* * *
ーー二上門地下、二神の旧座地。
かろうじて通電しているようなサーバマシンの山。
前に俺らが来た時はこんなものは無かったから、ファントムかアルゴンが運び込んだのだろう。
目的はーーマニトゥを現世の絶対神にするため、あたりか。
ネット回線を通じて世界中から人々の魂を収奪する存在は……もう唯一絶対の神とも言えるだろう。
まあ俺らというか桜井がそれは阻止したが。
野望の残骸へかがみ込む俺に、後方からネミッサが問う。
「どう?」
エネミーソナーは一切の波形を示さない。
すなわち。サーバの中に収められていたはずのマニトゥはもうここにはいない。
GUMPのモニタから顔を上げ、俺は答えた。
「予測していた通りーー抜け殻、だな」
今のマニトゥはもう、その存在をサーバに依存しない。
電波塔を破壊された以上、世界中に影響をおよぼす為には、マニトゥは電子化された存在のままでいるメリットが最早ないからだ。
……地下に降りる直前、葛葉たちから連絡があった。
なんでも天海モノリス外壁全面に、まるで悪魔の受肉のようなーー巨大な肉蔦がまとわりつき、攻撃してもまるで効いていないらしい。
察するに、おそらく破壊された電波塔の代役を果たす何かなのだろう。
マニトゥは実体を取り戻しーーそうして自らの力で、直接に世界中から数多の魂を収奪しようとしている。
もともと持っている「魂の自動収集器」としてのマニトゥの機能に、明確な意志と方向性を与えたのは。
その実体を捧げたであろうーー
「門倉のしわざ、か」
俺の回答にネミッサは短く頷いた。
そのまま遺跡の最奥、わだかまる漆黒の闇へと目を向ける。
サーバが積まれたかつての祠堂から出た俺たちの前には、対となるもう一つの祠堂と、そしてさらに奥へ続く参道がある。
かつて俺たちが両方討伐した二神は、「二上門」ーーこの地の地名にも冠されるほどの存在であったが。
神門とは結局、門番の詰める神域入り口でしかない。
普通に考えれば神門の奥には、二神の影に隠された真の信仰対象……名すら伏された秘神が祀られているはずなのだ。
今となってはその神の名を知る由もないがーー
世の人の魂を奪わんとするマニトゥ、ひいては門倉がおのれに相応しい御座所として奪うとしたら。
この奥にあるだろう「秘殿」しか有り得ない。
「……行くぞ」
より濃くなりゆく死の気配を散らすように、俺たちは闇の奥へ歩を進めた。
* * *
ーー地下遺跡最奥、玄室前。
どうやらここは祭祀場というよりも墓所だったらしい。
古代の墓所めいた石扉から青い光が漏れている。
俺はその隙間に一瞬だけ面を覗かせ、そして扉脇に伏せる。
玄室内には立ち尽くす異形がひとつ。
俺は今見た情報を整理する。
:大霊カドクラ
:LV74
:HP10595
:MP1196
:力19
:知17
:魔23
:耐20
:速16
:運10
:使用魔法特技
:マハジオンガ
:テトラカーン
:異形胞子飛弾
:極光大破斬
:アギラオ
:からたけ割り
そのまま、横のネミッサに今見た敵ステータスを説明してゆく。
マハジオンガとアギラオは、まあ魔23程度であればそこまで脅威ではない。ネミッサの魔は既に倍近い。
テトラカーンも速16程度ならばほぼ無意味だ。俺も仲魔も先んじて行動するし、それにネミッサが物理攻撃する局面などないだろう。
異形胞子飛弾はランダムにバステを付着させてくるのが厄介だが、リカバリー役なら俺がターン頭にやればいい。トリアージとしては、麻痺は即治すとして、毒は後回し、爆弾化したらcompへreturn。俺自身が爆弾化した場合は……治るまで魔反鏡立て続けるか。まぁ放置でも数ターン経過で治るし、そもそも付着率自体そこまで高くもない。
からたけ割りは強力だが、単体対象で単発だ。さほどのダメージは走らない。
そう。カドクラの持つ技で、最も警戒すべき技は……
そこまで考えたところで。一気にあふれだす脱力感に、俺は床石へと両膝を落とす。床に両手をついて俯き、失意体前屈のかまえを取る。
「…えっ? なに突然、どうしたのウラベ?」
唐突な絶望姿勢にビビるネミッサに、俺は押し殺した呻きを漏らす。
「……物反鏡と……魔反鏡を!
MAXまで揃えた、意味……!!」
そうなのだ。
俺の徒労感の理由は、カドクラの残るひとつのーー最も警戒すべき特技にこそあった。
極光大破斬。列全体四回攻撃という、実に強力な範囲攻撃なのだが。
なんと、この攻撃属性は物理でも魔法でもなくーーつまりテトラカーンもマカラカーンも反射の類が一切効かないのである。
アイテム係タイプのサマナーとして速をほぼ上限値まで上げ、ターン頭での反射障壁展開を確実にし、その上でわざわざカジノで稼いで、物反鏡と魔反鏡をそれぞれ上限10個まで貯めてきた俺涙目である。
戦術と戦略と育成方針が全部無駄になった瞬間である。
まあ……速ステータスは回避も上げるし、また他のアイテムをターン頭に確実に使用することは出来るから、仕事が全部なくなったってわけじゃないし。それにカジノで入手してきた最強装備や他のアイテムは普通に役に立つんだから、準備すべてが無駄になったってわけじゃあないんだが。
「カベ立て係はクビってわけね……」
「やかましい。作戦を練り直すぞ」
ふたたび立ち上がる俺は。石扉の隙間より覗く大霊カドクラに、極光大破斬を乗り越えて勝つ方法を探す。
反射が使えないのならーーまあ、答えは簡単だ。
素のステータスで耐えるしかない。
素のステータスでは耐えきれそうにないなら……
ステータスを底上げするしかない。
よし。作戦は決まった。
「ネミッサ。攻撃反射は無くなったが、それ以外はそのままで行くぞ」
「まさかの無策!?」
失敬な。本来の作戦を一部活かすだけだ。
驚くネミッサに構わず。俺は玄室の石扉に手をかけ、勢いよく引き開ける。
「ーー……。」
重い開扉の音に振り返る、部屋中央のカドクラだったがーー宙に浮いており、その姿はすでに異形化著しい。
額にあった菱形の傷跡からは大理石のような質感の、アンテナめいた一角が突き出し。
ズレたサングラスの下からは左右異なる色の瞳が覗く。
左右染め分けていたように見えた頭髪も、今となってはマニトゥの憑依により片側だけ色が抜け落ちたのだとはっきりわかる。
そして。何よりも変貌を遂げているのはその五体だった。両手両足と全身は完全に白木のごとき木肌に覆われ膨らみ、また剪枝の跡のような切り株がその表面を埋め尽くして、さらには無数の切り株の上にそれぞれ脈動するのは、梵字めいた刻印である。
俺はかつて、ネミッサから垣間見たーーマニトゥ本来の姿を思い出す。光の胞子の雨を降らす、霊樹の巨木。
門倉ーー今のカドクラは、もはや人よりも樹の姿に近い。
唯一、人の姿を留める頭が振り仰ぎ、俺たちを認めてその口唇より言葉を漏らす。
「私ノ収集ヲ、邪魔シニ来タノカ……?
サクライ……?」
それは門倉の言葉なのかマニトゥの言葉なのか。
どちらにせよーー俺の返答はひとつである。
「悪いな。人違いだ。
だがーーお前を止めに来たのは、間違いじゃない」
そしてやる事は変わらない。
俺はようやく、一番最初に請けた依頼を口にした。
「レッドマンからの依頼だ。マニトゥ。
お前に、死をーーネミッサを。
届けにきた」
死の歌の名前を耳にし。
「ーーウ……グオオオオオオッ!!」
カドクラは否定するようにその樹勢を震わせる。
それはもはや、子供が駄々をこねているようにしか見えなかった。
俺は後ろのネミッサと顔を見合わせ、頷く。
さあーー死と向き合う時間だ。
フライトジャケットの内側からGUMPを抜き、その引き金を引く。
「SUMMON:Zaou-gonngenn.Marishi-tenn.Genn-bu.Murasaki-kagami」
俺が召喚した仲魔は四体。前列の破壊神ザオウゴンゲン、鬼神マリシテンは「スティーブン」でレベル差を無視し合体作成したものだ。消費マグネタイトは痛いが……この戦いの為に無理して喚び出した。後列の聖獣ゲンブ、怪異むらさきカガミは以前の戦いでも戦列に加えている。
レベル帯もばらばらで統一感のない構成だが。俺の狙いはシンプルである。
「ーー……!!」
カドクラは俺の放つ召喚光を無感動に見下ろし。
ーーそうして戦いが始まった。
「Item:Theo-metol」
開幕初手。まず俺とネミッサは、テオメトルを使用する。カジノで分捕ってきたこいつは、一戦闘中のみ最大HPをハネ上げ、そのタフネスにより死ににくくする。
無論ーー極光大破斬への対策だ。一撃で四発食らって即死は避けたい。
仲魔四体はそれぞれ、補助魔法ーースクカジャ、タルカジャ、ラクカジャ、マカカジャを唱え、回避攻撃防御魔攻のステータスを一段階ずつ上げてゆく。狙いはもちろん、パーティ全体の能力底上げである。極光大破斬は反射が効かない以上、ステータスアップで耐えるしかない。
ちっぽけな人の業を見下ろすカドクラの角先に、宿る雷光。
カドクラは小手調べの如く、全員へとマハジオンガを放ってきた。ダメージはまあまあで、幸い感電した者も出なかったがーー俺は惜しみなく宝玉を使い、ターン頭に自身の傷を回復させる。加えてネミッサもターン末尾の全体回復を見越して、メディアラマの準備に入る。
大した傷ではないからと回復を後手にし、四回攻撃で一気に刈り取られてはたまらない。
誰も攻撃行動を取っていないが……カジャ系で四段階のステータスアップが完了するまでは、まだ攻勢に出る気はない。
俺は残る仲魔へのテオメトル使用、ネミッサはターン末のパーティ全体回復に専念し、仲魔の補助魔法継続を支援し続ける。
カドクラがその樹身をぶん回し、回転突撃の構えに入る。
ーー来た。極光大破斬だ。
「……きゃああっ!」
身構える俺の眼前で。極光大破斬は俺を通り過ぎ、後列へと着弾した。振り回す四連の斬撃を受け、悲鳴をあげるネミッサは瀕死に近いダメージを受けている。テオメトル使用が無かったら戦闘不能に陥っていただろう。
もともと耐久の高いゲンブは耐えたが、むらさきカガミはあっさりと砕け散り召喚解除された。まだ強化は途中だったのだが……マカカジャ使用はここまでで諦めるしかない。
ターン末のネミッサのメディアラマで残る後列は全快した。俺は空いた後列の穴に、精霊ニギミタマを召喚する。むらさきカガミともども、はじめからおよそカドクラの攻撃に耐えられるレベルの仲魔ではないのだが、仲魔の戦闘不能による召喚解除は折り込み済みだった部分もある。
四段階のカジャ強化が済んだら次は、すみやかに四段階のンダ弱体化を仕掛けたい。カジャ強化を担う仲魔が戦闘不能で離脱するのはマイナスだが、returnの手番を省略してンダ魔法使用仲魔のsummonだけで済むという、手順の短縮を狙えるプラスもあると言えばある。
精霊ニギミタマはスクンダを使い、相手の命中と回避を下げてゆく。四連攻撃には命中力低下が通常の四倍効果がある、と表現することもできる。
4ターンを無事生き残り、強化が完了して役目を果たした仲魔三体は次のロールへ移ってゆく。前列のザオウゴンゲンとマリシテンはATTACK。強力な物理技も持ち合わせているがHPを消費するため使用しない。いずれも頑強な仲魔だが、減ったところへ極光大破斬が全弾直撃したら一撃退場もあり得るからだ。テオメトルの使用を終えた俺もその戦列へ加わり、肩を並べてエンペラーソードを振るう。
ゲンブはラクカジャに加えタルンダも使えるので、防御力四段階強化の後は攻撃力弱体化に専念してもらう。まあ8ターン後には仕事がなくなる上に後列からの攻撃手段がないため以降はguardだけ繰り返す置物の亀と化すのだが、敵攻撃の標的を散らすタンク役として居るだけでも役には立つ。
ニギミタマは二回スクンダをかけた辺りであっさり退場した。まあ低耐久力なのでしょうがない。またすぐに空いてしまった後列の穴へ、俺はストックに残る最後の仲魔、狂神アラミサキを(仕方なく)召喚しておく。狂女アラミサキは安定のヤンデレムーブ、両手で頭を抱え奇声を上げながらただ闇討ちを連発している。こいつどんな時でも戦略とか作戦とか一切無縁の存在だな。
ーーネミッサがターン末回復に専念し続け。
ーー攻・防・命中の四段階強化が生き残り仲魔によって為され。
ーー攻撃力弱体化も四段階、命中力弱体化も二段階だけだが為された。
ここまで到達できれば……最早、極光大破斬が全弾命中したところで誰一人として落とされることはない。
余裕ができたザオウゴンゲンとマリシテンにも物理スキルを用いて攻撃させ始める。(アラミサキは最初から言うことを聞かない)
攻め手に決め手を失ったカドクラに対し。俺たちの物理攻撃が波状に炸裂し続けーーそしてついに。
総身の傷より樹液めいた液体を噴き出すカドクラは地に堕ち、切り株だらけのその膝を折る。
うなだれた首がーー額の角の発光と共に起こされる。
「ーーウグアアアアア!」
白く輝く角が爆散し、目を灼く閃光が収まるとーーそこには。
人の名残を残していた頭部すら失い、もはや奇妙に千切れかけた妖樹そのもののような姿へと変貌した、大霊カドクラ……いや。
大霊カドクラ改め、大霊マニトゥ。
窮地に追い込まれ、ようやく真の姿を現したというわけか。
ここからが本番だ。
どんな攻撃が新たに飛んでくるのか。対策を考えるべく、俺はそのステータスへと目を凝らす。
:大霊マニトゥ
:LV82
:HP22647
:MP1192
:力16
:魔16
:知20
:耐23
:速18
:運13
:使用特技
:異形胞子飛弾
俺は叫んだ。
「弱っ!?」
なんだこのレベルにそぐわない低ステータスは!?
しかも特技もひとつきりかよ!?
……そういえば。
俺は地下に潜る直前、ユーイチから受けた着信を思い出した。
自分も役に立ちたかったというユーイチは、ファントムの資料をハッキングし調べたのだという。それによるとーー
『旧神の鎮座地へ安置したマニトゥは、旧神の属性を引き継ぎ、同じ弱点を持つ様子だ』とのこと。
つまりーー
ティアマトとアプスー。二柱の旧神を、俺らはどちらも倒してしまった。(ファントムはそこまで頼んでなかったが)
ファントムはその旧座地にマニトゥを収めたサーバを安置したため。
物理にも魔法にも弱いマニトゥの爆誕である。
「なるほど……。アレのせいか……」
ちょっと計画の邪魔してやろう、くらいのつもりだったんだが。
せっかく真の姿を現したのに、さっきよりも遥かに弱くなってしまっている大霊マニトゥ。
雇われが余計なことしたせいで見事に立つ瀬が無い。
「ギャ、アアアアアア!」
ちなみに強化も弱体化も、同じ戦闘中扱いで継続したままらしく、それも相まってーー俺の振るったエンペラーソードは、驚くほどさっくりとマニトゥの樹身を切断した。
仲魔たちの攻撃もみな、恐ろしいほどのダメージを叩き出している。
回復の必要も薄れ、攻勢に加わったネミッサもアギダインを叩き込んでいる。
ほどなくしてーー
大樹の裂ける音と共に。マニトゥの樹身は砕け散った。
* * *
ーー地下の石造りの玄室に居たはずなのに。
俺たちの目の前にはいつしか、光る巨木の姿があった。
きっと幻影だろう。現実に存在するとも思えぬくらい齢を重ねた幹を有するその大樹は、まるで天蓋のごとき梢から、音もなく光の雨を降らせている。
意思あるがごとくに四方八方へ散らばりゆくその光はおそらく、落ち葉ではなく胞子(スポア)なのだろう。
以前にもネミッサの記憶で垣間見たーーこれがもともとは北米に息づいていた、マニトゥ本来の姿か。まさに世界樹だ。アメリカの原野に生きたレッドマンたち先住民の信仰の対象になるのもわかる気がする。
だがマニトゥは人を見守り導く神などではない。宇宙の彼方より飛来し、現地生物の魂を収集していずれ持ち帰るだけの指先に過ぎない。指に感情はない。
その指が覆うーー屋根のような光の大傘の下に、ひとりの男が傷つき倒れている。
門倉は全身余す所なく朱に塗れ、その口からは血の泡を吹き、死の床にあることが一目で知れた。
サングラスが外れた眼はーー今まさに己が死にゆくという、この世の理不尽を呪っているようにも見えた。
その、左右で色の違う髪と目を見てーー俺は思う。
しょせんは指先に過ぎぬものを神と祀り上げようとしたのが、こいつの過ちだったのだろう。
レッドマンも門倉も、おそらくマニトゥに何かを強く願った。マニトゥは彼らの身体の変貌と引き換えに、その願いを叶える力を授けたがーー指先が返すのは熟慮返答ではない。ただの反射だ。
レッドマンはそれを理解し、そして門倉には理解できなかった。いや、したくなかっただけなのかもしれない。仮にわかっていたとしても、自身に恐るべき才や能を「白く焼き付けた」相手がーーただの自動機械に過ぎなかったのだとしても。門倉はそれを「しょせんは道具の扱いを知らぬ子供の事故」と片付けることはできなかったのかもしれない。
通りすがりの自身とマニトゥとの間に特別な関係を見出し、求められてもいない多くの供物を差し出し、期待されていない信仰という形へ昇華させることでーー単にランダムで発生しただけの貰い事故を、特別な得難い奇跡にしてしまいたかったのかもしれない。
本当のところはどうだったのかは、もうわからない。
もはや喋れぬ門倉は、その口から血泡を吹きながら、樹下にとめどなく涙を流すばかりだ。
その時ーー隣に佇むネミッサの身体から、白い影のようなものが抜け出た。
刺青のような、装飾のようなーー不可思議な紋様に覆われる白い女。その半透明の影は、巨木の元に倒れ伏す男を目がけて飛ぶと……ひときわ白く光り輝いた。
白い閃光が収まると、そこにあったのはーー地に伏す男をやさしく膝枕する、白い女の姿だった。
女はまるで子守唄のように、何かを口ずさんでいる。その歌は俺の耳には届かない。しかし女の口が一語一語を刻むたびに、頭上の大樹の白光は明滅し、やがてその光量を落としてゆく。
女の手が膝の上の男を撫でると。その白い髪は黒く染まり、白い眼球も元の黒瞳へと戻った。
まるで照明を落とすように、世界から白色が消えてゆく。
けして聞こえぬ死の歌を。死すべき存在にのみ聞かせながらーー女は最後に、俺の方を振り向いた。
言葉を届けぬ唇を動かしかけーーその事を思い出したかのように、笑顔で掌を振る。
俺もGUMPを握るままの片手を上げ、軽く振る。
別れの挨拶だ。
白い光が消えてゆく。白一色で描かれた絵が、まるで黒板を消すかのように消えてゆく。
女は笑顔のままーー背後の巨木とともに消え去った。
あとには何もない。殺風景な石の玄室が広がるばかりだ。
「ーー……」
硬質な空気を埋め尽くすのは、墓所に相応しい静寂。
ようやくにして頼まれた仕事は終えたが。
……まだ終わりじゃない。
俺はGUMPの引き金を引く。
「SUMMON:Tsuku-yo」
派手な召喚光と共に。俺は彼女を召喚した。
造魔ツクヨ。
腰までの黒髪を揺らすふわふわセーターにロングスカートの彼女だが。
その面に表情はなく、静かに目を閉じるばかりだ。
ーーそれも当然だ。
かつてネミッサと仲魔たちが、いまだ現世を彷徨う妻の魂に造魔という仮初の肉体を与え、強いてこの世に喚び戻したのがこの造魔ツクヨなのだ。
しかし月世の魂は安定せず、その姿形こそ生前の姿を取り戻したものの、魂は眠り続けたまま。ネミッサが乗り移らないと動かすことさえできなかった。
そのネミッサは今まさに、死の歌と共に消え失せた。
去るべきところへ去ったのだ。在るべき姿へと還ったのだ。
ネミッサという重石が消失した造魔ツクヨも。ほどなく元の、ドリー・カドモンへと戻るだろう。
すなわち。これまで押し留められていた妻の魂も、ついにーー往くべきところへ、往かねばならない。
俺ひとりを遺して。
「…………。」
黒帽子を直す俺と、瞑目のままに佇む月世。
相対する二人の時間はもう尽きようとしている。
が……どちらも語りかけることはない。
月世はきっともう喋れはしないのだろうし、
それに俺はーー何かを言う資格すら持ち得ない。
だってそうだろう。結婚してから今の今まで裏稼業、妻には苦労をかけ通しだった。せっかく生まれた子の世話も妻ひとりに押し付けたまま、挙句は組織の粛清に巻き込まれ、何の罪も無いのに命まで失わせてしまった。
そんな相手にどう謝罪できるというのだろう。
俺にはわからない。
だがーーこれが今生の別れで、今伝えられることを伝えておかないと。機会は二度とは巡ってはこないのだ。
かつて妻を喪った俺は。今また、同じ妻を失おうとしている。
冷酷な事実に。胸の底から搾り出すような呻きが湧き上がってくるが……押し殺す。
世を呪って時間を無駄にはできない。
「ーー月世」
俺は真正面にたたずむ、妻の遺影へ語りかける。
すまなかった。ありがとう。
幾度も言い淀んだ挙句、唇から出たのは月並みな言葉でしかない。
俺が妻と共に過ごした長い時間は。そんな簡単な言葉でエンドマークをつけられるような、つまらないものでは無かったはずだ。
目を閉じたままの妻はーーそんな口下手の拙句に、まるで包み込むようなゆるやかな笑みを浮かべた。
血と泥に塗れて帰る俺を出迎えてくれる、いつもの妻の微笑みだった。
彼女の魂は確かに、その造魔のうちにあるのだろう。
そして今まさにーー失われようとしている。
「……。どうにか、間に合ったようね」
不意に玄室内へ響いた、女の声に振り返ると。
そこにはーーいつも通り、毛皮のコートを着込んだ金髪の豪奢な女ーーマダム銀子の姿があった。
まさか。この地下墓所を走破してきたのか。
マダムはいま一人の小さな影を支えるように、その背に手を添えている。
ここへ伴った小柄な人物はーー見間違えようもない。
その顔は、俺の目の前に立つ造魔の面影を宿している。
俺と妻の息子……怜一郎である。
ぼんやりと白き光を立ち昇らせゆく、母の姿を目にしーーその幼い顔が歪む。
「……!!」
声にならぬ吐息を漏らし。よろよろと母親へ歩み寄る怜一郎を前に、俺とマダムは視線を交わした。
もちろん。マダム銀子は都合よく、妻や俺たちを救う奇跡のような手立てをもって駆けつけてきたわけではない。
危険を冒してでも、マダムが俺の息子を連れてきてくれたのはーー理由なんてひとつしかない。
光を放つ母を前に、怜一郎は立ち尽くすばかりだ。
ーー夫らしくが叶わないなら、せめて子の父親らしく。
俺はそんな息子へ歩み寄り、背後からその両肩に手を添えた。
「……さあ、怜一郎。
お母さんにーーお別れを言うんだ」
かつて『お母さんをもう、楽にしてあげよう』と提案した時と同じように。
息子は両手の中で震えた。
だが今度は何処へも逃げられない。冷たい父親を否定し、同情してくれる他人の庇護に埋もれ、目を逸らし続けることは最早できはしない。
なぜならーー現実は目の前にある。
「ーーっ……!!」
息子は懸命に口を開き、蛇の吐息めいた音を漏らし始める。
残された妻との時間すべてを。俺は息子にくれてやる事に決めた。
黙ってその小さな肩に置く両手の下で。
ついに……怜一郎は。
母との約束を破った。
「……お、かあ……さん……!」
幼い肺腑から搾り出したようなその声に。
妻は目を閉じるままーーいたずらっぽい笑みを返した。
『約束を破ったわね』と、指摘するような微笑みだった。
そのまま月世は、光の残像を残しつつ歩み寄りーー遺される息子を抱きしめる。
息子の肩に手を置く俺も一緒に。俯いたまま、抱きしめられる。
暖かいーー懐かしい感触。
家の玄関を開けるといつも包み込んでくれた陽光の匂い。
思わず閉じた瞼の裏で白い光が弾け……ふたたび目を開くと、もうそこに妻の姿は無かった。
ただーードリー・カドモンだけが、地面に転がっていた。
宿す対象を失い、造魔は素体に還ったのだ。
「…………。」
がくりと力を失う息子の体を支えると、後方からーーずっと見守っていた、マダム銀子が歩み出る。
ちゃんと別れを済ませられた幼な子をいたわるような笑みが、その面には浮かんでおり。
マダムはすべてを見届けたような安堵感と共にーー目で俺に、退出と帰宅を促す。
しかし。
つまらない用事が……もう一つだけ、残っていた。
俺は涙を流す息子に正面を向かせる。
両肩を掴んでかがみ込み、その顔を正面から見つめる。
「怜一郎。父さんはまだ、用事が残っているんだ。
ギンコさんと一緒にーー先に帰っていてくれるか?」
妻の面影を瞳に宿すままの息子はぼんやり頷きを返す。
その向こうでーーマダム銀子は、眦を釣り上げていた。
およそ正視に耐えぬ程の怒りの表情だった。
まあーー息子に寄り添ってくれた人ならば。俺の選択はきっと、許せないだろう。それはわかる。
俺はその顔も見ないまま、息子の体をマダムへ押しやる。
「……。ーー最低ね」
その一言だけを投げつけ。コツコツと踵の音を響かせるとーーマダムは息子を連れ、この墓所から去っていった。
足音が完全に遠ざかり、静かになると。
石天井の玄室に残されたのは……俺たち二人きりである。
俺はようやく、ここまでずっと待たせていたーーもう一人へと向き直る。
「……さて。
待たせたなーーフィネガン」
長いこと待たせたな。
-
ーー決着をつけよう。
-
ーー悪いが。今さらお前と戦う気はない。