ホラーかと思ったら異世界召喚だった   作:絵成数基

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雲上の王と豆の木の話

第70話:雲上の王と豆の木の話

 

1 魔力の雲道

 

 雲の上に立っているという事実を、体がまだ受け入れきれていない。

 足元を踏むたびに、わずかに沈む感触がある。しかし沈み切らない。綿を踏んでいるような、それでいて確かな抵抗がある。白い視界の中に、遠くの宮殿の輪郭だけが見えていた。

 エリシアが膝をついて雲の表面に手を当てていた。目を閉じて、何かを感じ取るように静止していた。

「魔力が含まれています」

 エリシアが立ち上がりながら言った。

「この雲は普通の雲ではありません。魔力で密度と硬度を得ているようです。それに加えて——下から常に風が吹き上げています。魔力を含んだ風が下から支えることで、この雲全体が浮遊しています」

「魔力を帯びた雲が風で浮いている、ということか」

「正確には、魔力によって変質した雲と上昇風の組み合わせです。ただ——」

エリシアは周囲を見渡した。

「乗れる雲と乗れない雲があります。踏み込む前に確認が必要です」

「先導してくれ」

「はい」

 俺は飛行機を片付けた。荷物にしまい込むと、身一つになった。エリシアが先頭に立ち、一歩ごとに足元の雲の密度を確かめながら歩き始めた。踏んで沈みそうな箇所を避け、硬い部分を選んで進む。その後を俺、ルーシェン、ファルマと一列で続いた。

宮殿は見えていた。

だが、いつまで歩いても近づかなかった。

 

2 雲の巨人の童謡

 

「ルーシェンさん」

ファルマが歩きながら言った。

「あれって——本当に誰かが住んでいるのでしょうか」

「伝承があります」

 ルーシェンは前を見たまま言った。

「雲の上の宮殿と、そこに住む巨人の。ただ童謡の域を出ないもので、実在するとは誰も本気にしていなかった」

「あ、それなら私も幼い頃に聞いたことがあります」

ファルマが言った。小さく目を細めた。記憶の中を探っているような顔だった。

「お母さんが寝かしつけの時に——雲の上には大きな人がいて、その宮殿まで辿り着いたものには褒美を与える、という話でした。まさか本当にあるとは」

「具体的にどんな褒美かは、話によって違うらしいです」

ルーシェンが続けた。

「あくまで伝承の域なので、細部は伝わった地域によって変わっています。ただ共通しているのは——辿り着いた者に何かを与えるという点だけです」

「何かを、ね」

俺は前方の宮殿を見た。

「そもそもあそこに着けるかが先の話だが」

 一歩進む。また一歩。

 宮殿が大きくなった気がした。

 しかし大きくなったわりに、近づいている気がしなかった。

「……距離感がおかしくないか」

 俺が言うと、エリシアが立ち止まって宮殿を測るように見た。

「おかしいです。既にかなりの距離を歩いているはずですが、宮殿の見え方がそれに対応していません」

「なぜだ」

「あの宮殿が——」

エリシアは少し考えてから言った。

「おそらく、私たちが想定しているよりも遥かに大きい。大きすぎるために、近づいても視覚的な変化が緩やかになる。山に向かって歩いているのに、なかなか大きくならないのと同じ原理だと思います」

 歩き続けた。

 それでもやがて、宮殿は大きくなった。

 

3 宮殿の門

 

 辿り着いた時、俺たちは全員しばらく動けなかった。

 門だけで、高さが二十メートルを超えていた。門の向こうに続く建物の壁が、見上げても頂点が見えないほど上に伸びていた。白い石材——いや、石ではないかもしれない。雲と同じ白さを持ちながら、光の当たり方が石に近かった。しかしその質感は雲の柔らかさも持っていた。

「壁の材質を確認させてください」

 ルーシェンが壁に手を当てて目を閉じた。しばらくして、首を振った。

「わかりません。魔力は感じますが——何でできているかの答えが出ない。雲と同じ成分を含みながら、石よりも硬い。それ以上は」

「解析不能か」

「はい。珍しいことですが」

ルーシェンは手を離した。その顔に、悔しさというより純粋な困惑があった。

 門の前に立った。

「とりあえず、声をかけてみよう」

「声をかけてどうするんですか」

エリシアが首を傾げた。

「開けてもらう」

「……それで開くかどうかは」

「試してみないとわからない」

 俺は門に向かって声を上げた。この高さでは叩くことすらできない。ただ、できる限り遠くまで届くように。

「雲の宮殿の主に申し上げます。旅の者四人、お目にかかりたく参りました。門を開けていただけますか」

 しばらく何も起きなかった。

 ファルマが俺の袖を引いた。

「榊さん——」

 その時、門が動いた。

 音があった。軽い素材でできているはずなのに、厳粛で重い音だった。まるで世界の蓋が開くような音が、雲の上に響いた。門が内側に向かって、ゆっくりと開いていった。

 

4 ジャックと豆の木

 

 中に入った。

 王宮のような作りだった。天井が高く、柱が等間隔に並び、廊下が奥へと続いていた。全てのスケールが大きかった。柱の一本が、俺たちが四人で抱えても囲めないほどの太さだった。

 しばらく歩くと、前方の扉の隙間から音が聞こえてきた。

「……音楽?」

ファルマが足を止めた。

「聞こえますね」

ルーシェンが扉の方に目を向けた。

「弦楽器の音です。ハープに近い」

「どこから——誰が演奏しているのですか」

エリシアが扉を見た。

 扉の前まで進んで、俺はそっと押した。扉は驚くほど軽かった。隙間から中を覗くと、浮かんでいた。ハープが、誰にも触れられずに空中に浮かびながら、その弦を動かしていた。音楽が部屋の中に満ちていた。

「自動で演奏している」

「魔道具ですね」

ルーシェンが静かに言った。

「ただ、この規模の精度は——相当なものです」

 廊下を奥へ進む途中、中庭に出た。

 中庭の中央に、巨大な鳥がいた。

 鶏に似ていた。しかし高さが2メートルを超えており、羽の色が金に近い白だった。それがのんびりと中庭を歩き回り、地面をついばんでいた。俺たちが通り過ぎても、ちらりと見ただけで興味を示さなかった。

「鶏ですか、あれは」

ファルマが首を傾けた。

「鶏に見えるな」

「卵は……」

エリシアが少し口ごもる。

「何の話だ」

「あのサイズなら卵もかなりの——」

「今は先に進もう」

 中庭を抜けて廊下に戻った。歩きながら、俺はふと口に出してしまった。

「ジャックと豆の木みたいだな」

「ジャック?」

ルーシェンが俺を見た。

「何ですか、それは」

「俺がいた世界の話だ。豆の木が空まで伸びて、その上に巨人の城があって——少年が忍び込んで、巨人の宝を盗む話だ」

「盗む?」

ルーシェンの眉が上がった。

「子供向けの話だ。主人公の少年が巨人のところに何度か忍び込んで、金の卵を産む鶏とか、黄金のハープとか——」

「金の卵を産む鶏」

エリシアが振り返った。

「先ほどの鳥が」

「関係ないだろう。話の中の空想上のものだ」

「巨人はどうなるのですか」

ルーシェンが続きを促した。

「最終的に、少年が豆の木を切り倒して——落ちてきた巨人は死ぬ」

「巨人が死ぬ話を、子供向けに?」

「民話なんてそういうもんだ」

 そう言いながら歩いていると、廊下が広間に繋がった。

 

5 謁見の間

 

 扉の横に、鎧が立っていた。

 高さ四メートルはある鎧だった。槍を構えて、扉の両脇に一体ずつ配置されていた。中身が入っている気配はなかった。しかし兜の細いスリットから、赤い光が俺たちを見ていた。

「何用か」

 低い声だった。声というより、空気の振動に近かった。

「偉大な雲の主に謁見したく参りました」

俺は言った。

 鎧は少しの間、動かなかった。赤い光が俺たちを一人ずつ見た。

「我らが王に失礼のないよう」

 そう言って、鎧が扉に手をかけた。重い扉が、内側に向かって開いた。

 中に入った。

謁見の間は、それまでの廊下や中庭とは異なる空気を持っていた。

 天井が見えなかった。柱が左右に並び、その奥に玉座があった。玉座は白い石材でできており、その上に——いた。

 座っていても、その大きさがわかった。白いトーガを纏い、灰色がかった白い顎鬚を蓄えた、老人の顔をした巨人だった。目を閉じていた。しかしその存在感が、部屋全体を満たしていた。

 俺はその存在感を体で受けた。敵意ではなかった。ただ、そこにいるというだけで空気の密度が変わるような圧があった。戦意が、吸い取られるような感覚があった。

 それでも足を動かした。前に進んで、玉座の前で膝をついた。後ろでファルマが同じようにした。ルーシェンも、エリシアも、俺に倣って膝を折った。

「よく来た」

 声が来た。

 音量は大きくなかった。しかしその声が部屋の隅々まで届いた。

「以前の来客から、百年以上が経つ」

 巨人がゆっくりと目を開けた。その目が俺を見た。

「ほう……お前は……」

何か懐かしいものを見る目だった。

「随分と長く寝ていたな」

「……」

俺は一瞬、意味がわからなかった。

「それは、どういう意味でしょうか」

「わからぬなら、よい」

 巨人は表情を変えなかった。しかしその目の奥に、かすかな色があった。何かを知っている者が、あえて黙っている時の色だった。

 俺はそれ以上聞くことができなかった。

「退屈しておった。

百年も同じ景色を見ておると、世界が止まったように感じる。

何か面白いものを見せてみよ。そうすれば褒美を考えよう」

 

6 豆の木の話

 

 俺は立ち上がり、三人に近づいた。声を落とした。

「何か面白いものを見せれば褒美をくれるそうだ」

「面白いもの」

ルーシェンが顎に手を当てた。

「この方が満足するようなものとなると——生半可なものでは足りないと思います。魔法の披露程度では退屈させるだけでしょう」

「じゃあ何が——」

「そこの者」

 巨人の声が上から降ってきた。

 俺たちは全員、動きを止めた。

「先ほどの話を聞かせよ」

「先ほどの——」

「豆の木の話だ」

 廊下の会話まで、聞こえていた。

 俺は背筋に冷たいものを感じた。この宮殿全体が、巨人の耳として機能しているのかもしれなかった。

 しかし同時に、困った。

 ジャックと豆の木は——巨人が最終的に死ぬ話だ。この存在の前で、巨人が馬鹿にされ、少年に宝を盗まれ、豆の木から落ちて死ぬ話を語るのは。

 俺はルーシェンを見た。ルーシェンは小声で言った。

「相手から求められた以上、話すしかないと思います」

「……そうだな」

 俺は玉座に向き直った。

「かしこまりました。ただ——この話は、巨人を良く描いているとは言えません。それでも聞かれますか」

「かまわぬ」

 俺は話し始めた。

 貧しい少年ジャックのこと。母親に売るよう言われた牛が、不思議な豆と交換されたこと。その豆から空まで届く木が生えたこと。木を登った先にあった巨人の城のこと。

 巨人は静かに聞いていた。

 金の卵を産む鶏のこと。黄金のハープのこと。巨人が気づいて追いかけてくる場面。俺は多少躊躇いながらも話した。ジャックが豆の木を切り倒したこと。落ちてきた巨人が、地面に叩きつけられたこと。

 話が終わった。

 沈黙があった。

 それから——笑い声が来た。

 大きかった。部屋の壁が振動した。柱が揺れた。俺は無意識に耳を押さえた。足元の床が震えて、体がふらついた。笑い声だけで、体に衝撃が来た。

 やがて笑いが収まった。

 巨人は目の端を、大きな指で拭った。

「面白い」

巨人が言った。声が上機嫌だった。

「我を称える話は何度も聞いた。我が知恵者で力者で何者にも勝ると——そういう話ばかりだ」

「はあ」

「巨人をバカにする話は、これが初めてだ」

巨人は口の端を上げた。

「悪くない」

 

7 褒美と雲の食事

 

「褒美の件だが」

 巨人は玉座の肘掛けに腕を乗せたまま、俺たちを見た。

「危機があれば、一度だけ力を貸してやろう」

 俺の中で、正直に言えば、少し違うものを期待していた。何か持ち帰れるものを。しかしルーシェンがすぐに言った。

「それはとてつもないことです、榊さん」

 小声ではあったが、確信のある声だった。

「この方の力は嵐を操り、天候を支配する。一度でも助力の約束を得られるというのは——私が知る限り、この世界の誰も得たことのないことのはずです」

 俺は改めて玉座を見上げた。

 百年以上、来客がいなかった存在。その力が、一度だけ俺たちのために使われる。

「ありがとうございます」

俺は頭を下げた。

「この上ない褒美です」

「硬くならずともよい」

巨人は言った。

「昼食を食べていくがよい」

 巨人が手をかざした。

 何もなかった空間に、テーブルが現れた。雲と同じ白さを持つ素材でできたテーブルが、俺たちのサイズに合わせて出現した。椅子も、皿も、全て同じ白い素材だった。まるで雲そのものを固めたような——と思ったら、料理も同じ色をしていた。

 スープが白かった。肉が白かった。野菜に見えるものも、全て白かった。

 俺はそれを見て、内心で少し考えた。食べられるのだろうかと。

 しかし巨人が静かに頷いているのを見て、俺は席についた。

 スープから始めた。

 一口飲んだ瞬間、驚いた。

 濃かった。見た目の白さから想像できないほど、深みのある味だった。何の出汁かわからなかったが、それが全て溶け込んでいるような味だった。

 肉を切った。切り口から、透明に近い汁が滲んだ。口に入れた瞬間、柔らかさと旨味が来た。雲でできているとしか見えないものから、どうしてこれほどの味が出るのかが全くわからなかった。

「うまい」

思わず声に出た。

「榊さん——」

ファルマがスープを一口飲んで、皿を見た。それからまた飲んだ。

「何ですか、これ。見た目と——全然違う」

「不思議な味ですね」

ルーシェンが肉を食べながら言った。

「材料の正体が全く見当たらない。しかし——」

その目が、珍しくほころんだ。

「これはおいしい」

 エリシアは黙って食べていた。しかし途中で俺を見て言った。

「雲でできているとしたら、雲はこんな味がするのですか」

「普通の雲に味はないぞ」

「ではなぜ」

「わからない」

 エリシアはしばらく考えてから、また食べ始めた。

 食事が終わった時、巨人が指を一振りした。テーブルも椅子も皿も料理も、全て消えた。

「行くがよい」

 

8 消えた宮殿

 

 宮殿を出た。

 来た時と同じように、エリシアが先頭に立って乗れる雲の道を選びながら進んだ。飛行機を取り出して、アルセインの塔の方角を確認した。

「あちらの方向です」

エリシアが指さした。

「雲の隙間から降りられそうな場所も——少し進んだところにあります」

 飛行機に乗り込んで、滑走を始めた。雲の上を走り、離脱した。

 空に出た瞬間、俺はふと後ろを振り返った。

 宮殿がなかった。

 さっきまであれほど大きく見えていた白い宮殿が、どこにも見えなかった。雲だけがあった。どこまでも続く、白い雲の海だけがあった。

 俺はしばらく後ろを見ていた。

 消えた。いや、最初から俺たちが会いに行く時にだけ、存在していたのかもしれなかった。

 飛行機は高度を下げながら、雲の海の下に向かって進んでいった。

 

 




くものうえには
おおきなきょじんさん。

きょじんさんは
そらのうえから
みんなをやさしくみまもってる。

よいこにしていたら
きょじんさんは
ごほうびをくれるの。

すてきなふくや
おいしいたべもの。

でもね
わるいこには
あえないんだって。

だから
よいこにしていましょうね。
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