転生したら博麗霊夢(自殺未遂)だった件 作:敵ゆん
読者の皆様の期待に応えられるよう、これからも頑張ります。
やはり何日経っても、ここは病室――と呼ぶには少しばかり仰々しい空間だった。
畳敷きの床、壁には護符と結界符が重ね貼りされ、完全開放された襖の向こうには永遠亭の庭が見える。
自分の体であって、自分のものではない体を、ゆっくりと起こす。
首元にはまだ違和感が残っていて、喉を動かすたび、内側から鈍い痛みが追いかけてくる。
「無理しないでくださいね、霊夢さん」
すぐ傍で、鈴仙が声をかけてくる。
その立ち位置と距離感は、完全に看病する側のそれだった。
鈴仙は手際よく布団を整え、座りやすいように背に座布団を差し込む。
「……大丈夫、ありがとう」
喉を労わるように、短く答える。
声は思ったよりも掠れていて、少し頼りない響きだった。
鈴仙はそれを聞いて、ほんの一瞬だけ眉を寄せたが、何も言わなかった。
その代わり、脇に置いてあった小さな木箱を持ち上げる。
「退屈でしょう?将棋、持ってきました」
ぱちり、と蓋が開く音。
中から現れたのは、使い込まれた将棋盤と駒だった。
角が丸くなり、文字も少し掠れている。
永遠亭の誰かが、暇つぶしに使っているものなのだろう。
お互いに布団の上で、盤を挟んで向かい合う。
駒を手に取ると、不思議と動かし方は分かった。
ルールも、定石も、最低限の感覚は頭の中にある。
霊夢の記憶か、それとも俺自身のものかは、もうどうでもよかった。
駒を並べ終え、鈴仙が軽く会釈する。
「じゃあ、お願いします」
先手を譲られたので、歩を一つ進める。
ごく普通の初手。
様子見と言えば聞こえはいいが、実際は深く考えていないんだそれが。
鈴仙も同じように応じる。
盤の上で駒が静かに音を立てるたび、部屋にあるのは、その音と、遠くで鳴く鳥の声だけだった。
数手進んだところで、気づく。
鈴仙は勝ちに来ていない。
こちらの隙を突くでもなく、強く攻めるでもない。
かといって、わざとらしく手を抜いている様子もない。
ただ、こちらの動きを受け止めるように駒を動かしている。
――付き合っている、という感じだ。
俺は少しだけ考えてから、角を動かした。
博麗霊夢らしくない、考えた末での堅実で安全な一手。
「……」
鈴仙が、その手を見て小さく瞬きをする。
「今日は、随分落ち着いた指し方ですね」
「そう?」
「はい。前なら、もっとガンガン切り込んでたと思います」
なるほど。
やはり、霊夢とは違うらしい。
その指摘に対して、どう返すべきか一瞬迷う。
だが、結局は曖昧に肩をすくめるだけにした。
「そんな日もあるでしょう」
「まあ、そうですよね……」
鈴仙はそれ以上踏み込まず、また駒を進める。
視線を盤に落としながら、意識の端で部屋全体を感じ取る。
結界の気配。
扉の位置。
窓の外との距離。
「……霊夢さん」
不意に、鈴仙が声を落とす。
「疲れたら、すぐ言ってくださいね」
「うん、ありがとう」
短く返事をして、駒を動かす。
勝ち負けはどうでもよかった。
この一局は、ただの時間稼ぎ。
生きていることを、納得させるためのものなのだ。
将棋盤の上で、尚も小さな攻防が続いていた。
盤面はすでに中盤に差し掛かり、互いの駒が入り組み始めている。
鈴仙は相変わらず無理をせず、こちらの一手一手を丁寧に受け止めるように指していて、その慎重さは将棋というより、今の俺そのものを扱う手つきに近かった。
俺が駒を一つ動かした、その直後だった。
「――あら、面白そうなことしてるじゃない」
背後から、場違いなほど明るく、そして伸びやかな声が降ってくる。
「姫様」
「なあに、その顔。せっかく遊びに来たのに」
振り返ると、そこには蓬莱山輝夜が立っていた。
気負いも遠慮もなく、まるで散歩の途中に立ち寄ったかのような様子で、ガチガチに結界が張られた病室という空間の持つ緊張感を当然のように踏み越えている。
輝夜は将棋盤を覗き込み、並んだ駒を一瞥すると、すぐに口元を緩めた。
「へえ、そう指すんだ?」
その言い方は、純粋な意外さだけを含んでいて、そこに余計な意味は混じっていなかった。
「霊夢さん、新戦法を試してます」
「ふうん。で、どっちが勝ってるの?」
「……五分、です」
鈴仙はそう答えながらも、どこか言葉を選んだ調子だった。
輝夜は気にする様子もなく、俺の背後から盤面を覗き込み、興味深そうに首を傾げる。
「意外と堅い指し方ね。もっと無茶すると思ってたわ。だって線が見えるもの」
「……そう?」
俺がそう返すと、輝夜はくすりと笑った。
「ええ。まあ、たまにはそういう日もあるでしょうけど」
それ以上踏み込まず、あっさりと話題を切る。
その軽さが、この場ではむしろ異質だった。
輝夜はそのまま鈴仙の隣に回り込み、何でもない調子で肩に肘を乗せる。
「ねえ鈴仙、ここ、角切ったら面白くない?」
「姫様、横から口出ししないでください」
「えー、観戦者の特権じゃない」
「そんな特権はありません」
二人のやり取りは、いつもの永遠亭そのものだった。
主従というより、長年連れ添った悪友のような距離感で、病室の空気を少しだけ柔らかくする。
輝夜はわざとらしく頬を膨らませたあと、俺の方を見る。
「霊夢、次どこ打つの?」
答えを求められているのは分かるが、輝夜の視線には探る色がない。
ただ純粋に、暇つぶしとして将棋を楽しんでいるだけだ。
俺は盤面を見下ろし、少し考えてから銀を一つ進めた。
「へー、そうするんだ」
「ゆっくりと、確実に」
曖昧に答えると、輝夜は「ふーん」と興味深そうに声を出し、それ以上何も言わなかった。
この人は、踏み込まないことを選んでいる。
鈴仙の張り詰めた気配とは違い、輝夜の存在は、場を"遊び"として扱うことで、あらゆる"重さ"を無効化していた。
「ま、外野が邪魔するのも悪いわね」
しばらく盤面を眺めたあと、輝夜はあっさりとそう言って身を起こす。
将棋盤の上で、最後に動かされた歩が、かちりと音を立てて止まった。
「――来ますね、誰かが」
鈴仙が短く声を漏らす。
その瞬間、庭の方から、砂利を踏みしめる乾いた音が聞こえた。
規則正しいわけでもなく、忍び足でもない。
むしろ無遠慮で、しかし迷いのない足音だった。
開け放たれた襖の向こうには、永遠亭の庭が広がっている。
手入れの行き届いた苔と石灯籠、その向こうに背の高い竹林が揺れていた。
そして次の瞬間、その竹林の影から、ひとつの影が跳ねる。
ふわり、と言うには少し荒っぽく、だが重力を無視するほどでもない。
人影は庭石を足場にして軽く着地し、そのまま縁側へと歩み寄ってきた。
「……よっ」
気の抜けた挨拶とともに現れたのは、藤原妹紅だった。
妹紅は縁側に片足をかけたまま、部屋の中を一瞥し、最初に輝夜の姿を見つけて眉をひそめる。
「……いると思ったら、やっぱりいる」
「そりゃここが私の家だからね、何を当たり前のことを」
輝夜は将棋盤の横で、心底つまらなさそうに肩をすくめた。
二人の視線がぶつかる。
空気が、ほんの一瞬だけ張り詰めた。
だがそれは、刃を向け合うような緊張ではない。
長年擦り切れるほど繰り返された、決まりきった応酬の前触れのようなものだった。
「なにも、今回はお前にちょっかいを出しに来たわけじゃない。ただ、霊夢が無事かどうか気になったから、顔出しに来ただけだ」
妹紅はため息混じりに視線を逸らし、ようやく俺の方を見る。
「あ、私は大丈夫です。ご心配には及びません」
そう答えると、妹紅は「そっか」と短く頷いた。
それ以上、何かを言うでもなく、部屋の様子をぐるりと見回す。
将棋盤、鈴仙、そして輝夜。
そして、妹紅は縁側から一歩下がった。
「じゃあ、今日はこの辺で帰るわ」
「え、もう?」
輝夜が意外そうに言う。
「珍しいじゃない!もうちょっと嫌味の一つでも言ってくかと思ったのに」
「今はな、言う必要もないし」
妹紅はちらりと輝夜を見て、口の端だけで笑った。
一瞬、輝夜の表情が読み取れないものになる。
だがすぐに、いつもの調子に戻った。
「……ふうん。まあ、そういうなら」
輝夜は立ち上がり、軽く衣服を払う。
「じゃ、私も退散しようかしら。鈴仙、霊夢、いつか一緒に将棋をしましょうね」
それだけ言い残して、輝夜は部屋を出ていった。
妹紅も最後に一度、俺の方を見る。
何か言いたげで、しかし何も言わず、ただ小さく手を挙げるだけだった。
「じゃ。また来るからな」
そう言って、跳ねた白い背中は竹林の影へと溶けるように消えていった。
部屋に残ったのは、将棋盤と、鈴仙と、静けさ。
さっきまで確かにあった賑やかさが、嘘のように引いていく。
俺は、開け放たれた襖の向こうの庭を見つめながら、なぜか胸の奥に、言葉にできない引っかかりを覚えていた。
妹紅の姿が庭から完全に消え、竹林のざわめきだけが残った頃、部屋の中には、先ほどまでとは別種の静けさが満ちていた。
将棋盤はそのままに、鈴仙は慣れた手つきで駒を箱へ戻し始める。
木と木が触れ合う、控えめな音が、やけに大きく聞こえた。
「……もうそろそろでお師匠様の定期診断の時間ですからね、一旦片付けておきましょう」
「そうしましょう」
返事をしながらも、俺の視線は庭の方に向いたままだった。
理由は特にない。
ただ、何かを考えるには、あの緑が都合よかった。
そのとき、廊下の方から足音が近づいてくる。
軽くもなく、重くもない。
規則的で、迷いのない歩調。
聞き覚えのあるそれに、鈴仙がぴしりと背筋を伸ばした。
「……来ましたね」
そう小声で告げるのとほぼ同時に、襖が音もなく開く。
「失礼するわ」
現れたのは、八意永琳だった。
白衣に身を包み、片手には簡素な薬箱。
視線は部屋に入った瞬間から俺に向けられていて、余計なものは何一つ見ていない。
その視線だけで、この場の空気がわずかに引き締まるのを感じた。
永琳は畳の上に腰を下ろし、薬箱を開ける。
その動作一つ一つが無駄なく、長年の習慣として身体に染み付いていることが分かる。
「鈴仙、記録」
「はい」
返事と同時に、鈴仙が懐から帳面を取り出す。
俺はされるがまま、永琳の指示に従って姿勢を正された。
脈を取られ、瞳を覗き込まれ、呼吸の間隔を確認される。
その間、永琳はほとんど表情を変えない。
「頭痛は?」
「たまに」
「吐き気」
「今はない」
「夢は見る?」
一瞬、言葉に詰まる。
だが、ここで変に考えるのも面倒だった。
「……見るけど、覚えてない」
永琳はふむ、と短く息を漏らし、帳面に何かを書き込む。
「記憶の混濁は?」
「……分からない」
「"分からない"という自覚があるなら、悪化はしていないわね」
その言い方は、安心させるというより、事実を淡々と並べているだけだった。
永琳は俺の首元に視線を落とし、ほんの一瞬だけ眉を寄せる。
だが、何も言わずに視線を戻す。
「身体的な異常は、今のところ想定内。問題は精神面だけど……」
そう言って、今度は俺の顔を正面から見る。
その視線は鋭いが、責める色はない。ただ、逃がさないという意志だけがある。
「霊夢。ここがどこか分かる?」
「永遠亭」
「自分が誰かは?」
「博麗霊夢」
一拍置いて、永琳は頷いた。
「現実認識は安定している。記憶障害というより、"自己と過去の切り離し"が起きている可能性が高いわね」
専門用語の意味を、俺は深く考えないことにした。
考えたところで、今の俺にはどうしようもない。
「引き続き、結界は維持するわ。自発的な外出は禁止」
「……はい」
「それから鈴仙」
「はい!」
「付き添いは継続。目を離さないで」
「承知しました」
鈴仙は即答したが、その声にはほんの少しだけ、覚悟の重さが滲んでいた気がした。
永琳は薬箱を閉じ、立ち上がる。
「今日はこれで終わり。無理に何かを思い出そうとしなくていい。ただ、感じたことは隠さず話しなさい」
そう言い残し、襖の方へ向かう。
去り際、ふと足を止め、背中越しに言った。
「……あなたは、今ここにいる。それだけは確かよ」
それが医師としての言葉なのか、別の何かなのか、俺には判断がつかなかった。
永琳が部屋を出ると、また静けさが戻る。
庭の風が、開いた襖を通り抜け、畳の匂いを揺らした。
俺は天井を見上げながら、ぼんやりと思う。
――"博麗霊夢"として、ここにいる。
その事実だけが、やけに重たく、そして他人事のようだった。
それからしばらくして、また襖が開く前から、部屋の中にふんわりとした、しかし決して軽薄ではない匂いが流れ込んできた。
薬草のようでもあり、どこか土の匂いにも似ているその気配に、鈴仙が一瞬だけ顔を上げて目を細めた。
「――失礼しますね」
そう告げて襖を開けてきたのは、茨木華扇だった。
畳に膝をつき、まずは鈴仙に礼をする。
華扇の視線は真っ直ぐ俺へ向けられ、そこには確かな安堵が混じっていた。
こうなる前から友好関係にあるということを、こういった小さな行動から察せられた。
鞄から小さな木の蓋付き湯飲みを取り出すと、手際よく蓋を外し、湯気を立てながら俺の前に差し出した。
熱さを確かめるように自分の手首に少しだけ当ててから、「温かいお茶よ、飲める?」と短く訊ね、俺が肯くと安心したように微笑んでくれる。
そうして一瞬の静寂がつくり出されると、彼女はふと腕まくりをして、手近に置かれていた帳面を取り出しながら言った。
「あなたの神社のことだけど、今は私が預かってる。境内の清掃も、参拝客の取り次ぎも、ちょっとした妖怪の相手も。あれこれ忙しいけど、なんとか回してる」
その言葉は報告であり、同時に慰めのつもりでもあるらしかった。
博麗神社がどうなっているのか、外の世界の様子がどう変わっているのかという不安を、少しでも和らげようとする口ぶりだった。
華扇は具体的なことを淡々と挙げる。
神社の屋根の修理を手配したこと、参拝の人足がいつもより少し増えたこと、境内の片隅で小さな揉め事があったが当人同士で折り合いをつけたこと――それらはどれも日常の延長の話のように聞こえるが、その一つ一つが「動かしている人間がいる」という事実を示していた。
博麗霊夢が博麗神社を離れていても、日常は続いているのだと実感させる言葉の羅列だった。
「何か困ってることがあったら言いなさい。手遅れになる前に……」
その言葉に、自分の胸の奥がふわりと熱くなるのを感じた。
友人としての距離感が、ちゃんとそこにある。
だが同時に、華扇の口調には「管理者代行としての確固たる責任感」も混じっており、そのバランスが、俺の中で微妙な居心地の悪さを生んだ。生きていることが当然のように話されるのに、自分自身はどこか外側でその会話を眺めている――そういう感覚が離れない。
しばらく互いにやり取りが続いた後、俺はふと、ほんの少しだけ視線を逸らして訊いた。
「そういえば、魔理沙はどうしてるの?」
問いは短く、自然に出たものだった。
日常の帳尻合わせの一部としての問いかけ。
入院生活は既に数日間経過し、その間にいろいろな人が見舞いに来てくれた。
しかし、その中でどういう訳か、東方projectもう一人の主人公たる霧雨魔理沙はいなかった。
その名を発した時、部屋の空気は間違いなく変わった。
鈴仙が一度だけ目を伏せ、俺も思わず胸の奥がぎくりとした。
だが華扇の表情には、驚きも、悲しみも、即座に表れない。
彼女は小さく息を吸ってから、軽く笑って言った。
「忙しくしてるんじゃないかしら。向こうで色々手がかりを探してるとか、いつもの調子で色々首を突っ込んでるかもね。向こうは向こうで頑張っていると思うわよ」
その返答は決して嘘ではないし、同時に真実を丸ごと語るものでもないことを察せられた。
言ってしまえば、当たり触りのない返答。
華扇はわざと重い言葉を避けているようでもあり、また本当に何も知らないかのようにも振る舞っている。
彼女の目を見れば、答えをはぐらかしているのだと気づかないはずはない。
それでも華扇は笑顔を崩さず、湯飲みの蓋をして鞄に戻すような仕草を見せた。
最後に、肩越しにもう一度だけ俺の顔を覗き込んで、あの穏やかな声で付け加えた。
「博麗神社には私がいるから大丈夫。今はあなたがすべきことは、休むことよ」
その言葉を聞くと、安心とともに妙な重みが喉に残った。
――
―
――
夜の永遠亭の音は、大変心地の良いものだ。
廊下の奥で軋む木材の鳴きに、庭の竹が風に擦れる微かな音。
灯りを落とした和室の中では、それらがやけにくっきりと耳に届いてくる。
布団上で横になる俺を傍らに、鈴仙は座布団に腰を下ろし、経過観察禄を記入している。
「……鈴仙」
声をかけると、彼女はすぐに顔を上げた。
「どうしました、霊夢さん。眠れませんか?」
「……うん」
正確には、眠るのが惜しかった。
目を閉じれば思考が途切れ、また朝が来てしまう。
今はまだ、考えていたい気分だった。
一拍、間を置く。
言葉を選んでいるわけではない。
ただ、どこから切り出せばいいのか分からなかった。
「……いくつか、質問してもいい?」
鈴仙は小さく頷き、姿勢を正す。
その反応だけで、これから出る言葉の重さを察しているのが分かった。
「私が」
喉が、わずかに乾く。
「私が、自殺を図った理由って……鈴仙は、何だと思う?」
言葉にした瞬間、部屋の空気が変わった。
張り詰める、というほど劇的ではない。
ただ、柔らかかった夜が、少しだけ硬さを帯びる。
鈴仙はすぐには答えなかった。
視線を逸らし、膝の上で指を組み直す。
その沈黙が、即答よりもずっと正直だった。
「……正直に、答えてもいいですか」
「うん」
「分かりません」
短い答えだったが、投げやりな響きはない。
「霊夢さんは、強いです。少なくとも、私が知っている霊夢さんは、多少のことで折れる人じゃありませんでした。だから……理由が一つだとは、思えなくて」
俺もそのように考えていた。
まず原作の博麗霊夢は最新作に至るまで普通に生きており、またその人格から自殺するようなキャラクターではない。
幻想郷で起きる事件事象異変を解決するためなら、道中で邪魔する存在――たとえ妖精だろうが妖怪だろうが神だろうが、見敵必殺の如く邪魔するもの全てを薙ぎ倒して進むようなキャラクターである。
故に理由は一つだけではない、というところまでは考え付いたものの、あまりの情報の少なさから、その先へ進むことができなかった。
今の鈴仙に訊いても、その進捗は進まなさそうだ。
そして、次の問いを口にする。
「じゃあさ」
声を少しだけ落とす。
「もし、私が……"前の私"じゃなくなったとしても」
言い切る前に、一度息を吸う。
「それでも、幻想郷に居場所はあると思う?」
鈴仙の目が、わずかに見開かれた。
この質問が、単なる仮定ではないことを、彼女は理解している。
鈴仙はしばらく考え込み、やがて、ゆっくりと言った。
「……そもそも居場所って、誰が決めるものなんでしょうね」
「……どういう意味?」
「里の人間ですか。妖怪ですか。それとも……霊夢さん自身ですか」
答えになっていないようで、核心を突いている。
「私は、幻想郷って……案外、寛容だと思ってます」
そう前置きしてから、鈴仙は続けた。
「理由が分からなくても、説明できなくても、"そこにいる"っていう事実だけで、受け入れてしまう場所ですから。良くも悪くも」
その言葉に、慰めの色は薄い。
現実を淡々と述べているだけだ。
「だから……元通りにならなくても、霊夢さんが霊夢さんとしてここにいるなら、居場所は……なくならない、と思います」
胸の奥で、何かが小さく音を立てた。
安心なのか、不安なのか、自分でも判別がつかない。
次の質問は、しばらく口に出せずにいた。
布団の中で、指先を握ったり開いたりしながら、逡巡する。
それでも、今聞かなければ、きっと聞けなくなる気がした。
「単刀直入に訊くね、魔理沙は生きているの?」
感情を込めすぎないように。
詰問にならないように。
ただ事実を確認するだけだと、自分に言い聞かせて。
鈴仙は、すぐには答えなかった。
視線が、俺の顔から外れ、畳の一点に落ちる。
ほんの数秒の沈黙。だが、その間がやけに長く感じられる。
「生きていますよ?」
ケロッと、さも当然のような口ぶりで答えた。
思わず呆気に取られる。
「……もう一つ質問、いい?」
「はい」
「もし」
ほんの一瞬、声が揺れる。
「もし、私が死んだら……私は、あの世に行けると思う?」
部屋が、完全に静まり返った。
鈴仙は即座に否定もしなければ、肯定もしなかった。
ただ、困ったように眉を下げ、言葉を探す。
「……幻想郷には、三途の川があります」
「うん」
「死んだら、魂はそこを渡る。少なくとも、そういう仕組みにはなっています」
それは説明であって、答えではない。
「でも……霊夢さん」
鈴仙は、初めて俺の名前を、少しだけ強く呼んだ。
「"行けるかどうか"よりも、"行く必要があるかどうか"のほうが、大事なんじゃないですか」
その言葉に、返す言葉は見つからなかった。
必要かどうか。そんな基準で、生と死を測ったことはなかった。
「……ごめん。変なこと聞いた」
「いえ。聞いてもらえて、良かったです」
灯りを落とし、布団の中に完全に身を沈める。
結界の淡い光が、瞼の裏に滲む。
眠気は、ようやく本格的にやってきた。
それでも、頭の奥では、鈴仙の言葉が何度も反芻されていた。
――居場所は、誰が決めるのか。
――行く必要が、あるのか。
答えはまだ出ない。
だが、少なくとも今夜は、その問いを抱えたまま、眠ることができそうだった。
――
―
――
幻想郷に来てから既に1週間以上が経過したものの、未だ永遠亭から出られない。
ここに来てから、"情報"というものが極端に遮られていると俺は断言できる。
しかしながら、それは意外にも良い作用をもたらした。
そう、こうして考えに耽ることができるのだ!
――博麗霊夢の人格が変化している事実は、既にバレている。
俺は、そう結論づけていた。
記憶が曖昧だからとか、衝撃で性格が変わったからとか、そういう話ではない。
受け答えの間、視線の置き方、沈黙の選び方。
そういった細部の積み重ねが、博麗霊夢という人間の輪郭から、確実にズレている。
それを、永遠亭の連中が見逃すほど鈍いとは思えなかった。
単なる記憶障害による人格の変貌か、そもそも中の人間自体が変わっているのかまで把握しているかは分からない。
しかし、人格が以前とは別の者であるという事実は、掌握していて間違いないものであると思われる。
布団の中で、天井を見つめたまま、俺は「霊夢が自殺を図った理由」を考える。
考えざるを得なかった。
この体が、そういう選択をした以上、理由は必ず存在する。
衝動でも、錯乱でも、それは理由だ。
一つ目に思い浮かぶのは、やはり魔理沙だった。
魔理沙は生きていると鈴仙は言ったが、ハッキリ言って信じきれない。
まだ確定ではない。
確定ではないが、来ないという事実が、何より雄弁だった。
もし、魔理沙が死んでいるのだとしたら。
――魔理沙の死を嘆いた博麗霊夢が後追いした。
という可能性が、今俺の中で最も有力視されている。
あまりにも単純で、あまりにも納得できてしまう理由だ。
長年の相棒で、腐れ縁で、唯一、対等に喧嘩ができた存在。
そんな相手を失えば、霊夢が壊れても不思議ではない。
だが、それだけでは足りない気もする。
霊夢は、悲しみで動けなくなるタイプではない。
怒りと理不尽を抱えて、それでも日常を続ける人間だ。
少なくとも、俺の知っている博麗霊夢はそうだった。
だから、後追い説には、何かが足りない。
その一つ目の説を補完するのが、二つ目――本居小鈴の妖怪化。
つまり、妖怪化した小鈴を退治してしまったのではないかという可能性。
霊夢は博麗の巫女であり、幻想郷の人間を守るため、妖怪を退治する役目を背負っている。
たとえそれが、顔見知りで、話をしたことがあって、笑ったことのある相手であっても。
人間が妖怪になることが最上級の罪である幻想郷において、霊夢はかつて易者にしたように、小鈴にもそうしたのかもしれない。
実のところ、原作である東方鈴奈庵の最終巻で、なんと小鈴が妖怪化してしまう話が掲載されている。
また、魔理沙は妖怪化した小鈴に不意打ちを受け、そこで死んでしまった可能性が複合的に浮上する。
もし小鈴が完全に妖怪になり、止められず、救えず、退治という形で終わらせてしまったとしたら。
それは、霊夢にとって、決定的な一線になり得る。
魔理沙の死と、小鈴の妖怪化。
どちらか一つでも重いのに、両方が重なったとしたら。
……自殺に至る理由としては、過剰なほどだ。
それはそれとして、荒唐無稽な三つ目の仮説が浮かぶ。
霊夢の自殺そのものが異変だった説。
自殺は霊夢の意思ではなく、異変の黒幕によって唆されたもの。
そして、魔理沙は死んだのではなく、異変解決のために、
――向こう。
華扇のあの言葉が、三途の川を指していたのだとしたら。
霊夢の魂は、あちら側に行ったまま戻ってきていない。
そして、空になった器に、なぜか俺が入り込んだということだ。
そして4つ目――ごめん、俺「霊夢」だったわ説。
つまり、今の俺は、外の世界の転生者だと思い込んでいるだけで、本当は博麗霊夢そのもの。
自殺未遂の衝撃で、記憶と人格の一部が欠落し、それを埋めるために「外の世界の人間」という設定をでっちあげているという訳だ。
魂は入れ替わっていない。
そもそも、オリジナルの魂など存在しない。
あるのは、壊れた博麗霊夢だけ。
……考えたくないが、否定しきれない。
最後に残るのが、魂入れ替わり説。
現実世界にいた俺と、博麗霊夢が、何らかの理由で入れ替わった。
だから、霊夢の魂は外の世界に行き、俺が幻想郷にいるという訳だ。
布団の中で、小さく息を吐く。
仮説は出揃った。
どれも、それなりに筋が通っていて、どれも決定打に欠けている。
そして、どの説を採っても、一つだけ共通している事実があった。
博麗霊夢は、自分の意志で、境界を越えようとした。
逃げではない。
事故でもない。
選択だ。
俺は、その結果として、ここにいる。
成り代わりで、部外者で、当事者ではないはずなのに。
気づけば、霊夢の人生の続きを、勝手に背負わされている。
……他人事だ。
本来なら、そう言い切ってしまいたい。
だが、結界の中で、こうして考え続けている時点で、もう他人ではいられないのかもしれなかった。
永遠亭の夜は、まだ深い。
考える時間だけは、いくらでも残っていた。
読者年齢層調査
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10代以下
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10代
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20代
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40代
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50代
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60代以上