幼馴染がウマ娘になった話   作:サボテニウム

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第13話:硬いアスファルトと、水底の叫び

 

 

 

 それから数日がたち、体調が回復した後、クロは「死ぬ気でやる」と宣言した。

 

「……倍だ。今日からメニューを倍にするぞ、クロ」

 

 俺が提示した、中1のウマ娘がこなすにはあまりに過酷な練習表を見て、あいつはニヤリと不敵に笑った。

 

「……へっ、上等だ。お前がその気なら、オレが音を上げるわけねーだろ」

 

 生理の痛みから回復した後のクロは、何かに取り憑かれたようだった。

 学園中に流れる「候補生との不純な噂」も、ダイヤちゃんの冷たい視線も、すべてを振り払うようにアスファルトを蹴った。

 

 俺たち中等部の候補生ペアに、学園の恵まれたターフ(芝)の使用が許されるのは、金曜日の放課後だけだ。  

 

 それ以外の六日間は、朝5時から夜の門限ギリギリまで、ただひたすらに府中の街中を走るしかない。親友として、トレーナーとして、俺はあいつの「男のプライド」に応えたかった。ここで甘やかすことが、あいつを一番傷つけると分かっていたから。

 

 だが、現実は残酷だった。「男の根性」で物理法則は捻じ曲げられない。

 

 俺が倍に増やしたメニューは、クッションのない硬いアスファルトの上で、成長期のあいつの脚を確実に、内側から蝕んでいたのだ。

 

 初レースを2週間後に控えたの雨の日。

 

 金曜日じゃない、ただの平日。

 濡れて滑りやすくなった硬い路上で、クロの右脚がついに悲鳴を上げた。

 

「……あ、…………っが!!」

 

 ダッシュの最中、鋭い破裂音のような音が響き、クロが激しく転倒した。

 

 慌てて駆け寄った俺が見たのは、冷たい泥水にまみれて悶絶する、一人の小さなウマ娘の姿だった。

 

「クロ!!  足を見せろ!!」

「……触るな! 大丈夫だ……まだ、走れる……っ!」

 

 強がるあいつを無理やり押さえつけて確認すると、右足首の上部が異常に腫れ上がっている。……シンスプリントの悪化か、あるいは疲労骨折か。俺が課したメニューと、容赦のないアスファルトの硬さが、あいつの身体を破壊してしまったんだ。

 

「……今すぐ病院行くぞ。折れてるかもしれない」

「……嘘だろ。……おい、カズユキ……。冗談だよな……?」

 

 クロの瞳から、みるみるうちに光が消えていく。  

 雨に打たれながら、あいつは自分の動かない脚を、震える手で何度も叩いた。

 

「……デビュー戦まで、あと少しなんだぞ……! ダイヤちゃんに勝たなきゃいけないんだ……! なんで……なんで俺の身体は、こんなに……っ、弱ぇんだよ!!」

 

 あいつは泥水を跳ね上げながら、地面を殴りつけた。  

 

「男」の意志に「女」の身体が、そして「子供」の骨格がついてこなかった。俺が信じたあいつの根性が、皮肉にもあいつ自身を壊してしまった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 夜、医務室。  

 

 包帯でガチガチに固められた脚をベッドから投げ出し、クロは無言で天井を見つめていた。医師の診断は「全治一ヶ月」。デビュー戦に出るには、絶望的な数字だ。

 

「……悪い。……カズユキ」

 

 掠れた声で、クロが呟いた。

 

「……お前が信じてくれたのに。……オレ、……結局、ただの『出来損ない』だったわ。……お前のキャリアにも、傷つけちまったな」

 

 自嘲気味に笑うその顔は、もう怒る元気すら残っていない。

 

「……俺のせいだ。ターフも使えない環境で、メニューを組んだ俺が、お前を壊した。……すまなかった、クロ」

 

 絞り出すような俺の声が、無機質な医務室に響いた。  

 

 悔しくて、申し訳なくて、握りしめた拳が震える。中1の俺に、あいつの「男の意地」を受け止めるだけの器量も、知識もなかったんだ。

 

「……謝るなよ。決めたのはオレだ」

 

 クロは天井を見つめたまま、力なく笑った。

 

「カズユキ……。オレさ、心のどこかで『ウマ娘』の身体を舐めてたんだな。男の根性さえあれば、どんな無理でも効くって。……でも、実際は血は出るし、骨は悲鳴を上げる。……情けねぇよ。お前のせいにさせてくれれば楽なのに、お前に謝られるのが一番きつい……」

 

 その時だった。

 コンコン、と控えめな、けれど拒絶を許さないほど硬い音がドアを叩いた。

 

「失礼します」

 

 入ってきたのは、サトノダイヤモンドだった。  

 

 その手には、お見舞い用の立派な果物かごではなく、一冊の分厚いファイルが握られている。

 

「……ダイヤちゃん」

 

 クロが気まずそうに顔を背ける。あの日、あんなに冷たく突き放した手前、今の無様な姿を見られるのは耐え難いんだろう。

 

 けれど、ダイヤちゃんはそんなクロの様子を無視して、俺の前に歩み寄った。

 

「カズユキさん。あなたがメニューを倍にしたと聞いたとき、いつかこうなると思っていました。……あなたは、キタちゃんの『心』は見ても、『身体』を見ようとしませんでしたね」

 

 彼女の言葉は、鋭いナイフのように俺の胸に刺さった。

 

「ですが、それはキタちゃんも同じ。……二人して、なんて無茶な。……これを見てください」

 

 彼女が机に置いたファイルには、リハビリテーションの専門的なメニューと、水中で行えるウマ娘用のトレーニングプランが詳細に記されていた。

 

「……これ、サトノの専属チームが作ったやつか?」

 

 俺が尋ねると、ダイヤちゃんは静かに頷いた。

 

「今のキタちゃんの足に負担をかけず、けれどデビュー戦を諦めないための唯一の道です。……カズユキさん、あなたがこのメニューを管理してください。……キタちゃんを『ランナー』として立たせることができるのは、私ではなく……結局、あなたしかいないようですから」

 

 ダイヤちゃんは、ベッドの上のクロを見つめた。

 

 その瞳には、学園でできた新たな友人への慈しみと、そして「いつか必ずターフで屈服させる」というライバルとしての炎が混ざり合っていた。

 

「……キタちゃん。私、デビュー戦で、あなたがいないゴールを駆け抜けても、ちっとも嬉しくありませんから。……必ず、戻ってきてくださいね」

 

 ダイヤちゃんが部屋を出ていった後、室内には重苦しい沈黙と、差し出された「希望」が残された。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 数日後。

 学園の屋内プール。

 

 クロはサトノ家が用意した機能性重視の競泳水着に身を包み、腰まで水に浸かって歩行訓練を始めた。

 

「……浮力がある分、マシだけどよ。やっぱり、なんか落ち着かねぇな」

 

 脚に負担をかけないための水中トレーニング。だが、ここはターフ以上に「ウマ娘の身体」を意識せざるを得ない場所だ。濡れて肌に張り付く水着、しなやかな曲線を描くアスリートとしての肉体。そして何より、周囲の視線が最悪だった。

 

「……見て、あの二人。怪我したって聞いたけど、結局プールでもずっと一緒なのね」

「あの候補生、怪我をさせた責任を取るふりして、ずっとキタサンブラックにべったりじゃない」

「水着姿まで独り占めして……本当、何を考えてるんだか」

 

 プールの壁際に集まるウマ娘たちの間で、あの「不潔な噂」はさらに尾ひれがついて広がっていた。

 

「…………ッ」

 

 クロが水面下で拳を握り、肩を震わせる。ターフの上なら「走りの速さ」で見返せた。だが、今はまともに歩くことすらおぼつかない。言い返す気力さえ削り取られそうな、陰湿な空気。

 

「……ふぅーっ」

 

 突然、クロが大きく息を吐いたかと思うと、バシャッ! と音を立てて、水面の中に勢いよく顔を突っ込んだ。

 

 ブクブク、ボコボコ……。

 

 水面から、大量の気泡が湧き上がってくる。  

 

 それはまるで、行き場のない怒号や、罵詈雑言や、やるせない感情が、言葉になる前に空気の塊となって吐き出されているようだった。

 

 黒髪が水中でゆらゆらと広がり、美しい顔を覆い隠す。端から見れば「顔つけの練習」か、あるいは溺れかけているように見えるかもしれないが、俺には分かる。あいつは今、水の中で叫んでいるんだ。誰にも聞こえない声で、理不尽な世界に対して。

 

 ――数秒後。

 

 ザバァッ! と盛大に水しぶきを上げて、クロが顔を上げた。濡れた前髪が顔にべったりと張り付き、長いまつ毛から滴る雫が、涙なのかプールの水なのか、判別がつかない。ただ、熱くなっていた頬の赤みだけは、冷たい水で少しだけ引いていた。

 

「……カズユキ、悪い。俺のせいで、お前まであんな言われ方して……」

 

 クロは下を向いたまま、小さな声でこぼした

 

「……もしさ。もしあいつらの言う通り、オレが『ただの普通な女の子』だったら……お前、オレを捨ててたか?」

 

 冗談めかそうとして、失敗した声。

 中1の男子が抱くにはあまりに脆い、自分自身への不信感。

 

「…………」

 

 俺は無言で水に入り、クロの隣に並んだ。そして、周囲のウマ娘たちを睨みつけるわけでもなく、ただあいつの肩に手を置いた。

 

「……捨てねーよ。お前がにんじん食ってた頃からの相棒だろ」

「……カズユキ」

「噂なんて言わせておけ。……ほら、次のメニューだ。ダイヤちゃんがくれたプラン、全部こなすぞ。あいつに『お情けで助けて損した』って言わせてやるんだ」

 

 クロは一瞬、驚いたように俺を見たが、すぐにフッと短く笑った。

 

「……へっ、違げーねぇ。……そうだな。オレは、オレなんだ」

 

 クロは顔を上げ、周囲の視線を跳ね返すような、力強い目つきを取り戻した。不自由な脚で、力強く水を蹴る。

 

 その時だった。

 

「……随分と、熱心なリハビリだね」

 

 不意に上から降ってきた声に、俺とクロは同時に顔を上げた。

 プールの縁に立っていたのは、俺たちより少し年上の、大学生くらいの男。胸元にはトレセン学園公認トレーナーのライセンス証が揺れている。  

 

 ――担当ウマ娘:「シンボリルドルフ」

 

「会長の……トレーナー?」  

 

 クロが水の中から、警戒と驚きが混ざった声を上げる。

 

「やぁ。君が今、学園で噂の『暴れ馬』……キタサンブラックだね。そして君が、無茶苦茶なメニューで彼女を壊し、今は必死に繋ぎ止めようとしている候補生、か」

 

 男の言葉は淡々としていたが、否定できない事実が俺の胸に刺さる。

 

「……お説教でもしに来たのか。俺はこいつをデビュー戦に戻さなきゃならないんだ」

 

「説教?  違うよ。ただ、君たちの目があまりに必死だったからね。……かつての僕と、ルドルフみたいに」

 

 大学生トレーナーは膝をつき、水面に指を触れた。

 

「候補生。君は今、彼女を『元に戻そう』としてリハビリさせていないか? 男のプライド、怪我をする前の身体。それを取り戻そうと必死なんじゃないか?」

 

「……それが悪いのかよ」  

 

 クロが噛みつくように言った。

 

「悪いわけじゃない。でも、それじゃルドルフには……本当の『強さ』には届かない。……怪我をして、身体の変化を受け入れ、絶望を知った。それは『欠け』じゃない。新しい自分に生まれ変わるための、脱皮なんだよ」

 

 男は俺を真っ直ぐに見つめた。

 

「彼女はもう、君の知っている『北島黒』には戻れない。……だが、それを嘆く暇があるなら、今の、この『ボロボロで美しいキタサンブラック』だけができる走りを、君がデザインしてやるんだ」

 

 男は一通の封筒を俺に差し出した。

 

「ルドルフが骨折から戻ってきた時の、水中トレーニングのデータと、筋肉の動かし方の理論だ。……君のその『倍の根性』に、少しの『理屈』を混ぜてみなよ。そうすれば、その子は数多のライバルたちを追い抜く……いや、世界を驚かせるウマ娘になる」

 

 嵐のようなアドバイスを残して、男は「ルドルフが待ってるから」と爽やかに去っていった。

 

「……カズユキ」

 

 クロが、男からもらった封筒と、俺の顔を交互に見た。

 

「……あいつ、何だったんだよ。……でも、なんか……腹が立つくらい、今の言葉……効いたわ」

 

 クロは水の中で、自分の細い腕をじっと見つめた。

 

「俺は……『クロ』じゃなくなって、……『キタサンブラック』として、生まれ変わらなきゃいけないのか」

 

 その言葉は、もう過去への未練ではなく、未来への痛みを伴う覚悟のように聞こえた。

 

 

 

 

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