転生したら博麗霊夢(自殺未遂)だった件   作:敵ゆん

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第1話 絶体絶命のプロローグ

 やはり、寝起きの瞬間というのは思考も視界も朧気なもので――意識が鮮明になると共に、首根っこを握られるような圧迫感に襲われる。

 

 

(これ首吊りだ)

 

 

 その昔、事故で疑似的な首吊りを経験したことがあるからこそ、今自分が置かれている状況を理解する。

 この痛みは夢じゃない、ガチだ。

 別に死にたい訳でもないし、そもそも普通に布団に入って寝ていた筈なのになんで首吊ってるのかよく分からないが、とにかくそれどころじゃない。

 

 やばい死ぬ!

 

 どうにかしなければならないと頭では理解していても、既に体中の酸素濃度が低すぎるせいか、思うように体が動かないためどうしようもできない。

 腹や肺に力を入れても、空気の出入りが完全に閉ざされた喉で止められてしまうため、文字通り息の根さえ上げられない。

 いよいよ本能的に顎を使った呼吸の真似事――下顎呼吸をし始める。

 陸に打ち上げられた魚がパクパクと口を動かすのは死に際のイメージとしてこれ以上ないほど正確ななもので、口から唾液が、鼻から鼻水が、目から涙が滲み出てくる。

 

 

「霊夢ッ!!」

 

 

 シームレスに意識が暗転しつつあると、どこかから女の声が聞こえてきた。

 

 

「……はぁ」

 

 

 極めて露骨なため息が聞こえた次の瞬間、ブヂヂヂと腕力で縄を引きちぎるような音と共に俺の身体は地面に叩きつけられる。

 

 

「今代の巫女は随分と脆い……」

 

 

 まだ視界がブラックアウトから回復していないせいで誰がいるのか分からない。

 しかし目の前にいる気配をありありと感じられた。

 

 

「貴女は最高傑作だったのに、悲しいわ」

 

 

 そう言いながら彼女は俺の首筋と縄の間に指をのめり込ませると、メリメリと音を立てて縄を引き裂いた。

 

 

「ゼェッ……ハッ……」

 

 

「え」

 

 

 そのお陰で僅かに気道に空間ができ、息の根を吹き返すことができた。

 

 

「ゼェーッ……ひゅっ――ッ……あっ……かはっ……!」

 

 

 言葉にならない嗚咽を吐き出しながら、体を捻り全身を使って酸素を取り込む。

 やはり酸欠が効いている。

 頭が浮かぶような感覚で、今にも気絶しそうだった。

 

 

「ひゅーっ、はーっ!ううー!あーっ…!」

 

 

 徐々に呼吸の量が回復していき、同時に視界も朧げなものから鮮明なものになっていく。

 足搔く、とにかく足搔く。

 俺を首吊りから助けてくれた人物により応急的な処置が必要であるということを示そうと、がむしゃらに前へ這い出て、遂に掴むことができた。

 それは足かもしれないし、腕かもしれない。

 とにかく布に包まれた細い棒状のものを掴み、言葉を発しようと口を動かすが、うまくいかない。

 

 

「あ、ああ、ごめんね、ごめんね"霊夢"!今すぐ助けてあげるから……」

 

 

 ようやく理解が追い付いてきた脳。

 馴染みのある単語が耳に入ってきて、途端にそれを確かめたいという衝動に駆られた。

 腕に力を入れ、上半身と顔を上げ、前を見る。

 

 

「……っ!」

 

 

 無数の眼がこちらを見る空間。

 思わず声を捻り出す。

 

 

「や……く……も……」

 

 

 何とも言い難い表情の八雲 紫(やくも ゆかり)が、そこにいた。

 手を伸ばし、助けを乞おうとする。

 しかし、もはや今の俺の身体にそのような体力はなく、遂に視界が暗転した。

 

 

 

――

 

 

――

 

 

 ぺちぺちぺちと頬を左右交互に叩かれる。

 次に目を覚ますと、辛うじて目の前に人がいるという事だけは理解できた。

 

 

「霊夢さんっ、霊夢さーん?!しっかりしてください!意識を保ってください!」

 

 

 兎耳を生やした淡い紫色の髪、そして赤い瞳――鈴仙・優曇華院・イナバが、俺の顔を覗いていた。

 指示を飛ばす大声、行き交う足音と衝撃が脳を揺らし、辛うじて意識を保たせる。

 

 目を開けているというのに、時折視界が暗転する。

 気合で意識を保っている最中、俺は言葉を捻りだした。

 

 

「ねむ……いっ……!」

 

 

「はぁ?」

 

 

 呆れられるほど極めて率直な危険信号。

 ただひたすらに寝たいという欲望が、どういう訳か脳を支配していた。

 

 

「何言ってるんですか霊夢さん、寝たらダメですよ!寝たら今度こそポックリ逝っちゃいますよ!」

 

 

 一瞬困惑の表情を鈴仙は見せるが、直ぐに気を持ち直して看病を続ける。

 だって本当に眠たいんだよしょうがない。

 

 

「……まさか」

 

 

 俺の言葉を傍らで聞いていたもう一人の人物、八意永琳が布団を敷く手を止めて訝しむ。

 

 

「優曇華、ぬるま湯と桶を持ってきて!その間の処置は私が代わるわ」

 

 

「はい!」

 

 

 鈴仙が返答して間も無く、代わって永琳が俺の側に座り込む。

 永琳は俺の口近くに鼻を寄せると、理科の実験で硫黄を嗅ぐような要領で、虫の音のような俺の息を嗅いだ。

 

 

「酒臭い……。霊夢、あなたまさか、首を吊る前に酒と睡眠薬を同時に服用したんじゃないでしょうね?!」

 

 

 怒りか、或いは哀しみか、永琳は凄まじい形相で迫り、その気迫に思わず怖気づく。

 首を吊る前の記憶を思い出そうとするが、あまりにも意識が朦朧とし過ぎてそれどころではなかった。

 

 

「わか……ら……な……」

 

 

「――ッ霊夢!しっかりしなさい!」

 

 

 生きたい意思はあるのに体が死にたがっているのだ。

 いよいよ睡魔が限界を迎えようとしたとき、永琳は俺の側頭部を手で支えつつ、俺の身体を横に向ける。

 視界は永琳の顔と板張りの天井から、和風模様の襖と畳へと変わった。

 

 

「いい霊夢?これから私の見解とあなたに行う処置の説明を話すわ。私はあなたに睡眠薬を処方していたでしょ?だからあなたはそれを使ってオーバードーズしたと私は考えてるの。大量の睡眠薬に加えてお酒を飲めば、寝ている間に窒息死できると考えたのでしょうね。でもあなたは一つ勘違いしていた。睡眠薬とお酒はお互いに逆の性質を持っているということを。まあ、不幸中の幸いなことに、そのお陰で意識があるのだけど」

 

 

 つまり、意識が無ければ博麗の巫女の死を確認しに来た八雲紫はそのまま勘違いして放置し、今度こそ自殺が成功していた可能性があったということだ。

 永琳の推測がどこまで正しいのかは、もやは神のみぞ知る領域。

 しかしそれでも、あの霊夢さんがそこまでして自殺しようとしていた可能性に、俺は震え上がる。

 

 

「お師匠様!持ってきました!」

 

 

「お湯をちょうだい!あなたはセッティングを!」

 

 

 優曇華が俺の目の前にバスケットボールほどの大きさの桶を置くと、永琳が先ほどまで準備していた布団を桶の近くまで引きずってきて、折ったり丸めたりして形を整え始める。

 

 そうこうしているうちに俺はやや斜め気味の仰向け姿勢にされ、徳利のようなものを口に注がれる。

 

 

「コ゜!」

 

 

 覚悟はしていたがやはりむせてしまい、最初に注がれた分をまるで噴水の様に吐き出してしまう。

 

 

「ああごめんなさい霊夢、でもこうしないと次の段階に進めないの」

 

 

 咳払いしつつ顔を小刻みに振り、理解を示した。

 固唾を呑み、準備完了であるという意思が伝わると、湯気が立つそれを口に注がれる。

 今度こそしっかり呑みほすと、続けて永琳は鈴仙がセッティングした丸めた布団と桶のそれに俺の身体を運ぶ。

 布団の上に胴体が乗り、姿勢は横向き、そして目の前に桶がある姿を想像してもらいたい。

 

 

「いい霊夢?今からあなたには、胃の中のもの全てを吐き出してもらうわ」

 

 

「え……」

 

 

「これ以上胃液で溶け切っていない睡眠薬の成分を摂取させないために、後遺症を悪化させないために必要なの」

 

 

 そう言うと、永琳は俺の背中を揺らしたり叩いたりして嘔吐を誘発させようとしてくる。

 この絶え間のない攻撃はすぐに実を結び、胃の奥底から込みあがってくる感覚が襲ってきた。

 そして間もなく、気道を通過し、口から力なく吐しゃ物が溢れてくる。

 

 

「えふ、……げ……げえええ……げえ……」

 

 

 勢いに反して、吐しゃ物は桶の底を覆い隠す。

 内容物に食材の類いは一切見当たらず、代わりに見た目からして粘度の高そうな白い液体で一杯となった。

 

 

(これ、全部錠剤……)

 

 

 永琳により体を持ち上げられると、半ば咥えさせられるように徳利を注がれ、桶の中に吐き出させられる。

 口内を濯ぎ、そして口周りの汚れをハンカチで拭き取られる。

 どういう訳か、まるでなにか大切なものを失ったような焦燥感と無力感に襲われ、涙が頬を伝い始める。

 

 もう体力の限界だった。

 言葉をかける永琳や鈴仙の呼びかけの内容を理解することができなくなるほど意識が混濁し、やがて瞼が閉ざされた。

 

 

 

 

――

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 目を覚ましたとき、最初に感じたのは安堵ではなく、奇妙な重さだった。

 

 体が鉛のように重く、手足を動かそうとするたびに、関節の内側に鈍痛が広がる。

 喉は焼け付くように痛み、息を吸うたびに、まだ首に何かが引っかかっているのではないかと錯覚してしまうほどだった。

 

 視界に入ったのは、見慣れない天井板と、淡く漂う薬草と湯の混じった匂い。

 永遠亭の一室だ、フリー素材で見たことある――そう判断するのに、特別な確信は必要なかった。

 むしろ、ここ以外に自分の居場所が思い当たらなかった。

 

 生きている。

 そう理解した瞬間、胸の奥がひくりと引き攣れた。

 

 助かった、という感情は不思議なほど湧いてこない。

 代わりにあるのは、「まだ終わっていない」という事実だけだった。

 まるで、途中で中断された作業を、強制的に再開させられたような感覚。

 

 首を動かそうとした瞬間、空気がきしむような感触と共に、見えない何かに制止される。

 

 視線を落とすと、胸元から四肢にかけて、動かそうとすると薄く光る紋様が空中に描かれるのが分かった。

 符の文字とも、結界の線ともつかないそれらが、身体の自由を静かに、しかし確実に奪っている。

 

 俗に言う拘束結界。

 漫画等でよく見る設定だが、それが適用される側になるとは、夢にも思っていなかった。

 

 

「……起きましたか」

 

 

 控えめな声が、すぐ傍から聞こえた。

 

 視線だけを動かすと、布団の脇に小さな座布団が置かれ、その上に鈴仙が正座していた。

 兎耳はいつもより伏せ気味で、赤い瞳は、こちらを見ているようで見ていない。

 

 

「気分はどうですか」

 

 

 形式的な問いかけ、経過観察に近い声音。

 

 

「……わからない」

 

 

 答えようとして、結局言葉を飲み込む。

 

 判断する基準が、今の俺には分からなかった。

 死に損なった現状を「最悪」と呼ぶのは簡単だが、それを口に出すほどの実感もない。

 

 鈴仙はそれ以上踏み込まず、湯呑みに入った水を差し出してくる。

 俺は結界に阻まれたまま、ぎこちなくそれを受け取り、少しずつ喉に流し込んだ。

 水は確かに冷たく、喉の痛みを和らげたが、それ以上の意味はなかった。

 

 

「しばらく、私が付き添います」

 

 

 淡々と告げられる。

 

 

「退院できるまで。……それと、その、念のためです」

 

 

 "念のため"

 その言葉が、やけに重く耳に残った。

 

 つまり、再発防止。

 目を離した隙に、また何かをしでかさないようにするための監視役だ。

 責められているわけではない。

 ただ、信用されていない。

 それだけの話。

 

 それを理解しても、腹は立たなかった。

 むしろ当然だとさえ思えた。

 

 ――俺は、この身体の正統な持ち主じゃない。

 

 どこまで行っても結局のところそうなるからだろうか。

 こうして拘束され、看病され、心配されている状況を、どこか他人の出来事のように眺めている自分がいる。

 まるで、舞台の上で起きている悲劇を、客席から眺めているような感覚。

 実際は、その舞台の上に立つ演者側だというのに。

 

 しばらくして、襖が静かに開き、八意永琳が入ってきた。

 

 白衣姿の彼女は、感情をほとんど感じさせない視線で俺を一瞥すると、淡々と診断を始める。

 

 

「命に別状はないわ。ただし、しばらくは後遺症が出る可能性がある。集中力の低下、倦怠感、感情の起伏……それから、首への負荷による痛み」

 

 

 一つ一つ、淡々と告げられる言葉は、慰めでも叱責でもなかった。事実の羅列。医師としての最低限の説明。

 

 

「もう一度同じことをしたら、次は助からないかもしれない」

 

 

 そこで、ほんの一瞬だけ、永琳の視線がこちらに留まった。

 

 

「……いいえ。正確に言うと、私は次は助けないかもしれない」

 

 

 その言葉を聞いても、心臓が早鐘を打つことはなかった。恐怖も、焦燥も、不思議なほど湧いてこない。

 ただ、そうなのか、と納得する自分がいた。

 

 永琳はそれ以上何も言わず、必要な指示だけを鈴仙に伝えると、部屋を後にした。

 

 紫の姿はどこにもなかった。

 

 助けた張本人は、結果だけを確認して、既にこの場を離れているらしい。

 結界の微かな歪みと、空気に残る気配だけが、彼女が確かにここにいたことを物語っていた。

 

 

 ――見られている。

 

 

 そう感じたが、不快ではなかった。

 あの賢者にとって、博麗霊夢は観測対象であり、管理対象であり、幻想郷というシステムの一部だ。

 感情を挟む余地など、最初からない。

 

 それでいい、それでこそ、とさえ思った。

 

 布団の中で、俺はぼんやりと天井を見つめながら考える。

 

 原作の博麗霊夢は自殺などしない。

 だが、この霊夢は綿密に計画し、実行し、そして失敗した。

 

 その"続き"を、俺が引き受けている。

 

 理由は分からない。

 だが、この身体がここにあり、世界がそれを前提に動いている以上、無視することはできない。

 

 死にたいわけじゃない。

 生きたいとも、まだ言えない。

 

 ただ、このまま何も知らずに投げ出すのは、何かが違う気がした。

 

 博麗霊夢が、何から逃げようとしたのか。

 それを知らないまま終わらせてしまうのは、あまりにも後味が悪い。

 

 結界に縛られたまま、俺は小さく息を吐いた。

 

 ――どうやら、まだ当分は、この巫女として生きるらしい。




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