転生したら博麗霊夢(自殺未遂)だった件   作:敵ゆん

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舞台が永遠亭から動かないことに焦り始める今日この頃、がんばって投稿していきます。


第4話 意見具申

 俺は今、悪魔にとり囲まれている――証明という名の悪魔に。

 

 現在、俺はどん詰まりに瀕している。

 

 ただでさえ情報という手札が少ないのに、そのうえ信頼性に乏しいときた。

 手元にある手札で戦うにしたって、その手札が実は手札じゃありませんでした(!?)じゃ流石に限度がある。

 

 「実は~~だった」のような直接的かつ分かりやすい情報が、驚くほど全く出てこない。

 したがって、その曖昧な情報から逆算して真実を導き出すという、途方もなく地道なやり方しかできないのである。

 逆算――と言えば聞こえはいいが、実際のところやっていることは、拡大解釈・妄想・こじつけに過ぎない。

 

 さらに言うと、時系列さえあやふやである。

 一応、このぐらいの時期なんじゃないかな~と目星は付けていて、早苗や華扇がたびたび見舞いに来ることから、辛うじて東方風神録以降であると予想している。

 ただ、風神録ごろの霊夢さんはまだまだ尖っており、なおのこと精神の脆さゆえに自殺するとも思えない。

 

 よっぽどクリアさせたくない。

 それほどまでに博麗霊夢に知らせたくない事情ってなんなんだ?それぐらいしか、確定している情報はない。

 

 この永遠に思える暇を紛らわせてくれるのが、鈴仙である。

 

 鈴仙はかなり優しく、献身的で、談笑したり遊戯したり等、工夫を凝らしてくれている。

 それはもう、素直に申し訳ないと思うほどに。

 

 しかし、昔話――特に異変の類いは、一切しない。

 油断を誘ってもひらりと躱し、話を逸らすその手腕は、むしろ俺の油断を誘ってボロを出そうとしているのではないのかと邪推するほどだった。

 彼女の自然な笑顔を見れば、自責心に駆られ、たちまち追及する気が失せてしまう。

 

 誰が味方で誰が敵?誰が信用出来て誰が信用できない?誰が真実を知っていて、誰が知らない?……ありったけの"優しさ"に囲まれて、パラノイアになりそうだった。

 

 流石に、この監禁まがいの環境に置かれる博麗霊夢を救い出そうとする個人・勢力の一人一つはいたっていいように思える。

 

 もしかすると、俺が知らないだけで永遠亭の外では、そういう戦いが始まっているのかもしれない。

 はたまた、それとも俺が鈍感すぎて気づけていない情報を仕込んでいるのかもしれない。

 

 そう考えてしまう時点で、俺はもう正常ではないのだろう。

 

 なぜなら、その「一人」が現れない理由について、いくらでも合理的な説明を思いついてしまうからだ。

 

 ――霊夢本人が拒んでいることになっている。

 ――重篤な精神的外傷を負っており、刺激を与えない方がいいと判断されている。

 ――博麗の巫女という立場上、下手に動かせない。

 ――そして何より、「今は安静が最優先」。

 

 どれももっともらしい。

 どれも否定しづらい。

 そしてどれも、俺をこの場所に縛り付ける鎖としては十分すぎる理由だった。

 

 救いが来ないのではない。

 救いが「来なくていい理由」ばかりが、周囲に丁寧に積み上げられているのだ。

 

 そんな思考をしていると、決まって鈴仙は行動を起こす。

 

 

「霊夢さん、今日は少し顔色がいいですね」

 

 

 そう言って、穏やかに微笑む。

 

 ……顔色がいい。

 それは本当に、そう見えているのだろうか。

 それとも、「そうであってほしい」という願望が、彼女の視界を歪めているのだろうか。

 

 いや、違う。

 彼女は歪んでいない。

 歪んでいるのは、こちらだ。

 

 

「……そうかな。うん、そうかも。このまま退院できたらいいな」

 

 

「そうですね、でもその時が来たら私は寂しいです」

 

 

 曖昧に返すと、鈴仙はそれ以上踏み込まない。

 無理に元気づけることもしないし、過剰に心配もしない。

 距離感が、完璧だ。

 

 完璧すぎる。

 

 彼女は、俺の反応をよく観察している。

 何を言えばいいか、何を言ってはいけないかを、常に測っている。

 それは看護であり、治療であり……管理でもある。

 

 

「ところで、今日は何か読みますか?」

 

 

 そう言われて、少し考える。

 本を読むという行為は、今の俺にとって両刃の剣だった。

 

 活字に没頭すれば、思考を一時的に止められる。

 だが同時に、物語の中で「自由に動く登場人物」を見るたび、言いようのない焦燥が胸を掻きむしる。

 

 

「……今はまだ、いいです」

 

 

「そうですか。まあ何時でも、無理せず気兼ね無く言ってくださいね」

 

 

 無理。

 この環境そのものが、無理をしないことを強制してくる。

 そしてそれは、俺が「無理をする権利」を失っているということでもあった。

 

 俺は、自分の手を見る。

 楽園の素敵な巫女、博麗霊夢の手だ。

 異変を解決し、妖怪と渡り合い、幻想郷の均衡を保ってきた手。

 

 ……本当に?

 

 その記憶はない。

 原作でそう描写されていたから、知識として知っているだけだ。

 

 だとすれば、この身体の持ち主――本物の博麗霊夢が、俺の知らない何かを知っていたのだとしたら。

 

 そもそも、オリジナルの霊夢はどこへ?

 消えた?隠された?それとも――。

 考えが、ある一点に収束していく。

 

 誰かが、「自殺を図った博麗霊夢に知らせてはいけないこと」を決めた。

 そして、今度こそ霊夢が消えないようその決定に従って、世界が動いている。

 

 思わず笑いが漏れた。

 

 ――ああ、なるほど。

 

 これは牢獄じゃない。

 拷問でもない。

 「安心して、何も考えなくていい場所」だ。

 そして俺は今、その安心に殺されかけている。

 

 なら、どうする?

 暴れるか?疑うか?それとも――受け入れるか?

 選択肢は無限にある。

 だが、どれも正解には見えなかった。

 

 俺はゆっくりと息を吸い、吐いた。

 逃げるのはまだ早い。

 壊れるのはまだ先だ。

 

 静かな永遠亭の一室にて、俺は次に打つべき一手を、ひたすらに考え続けていた

 

 

 

――

 

 

――

 

 

 

 なぜ、誰も真相を教えてくれないのか。

 なぜ、ここまでして情報を遮断するのか。

 

 この問いは、永遠亭に来てから何度も俺の頭を巡っている。

 そして、ここ最近ある可能性に思い当たる。

 

 それは――彼女たちは、真相そのものを恐れているわけではない、ということだ。

 

 もし単純に「知られたら困る事実」があるのなら、もっと露骨な対応を取るはずだ。

 記憶操作なり、強制的な封印なり、紫ならいくらでも手段はある。

 それなのに実際にやっているのは、情報の遮断、環境の隔離、刺激の制限。

 あくまで"治療"の名目を保ったまま、俺を閉じ込めている。

 

 つまりこれは、隠蔽ではなく保留だ。

 

 真相は存在している。

 しかも、それを知っている者は複数いる。

 永琳、紫、華扇――少なくとも、このあたりは確実だろう。

 

 それでも教えない。

 

 理由は一つしかない。

 

 博麗霊夢がその真相をどう解釈するか――それを、彼女たちは恐れている。

 

 思い返してみれば、ずっとそうだった。

 

 永琳は「事実」を否定しない。

 身体は回復している、と認めた。

 異変が起きる可能性も、博麗神社の重要性も、否定していない。

 

 ただ一つだけ、繰り返し言った。

 

 

「今のあなたは不安定だ」

 

 

 それはつまり、事実が危険なのではなく、今の俺の"受け止め方"が危険だ。

 そう判断しているということだ。

 

 たとえば、同じ出来事でも――

 

 

 「だから頑張ろう」と思う人間と、「だから終わらせよう」と思う人間がいる。

 

 

 彼女たちは、その後者が現れる可能性を俺に見ている。

 

 ……いや、正確には違うな。

 

 "以前の博麗霊夢"に見ていた可能性を、今の俺にも投影している。

 

 だから、慎重になり、刺激を避け、真相を先送りにする。

 

 そう考えると、全てが繋がる。

 

 鈴仙が昔話を避ける理由。

 華扇が距離を測るように接してくる理由。

 紫が姿を見せない理由。

 

 そして――

 誰も「嘘」はついていない理由。

 

 彼女たちは、事実を捻じ曲げていない。

 ただ、渡すタイミングを決めているだけだ。

 

 したがって、彼女たちが恐れているのは、真相そのものではなく真相を知った博麗霊夢が何を選ぶか、だ。

 

 だったら――問題にすべきは、真相の中身じゃない。

 俺自身が、どういう人間であるかを示すことだ。

 そうでなければ、この膠着は、永遠に続く。

 俺は、布団の上で静かに息を吐いた。

 

 じゃあ、どうする?

 刺激を与えないことが、再発防止だと言うなら、逆に、刺激がなければ壊れると示せばいい。

 

 彼女たちの論理を否定する必要はない。

 同じ地平に立って、結論だけを反転させればいい。

 

 そのための、方法は――もう、いくつか思いついている。

 

 彼女たちの言い分は、分からなくもない。

 刺激を避ける。

 責務から遠ざける。

 過去を思い出させない。

 

 そうすれば、再発は防げる――という理屈だ。

 

 だが、それは本当に正しいのか?

 

 俺は、永遠亭で過ごした日々を思い返す。

 規則正しい生活。

 変化のない一日。

 常に誰かがそばにいて、決して一人にされない。

 

 安全だ。

 不便もない。

 だが――

 

 生きている実感が、驚くほど薄い。

 

 何も起きない。

 選択を迫られない。

 間違える余地すらない。

 

 それは、壊れない代わりに、磨耗していく状態だ。

 

 思考が鈍る。

 感情が平坦になる。

 やがて、「自分で決める」という感覚そのものが失われていく。

 

 永琳は、それを「治療」と呼ぶ。

 鈴仙は、それを「支える」と思っている。

 

 だが、俺からすれば――

 

 それは、じわじわと死んでいく感覚に近い。

 人間という生き物は、自分に一切の役割がない――社会から必要とされていないと理解すると、途端に壊れ始める。

 ニートやるってのは、意外と精神を擦り減らすものなのだ。

 

 自殺未遂とは、突発的な衝動で起こるものだと思われがちだ。

 だが、危ないのは、何も起きない時間が延々と続くことだ。

 

 意味を感じられない日常。

 役割を奪われた自己。

 未来に繋がらない「今」。

 

 刺激が多すぎれば、確かに壊れる。

 だが、刺激が無さすぎても、人は壊れる。

 

 ――俺は、その臨界点に立っている。

 

 もし、このまま何も変わらなければ、退院の目処も立たず、理由も知らされず、ただ「待て」と言われ続ければ……。

 

 その先にあるのは、間違いなく"回復"ではない。

 

 「どうでもいい」という感覚。

 「何も選ばなくていい」という逃避。

 そして――再び、自分を終わらせるという選択肢。

 

 皮肉な話だ。

 再発を恐れて刺激を遮断することで、再発の条件そのものを、丁寧に整えている。

 

 だから、逆に考える必要がある。

 刺激を与えなければ、再発してしまう。

 

 責務を奪えば、自己が空洞化する。

 役割を否定すれば、生きる理由が失われる。

 選択肢を閉ざせば、思考は内側に折り畳まれる。

 

 ――それは、治療ではない。

 

 問題が起きないように、時間を止めているだけ。

 だが、止めた時間は、必ずどこかで歪みを生む。

 

 俺は、静かに結論を出す。

 

 彼女たちの論理を使って、彼女たちを説得するなら――

 

 「刺激を与えないから安全」ではなく、「適切な刺激がなければ、危険になる」と示すしかない。

 

 俺が、責務を求めていること。

 役割を自覚していること。

 そして、それが衝動ではなく、思考の結果であること。

 

 それを、行動で示す。

 

 言葉では足りない。

 彼女たちは、言葉の裏側を疑う。

 

 なら、選択を突きつける。

 

 このまま刺激ゼロの治療を続けて、俺を壊すか。

 それとも、段階的に刺激を与えて、俺を戻すか。

 

 ――逃げ場は、用意しない。

 

 そう決めた時点で、俺の中の迷いは、ほとんど消えていた。

 

 残っているのは、

 どうやって、それを実行するかだけだ。

 

 問題は、どうやってそれを伝えるかだ。

 

 ただ訴えるだけでは足りない。

 こちらが「選択肢」を持っていることを示さなければならない。

 

 俺は、頭の中でいくつかの案を並べてみる。

 

 どれも一長一短。

 どれも、踏み外せば取り返しがつかない。

 

 だが――何もしないよりは、遥かにマシだ。

 

 一つ目、〈沈黙という異常〉ルート。

 

 もっとも静かで、もっとも心理的なやり方。

 

 自分からは何も語らない。

 質問にも、必要最低限しか答えない。

 感情表現を削ぎ落とし、要求も訴えも行わない。

 

 ただ、淡々と生活をこなす。

 

 それは一見、理想的な患者像だ。

 従順で、落ち着いていて、問題を起こさない。

 

 だが――だからこそ、異常だ。

 

 人は、回復に向かえば向かうほど、外界に関心を持つ。

 未来を気にし、役割を求め、質問を投げる。

 

 それを一切しないということは、「もう期待していない」というサインでもある。

 

 ただし、この方法は時間がかかる。

 そして何より、俺自身が先に削られる。

 

 諦めを演じ続けるのは、本物の諦めを呼び込む。

 最悪、そのまま戻れなくなる可能性もある。

 

 これは、最後の手段だ。

 

 二つ目、〈治療計画への介入〉ルート。

 

 正面から、永琳に踏み込む。

 

 感情論ではなく、「治療方針そのものに問題がある」と大胆に指摘するのだ。

 

 刺激遮断が逆効果になっていること。

 役割剥奪が自己否定を強めていること。

 再発リスクを減らすどころか、温存していること。

 

 それを、単なる患者としてではなく、"博麗の巫女の博麗霊夢"として言語化する。

 

 危険なのは、「分かっているが、許容できない」と切り捨てられる可能性があることだ。

 

 だが、この明確な意思表示は、間違いなくこの"永遠"に変化を否が応でも与えるはずだ。

 

 治療計画に対して明確な異議を唱えたという事実が、それは、後から無視しづらい"傷"になる。

 

 三つ目、〈他者を盾にする〉ルート。

 

 これは、一番危うい。

 

 自分ではなく、自分を通して他人に影響が及ぶ状況を作る。

 

 例えば――永遠亭の雑務を手伝ったり、誰かの負担を意図的に背負ったりなどして「自分が動かないことで、誰かが困る」という構図を作るのだ。

 

 そして――これらとは別に、もっと分かりやすい手もある。

 

 それは、患者服を脱ぎ、巫女服を着るという手だ。

 

 結界の中でもいい。

 永遠亭の廊下でもいい。

 「私は戻る意思がある」と、視覚的に示す。

 

 あるいは、掃除でも、薬草の仕分けでも、役割を要求する。

 

 「治療される側」ではなく、「機能しようとする存在」だと示すのだ。

 

 いずれのやり方も、色々な意味で無傷では済まない。

 下手をすれば、拘束が強まったり、選択肢そのものを奪われる可能性もある。

 

 問題は、どれを選ぶか。

 

 心理で揺さぶるか、論理で切り込むか。

 それとも、他人を巻き込むか。

 

 俺は、目を閉じる。

 

 永琳の冷静な目。

 鈴仙の優しい笑顔。

 

 ――誰に、何を突きつけるか。

 

 答えは、もう決まりつつあった。

 

 ――結局のところ。

 

 色々な要素を加味して最終的に俺が選んだのは、二つ目と三つ目のハイブリッドだった。

 

 〈治療計画への介入〉と、〈他者を盾にする〉である。

 そして、どちらも"相手の土俵″に踏み込むやり方だ。

 

 永琳は理屈で世界を守るタイプの人間であり、感情や善意を否定はしないが、それを最優先には置かない。

 

 だからこそ、「私は辛い」「閉じ込められている」と訴えるだけでは届かない。

 彼女にとって重要なのは、それが治療として妥当かどうか、再発率を下げるかどうか、管理可能かどうかだろう。

 ならば、そこに踏み込むしかない。

 患者としてではなく、治療対象としてではなく、"この治療を受けている当事者"として。

 

 このやり方なら、否定されても意味がある。

 却下されても、記録に残る。

 無視すれば、「なぜ無視したのか」が問題になる。

 つまり――選択肢を、相手から奪えなくする。

 

 二つ目は、正面突破。

 三つ目は、外堀を埋めるやり方。

 

 どちらか一方では足りない。

 どちらか一方だけなら、簡単に潰される。

 

 だから、両方を使う。

 

 卑怯で、面倒で、たぶん、褒められたやり方じゃない。

 

 それでも――行動を起こさなければならない。

 

 

 

――

 

 

――

 

 

 

 朝食の時間は、奇妙な静けさに満ちていた。

 

 湯気の立つ味噌汁。

 湯飲みを置く音。

 箸が器に触れる、かすかな乾いた音。

 

 誰も余計なことは言わない。

 それでいて、誰一人として気を抜いてもいない。

 

 全員が食べ終え、自然と手が止まり、空気が"時"を待つ段階に入ったのを、俺は感じ取った。

 

 ――今だ。

 

 

「……あの」

 

 

 自分の声が、思ったよりも落ち着いていた。

 

 全員の視線が、同時にこちらを向く。

 鈴仙、因幡てゐ、輝夜、そして永琳。

 

 逃げ場はない。

 だが、逃げるつもりもなかった。

 

 

「永琳先生、一つ、お願いがあります」

 

 

 敬語。

 距離を保つための、意図的な選択。

 

 

「お願い……?どうしたのかしら?」

 

 

 柔らかいが、軽くはない声。

 

 

「はい。私の、治療と生活環境についてです」

 

 

 永琳の視線が、わずかに鋭くなる。

 だが口は挟まない。

 聞く姿勢だ。

 

 

「まず一つ目ですが……巫女服を、着させていただけないでしょうか」

 

 

 空気が、ほんの少しだけ揺れた。

 

 鈴仙が息を呑む。

 てゐが耳をぴくりと動かす。

 輝夜は、驚きよりも困惑の色を浮かべた。

 

 

「現在の患者服は、合理的だとは思います」

 

 

 俺は続ける。

 感情を乗せすぎないよう、言葉を選びながら。

 

 

「ですが、私にとっては"自分が何者か分からなくなる時間"が増えている感覚があります」

 

 

 

「それは……」

 

 

 永琳が口を開きかける。

 だが、俺は先に言葉を重ねた。

 

 

 

「刺激になる、という懸念があるのは理解しています。ですが逆に、役割を完全に剥奪された状態が長引く方が、私には負担です」

 

 

 視線を、まっすぐ永琳に向ける。

 

 

「博麗霊夢としての象徴を少しだけでも身に着けることで、むしろ気負いが減ります。"なにも背負っていない自分"を演じ続ける方が、かえって私は苦しいのです」

 

 

 一拍置いてから、二つ目。

 

 

「そしてもう一つ……永遠亭の雑務を、お手伝いさせていただけないでしょうか」

 

 

 

「雑務?なんで?」

 

 

 永琳の声には、明確な動揺があった。

 

 

「はい。掃除でも、配膳でも、記録整理でも構いません」

 

 

 俺は、あくまで"お願い"の姿勢を崩さない。

 

 

「何もしない時間が長いほど、思考が内側に向かいます。それよりも、身体を動かし、誰かの役に立つ方が、精神状態は安定します。再発防止の観点から見ても」

 

 そう前置きしてから、言った。

 

 

「完全な安静より、管理された活動の方が有効だと考えます」

 

 

 永琳が、はっきりとこちらを見る。

 

 医師の目だ。

 患者を測る目ではない、"提案を評価する"目。

 

 

「そう、ねえ……」

 

 

 沈黙が落ちる。

 

 その沈黙は、拒絶ではなかった。

 計算のための沈黙だ。

 

 鈴仙が、ちらりと永琳を見る。

 止めようとはしない。

 ただ、不安そうにこちらを見るだけだ。

 

 

「刺激を与えない、という方針自体を否定するつもりはありません」

 

 

 最後に、念を押す。

 

 

「ですが、"なにも起こらない状態"が続くことが、必ずしも安全ではないと、私は思います」

 

 

 朝の光が、卓の上を照らしていた。

 湯飲みは空。

 誰も箸を持っていない。

 

 逃げ場のない、しかし誠実な時間。

 

 

「……検討しましょう」

 

 

 永琳は、そう言った。

 

 即答ではない。

 だが、却下でもない。

 それだけで、十分だった。

 

 俺は静かに頭を下げた。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 この瞬間、確かに何かが動いた。

 

 まだ真相には遠い。

 だが――

 閉じられていた扉に、確かな取っ手が現れた。

 

 そんな感覚だけは、はっきりとあった。

 

 

 

――

 

 

――

 

 

 

 午後の光は午前中ほどの鋭さを失い、永遠亭の廊下を淡く満たしていた。

 障子越しに射し込む陽射しは柔らかく、時間の進みを曖昧にする。

 昨日の朝食の席で起きた出来事が、すでに遠い昔のようにも、ついさっきのことのようにも感じられる。

 なんとも中途半端な時間帯だった。

 

 俺は畳の上に座り、目の前に並べられた札を眺めている。

 

――百人一首

 

 それも、競技めいた真剣勝負ではない。

 読み手も取り手も、どこか力を抜いた、時間潰しのための遊戯だ。

 

 

「はいはい、次はこれよ」

 

 

 札を読む声は、鈴仙のものではなかった。

 

 月の姫――蓬莱山輝夜。

 今日の付き添いは、彼女が務めている。

 

 鈴仙は午前中から永琳の手伝いに回っており、「代打」という形で輝夜がここにいる。

 

 輝夜は慣れた手つきで札を一枚読み上げ、詠嘆の調子もわざと抑え気味にしていた。

 競わせるためではなく、空気を荒らさないための読み方だ。

 

 向かい側には、因幡てゐ。

 彼女は兎耳をぴくぴくと動かしながら、明らかに勝敗よりも相手の反応を楽しんでいる。

 

 

「ほらほら、霊夢。今の、取れたでしょー?」

 

 

「……反応が遅れた」

 

 

「ふーん。鈍ってるねえ」

 

 

 からかうような声色だが、どこか慎重だ。

 いつもの悪戯っぽさに、ほんのわずかなブレーキがかかっている。

 

 俺は黙って札を取り、山の端に寄せる。

 勝ち負けはどうでもよかった。

 だが、何もしないよりはずっとマシだった。

 

 鈴仙がいない。

 それだけで、空間の密度が違う。

 

 彼女が常に放っていた、柔らかくも逃げ場のない"見守り"が、今日は存在しない。

 その代わりにいる輝夜は、意識的に距離を取っている。

 近すぎず、遠すぎず、あくまで「場を共有しているだけ」という立ち位置だ。

 

 監視が緩んだ、と言うべきなのか。

 それとも、段階が変わった、と言うべきなのか。

 

 どちらにせよ、これは昨日までの永遠亭ではない。

 

 

「……霊夢、何か別のことに集中していないかしら?」

 

 

 輝夜が、札を読み終えたあと、ふとそんなことを言った。

 

 責める口調ではない。

 観察の延長のような、独り言に近い言い方だった。

 

 

「考え事をしている顔よ、それ」

 

 

「……そう見えますか?」

 

 

 てゐがくすっと笑う。

 

 

「まあ、無理もないよ。昨日は昨日で、色々あったみたいだし?」

 

 

 その言葉に、輝夜は視線をやらなかった。

 否定もしない。

 肯定もしない。

 

 ただ、次の札を手に取る。

 

 それが、この場のルールだった。

 

 昨日のことを、話題にしない。

 だが、存在しなかったことにも、しない。

 

 札が読まれる。

 音が落ちる。

 手が伸びる。

 

 俺は一枚取り損ね、てゐが軽やかにそれを掻っ攫った。

 

 輝夜が札を読み終え、ふっと息を吐く。

 

 

「……いい感じに札が減ってきたところだし、少し休憩にしましょうか」

 

 

 誰の様子を見て、そう判断したのかは分からない。

 だが、異論を挟む者はいなかった。

 

 てゐが伸びをしながら立ち上がる。

 

 

「じゃ、私はお茶でも取ってこようかなー。輝夜さま、何飲む?」

 

 

「任せるわ」

 

 

 そう言ってから、輝夜は俺の方を見た。

 

 

「霊夢は?」

 

 

 一瞬、考える。

 

 

「……同じもので」

 

 

「うゐっす」

 

 

 てゐはひらひらと手を振って部屋を出ていった。

 

 静寂が、戻る。

 輝夜は札を丁寧にまとめながら、こちらを見ないまま言った。

 

 

「昨日の話、まだ結論は出ていないわ」

 

 

 それは、説明でも忠告でもなかった。

 ただの事実の提示だ。

 

 

「はい」

 

 

「でも、永琳は前向きに考えていたわ。それだけは伝えたかった」

 

 

 それきり、彼女は何も言わなかった。

 

 問いただすことも、慰めることも、評価することもない。

 ただ、同じ部屋にいる。

 

 昨日までの"何も起きない日常"とは、決定的に違う。

 だが、答えが出たわけでもない。

 

 これは、待ち時間だ。

 保留された判断が、まだ空中に浮かんでいる時間。

 俺は畳に置かれた札の束を見下ろしながら、静かに息を吐いた。

 

 障子の向こうで、足音が止まった。

 茶を汲みに行ったてゐが戻ってくるにしてはやたら早い気がした。

 

 

「入るわよ」

 

 

 答えを待たず、障子が静かに開く。

 現れたのは、鈴仙と永琳だった。

 

 空気が、一段階だけ引き締まる。

 

 鈴仙はいつも通りの装いだが、表情はどこか硬い。

 一方、永琳は白衣のまま、薬籠も診察道具も持っていない。

 その時点で、これはいつもの経過観察ではないと分かる。

 

 輝夜が、先に口を開いた。

 

 

「ちょうど休憩にしたところよ」

 

 

「そう」

 

 

 永琳は軽く頷き、部屋の中を一瞥する。

 畳に並べられた札、寄せられた取り札の山。

 

 

「百人一首?」

 

 

「ええ。退屈しのぎに」

 

 

「それは結構」

 

 

 否定も評価もない。

 ただ、状況を把握するための確認だ。

 

 鈴仙が一歩前に出る。

 

 

「……代わり、ありがとうございます」

 

 

「いえ、問題ないわ」

 

 

 その言葉は輝夜に向けられているが、視線は一瞬、俺の方に流れた。

 昨日の朝食以降、初めて向けられる、真正面からの視線。

 

 だが、そこに咎める色はない。

 あるのは――心配と、戸惑いと、ほんの少しの距離感。

 

 その言い方は、「引き継ぎ」を意識したものだった。

 役割が、切り替わる。

 

 そして、永琳が俺の方を見る。

 

 診る目ではない、測る目でもない。

 ――判断する前の、確認の目だ。

 

 

「体調は?」

 

 

「問題ありません」

 

 

「食欲は?」

 

 

「あります」

 

 

「睡眠は?」

 

 

「眠れています」

 

 

 短い問答。

 カルテに書くためのものではない。

 

 永琳は、それ以上深掘りしなかった。

 

 

「そう」

 

 

 それだけ言って、視線を外す。

 

 沈黙。

 

 誰かが口火を切らなければ、この場は動かない。

 だが、その役を担うのが誰なのかは、最初から決まっていた。

 

 

「昨日の話について、少し時間が取れたわ」

 

 

 永琳の声は、淡々としている。

 

 感情を排した医師の声――ではない。

 むしろ、余計な装飾を削ぎ落とした"対話の声"だった。

 

 

「まだ結論ではないけれど、前提条件の整理は終わった」

 

 

 輝夜が、静かに息を吐く。

 

 

「……そう」

 

 

 彼女はそれ以上、口を挟まない。

 

 場を譲る、というより、意図的に一歩引いた。

 この話題において、主導権を握るのは自分ではないと理解している。

 

 鈴仙は、俺の斜め後ろに立つ。

 距離は近いが、触れない。

 支える位置ではなく、見守る位置だ。

 

 

「あなたの提案――」

 

 

 永琳が続ける。

 

 

「巫女服の着用と、雑務への参加について」

 

 

 一瞬、場の空気が張る。

 

 拒否されるのか。

 条件付きで認められるのか。

 それとも、先送りか。

 

 

「すぐに全面的に認めることはできない」

 

 予想通りの前置き。

 だが、そこで言葉は終わらなかった。

 

 

「けれど、全面的に否定する理由も、現時点では見当たらない」

 

 

 鈴仙が、はっと息を呑む。

 輝夜は、何も言わない。

 ただ、視線だけがわずかに動いた。

 

 

「段階的に、様子を見る」

 

 

 永琳はそう言った。

 

 

「まずは、外部刺激になりにくい範囲で。永遠亭の内部で完結する作業に限る」

 

 

「……具体的には?」

 

 

「掃除、簡単な配膳補助、薬草の仕分け。監督付きで」

 

 

 それは、完全な自由ではない。

 だが一方で、完全な隔離でもない。

 

 

「巫女服については……」

 

 

 一拍。

 

 

「明日から」

 

 

 胸の奥で、何かが静かにほどけた。

 堅実かつ着実な前進だ。

 

 

「ただ、条件は一つ」

 

 

 永琳の声が、わずかに硬くなる。

 

 

「精神状態に明確な変調が見られた場合、この試行は即座に中止する」

 

 

 俺は、頷いた。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 即答だった。

 迷う理由はない。

 これは、俺が自分で掴んだ扉の取っ手だ。

 

 永琳は、それをじっと見てから、静かに言った。

 

 

「……分かったわ」

 

 

 その一言で、この場の性質が変わる。

 

 治療対象としての博麗霊夢ではない。

 管理される患者でもない。

 

 ――条件付きだが、「選択を行った存在」として扱われた瞬間だった。

 

 

「詳細は、後で改めて伝えるわ」

 

 

 永琳はそう言って、踵を返す。

 

 

「鈴仙、引き続き様子を見て」

 

 

「はい」

 

 

 鈴仙は、はっきりと答えた。

 

 永琳が部屋を出る。

 その背中を、誰も呼び止めなかった。

 残されたのは、俺と鈴仙と輝夜。

 しばらくして、輝夜が微笑む。

 

 

「じゃ、鈴仙も一緒に百人一首、しましょう!」

 

 

 小さく、しかし確かな変化が、永遠亭の中で、静かに動き始めていた。

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