幼馴染がウマ娘になった話   作:サボテニウム

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第14話:フリルの違和感と、振動する現実

 

 

 

 束の間の休日。

 

 今週の土曜日は完全休息日(レスト)のため、俺はリハビリ中のクロを連れ出すことにした。

 

「……ったく、こんなヒラヒラしたもん、落ち着かねーよ。スカスカして、なんか……大事なとこが守られてねー気分だ」

 

 土曜日の朝。駅の待ち合わせ場所に現れたクロは、いつもの制服やジャージ姿じゃなく、少し大人びた私服――それも、清楚なフレアスカートに身を包んでいた。

 

 寮長たちから「休日は女の子らしくしなさい」とでも言われたのか、それともダイヤちゃんに選ばされたのか。慣れないスカートの裾を気にしながら、クロは顔を真っ赤にして俺を睨みつける。

 

「おいカズユキ、笑ったら承知しねーからな。……怪我人の気晴らしに付き合うって言ったのはお前だろ」

「笑ってねーよ。似合ってる……とは言わねぇけど、新鮮だな」

 

 嘘だ。

 

 本当は似合いすぎてて直視できない。  

 中身がガキ大将だと知っていても、網膜に映る映像は「初デートに緊張している美少女」そのものだ。脳の処理が追いつかない。こういうのを認知的不協和音というのだろうか。俺の青春、バグだらけじゃないか。

 

 俺たちは、リハビリの喧騒や学園の嫌な噂を忘れるために、少し離れた隣町のカフェまで足を伸ばした。

 

 足首の怪我は順調に回復しているが、まだ長距離を歩くのは厳禁だ。俺はあいつの歩調に合わせ、ゆっくりと街を歩く。中1の男子二人組……だったはずの俺たちは、今やどこからどう見ても、少し不器用な距離感の「少年と少女のデート」に見えているに違いない。すれ違うカップルの視線が痛い。

 

 こらそこ。「いい雰囲気だね」とか勝手に解釈すんな。

 こちとらリハビリ中だ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 街角のカフェにて。

 

「……ふぅ。甘ぇ……けど、悪くねーな」

 

 テラス席でイチゴパフェを突っつきながら、クロがようやく息を吐いた。周囲の視線も、ここではただの「可愛いウマ娘」に向けられる好奇心程度だ。あのアスファルトの熱気も、血の匂いも、陰湿なヒソヒソ声もここにはない。スプーンでクリームを掬うその仕草だけ見れば、あいつはどこにでもいる幸せな中学生に見える。

 

「なぁ、カズユキ。……オレ、最近たまに思うんだ。……走ってない時のオレって、一体何なんだろうな、って」

 

 パフェのクリームをスプーンでいじりながら、クロがぽつりと呟いた。

 

「カブトムシ捕まえて、蟻の巣花火で焼いて、お前と泥だらけになって……。あの頃は、自分が男だとか女だとか、そんなの考えもしなかった。……でも、身体が変わって、怪我して、会長さんのトレーナーに『脱皮しろ』なんて言われて……」

 

 クロは自分の細い指先を見つめた。

 爪には、ダイヤちゃんに塗られたのか、薄い桜色のマニキュアが光っている。

 

「オレがオレじゃなくなっていくのが、本当は……めちゃくちゃ怖いんだ。……デビュー戦のゲートが開いた時、オレは一体、誰として走ればいい?」

 

 あいつの瞳に、休日の陽光が反射して揺れる。強気な「クロ」と、戸惑う「ウマ娘」の狭間で、あいつは必死に自分という存在を繋ぎ止めようとしていた。

 

 アイデンティティの喪失。

 

 教科書で読めばただの単語だが、目の前のあいつが抱えているのは、もっと生々しい「自分という輪郭が溶けていく恐怖」だ。

 

 俺に気の利いた答えなんて出せるわけがない。

 だから、俺はいつもの「相棒」としての解だけを出す。

 

「……誰として走るかなんて、ゲートが開けば忘れるさ。それより、今はそのパフェを楽しめよ。溶けてるぞ」

 

 俺がそう言ってパフェを指さすと、クロは一瞬きょとんとした後、「……それもそうだな」と自嘲気味に笑った。

 

「難しく考えすぎんのは、オレの性分じゃねーわな。サンキュ、カズユキ」

 

 そう言って再びスプーンを動かそうとした時、クロのポケットでスマホが短く、重く震えた。

 

 ブブブッ、ブブブッ……。

 

 テーブルに置かれた振動音。

 

 画面を見た瞬間、あいつの顔からさっきの柔らかな色がスッと消えた。

 

 表示されているのは「母親」の文字。

 

 クロの家の事情は、幼馴染の俺も少しは知っている。

 

 小汚い団地の一室。夜の街で働く母親。

 

 あいつがウマ娘として覚醒した時、母親が真っ先に考えたのは「娘の将来」ではなく「いくら稼げるか」だった。小学生の娘を夜の店に立たせようとしたあの日の諍いを、俺は今でも覚えている。

 

 学園の全額公費負担という制度がなければ、クロは今頃ターフではなく、酒と香水の匂いがする場所で、誰かの慰みものとして擦り切れていただろう。

 

「…………」

 

 クロは通話ボタンを押さず、ただ画面を見つめている。バイブレーションの音が、楽しいはずのカフェの空気を泥のように汚していく。パフェを彩る鮮やかな赤色が、急に毒々しく見えてくる。

 

「……出なくていいのか?」

 

 俺の問いに、クロは震える指で画面を伏せ、テーブルに置いた。

 

「……いいんだよ。どうせ、また『金が足りない』とか、そんな話だ。……あいつにとって、オレは『男』でも『女』でもねぇ。ただの、金を生む『ウマ娘』なんだよ」

 

 クロの拳が、膝の上で白くなるほど握りしめられた。

 

 せっかくスカートを履いて、少しだけ「普通のウマ娘」の休日を楽しもうとしていたのに、現実は容赦なくクロを元の暗い井戸の底へ引き戻そうとする。

 

 親ガチャなんて言葉じゃ片付けられない、血の呪縛。

 

「……カズユキ。オレ、やっぱり早く勝ちてぇわ」

 

 顔を上げたクロの瞳は、パフェの甘さに浸っていたそれではなく、飢えた野良犬のような鋭さを取り戻していた。

 

「勝って、沢山賞金稼いで……。あいつに叩きつけて、オレの人生から完全に切り離してやる。……そのためなら、この身体が『女』だろうが何だろうが、利用できるもんは全部利用してやるよ」

 

 クロはそう吐き捨てると、溶けかけたパフェを強引に口に放り込んだ。甘いはずのクリームを、砂利でも噛むように飲み込む。

 

「だったら、なおさら足の怪我、しっかり治さねーとな」

 

 俺が努めて冷静にそう言うと、クロは毒気を抜かれたように、一瞬だけ呆然とした顔をした。それから、「……へっ、お前は本当、情緒がねーな」と、いつもの意地っ張りな笑みを浮かべた。

 

「わかってるよ。走れなきゃ、自由も何も手に入らねーからな。……あいつに、オレが『女として売られる』ようなタマじゃねーってことを、レースの結果で分からせてやる」

 

 クロはテーブルに置いたスマホを、今度は迷いなくバッグの奥底へ押し込んだ。通知の振動を、自分の中の「燃料」に変えるように。

 

「帰るぞ、カズユキ。パフェも食ったし、休みはこれで十分だ。……明日から、あの大学生トレーナーのメニュー、もっとキツくしてくれ」

 

 そう言って立ち上がったクロの背中は、さっきまでの「迷える少女」ではなく、自分の足で地獄を駆け抜けようとする「キタサンブラック」のそれだった。ヒラヒラしたスカートが風に揺れる。その姿は、皮肉にも、どんな勝負服よりも強く、美しく見えた。

 

 デートの締めくくりが「地獄への決意表明」とはな。

 

 だが、それでこそ俺の相棒だ。甘いパフェよりも、泥臭い勝利への渇望の方が、あいつには似合ってる。

 

 俺は伝票を掴み、席を立った。

 

 ……もちろん、支払いは俺持ちだ。これも「先行投資」ってやつにしておいてやるよ。

 

 

 

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