幼馴染がウマ娘になった話   作:サボテニウム

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第9話:その間接キスはスポドリの味

 

 

 

 翌日。

 校舎の廊下、少し開けたスペースで、黒山の人だかりができていた。  

 中心にいるのは、困ったように眉を下げて立ち尽くすクロ――キタサンブラックだ。

 

 そして、その前で熱烈にまくしたてているのは、派手なイタリア製のスーツを着た見知らぬ男。この学園に出入りしている、実績のあるプロのトレーナーだろう。

 

「キタサンブラックさん! 君の素質は本物だ。秋のデビュー戦、私と契約すれば最高の舞台を用意しよう。中等部に入ったばかりの君には、もっと経験豊富で、君の『美しさ』と『華やかさ』をプロデュースできる人間が必要だと思わないか?」

 

 男は、クロの手を執らんばかりの勢いで距離を詰めている。

 

「あ、あの……ありがとうございます。でも、私にはもう……」

 

 クロは必死に「キタサンブラック」の仮面を保ちつつ、丁寧にお断りしようとしている。だが、男の次の一言が、クロの逆鱗――すなわち「男としてのプライド」という地雷を踏み抜いた。

 

「君のような可憐なウマ娘には、守ってくれる一流のチームが必要だ。君はただ、お姫様のように中央を走ればいい。泥臭い練習なんて必要ないんだよ」

 

 ……お姫様。  

 

 その単語が出た瞬間、クロの頬がピクッと痙攣した。昨夜、ダイヤちゃんに「女の子」として抱きしめられ、敗北感を味わったばかりのあいつにとって、それは今、世界で一番言われたくないNGワードだ。

 

 クロの視線が、人だかりの後ろにいる俺を捉えた。その瞳は、助けを求めているというよりは、「おい、お前の獲物が横取りされそうになってるぞ、なんとかしろ!」と、焦りと怒りで激しく訴えかけている。

 

 男はさらに畳みかける。

 

「聞けば、今はまだ候補生の学生とつるんでいるそうじゃないか。そんな遊びは終わりだ。本物の『トレーナー』というものを見せてあげよう」

 

「……その『お姫様』、中身は相当な暴れ馬ですよ。アンタの手には負えない」

 

 野次馬の視線を切り裂くように、俺はわざとぶっきらぼうに言い放って、クロの隣に立った。

 

 スカウトの男が眉をひそめてこちらを見る。

 

「なんだ、君は。……あぁ、噂の『候補生』か。学生の分際で、彼女の何を知っているというんだ?」

 

 俺はクロの顔をチラリと見た。  

 

 あいつは「お姫様」と言われた屈辱で、今にも喉の奥から「あぁ!?」という野太いドスの利いた声が出そうになっているのを必死に堪え、プルプルと震えている。

 

「知ってますよ。こいつが誰よりも泥臭い走りに焦がれてて、お淑やかに中央を歩くより、泥を跳ね飛ばして先頭をぶち抜く方が似合ってるってこともね。……なぁ、キタサン?」

 

 俺がそう振ると、クロは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに口角をニヤリと上げた。それは「キタサンブラック」の可憐な笑みではなく、かつて喧嘩に勝った時の「クロ」の不敵な笑みだった。

 

「……ふふっ。ごめんなさい、トレーナーさん。私、お姫様扱いされるのは、あんまり好きじゃないんです。この……私のことを『暴れ馬』なんて言う、デリカシーのない候補生と、泥にまみれて走る方が、私には合ってるみたいで」

 

 クロは「キタサンブラック」の声を出しつつも、その瞳にははっきりと「よく言った、相棒」という俺への信頼が宿っていた。

 

「な……っ、何を言っているんだ! 君の才能をドブに捨てる気か!」

 

「ドブかどうかは、秋のデビュー戦で見せてやるよ。あんたが『本物』だっていうなら、その目で確かめにくりゃいいだろ」

 

 俺はそう言い捨てると、動揺するスカウトを無視して、呆然としているクロの腕を掴んだ。

 

「行くぞ。……暴れ馬の調教の時間だ」

 

「……っ、調教とか言うな! ……でも、まぁ、そうだな! 失礼します、トレーナーさん!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 二人きりの放課後。人目のない駐輪場まで来ると、クロは一気に「キタサンブラック」の仮面を剥ぎ取った。

 

「っぶねー……! あと一秒遅かったら、あのおっさんの顔面に右ストレートぶち込むところだったぜ! ナイスだ、お前!」

 

 クロは清々した顔で、バサバサと乱れた髪をかき上げた。

 

「……でもさ、お前。あんなプロ相手に啖呵切っちゃって。デビュー戦、マジで負けられなくなったぞ。もし無様な走りしたら……オレ、あのおっさんに無理やりお姫様コスプレさせられちまうからな!」

 

 あいつは不安を隠すように笑いながらも、その視線は真っ直ぐにターフを見つめている。俺たちは中1。まだ学園のターフを使わせてもらえない身分だ。門限の19:00まで、街中のアスファルトが俺たちの戦場になる。

 

「中1のうちはターフ使用禁止なのが痛いな。……でもまあ、いいさ。場所なんてどこだっていい。地面があるなら、そこが俺たちの戦場だ」

 

 俺は駐輪場の隅から、チェーンの錆びついた相棒――通称「ママチャリ号」を引っ張り出した。ウマ娘の脚力についていくには、これがないと話にならない。

 

「へへっ、違いねーな! ……遅れんなよ、カズユキ!」

 

 18:00。

 

 オレンジ色に染まる街中を、汗だくになりながら二人の影が疾走する。アスファルトを蹴るクロの荒い呼吸と、必死にペダルを漕ぐ俺の呼吸が重なる。キコキコと悲鳴を上げる自転車。だが、キタサンブラックという身体は、本人の「男としての根性」に応えるように、どこまでも加速したがっている。

 

「……はぁ、……はぁ、……おい、カズユキ……! まだ、いけるぞ……! あと1本、……18時きっかりまで、坂道ダッシュだ!」

 

 「男」の意地のままに自分を追い込むクロ。そのひたむきさは、道行く人々には「健気に努力する美少女ウマ娘」に見えているだろうが、俺にはわかる。こいつは今、昨夜の屈辱を、そしてスカウトへの怒りを、全部走りにぶつけてるんだ。俺も太ももがパンパンだが、ここで離されるわけにはいかない。

 

 18:30。

 

 門限まであと30分。汗が冷えていくのを感じながら、俺たちはトレセン学園への帰り道をゆっくりと歩いていた。俺は自転車を押して、その隣をクロが歩く。

 

「……死ぬ。マジで、足が棒だわ……」

 

 クロはそう言いながらも、どこか晴れやかな顔をしている。途中にあった自販機で買ったスポーツドリンク。クロはキャップを開けて喉を鳴らした。ゴクゴクと勢いよく飲み、口元を腕で乱暴に拭う。

 

「……ぷはぁ! 生き返る……! ほら、お前も飲めよ」

 

 何の衒いもなく、飲みかけのボトルを俺に差し出してくるクロ。中1の男子同士なら当たり前の光景。……でも、今のあいつはキタサンブラックだ。夕焼けに照らされた濡れた首筋、少し乱れた制服の襟元。俺は自転車のハンドルを片手で握りながら、ボトルを受け取る。

 

「……なぁ。さっきのスカウト、あいつの言う『お姫様』って、きっとダイヤちゃんみたいな子のことだよな。……オレには、一生かかっても無理なやつ」

 

 歩きながら、あいつは自分の手を見つめて呟いた。

 

「でもさ……今日みたいに、お前と泥臭く走って、こうやって一本のジュース分けて飲んでる時が、一番……自分が自分でいられる気がするんだ」

 

 クロは少しだけ照れくさそうに笑い、それから急に「あ!」と何かに気づいたように顔を赤くした。

 

「……あ、今の今の今の! なしだ! 乙女っぽいセリフとかじゃねーからな! ただの『相棒』としての確認だ! 勘違いすんなよ!」

 

 俺は苦笑いしながら、クロの飲みかけのボトルに口をつけ、煽った。  

 ぬるくなったスポーツドリンクが、乾いた喉に染み渡る。

 

「……キタちゃん?」

 

 その時だった。  

 

 夕闇の向こう、トレセン学園の正門前に、凛とした、けれどどこか震える声が響いた。  

 そこには、お抱えの運転手を背後に従えたサトノダイヤモンドが立っていた。

 

「あ……ダ、ダイヤちゃん!?」

 

 クロが弾かれたように直立不動になる。俺はボトルを口から離したが、時すでに遅し。ダイヤちゃんの視線は、俺の手にあるボトルと、それを今まさに飲んでいた俺の口元に釘付けになっていた。

 

「……お二人で、歩きながら……平然と、それを……?」

 

 彼女の瞳が、昨日の花火大会で見せた不安よりも、ずっと深く、昏い色に染まる。立ち止まって飲むならまだしも、歩きながら、日常の動作の一環として行われた「回し飲み」。そのあまりの自然さが、彼女の目には、二人の間に流れる「絶対的な時間」と「入り込めない親密さ」として映ったに違いない。

 

 これは、マズい。

 自転車で全速力で逃げ出したい。

 

「ち、違うんだダイヤちゃん! これは、その、効率化っていうか! 資源の節約っていうか……!」

 

 クロが必死に「キタサンブラック」のトーンで言い訳を並べるが、顔は隠しようもなく真っ赤だ。昨日とは違う。「一番好きな女の子(だと思っている相手)」に、「他の奴(俺)と間接キスをしているところ」を見られたという、男としての最悪の失態。

 

「……キタちゃんは、そんなにその方のことが、特別なのですね」

 

 ダイヤちゃんは一歩、俺たちの方へ歩み寄った。その微笑みは完璧に美しい。けれど、その背後に渦巻く「独占欲」は、昨日よりもずっと鋭く、冷たい。

 

「私とは、あんなに大切に、距離を置いて接してくださるのに……。トレーナーさんとは、そんなに……当たり前のように」

「い、いや、当たり前っていうか、こいつはただの……!」

「……羨ましいです。本当に」

 

 ダイヤちゃんは、俺を射抜くような目で見つめた後、クロに向き直り、その手をお淑やかに、けれど強く握りしめた。

 

「キタちゃん。……秋のデビュー戦、私も同じレースに出ることになりました。……絶対に、負けませんから」

 

 それは、ただのライバル宣言ではなかった。  

 

「あなたからキタちゃんを奪い返す」という、静かなる宣戦布告だった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ダイヤちゃんが車に乗り込み、去っていった後。門の前に残された俺とクロ、そして一台の錆びたママチャリ。

 

「………………終わった」

 

 クロは、膝から崩れ落ちた。

 

「お前……。お前のせいで、ダイヤちゃんに『オレ、実は不潔な女なんです』って思われたじゃねーかよ……!!」

 

 いや、そうじゃない。ダイヤちゃんはお前を「不潔」だなんて思ってない。「その唇、上書きしてやる」って思ってるんだよ。だが、この致命的なすれ違いを指摘するには、今のクロはあまりにも可哀想すぎた。

 

 俺は無言で、自転車のスタンドを蹴って立てた。

 

 

 

 

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