第83話:すれ違いの果て
1 剣と記憶
王城の入口でジョアンと対峙した時、エドワードは何かを感じた。
榊たちは先に王城へ行かせている。ジョアンは榊たちを止めようとはしなかった。
感じたそれが何かを確かめる前に、ジョアンの剣が来た。
「エドワードォォォォ!」
速かった。
正統な剣術だった。無駄がなかった。型の一つ一つが、何千回と繰り返された練磨の結晶だった。剣を振り下ろすその軌道に、迷いがなかった。ある意味、型に嵌った——完璧すぎる動きだった。剣術に詳しければ先を読むのは難しくない。しかしその速さが、先を読むことを無意味にした。
エドワードは大剣で受けた。
衝撃が来た。以前の模擬戦で感じた力ではなかった。ペンダントから何かが流れ込んでいるのが、剣越しにわかった。弾いた。しかし弾き切れなかった。刃がエドワードの腕を掠めた。薄く血が滲んだ。
正気を失いつつあるはずの目が、剣術だけは正確だった。それが余計に悲しかった。
どこかで——エドワードは戦いながら思い出していた。
ジョアンと初めて会ったのは、エドワードがまだ部隊長だった頃だった。
男爵の爵位を持つ貴族の生まれで、新しく副団長として入ってきた時は、正直なところ好きではなかった。物腰が上から来ていた。平民上がりの自分を見る目に、どこか見下しがあった。
しかしそのジョアンが、貴族連中との交渉になると全く違う動きをした。エドワードが話すと壁ができる場所で、ジョアンは扉を開けた。事務能力も高かった。書類の処理、規則の解釈、宮廷の作法——平民から独学で補ってきたエドワードには、どうしても一歩遅れる部分があった。ジョアンがいればそれを気にせず、剣と指揮に集中できた。
ジョアンが騎士団長になった時、エドワードは正直ほっとした。
あの男が後ろを固めてくれるなら、自分は前だけを見ていられる。
その感謝を——言葉にしたことがなかった
エドワードは大剣を握り直した。
2 言葉の刃
ジョアンの攻撃が続いた。
型から外れない。しかしその速さと力は、エドワードが受けるたびに腕に伝わってきた。じりじりと——確実に押されていた。細かい傷が増えていった。
「団長」
エドワードは防ぎながら言った。
「黙れ」
ジョアンの口から言葉が来た。正確な言葉だったが、その声がずれていた。怒りと何か別のものが混ざっていた。
「黙れ……邪魔だ……邪魔だった……ずっと」
「模擬戦で勝てないことを、気にしていたか」
「うるさい」
「俺は気にしたことがなかった」
エドワードは大剣を上げながら言った。
「団長が剣で俺に勝てなくても、団長が貴族の連中と交渉してくれれば、俺は動けた。それだけで十分だった」
ジョアンの動きが一瞬、揺れた。
「騎士団の誰もが……お前を……」
「俺が動けたのは、団長が後ろを固めてくれていたからだ」
「——」
ジョアンの剣が、一瞬止まった。
しかし止まったのはその瞬間だけだった。すぐに動きが再開した。しかし今度は、今まで来た力強さではなかった。
「どこで……どこで間違えた」
ジョアンが言った。その声が揺れていた。
「俺は……ただ……認められたかっただけだ……騎士として……お前と……同じくらい……」
「俺はずっと団長を認めていた」
ジョアンの目が見開かれた。
「……嘘だ」
「嘘じゃない」
「そんなはずがない……!」
エドワードは首を振るジョアンの目をまっすぐ見据えた。
「ただ——言葉にしなかった。それは俺が悪かった」
「今さら——」
「ああ、今さらだ」
エドワードは答えた。
「俺が甘えていた。団長が全部やってくれると思って、感謝を言わなかった。それは本当のことだ」
ジョアンの動きが、また揺れた。
しかし侵食は続いていた。体の端から、影が這い上がっていた。
「わかっている……俺はもう……あれが宰相じゃなかったと……ペンダントをくれた宰相が……悪魔の偽物だったとわかって……それでも……お前に勝ちたくて……使ってしまった」
「一度でいい……お前に……負けたくなかった……」
ジョアンの目に、一瞬だけ正気が戻った。
「俺は……許されるべきでは……ない」
「団長……」
ジョアンの声が、静かだった。先ほどの混乱が嘘のような、落ち着いた声だった。
「わかっている……それでも……お前と……決着をつけたい」
3 最後の一撃
「行くぞ!」
剣が来た。
今まで受けた中で最速だった。型の一つ一つを、正確に、最大の速さで繋いだ一撃だった。生涯をかけて磨いた剣術の、全てが込められていた。
エドワードは受けた。
大剣を斜めに流して衝撃を逃がそうとした。しかし間に合わなかった。刃が腹部に入った。深かった。痛みが来た。
それでもエドワードの左手が動いていた。
ジョアンの動きが、一瞬だけ止まった。最後の一撃を放った直後の、わずかな隙だった。
エドワードの左手がジョアンの胸元に伸びた。ペンダントの鎖を掴み引きちぎった。
「……!」
金属が断ち切れる感触があった。
ジョアンの体から、影が引いていった。
力が抜け、膝が折れた。ジョアンが倒れた。
4 最後の言葉
エドワードは腹部を押さえながら、ジョアンの傍に膝をついた。
ジョアンの体の一部が、影に侵食されたまま戻らなかった。胸の一部が削り取られたように消えていた。血が大地に広がって行く。致命傷だった。
「エドワード……」
倒れたままジョアンが呼びかける。その声は細かったが、穏やかだった。正気の声だった。
「ここにいる」
「どこで……間違えた」
ジョアンが言った。途切れ途切れだった。
「俺は……どこで」
「二人とも、話すのが下手だったんだ」
エドワードは言った。
「俺が感謝を言わなかった。お前が不満を言わなかった。そうしているうちに、積み重なった」
「俺が……言えばよかったのか」
「俺が聞けばよかった」
ジョアンは少し間を置いた。目が天を見ていた。
「そうかも……しれない」
ジョアンが言った。
「……自分では言えたと……思っていなかった」
「俺もだ」
「……お前は……強い」
ジョアンが言った。
「剣だけじゃなく……そういうことが……俺には……できなかった」
「できたと思う」
エドワードは言った。
「ただ——機会がなかっただけだ」
ジョアンの目が、細くなった。
「騎士団を……頼む」
「わかった」
「お前なら……ちゃんとやれる……ずっとそれは……わかって、いた。お前は……」
ジョアンの口が、最後に何かを言おうとして——止まった。
ジョアンの呼吸が止まっていた。開いていた目をそっと閉じさせる。
しばらく、エドワードはそのままでいた。
王都の騒音が遠くに聞こえていた。鐘の音と、叫び声と、剣の音が混じって、遠くから響いていた。
エドワードは懐からファルマに渡されていた傷薬を取り出した。腹部に当てた。痛みが少し和らいだ。完全には治らなかった。それでも動けるかどうかの差はあった。
立ち上がった。
ジョアンの顔を見た。
薄く笑っていた。目を閉じて、口の端がわずかに上がっていた。激しい戦いの後と、長い苦しみの後と、それでも最後に何かを得た者の顔だった。
エドワードは一度頭を下げた。
「フォロードゥ……!」
それから王城に向かって歩き始めた。足元がふらついた。それでも歩いた。
5 天使と聖騎士
王都の外では、人々が動いていた。
セレナは空からそれを見ていた。大通りから正門に向かって、人の流れができていた。王都の外に張り出されたテントが見えた。炊き出しの煙が上がっていた。神官たちが動いていた。
いつの間に——とセレナは思った。
着地した場所にエルマンド大司教が来た。老いた穏やかな顔が、セレナに向かって深く頭を下げた。
「上級天使様、神よりお告げがございました」
「また私の知らないお告げですか」
その言葉に、自分でも気づかない苛立ちが混じっていた。
言葉を抑えようとしたが、少し漏れた。
(なぜ、私だけ知らされない)
「おそらく——すべては神のお考えの中に」
エルマンドが恭しく言った。
セレナは答えなかった。
その時王城の方から、何かを感じた。密度の高い悪の気配だった。フォロードゥが動いている。
「お待ちください。聖騎士を連れて行ってほしいのです」
咄嗟に王城へ向かおうとするセレナにエルマンドが声をかける。
「悪魔を倒すのに人の力も必要と、神託がございました」
「足手まといになるなら——」
「聖十騎士の二名でしたら」
ランエルとギディウスが前に来た。
「足手まといにはなりません」
ランエルが言った。その目に、信仰の火があった。声が少し上ずっていた。
「必ず役に立ちます。神の御名のもとに——」
「……わかりました。着いてきなさい」
セレナは空に上がった。翼を広げた。
二人が屋根を走り始めた。
6 会議室
俺たちは王城に入った。ファルマがエドワードのことが気になるのか、何度か後ろを振り返っていた。
「な……!?」
「これは……」
王城の廊下に入った時、血の匂いがむせるほど充満していた。
地獄だった。
倒れている者がいた。壁に大量の飛び散った血がついていた。まだ動いている者の頭に、全員ダリアの花が咲いていた。花を咲かせた者同士が、互いに殺し合っていた。
「たす……」
剣で斬られた女性の声は途中で途切れた。
思わず手を伸ばした。
しかし届かなかった。
俺は奥歯を噛んだ。
これが見えていながら、一人一人に闇の力で対処する時間はなかった。
「ルーシェン、散布してくれ」
「わかりました」
麻痺薬が霧になって広がった。廊下の全員が崩れ落ちた。ファルマが続いて回復薬を撒いた。
「命は繋ぎ止められると思います」
ファルマが言った。その声に、申し訳なさがあった。
「十分だ。行くぞ」
会議室に着いた。
扉に手をかけた。動かなかった。
「どうする——」
「時間が惜しいです。これが一番早い。爆炎槍!」
止める間もなくルーシェンが扉に向けて魔法を放った。扉が吹き飛んだ。
「近くに人がいたら——」
その先まで言えなかった。
会議室の奥に、それがいた。
三メートルを超える体だった。道化師の衣装のような、しかし全てが歪んでいるそれが、王に向かって手を伸ばしていた。
俺は走った。
剣を振った。手を切り払おうとした。しかしフォロードゥの体の防御が思ったより厚く、刃が弾かれた。切り払うには至らず、押しのけるにとどまった。
フォロードゥの手が王から外れた。
道化師の顔が俺を見た。
「おや?邪魔が入ったようですねぇ……」
その声は、邪魔をされたのに愉快そうだった。
「これ以上好きにはさせない!」
俺はフォロードゥと向き合った。