「ん……」
目覚めると。広い部屋の、かなり奥の方のベッドに横たわるフィネガンの姿が見えた。
一瞬、違和感を覚えるがーーなぜならここまでネミッサは「魂の融合が進んで肉体そのものや他者からの認識を変えられるようになった」などという説明のもと、俺には亡き妻の姿で見えていたはずだからだーー
そもそも、当初のネミッサは。当然ではあるが、魂の融合先であるフィネガンの姿、壮年男性の姿で見えていたのだから。
何かの拍子に認識が戻り、またフィネガンとして見えるようになったとしても……さほどおかしくは無かった。
そもそも。この業魔殿の船体周囲が、利用者間の認識を阻害させ他の客の人物特定を困難にするような結界で覆われている。
「ファントムの討手と同室で休むーーと考えれば。
ぞっとしないな……」
とはいえ。ネミッサとの同部屋も長く、今更だ。俺はさして気にもせず、サイドボード上のGUMPへ手を伸ばした。
フィネガンが向こうのベッドで寝ていて、昨夜ネミッサが持っていった俺のGUMPが戻ってきているということは.、……造魔作成の件は片がついた、のか?
GUMPを起動し召喚悪魔のリストを開こうとするも、なぜか「処理実行中」とメッセージが出て表示されない。
サイドボードには業魔殿の刻印がなされた血の色のメッセージカードも添えられており、そこにはーーヴィクトルからと思しき「きわめて特殊な造魔の安定と収納に時間を要している。処理が終わるまで待て」との伝言があった。
「マジか……COMPが使えない、とはな」
俺は起こした上体を倒し、ふたたび枕に頭を投げ出す。
ーーきわめて特殊な造魔。
ネミッサのやつ、いったい何を創ったんだ?
ともあれその処理とやらが終わらないとそれすら確認できないし、そもそも悪魔も喚べない。
葛葉キョウジの当代ならば、サバトという術でも悪魔を喚べるようだったが。俺には使えない。
俺は若い頃にグレて家を飛び出した不良だったので、家伝の基本、封鏡術くらいしか使えない。
COMPが無いと俺はただの半端な術士でしかない。
サモンできないサマナーに需要はない。まあそれでもできる事は色々ある。そうでなければここまで生き延びられはしないのだ。
かつての平崎でもCOMP使用不可地帯とか腐るほどあった。金王屋や歯車堂でキッチリアイテム揃えておきさえすればまあまあ戦(や)れる。
とはいえGUMPの内部処理が終わるまでは手持ち無沙汰だ。
さてーーどうしようかね。
ベッドへ寝転がってGUMPを操作していると、お上品なベルの音が鳴る。部屋の内線だ。
俺は寝たまま、その優雅なデザインの受話器を持ち上げ、耳に当てる。
「どうしたーーヴィクトル? 伝え忘れでもあったか?」
「いや。僕だよ、スプーキーだ」
出てみるとフロントではなく、桜井だった。凄いなアイツこんな内線もハッキングしてくるのか。確かにスイートルームに部屋取ってるとは言ったが……。
こんなの朝飯前さ、と笑って桜井は続ける。
「その後、稼業は順調かい?
実はウチの若い子たちがーーそちらとご同業らしい人たちが使っているらしい掲示板を見つけてね。
サマナーネット、って言うんだけど」
サマナーネットか。
組織所属からフリーまで、さらにはそいつら相手の業者にも広く使われている掲示板だ。サーバはアルゴン社提供で、おもに天海市全域に絡む連中が使用している。厳重に秘匿暗号化した上で、ファントムの業務連絡や全体通達にも使われたりするがーーまあ本職のハッカーからしてみれば丸裸なのかもしれない。
「ああーーやっぱり知っていたか。
なに、足のつかなそうな単発の求人も出ているようだったから。教えたら役に立つかなと思ったんだけど……知っているなら既にチェック済みだろうね。時間を取って済まなかった」
「いや。待てーー俺らは追われる身でな。
サマナーネットの確認もろくにできる環境にない。
それに金も要る。単発の求人とやらにも興味がある。
加えて、足のつかない閲覧環境もあると助かる。
もしお前が良ければーー礼はする。端末を貸してくれないか」
ええ!?という叫びの後に、笑い声が続く。
「まさかネットサーフィンに、ハッカーのアジトを使いたいって人がいるなんてね。驚きというか、さすがの胆力だ。
いいよ。芝浜第二駐車場だーー来ればわかる」
指定された場所は目と鼻の先だった。運河の反対側だ。
しかし、駐車場……?
俺は受話器を置くと、寝ているネミッサを叩き起こして業魔殿のタラップを降りていった。
* * *
短い道中、ネミッサーーフィネガンの外見にしか見えないネミッサは、しばらくぽんやり歩いた後で、しきりに己の体を確認している。
何も持っていない拳の握りを確かめ、俺に問う。
「……俺のメリケンサックはどうした」
「ん? フィネガンのCOMPのことか? ネミッサが憑依した時に壊れたから、ヴィクトルに預けてあるが。修理には時間がかかるという話だな」
まだ寝起きでふらふらするのだろう、壮年男性は頭を押さえて低く呻くと、左肩のあたりを探る。
「俺の銃は?」
「そう言えば……今回は返してもらってないな。
また同じ目に遭う可能性が大だーーお守り代わりに、貸してやってくれ。
この間買った、ステッキ型散弾銃を使うといい」
「安物だな……」
「女の手に合うショットガンなんてろくなものが無いだろ」
銀の無骨なステッキを抱え、ハア……と溜息をつくそいつを見て、流石に気付く。
「……お前。ひょっとして、フィネガンか?
ネミッサはどうした?」
どういう訳かは知らないが。
今のフィネガンの身体に、ネミッサは乗り移っていないらしい。
その事に気付きつつも。特に構えるでもない俺を見て、フィネガンは肩をすくめる。
「ーーまず初めに訊ねることが。あの女の所在とはな」
がちゃん、と空き薬莢を排出し、ステッキの先ーー銃口を俺にポイントして、フィネガンは俺に訊ねる。
「さてーーウラベ。
今一度の宣告になるが。最後はあっけない幕切れだったな。
ここからどう命乞いする? うん?」
銃口を向けられながらも、俺は帽子を被り直すにとどめる。
「まあ……経緯を考えれば。
お前は俺を殺しにかかる、とは思うが。
ーー今、殺す事はしないだろう」
「引き金を引けないとでも思っているのか?」
「何よりもーーお前の流儀に反する」
俺の返答に、ぐっ、とフィネガンが唸る。
「フィネガン。お前はーー万全の状態でないと勝ちに行かない。
勝っても意味がないからだ。
自分も全力を出せなければ無意味だし、また相手の弱みにつけこむのも良しとしない」
「……なんだ? つまらんおべっかで命乞いか?」
「完全に自分が相手よりも優位に立っているーーそう実感できるもの以外、勝利と認めないからだ」
ふたたびフィネガンが、ぐっ、と唸る。
別に親しくはないが。伊達に長いこと同じ組織にいるわけじゃない。
こいつのストイックな美学とやらはよく知悉している。
「まあ、今のお前なら……
COMPを修理して取り戻して。武装も全部取り返して。
さらに、俺も十全の状態であったならーー
そこでようやく、殺しにくる、ってところか」
「……フン。知ったような顔をしているが。
ファントムの命令と個人の流儀、どちらが優先されるかなどーー聞くまでもあるまい?」
フィネガンはあくまでも銃口を下ろさない。
だが俺はそれが無意味なことを知っている。
「それで焦ってここで俺の首をファントムに届けても。
お前の扱いは結局、ファントムへの敵対者から何も変わらないんじゃないか?
数々の敵対行為を無かったことにして帰参したけりゃ、もっとデカい手土産がいる。
あるいはーー逆に、奴らの首根っこを掴んでねじ伏せるぐらいのネタでもないとな。組織にお前の立場はないだろう?」
「くそっ……!」
フィネガンはステッキを掴んで振り回した。
そのまま八つ当たりが来るかと思ったが、ーーどうやらフィネガンの怒りは身体を乗っ取って好き勝手したネミッサの方へ向けられているらしい。
てっきり。そのきっかけを作った俺も復讐の対象に含まれていると思ったが……。
「ウラベ。ーーお前は絶対に殺す」
あ。そこはそこで確定してるのか。
「……だがそれは今じゃない。
俺が万全の状態へと戻り。そして、ファントムからの信望を取り戻してからだ……!
よく覚えておけ……!」
手指をつきつけ、フィネガンは憤然と宣告した。
* * *
芝浜第二駐車場。
「ここか……」
奥にスプレーアートの施されたトレーラーが停められていて、アジトはすぐにわかった。「スプーキーズ」という英字の上に、サングラスをかけた怨霊が腕を組んでいるロゴマークだ。
俺は真横に立つ、サングラスをかけた怨霊を振り返った。やはり同様に腕を組んでいる。
即座に腕組みを解くフィネガン。
「……。何だ? 何かこの私に言いたいことでもあるのか? 下らない冗談ならばその口を縫い閉じるぞ?」
「まだ何も言ってないだろうが」
絶対何言おうとしたかわかってるだろ。
俺は余裕がなくキレやすい怨霊を眺めた。
しかしーーあのまま去ってゆくかと思ったが。
フィネガンは大人しくここまでついてきたのだった。
まあ考えてみたらこいつも(ネミッサが憑依したせいで)ファントムには敵対、俺らと同じくお尋ね者となった身だ。
その辺フラフラしてたら狩られるし、身を隠すため業魔殿からは離れられないし、恐らく口座も凍結されて使えないから潜伏生活のため金だって稼がねばならないだろう。
サマナーネット見て諸方面の動向も確認しなければいけないし、足がつかない閲覧場所だって要る。
勢い、同じお尋ね者の俺らと同じ行動を取らなければいけないわけだ。
だからといって同行する必要はないと思うがーー
そもそも取ってる部屋の名義までフィネガンである。
もはや、監視を兼ねて同行しておいた方が効率的とさえ言えるのかも知れない。
とーー足を止めている間に、トレーラーの荷台後方にあるエアロックから男女が出てきて、反対方向の駐車場出口へと去ってゆく。
まだ十代の若者に見えた。あんな若いメンバーもいるのか。
“やあーー来たな。そこのエアロックから入ってくれ“
どこかから響いた音声に導かれ、俺たちが前に立つとエアロックが開く。
トレーラーの中は機材が壁一面に積み込まれ、かつて資料で見た電子戦仕様の軍装甲車を思わせる。
その中程に置かれた椅子のひとつで、桜井がタバコをくゆらせていた。俺たちを認め両手を広げる。
「ようこそ、スプーキーズへ。
ーー何のおもてなしもできないが、ゆっくりしていってくれ」
「ひとまず、禁煙車じゃないのは助かるな」
俺がポケットの煙草を探ると、フィネガンもシガーケースから葉巻を取り出した。
「ああ、車内での喫煙はご遠慮ねがえるかな? 精密機器に悪いんだ」
「そもそもお前が吸ってるだろうが」
「こいつは特別軽いやつさ。機械がヤニで汚れない」
「本当か……?」
俺は卓上の灰皿、山をなす吸い殻を眺めつつ答えた。吸ってる銘柄が軽くても、ヘビースモーカーなら結局一緒なんじゃないのか。
そこでふとーー葉巻を持っているフィネガンに目を止め、桜井に訊ねてみる。
「ところでーー
表で見たんだが、この『スプーキーズ』のエンブレムは」
「うん?」
「俺の連れがーーモデルだったりするのか?」
桜井は俺の指差すフィネガンを見た後、弾けるように笑い出した。「スプーキーズ」の幽霊も葉巻を咥えている。
腰の後ろへ衝撃。黙ってろ、と言わんばかりの痛烈なボディブローが炸裂した。こいつ元ボクサーだから一撃が重いんだよな。加減しろ。
桜井はパンチを放つ幽霊から距離を取る俺を見てひとしきり笑ったのち、手近な端末を煙草で示した。
「それじゃーーこの端末を使ってくれ。
海外の串を幾つも経由して迂回してるから、足取りは掴まれずに済む」
何を言っているのかさっぱりわからない。
が、とにかく安全な接続元らしい。ハッカーのお墨付きだ。
モニタには見慣れたサマナーネットの青い画面表示。
まずはファントムの動向確認。そして次に臨時求人募集のチェックだ。
俺たちは目ぼしい情報を漁り始めた。
* * *
玉石混交の情報の中から、自分達に関わるものを篩にかけてゆく。
ファントムに目立った動きはないらしい……という点で俺とフィネガンの見立ては一致した。
しかも、さらなる追手がかかっている様子もない。
まあフィネガンという鬼札を切ってなお返り討ちにされたんじゃ、次の手を打つまでの間、しばらく様子見ぐらいはするのが当たり前か。
俺たちは目先を変え、雑多な求人急募を洗い出してゆく。
何かの符牒かと思われる、奇妙な求人がひとつ見つかる。
調査探索への同行、護衛任務。若干名。
奇妙なのは報酬欄でーー
「……おい。見ろ、この求人。
“報酬プラス、中華料理食べ放題“だと。
中華とはいったいーー何の暗喩だ?」
当然ながら依頼人名は伏せられている。
中華マフィアとの顔繋ぎ、コネクションが成功報酬についてくる仕事、辺りか……?
「当たりだーーこの仕事を請けるぞ」
フィネガンは身を乗り出してくる。
まさかの中華料理好きである。
いや違うか。符牒の意味を察したのだろう。
「おいおいーー国外逃亡でもする気か? フィネガン。
外国マフィアに繋ぎを得てもしょうがないだろう?」
「何を言っている。こいつは無所属のサマナーからの依頼だぞ。
さらに言えば、どこからの請負業務かもおおよそ見当がつく」
依頼主はフリーのサマナー、そのサポートか。
たったこれだけの短い符牒でそこまでわかるのか。
「では俺らは孫請けか。じゃあこの、中華料理食べ放題、ってのはどういう意味なんだ?」
「ーーいや、そこはそのまま中華料理食べ放題だ」
「本当にこれが報酬なのか……」
よほど中華料理が好きなフリーサマナーなんだろうか。
俺には心当たりがないが、フィネガンにはあるようだ。
まあ既知の相手なら仕事もやりやすいだろう。
俺は端末の前から離れた。
「世話になったなーースプーキー。
この謝礼はまた、改めて」
「お安い御用さ」
既に作業に戻っていた桜井の背中は、片手を上げて俺たちを送り出した。
* * *
二上門、封鎖された工事現場前。
眼前に巨大な口を開く地下トンネル。吹き抜ける風の音が不気味に響く。
俺はその闇を覗き込みながら、問いかける。
「本当にこんな場所が合流地点なのか……」
フィネガンは答えない。手近な壁に寄りかかったまま腕を組んでいる。
と、ーー背後に軽い足音が跳ねる。
振り返った俺たちを見て、その人物は驚くように柳眉を上げた。
「……驚いたわね。ファントムの二枚看板が揃って、こんな請負仕事の手伝いに来るなんて。
それにーー今は裏切り者、だったかしら?」
現れたスーツの女は、見知ったサマナーだった。
「! ナオミ……」