく終点まで辿り着いたが……古傷だらけの俺には、少々長過ぎたらしい。
ゆるやかに解けてゆく意識の中。煙草を取り出し、火をつける。
(月世。ーー仇は、討ったぞ)
ぼんやりと目を向ける先には、物言わぬ妻の似姿ーー造魔ツクヨの姿がある。
おのれの仇を討った形になる妻だが。妻自身の意識は、ついぞ戻ることはなかった。いまも片眉を上げるネミッサの表情で、心配そうに俺を見返しているばかりだ。
……しかし。
ネミッサがこうして、造魔の中に居るということはーー
(どうして……動かなかったんだ……?)
……ネミッサから解放され、すでに身体の自由は取り戻していたはずだ。
……組織への帰参の願い出先だった、大幹部が討たれようとしていた局面だ。
……背後から割って入り、俺を殺ることだって出来た筈だ。
なぜこいつはーー動かなかった?
肺の中に残る煙を吐き出すと。ゆっくりと立ち昇った白い筋へーーもう一条の紫煙が絡む。
その下に佇むサングラスの男は、葉巻を咥えるまま何も語らない。
……フィネガン。
「…………。」
全てを出し切った身体は力を失い。預けた背が、ずる、ずると壁をずり落ちてゆく。
緩やかに閉じてゆく瞼の下、最後に見たのはーー
無言でこちらを見下ろす。なんの表情も読み取れない、フィネガンのポーカーフェイスだった。