一夜明け、業魔殿の広大な船内食堂。
現在の時間帯はビュッフェスタイルの朝食会場だ。
それも終わりかけの十時前。奥過ぎて他の客の利用しない、朝日のよく当たる舷側へ席を取り、ーー俺たちと桜井は共にプレートをつついていた。
「ーーつまり。
桜井……いや、ハッカーとしてのスプーキーは。
ネミッサ・プログラムの出先を追ってあそこに居た、ということなのか?」
濃いエスプレッソが仮眠明けの身体に染みる。俺が確認すると、桜井は満足げに頷いた。
「……僕はクラックする側だけどーーその技術がネットセキュリティ会社に買われる、なんてのはよくある話でね。
アルゴンのメインサーバへの、不正接続に対する防壁構築を請け負っていたんだ。
ただーー自分が外敵から護ろうとしている膨大なデータ。その意味するところが、まるでわからなかった」
フォークで巻き取ったパスタを、桜井は持ち上げる。
「ぐちゃぐちゃに絡み合った、汚いソースコードのことをスパゲティなんて言うけど……あれはそんなもんじゃない。
ひとつひとつの命令はわかる。が、複雑すぎて目的がわからない。どこを目指しているかさえ理解できない」
あの天才の門倉のやることだ。理解できなくて当たり前なんだろうけどね。桜井の口調には苦いものが混じる。
「いや、あれは本当に命令群なのか? あれはまるでーーそう、昔存在した『人間の脳構造をコンピュータ上で再現』というプロジェクトの成果物のような……あるいは。
いったい何の意味があるのか分からないが、CPUの演算能力を使って、仮想のCPUそのものを再現しようとしているような……」
何かに憑かれたような、何かに魅せられたような。
そんな遠い目で語る桜井に、俺は内心舌を巻く。
マニトゥという巨大機構とも観測装置ともつかないものをデータ変換した存在こそが、アルゴンのサーバに収められていたものの正体のはずだ。
こいつはハッカーを名乗っているが。ただのハッカーならば、何の利益も生み出しそうにない無価値なデータばかりがサーバに転がっているのを見て、それが生物の構造に似ている……なんてそもそも考え付きもしないはずだ。
とーー不意にその瞳へ、挑戦的な光が返ってくる。
「まあ、守ろうとしているものが資産であれ負債であれ。クライアントの事情は斟酌しない。それが僕らの流儀だ。
だからサーバの中身については気にしなかったーーそう。僕のプロテクトを突破する人間が現れるまでは」
桜井はまっすぐに俺を見据えた。
そして上着の内より覗く、俺のGUMPを見やる。
視線は完全に未知のガジェットに対するそれである。
きっと。企業スパイの俺が電算機室へ直接アクセスし、桜井の仕掛けた防壁を破り、ネミッサというプログラムを盗み出したーーとでも考えているのだろう。
しかもその一大事はまるで騒ぎにならず、気付いて駆けつけてみれば、妙なガジェットを持った人間が現場を複数うろついていたーーというわけか。
ネットセキュリティを請け負うハッカーとしては気にならなかったら怠慢の部類なのかも知れない。
「なるほど……仕事熱心なことだ」
俺は苦笑した。
「俺にハッカーであることを明かしたのもそれが理由か。
べつにお前のご同業、という訳じゃないが……。
俺は依頼を遂行しただけだーー何も知らん」
コーヒーの湯気で顔を隠す俺に、桜井は向かいの席から身を乗り出す。
「じゃあ僕を捕まえた男の使役していた、あの怪物たちは?」
しっかり見られていたらしい。キャロルJめ、迂闊な。
「それに。サーバのデータを持ち出すにしても防壁と警報が作動するはずなのに、どう回避した? 並の手際じゃない」
重大なセキュリティホールを見つけたような顔をする桜井だが、俺は単に指示通りに動いた以上ーーそこはまあ、レッドマンが上手いこと機械を騙くらかしたんだろう。
「そもそもーーピンポイントで盗み出した、ネミッサ・プログラム。あれは……なんだ?」
その名前に、横でスクランブルエッグに向かい合っていたネミッサが視線を上げる。
桜井の顔は不可解の一色で覆われていた。
「ずっとモニタリングし続けていたが。
あのプログラムが持ち去られてからずっとーーサーバの負荷が増大し続けている。
まるで……システム全体へ活動制限をかけていた、権限管理者、アドミニストレータのようなーー」
俺とネミッサは黙って顔を見合わせた。
「……さすがに詮索が過ぎるな、スプーキー」
まあ、こういうのは組織の連中の仕事なんだが。
勘違いとは言え、こちら側へ踏み込みかけた一般人に対して……一応釘を刺しておくか。
「わかっていると思うがーー依頼人を売る気はない。
これ以上嗅ぎ回れば命の保障はない。そう思え」
俺の脅しに、桜井はむしろ笑顔で答えた。
「ああ。理解しているさ。それにハッカーなら、自分で真実を掴み取るもんだ。
開発コードMANITHU……マニトゥ・システム。
僕のプロテクトを軽く突破した凄腕の残した署名は、レッドマン。
それにーーネミッサと呼ばれている、そこの男性」
桜井はネミッサへ視線を向けた。こいつにはフィネガンに見えているのだろうか。
「モニタリングは継続する。
いつも見ているよーー
ーー僕が真実を掴むまで」
コートの襟を直し、スプーキーは席を立った。
* * *
「……厄介そうな人に目をつけられたわね」
フロントを出てしばらく歩くと、後ろでネミッサが呟いた。
「ーー素人の火遊びで済めばいいがな。
それよりも。奴の言っていたこと、心当たりはあるか?」
「ううん。全然」
ネミッサの記憶は戻らないらしい。
であればレッドマンの連絡待ちか。
それには愛車を取り戻さなければならないがーー
「あれ、今ヴィクトルにそれなりの悪魔を売り払って、結構な金額になったわよね? 車取り戻すのにまだ足りないの?」
俺たちはたった今、ヴィクトルに借りていた増設メモリを返してきたところだ。中に収められた悪魔の査定をしてもらい、結構な額の現金を得られた。
未払いのままの宿泊費くらいは楽に払えるし、車を取り戻すことだってできるだろう。
だがーー
「今後の滞在費もあるからなーー引き続き仕事を受けねばならん」
お尋ね者で逃亡者の俺らに、敵地でもある天海市では安息の地などない。正体が知られずゆっくり休める唯一の施設であるこの業魔殿を、たとえ利用料が高くとも利用し続ける以外ないのだ。
「ふうん……。で、今日はどうするの?」
「次の仕事まで間があるーー
今日は資材調達と、ステ振りだ」
「ステ振り?」
首を傾げるネミッサだが、こいつがどうにかディア以外の魔法を習得したにも関わらず、まだステータスに成長ポイントを振っていないことをーーステータスを見ている俺は知っている。
「見たぞ。
先の戦闘でレベルが上がり、新たな魔法を使えるようになっていたな? あの紫電はーージオか?」
「え? ジオだけじゃなくて、アギとブフもだけど?」
両掌から炎と氷をも生み出してみせるネミッサに、俺は愕然とする。
「本当なのか……!?
三属性、しかも反対属性込みで使いこなす悪魔なんて聞いたことがないぞ……!?」
なんとなく俺の脳裏に「意外と明るくいつもはクールで結構セクシー」という謎の単語がよぎった。なんだ。
「ーーまあ、それはいい。とにかくネミッサは、術士タイプの悪魔ということだな」
「術士タイプ? 何それ?」
「物理攻撃ではなく術を主体に戦うバトルスタイルだ。魔の数値の高い悪魔が多い。魔が高いと魔法攻撃力もMPも上がるからな」
「ふーん。じゃあこのレベルアップボーナスポイントっていうのは、全部魔に振ればいいの?」
「待った。それだとまったく魔法命中力が上がらず、せっかくの魔法がまるで敵に当たらない。知にも振るといい」
「振る、ってどれくらい?」
「魔2振ったら知1、くらいがバランス的にちょうどいい。知も魔法攻撃力とMPは多少上がるから、同レベル帯の敵を相手に火力不足にはならないはずだ」
大勢の仲魔を見てきた経験を活かし、俺はアドバイスする。
結果こうなった。
:ネミッサ LV6
:HP65 MP98
:力3
:知4
:魔7
:耐3
:速3
:運3
:使用魔法 ディア アギ ブフ ジオ
ひとりで三属性使えるのは大きい。さまざまな敵の弱点を突ける。
HPが低く行動順も最低だが、後列からターン最後に高火力魔法を飛ばすという後衛ロールならば、まあ果たせる構成にはなった。
壁役の前衛が必須な上に、敵からの後列物理攻撃にも弱いままだが。
「ーーどう? アタシも成長したでしょ?」
ポイントを振り終えて成長を実感したのか、ネミッサがドヤ顔を向けてくる。
「まあ確かに。外道スライムよりはずっと強くなった。
今の強さは……珍獣オリバーくん、と同格くらいだな」
「ち、珍獣オリバーくん!?」
「ステータス合計では負けてるな」
「しかも負けてるの!? そのオリバーって何者よ!? だいたいなんでそいつ、"くん“付けなのよ!?」
珍獣オリバーくんは両目がセクシーコマンドー部くらい光っている以外は外見上、ただのオムツ付けた猿である。
ちなみにステータスは運の値だけ物凄く高い。何気に合体事故でないとお目にかかれないレアなおサルである。
攻撃手段は割と物理タイプで、引っかきとか悪魔の歯ぎしりとかしてくる。正直、単なる害獣である。
スライム改めオリバーくんはぐぬぬと言わんばかりの顔でこちらを見てくる。
「あれ? ウラベもレベルアップしてるのね、1だけ。
ウラベも術使うから、やっぱり魔や知に振るの?」
ネミッサは俺のステータスを見て、レベルアップに気づいたようだ。
俺もステ振りを後回しにしていた。
「いやーー俺までまったく同じ育成してたら、一体誰がおまえの盾役、前衛を務めるんだ?
それにそもそも。悪魔召喚士は背中で悪魔を従える、と言ってだな」
「何それ? どういう意味?」
「悪魔召喚士は召喚した悪魔にだけ戦わせはしない。
ラインに出て。戦列を組んで。仲魔に背中を見せるくらい前に前に出て行く召喚士じゃないと。
結局のところ、どんな仲魔も心服させられはしない」
だから力と耐に振る前衛型の召喚士がとても多いのだ。
まあ伊勢でもさんざん「神主は背中で教化する」って言われたけどそう偉そに講釈垂れてる社家どもが有言実行してるとこ伊勢からして見たこと無いんですけどね(以下略)
「じゃあ力か耐に振るの?」
「それなんだが……少し考えがあってな」
俺は昨夜の戦闘を思い返し、履いているスニーカーを見下ろす。
フットエスケープ。速+2の装備効果のある強力な足装備だ。
こいつが無ければーー敵より先に行動順は回ってこなかった。
敵前衛の攻撃も浴びていたし、封鏡術……シ・キョウの発動も遅れていただろう。
それにターン頭に封鏡からの回復判定が入ることを考えると、ターン開始行動順一番にてシ・キョウが使える方がよい。
現に昨夜の戦闘でも、俺より先に仲魔のウェンディゴが行動してしまい有効打が与えられていなかった。
同レベル帯の悪魔や仲魔相手でも先手が確実に取れないとまずい。
ゆえに俺の場合はーー
「速重視で行動先取。回避盾も務めつつ、前衛が務まるくらいに耐を上げてゆくのがーー俺にとってはベストのビルドだろうな。速2耐1、これくらいの割合で上げてゆけば大体どこの悪魔にも先手を取れるし、前衛にも立ち続けられるだろう」
「ふーん。でもそれだと術の力が伸びなくない? 前衛は他の屈強な仲魔に任せて、ウラベも後列に下がるって選択肢はないの?」
「そもそも俺の術は威力重視ではないからな。だいたい、封鏡術が効かない敵が出てきたらどう対処する? また、仲魔に頼れない局面だってあるだろう。あと、後列にいるとほぼ確実に先手が取れない。術を先制でぶつける以外にも、先手が取れれば対応の幅が広がるしな」
俺にしろ、フィネガンにしろ。
死と隣り合わせの悪魔召喚士がおっさんの歳まで生き延びるってのは結構大変なのだ。
それなりに苦労してきている俺がポンポン挙げる想定に、ネミッサは軽く目を見張った。
「……ふーん。サマナーってのも色々考えるのねぇ。より強い悪魔喚んで終わり、じゃないんだ」
そういう奴は早死にする。あるいは現場を去る。
男は戦い続けないといけない。腐って壊死する。
とにかくデカい神社入れば勝ち組で終わりじゃねえんだよ(以下略)
ともあれ、こうなった。
:ウラベ LV21
:HP195 MP93
:力10
:知5
:魔3
:耐9
:速8(10)
:運3
:使用魔法 キョウ ハ・キョウ シ・キョウ メタモディ
まだしばらく速を上げ続けてゆく必要があるな。
フットエスケープとは長い付き合いになりそうだ……。
このファッションにスニーカー履きは正直似合わないんだが。まあしょうがない。
俺の人生は大体それで出来ている。
「さてーーお互いステ振りが終わったところで。
次は買い物に行くとするか」
「さっき資材調達とか言ってたけど、何を買うの?」
「先手、先制を戦いの軸に据えるなら……俺の取れる選択肢を広げておいた方が、状況対応力が増す」
「つまりどのような状況にも対応できる、アイテム係をやるのね?」
「言い方ァ……」
* * *
言葉のドッジボールを交わしながら、俺たちは運河沿いを下りすぐそばの芝浜コアへ入る。
一見普通の商店群、その実サマナー御用達のショップ街であるここは、天海市に着いてまず最初に利用した施設だ。
まず欲しいのは敵の弱点を突ける属性攻撃アイテム。前に居た平崎ではせいぜい米軍キャンプ地下水道での裏取引くらいでしか入手出来なかったが、ここ天海市では普通に専門店が営業している。便利なことだ。
俺は「オートマータ」へ入ってゆくが……俺のレベルではまだ火炎攻撃アイテムしか売ってもらえなかった、残念だ。まあテトラジャの石とか上限まで買えたのは助かった。敵初手呪殺とか防ぎようがないからな。いずれ呪殺防御の防具も揃えておかないと。
続けて「ドラッグ・ギア」に入り、各種回復薬を上限まで買い漁る。ネミッサもリャナンシーも回復魔法を使えるが、俺より速が早いわけではない。俺が回復役に回った方が助かりそうな局面なんてのは、戦闘中にいくらでもあるのだ。
それから「ビデオ・マッスル」に入り、ネミッサ用の銃を買い揃える。女向けの散弾銃か連発銃が欲しかったがあまり性能のよいものがない。とりあえずステッキ型散弾銃に、弾はバードシェルを買う。ネミッサのメイン戦法である魔法攻撃は、俺が封鏡魔法を成功させた後だとダメージ減っちゃって相性良くないので、そういう時は後列から散弾銃ぶっ放して鏡を叩き割ってもらうためである。命中率が低いのが難点だが……。
ついでに「画廊ラダー」に寄って呪殺防御の防具でも売ってないかと覗いたが、やはり無かった。
最後に「タイ料理サワムラ」に寄り、正直どれ食べても甘酸っぱい薬膳料理を口にし、体調を整えて一丁あがりだ。
時刻はもう夕刻。帰路に着く途中、芝浜コア入り口の大モニターにニュース映像が映し出されているのが見えた。
“パラダイムXの正式サービス開始にあたり。アルゴン社の門倉会長と、次世代情報都市開発総責任者の西次官が、本日会見を行いました“
映像の中。無数のカメラのフラッシュを浴び、固く握手しこちらを向く二人の男。
白スーツにグラサン、開発者風の男は……あれがスプーキーが言っていた門倉か。
そして。
堅苦しくスーツを着こなす、隣の官僚はーー
「……。西……」