第3話:実験と日常
1. 実験の始まり
朝食を終えると、ルーシェンは俺を研究所の裏手にある空き地へと案内した。
「さて、早速実験を始めましょう」
淡々とした口調でそう言いながら、ルーシェンは分厚いノートを手にしていた。そこには、細かい文字がびっしりと書き込まれている。
「まずは、あなたの闇の力の基本的な性質を調べます。どのような条件で発動するのか、出力はどの程度コントロールできるのか――そういった点を確認していきましょう」
俺は頷いた。自分の力を理解することが重要なのは、言われるまでもない。
「では、まず簡単なところから。闇の力を意図的に発動させてみてください」
「え、でも……」
「心配はいりません。私が結界を張っています。万が一、暴走しても大丈夫です」
そう言ってルーシェンが手をかざすと、俺たちの周囲に淡い光の膜が形成された。
「さあ、どうぞ」
俺は深呼吸し、意識を集中させる。
闇の力――あの時、異形の怪物の攻撃を防いだ、あの感覚。
だが、何も起こらない。
「どうしましたか?」
「いえ……どうやって出せばいいのか分からなくて」
正直に答えた。あの時は恐怖と必死さで、無意識に発動していただけだ。意図的に使おうとすると、何をすればいいのか見当もつかない。
「なるほど」
ルーシェンはノートに何かを書き込んだ。
「では、感情と闇の力の関係を調べましょう。おそらく、強い感情が引き金になっているはずです」
「感情……」
「ええ。特に、恐怖や怒り、悲しみといった負の感情が、闇の力を引き出すのではないかと仮説を立てています」
そう言って、ルーシェンは本棚から一冊の本を取り出した。
「では、この小説を読んでください。非常に悲しい物語です。感情が高ぶれば、闇の力が発動するかもしれません」
俺は本を受け取り、ページを開いた。
タイトルは『石ころの冒険』。
読み進めると、確かに悲しい話ではある。長い旅を続けた石ころが、最後には川に流され、姿を消してしまう――そんな物語だ。
だが。
「……これ、石ころですよね」
「ええ」
「石ころに感情移入しろと?」
「できませんか?」
不思議そうに首を傾げるルーシェン。
「いや……できなくはないですけど、微妙にしづらいというか……」
困惑する俺に、ルーシェンは少し考え込むような表情を見せた。
「では、別の本を」
次々と差し出される本。
『風になった葉っぱ』『雲の一生』『砂粒の恋』。
物語としては面白いが、どれも主人公が人間ではなかった。
「あの、ルーシェンさん」
「はい?」
「もっと、人間が主人公の話ってないんですか?」
「人間……なるほど。確かにその方が感情移入しやすいかもしれませんね」
真剣に頷くルーシェンを見て、俺は少し不安になった。
この人、感情というものを本当に理解しているのだろうか。
2. ポンコツ魔法使い
それから一週間が経った。
実験は続いていたが、俺はルーシェンの奇妙な一面に気づき始めていた。
「今日の夕食は、野菜のシチューです」
ルーシェンが宣言した。
「また、ですか?」
「ええ。栄養バランスが取れていますし、効率的です」
俺は溜息をついた。この一週間、毎日同じメニューなのだ。
野菜のシチューと黒パン、そしてチーズ。朝は目玉焼きが出るが果物も同じものばかりだった。
確かに美味しいのだが、さすがに飽きる。
「あの、他の料理は作れないんですか?」
「他の料理?」
ルーシェンは不思議そうに首を傾げた。
「必要ですか? このメニューは、必要な栄養素を全て含んでいます。効率的ですよ」
「いや、効率だけじゃなくて……」
俺は言葉を選んだ。
「飽きるんですよ。毎日同じものだと」
「飽きる?」
ルーシェンは本当に不思議そうな顔をした。
「栄養的に問題ないのに、飽きるんですか?」
「問題ありますよ! 人間は、味を楽しむ生き物なんです!」
思わず声を荒げてしまった。
ルーシェンはノートを取り出し、何かを書き込み始める。
「なるほど……異世界の人間は栄養だけでなく、味覚の多様性も求める……興味深い……」
異世界関係ないと思う。そういえば、王都で研究していたと言っていたな。
「王都では、外に食べに行かなかったんですか?」
「いちいち外に食べに行くなんて、時間とお金の無駄です。しかし……」
少し考え込んだ後、ルーシェンは続けた。
「気持ちよく実験に協力してもらうためには、被験者の意見を拾うのも、必要かもしれませんね」
「分かりました。では、明日は別のものを作りましょう」
「本当ですか?」
「ええ。ただし、私はシチュー以外作れないので、あなたが作ってください」
「え」
「この世界の料理と、あなたの世界の料理の違いも研究したいですし、一石二鳥です」
結局、俺が料理を作ることになった。
学生時代、胃袋を掴んだらモテると思って料理をよく作っていたからいいけど。
(結局、食べてくれる女の子はいなかったが)
3. 生活の改善
それから、俺は積極的に生活の改善を提案するようになった。
まず、料理のバリエーションを増やした。
この世界の食材や、意外と豊富な調味料(ルーシェンの研究材料だったが、俺が来てから放置されていた)を使い、元の世界で知っている料理を再現してみた。
醤油っぽいものでの煮込み料理。
パスタのような麺料理。
焼き魚に似た料理。
ルーシェンは毎回、興味深そうに観察し、ノートに記録していた。
「これは、どのような原理で美味しくなるんですか?」
「原理って……」
俺は困惑した。
「美味しさに原理も何もないですよ。調味料の組み合わせと、火加減と、タイミングです」
「調味料の組み合わせ……つまり、化学反応ですね」
「まあ、そうとも言えますけど……」
ルーシェンは目を輝かせた。
「異世界の料理学……これは研究する価値がありますね」
そして、風呂も改善した。
「榊さん身体を洗いますよ」
俺は来た次の日の夕方そう言われて、コテージの一角にある石作りの部屋に連れてこられた。
お風呂にでも入れるのかと思ったが、何もない。
「どうするんですか?」
部屋の中央に立たされたので、そう尋ねると
「こうします。洗浄魔法」
俺は全方位から水を浴びてずぶ濡れになった。
「ええ……」
「これで綺麗になりました。乾いたら出ていいですよ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「どうしました?」
「もしかしてこれからずっと、これですか?」
「そうですが、何か?」
これこそ本当に実験体扱いじゃなかろうか。入れるものならお風呂入りたい。俺はお風呂をこよなく愛する日本人なのだ。
そこで俺は土魔法で浴槽を作ってもらい、水魔法と火魔法でお湯を入れてもらった。
ルーシェンは最初、「なぜそこまでする必要があるのか」と疑問を呈していたが、実際に湯船に浸かってみると、その価値を理解したようだった。
「なるほど……確かに、これは……リラックスできますね……」
湯船の中で、ルーシェンは珍しく穏やかな表情を浮かべていた。
「でしょう?」
「ええ。この温かさが、筋肉の緊張を解き、血行を促進し、神経を刺激して……」
「だから、理屈じゃないんですよ」
俺は笑った。
4. 闇の力の制御
生活が改善されていく一方で、闇の力の研究も進んでいた。
ルーシェンの様々な実験を通じて、俺は徐々に闇の力を制御できるようになっていった。
「闇の力は、魔力と同じようにあなたの体内に常に存在しています」
「それは、まるで血液のように体中を巡っているはずです。そして、あなたの意志によって、その流れをコントロールできる」
俺は目を閉じ、体内の感覚に集中した。
確かに、何かが流れている感覚がある。
温かくも冷たくもない。ただ、そこに確かに存在している。
「まずは、その流れを感じてください。そして、ゆっくりと体の一部に集中させてみてください」
右手に意識を集中させる。
すると、何かが集まってくる感覚があった。
「右手になにかが来る感じがします」
「いいですね。では、それを少しだけ外に出すようイメージしてください」
慎重に闇の力を放出する。
右手から、黒い靄が立ち上った。
「成功です!」
ルーシェンは興奮した様子で言った。
「これが、闇の力の基本的な放出です!思った通り魔力と感覚は同じですね!さあどんどん次に行きましょう!」
それから数週間、俺はひたすら闇の力の制御を練習した。
体内の闇の力を制御し、纏い、練り、そして放つ。
体から闇の力が漏れ出さないよう、ギリギリのところで止める。この感覚を、寝ている間でも維持できるようになると、無意識に力が発現することはなくなった。
そして、体内の闇の力を練り上げて放出する。
最初の頃とは比べ物にならないほどの黒い靄が、身体を覆う。
「榊さん、試しに私の攻撃魔法を防いでみてください」
「わかりました」
ルーシェンはそう言って、炎矢を放った。
俺は闇の力を纏って防御した。
すると、炎の矢は俺の体の表面で弾かれた。
「やはり……闇の力は、魔法を弾くんですね」
ルーシェンは目を輝かせる。
「ということは、あなたは魔法に対して非常に高い耐性を持つことになります」
その後の実験で、俺は魔法をまったく習得できないことが分かった。
闇の力が魔法の力を弾いてしまうため、魔力を体内に取り込むことができないのだ。
「残念ですが、あなたは魔法使いにはなれませんね」
そう言いながらも、ルーシェンの表情は残念というより、興味深いという色が強かった。
「ただし、その分、魔法に対する防御力は非常に高い。試しに、私の最高出力の魔法を受けてみますか?」
「え、大丈夫なんですか?」
「ええ。あなたの闇の力なら、おそらく防げるはずです」
ルーシェンは杖を前に突き出し、詠唱を始めた。
「炎よ、すべてを貫け。極炎槍」
彼の杖の先から、巨大な炎の槍が形成される。
今までに見たことのない規模の魔法だった。空気が歪むほどの熱量が、槍から放たれている。
「え、ちょっと待って...」
「これは、私が極限まで魔力を込めた槍です。単体攻撃としては、あらゆるものを貫くと豪語できる一撃ですよ」
そして、容赦なく炎の槍が俺に向かって放たれた。
「うおおおおおおお!」
俺は焦りながらも全力で闇の力を全身に纏い、防御態勢を取る。
炎の槍が激突した。
凄まじい衝撃と熱気。
だが、俺の体は無傷だった。
闇の力が、すべての魔法を弾いていた。ただ、黒い靄が勢いよく噴き出したため、人目のある場所では使えそうにない。
「素晴らしい……」
ルーシェンは感嘆の声を上げた。
「闇の力の防御能力は、予想以上です。これは非常に貴重なデータですね」
俺も驚いていた。
自分が、これほどまでに魔法に対して強いとは。
だが同時に思う。
これは、諸刃の剣かもしれない。
魔法を弾いてしまうということは、遠距離攻撃ができないし、回復魔法も受け付けないということだ。でもそれより...
「待ってって言ったのに、容赦なくそんな魔法をぶつけて来たのは怒ってますからね」
「え?」
ルーシェンはノートに書き込む手を止めて、キョトンとしていた。
5. 剣の訓練
「榊さん、あなたは魔法が使えません。闇の力も人目があるところでは最低限しか使えません。ですから、身を守る手段として、武器の扱いを学ぶべきです」
ルーシェンはそう提案してきた。
「武器、ですか」
「ええ。剣が良いでしょう。この世界では、最も一般的な武器です」
彼は家の中から木刀を持ってきた。
「ただし、私は剣がまったく使えません。ですから、練習相手として、これを使います」
地面に杖を向け、ルーシェンは呪文を唱える。
「土人形」
土が盛り上がり、人型を成す。
土人形――ゴーレムだ。
「土塊操作で作った土人形です。これを相手に、剣の練習をしてください」
俺は木刀を手に取った。
正直、剣の経験などまったくない。
元の世界でも、体育の授業で竹刀を振った程度だ。
「では、始めてください」
土のゴーレムが動き出す。
ぎこちないが、確かに攻撃してくる。
俺は木刀を振った。
だが、うまく当たらない。思った以上に素早い動きに翻弄される。
「くっ……」
何度も、何度も繰り返した。
すると、不思議なことが起こった。
剣を振るたびに、懐かしい感覚がある。
まるで、忘れていた何かを思い出しているような。
「この感じ……」
集中すると、体が勝手に動いた。
かつて何度も繰り返した動作を、無意識に再現しているかのようだ。
木刀がゴーレムの急所を捉え、土人形は崩れ落ちた。
「驚きました」
ルーシェンが言う。
「あなた、本当に剣の経験がないんですか?」
「ないはずなんですが……」
俺自身も困惑していた。
「でも、なぜか体が覚えているような感覚があるんです」
それからも剣の訓練は続いた。
俺の上達速度は、異常だった。
一週間で、五体のゴーレムを同時に相手にできるようになった。
一か月で、十体のゴーレムを倒せるようになった。
戦闘で多少の怪我はしたが、闇の力は回復力を高めるのか、軽い傷くらいならすぐ治ることも分かった。
「これは……普通ではありません」
ルーシェンは困惑していた。
「素人目ですが、あなたはまるで、何十年も剣を振ってきた剣士のような、動きをしています」
「俺にも分からないんです。でも、体が勝手に動くんです」
まるで、前世で剣士だったかのような――
そんな考えが頭をよぎる。
だが、そんなはずはない。
俺は前世など信じないタイプだ。
まあ、今置かれている状況自体が、思い切りオカルトだが。
「もしかすると、闇の力が関係しているのかもしれません」
ルーシェンは仮説を立てた。
「闇の力には、まだ解明されていない能力があるのかもしれません。例えば、過去の記憶や、別の存在の技術を引き出すような……」
それが真実かどうかは分からない。
だが、一つ確かなことがあった。
俺は、急速に強くなっていた。
6. 変化する関係
三か月が経った。
俺は、もはやルーシェンから独立することを考えなくなっていた。
当初は、この人物を信用できず、いつか離れようと思っていた。
だが、今は違う。
ルーシェンのポンコツぶりを見ていると、放っておけない気持ちになるのだ。
「榊さん、今日の昼食は何を作りますか?」
無邪気に尋ねてくる。
完全に、俺が料理担当になっていた。
「今日は、川魚の煮付けを作ろうと思います」
「魚の煮付け……魚を甘辛く煮込む料理ですね。異世界料理学的に、非常に興味深い調理法です」
「だから、異世界料理学って何なんですか」
俺は苦笑した。
ルーシェンは最近、俺の料理に夢中だった。
味見をしながら、「この味付けは、どのような化学反応によるものですか?」などと質問してくる。
そして、風呂の時間には必ず一緒に入るようになっていた。
「榊さん、この温度が最適なんですか?」
「だいたいこれくらいですね」
「なるほど。人間の体温より少し高い温度が、最もリラックス効果が高いんですね」
「だから、理屈じゃないんですよ」
こんなやり取りが、日常になっていた。
ある日、俺は気づいた。
「あれ……俺、もうルーシェンのこと、実験動物扱いしてるって思ってないな」
最初、確かに俺は研究対象だった。
だが、今は――。
目を輝かせて料理を学ぼうとする姿。
異世界の文化に夢中で質問してくる姿。
道具の使い方が分からず首を傾げる姿。
思わず、笑ってしまう。
「ああ、もう……」
俺は溜息をついた。
「この人、本当にポンコツだな」
その言葉には、呆れと同時に、確かな情が込められていた。
7. 新たな段階
三か月の訓練を経て、俺は大きく成長していた。
闇の力は、ほぼ完全に制御できるようになった。
必要な時に、必要な分だけ使える。
さらに、闇の力を体内で練り上げることで、身体能力を強化できるようにもなっていた。
速く走れる。
高く跳べる。
強く打てる。
「試しに、森の魔物と戦ってみますか?」
ルーシェンが提案する。
俺は頷いた。
森に入ると、すぐにゴブリンの群れと遭遇した。
「では、お願いします」
一歩下がるルーシェン。
俺は木刀を構え、動いた。
一瞬で、五体のゴブリンの背後に回り込む。
木刀を振ると、爪で抵抗されることすらなく、次々と倒れていった。
「素晴らしい……」
「あなたは、もう一人前の戦士ですね」
俺も驚いていた。
だが同時に、不安もあった。
この力は、本当に俺のものなのか。
「俺……この力を使っていいんでしょうか」
「それは、あなた自身が決めることです」
「でも……」
ルーシェンがやれやれといった感じに首を振る。
「闇の力は邪神の力とされていますが、それを使う人間が邪悪とは限りません」
「あなたは、この力で何をしたいですか?」
「……まだ分かりません。でも、人を傷つけるためには使いたくない」
「それで十分です」
ルーシェンは微笑んだ。
「あなたは、良い人間です、榊さん」
その言葉が、胸に響いた。
夕日が森を赤く染める。
「今日の夕食は、何を作りましょうか?」
「そうですね……今日は、デザートのプリンも作りましょうか」
「デザート!プリン! 興味深いです!」
俺は笑った。
この生活が、いつまで続くのかは分からない。
だが今は、この日々を大切にしたい。
ルーシェンと共に過ごす、この時間を。