幼馴染がウマ娘になった話   作:サボテニウム

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第16話:世界で一番小さなライブ

 

 

 

 数時間後、学園の医務室。

 窓の外は、もう茜色と群青色が溶け合い、夜の帳が静かに降りてきていた。

 カーテンの隙間から、街灯の淡い光が長く伸びて差し込んでいる。

 消毒液の冷たい匂いと、微かに残る湿布の匂い。  

 静寂に包まれたその場所で、クロがゆっくりと目を覚ました。

 

「…………ここ」

 

 ぼんやりと天井を見上げるクロ。

 視線を横にやると、そこにはパイプ椅子に座ってあいつの目覚めを待っていた俺がいた。

 

「よぉ。お目覚めか、主人公」

「……カズユキ。オレ……」

 

 クロは自分の脚に巻かれた新しい包帯を見て、それから恥ずかしそうに視線を泳がせた。

 

「……オレ、またお前に抱えられたのか? ……カッコつかねーな。デビュー戦のヒーローがよ」

 

 そう毒づくものの、あいつの顔には以前のような卑屈さはなかった。

 むしろ、憑き物が落ちたような透明感がある。

 窓から差し込む薄明かりが、あいつの横顔を柔らかく縁取っていた。

 

「……なぁ、カズユキ。お前が言った通りだったわ。ゲートが開いたら、男だとか女だとか、そんなの関係なかった。……ただ、お前に見せてやりたかったんだ。オレの、一番いいところを」

「あぁ、しっかり見た。……最高だったよ」

 

 俺がそう告げると、クロは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから「……へへっ、だろ?」と、顔を赤くして子供みたいに笑った。

 

 その顔は、もう無理して作った「ガキ大将」の仮面じゃない。

 心から、相棒に認められたことを喜んでいる顔だ。

 だが、すぐにクロは「あ……」と思い出したように、少し寂しげに視線を落とした。

 

「……ウイニングライブ、できなかったな」

 

 本来なら、一着でゴールしたクロが、煌びやかな衣装に身を包んでステージのセンターに立つはずだった。

 でも、今のこいつの脚は、ダンスどころか自力で立つことすら怪しい。

 

「……別に、あんなヒラヒラした服着て踊んのなんて、柄じゃねーけどよ。……せっかくカズユキが一生懸命練習に付き合ってくれたのに。……ファンの連中にも、お前にも、俺の『晴れ舞台』見せられなかったのが……ちょっとな」

 

 クロは包帯に巻かれた右脚を、もどかしそうに指で突っついた。

 デビュー戦の勝利という最大の果実を手に入れた代償に、クロが密かに(嫌がりながらも)楽しみにしていたライブは、幻に終わってしまった。

 

 すると、静まり返った医務室のドアが、ノックもなしに静かに開いた。

 

「あら。ライブなら、これから始まりますよ?」

 

 そこに立っていたのは、衣装を着替えた私服姿のサトノダイヤモンドだった。

 その手には、タブレット端末と……小さなBluetoothスピーカーが握られている。

 

「ダイヤちゃん……。まだいたんだ」

「当たり前です。私のライバルの初勝利を祝わずに帰るなんて、サトノの名が廃りますもの。……カズユキさん、場所をお借りしますね」

 

 ダイヤちゃんは俺の隣に立つと、タブレットで『Make debut!』のイントロを流し始めた。

 

「……ええっ!? ここで歌うつもり!?」

「いいえ。……歌うだけなら、そのベッドの上でもできますでしょう? センターは、もちろんあなた。私は、バックダンサー兼コーラスです」

 

 ダイヤちゃんが、いたずらっぽくウインクする。

 クロは呆れたように肩をすくめたが、すぐに俺の方を向き、挑戦的な笑みを浮かべた。

 

「……聴いてろよ、カズユキ。衣装も照明もねーけど……。世界で一番熱いライブ、お前にだけ届けてやる」

 

 夕暮れの医務室。看護師さんに見つかったら怒られそうな小さなボリュームで、けれど魂の籠った二人の歌声が響き始めた。

 

「……悪くないな」

 

 俺はそう言って、スマホのライトを点灯させると、即席のペンライト代わりにゆっくりと振り始めた。

 

 狭くて、消毒液の匂いがする医務室。豪華な照明も、何万人の大歓声もない。

 だけど、夕闇が迫る部屋の中で揺れる一つの小さな光は、どのステージのスポットライトよりも熱く、二人を照らしていた。

 

 ……なんだよ、これ。

 

 こんなの、俺の青春の予定表には書いてなかったぞ。

 医務室で、怪我人とライバルが、たった一人の観客のために歌うライブ?

 ……最高じゃねえか。

 

 思わずライトを振る腕に力がこもる。

 

「……ふふっ、カズユキさん、ノリがいいですね」

 

 ダイヤちゃんが歌いながら、リズムに合わせて楽しげにステップを踏む。彼女のコーラスは完璧で、クロの力強い歌声を優しく、けれど確実に引き立てていた。

 

 一方のクロは、最初は照れくさそうに顔を赤くしていたけれど、俺がライトを振り始めると、吹っ切れたように前を向いた。 ベッドに座ったまま、上半身だけで大きくリズムを取り、俺の目を見つめて歌い上げる。

 

「……っ、♪走れ!走れ!……っ!」

 

 サビに差し掛かると、クロの声にさらに熱がこもった。さっきまで死ぬほど痛がっていたはずの身体から、信じられないほどのエネルギーが溢れ出している。

 

 あの日、雨の中で泣いていたガキ。ジャージを貸して、おぶって帰った夜。「女の身体」に絶望して、それでも俺の腕を掴んだ執念。

 

 そのすべてが、この歌声に乗って俺の胸に叩きつけられる。

 

 俺が振り続けるライトの光の中で、クロの瞳がキラキラと輝いていた。それは勝利の喜びだけじゃない、自分の進むべき道を見つけた者の輝きだ。

 

 歌が終わる。

 

 最後の音が空気に溶けて消えても、俺たちの耳の奥には、確かな熱が残響として残っていた。拍手をするのも忘れていた。ただ、早くなった三人の鼓動の音だけが、カーテンの揺れる音と重なっていた。

 

「……へへっ。どうだ、カズユキ。オレのライブ……100点満点だろ?」

 

 クロが、汗を拭いながら誇らしげに鼻を鳴らす。その顔は、勝利したアスリートの顔でも、可憐なウマ娘の顔でもない。ただの、全力を出し切って、相棒の前でだけ無防備に笑う「あいつ」の顔だった。

 

「……あぁ。120点だ。……うるさくて、下手くそで、最高に温かいライブだったよ」

 

 俺がそう答えると、クロは「なんだよそれ」と照れくさそうに笑い、満足そうに深くベッドに背中を預けた。その横では、ダイヤちゃんが少しだけ寂しそうな、けれどどこか吹っ切れたような顔で、窓の外に瞬き始めた一番星を見つめていた。

 

「……次は、私も一緒に、あの光の中へ行きます。……その時はカズユキさん、キタちゃんではなく私のライトを、振ってくださいますか?」

 

 ダイヤちゃんの静かな問いかけに、クロが「おい!」と口を挟もうとしたその時。

 

 コンコン、とドアを叩く音がした。現れたのは、厳しい表情を崩さない「皇帝」シンボリルドルフだった。そしてその背後には、柔和な笑みをいつぞやの大学生――ルドルフのトレーナーの姿もあった。

 

「ライブは終わったかな? 素晴らしいステージだったよ、キタサンブラック。……だが、生徒会長としては、医務室での騒音を見逃すわけにはいかないな」

 

「……まあまあ、ルドルフ。今日くらいは多めに見てやりなさい。彼女たちは、一つ大きな壁を越えたんだ」

 

 トレーナーが優しく諭すと、ルドルフ会長は「……君がそう言うなら」と、少しだけバツが悪そうにマントを直した。 そのやり取りには、俺たちにはまだ到底たどり着けない、長い年月をかけて積み重ねた「阿吽の呼吸」があった。

 

 ルドルフ会長は、ベッドの上のクロと、パイプ椅子の俺を真っ直ぐに見据えた。

 

「……カズユキ君。そしてキタサンブラック。君たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。勝利の蜜は甘いが、その蜜を味わうために流す血は、果てしなく苦いぞ。……それでも、君たちは走るのか?」

 

 問いかけに、クロが布団から顔を上げた。包帯の巻かれた足。汗ばんだ髪。痛みはまだ消えていない。それでも、あいつは俺の顔を一瞬見て、ニッと笑った。

 

「……当たり前だろ、会長。苦いのも痛いのも……全部飲み込んで、強くなってやるよ。……こいつと、二人で」

 

 俺の言葉を聞いて、ルドルフ会長はふっと口元を緩めた。それは「皇帝」ではなく、道を先に行く先輩としての、どこか哀愁を帯びた優しい笑みだった。

 

「……良い目になったな、二人とも。その『折れない心』を、大切にしなさい」

 

 会長たちが去り、ダイヤちゃんも「また明日」と優雅に去っていった。

 

 医務室には再び、二人きりの静寂が戻った。

 

 けれど、それは寂しい静けさじゃなかった。祭りのあとのような、少し気怠くて、でも胸の奥がじんわりと満たされていくような空気。窓の外では、秋の風が木々を揺らし、一番星が寒そうに瞬いている。

 

 俺たちは、いつの間にか大人になっていく。

 

 泥だらけになってニンジンを齧り、性別なんて気にせず笑い合った無邪気な季節は、もう二度と戻らない。

 

 これからは、血の味がする勝利と、身体の変化という不条理と、どうしようもない痛みを抱えて走る季節がやってくる。

 

 でも、不思議と怖くはない。

 

「……なぁ、カズユキ」

「ん?」

 

 クロが、窓の外の星を見上げたまま、ぽつりと呟いた。

 

「……腹減ったな」

 

 それは、全ての緊張から解き放たれた、等身大の「クロ」の声だった。

 

 どんなにカッコつけても、どんなに悲劇のヒロインぶっても、腹は減る。

 それが生きてるってことだ。

 

「……パフェでも食いに行くか? 奢ってやるって言っただろ」

「バカ。こんな足で行けるかよ。……コンビニでいい。あのドロドロした鉄分入りのジュース、買ってこいよ」

 

 クロは少しだけ顔をしかめて、自分の腹をさすった。

 

「……マズいんだよな、あれ。鉄の味がしてさ。……でも、今のオレには、それが必要なんだ」

 

 その言葉が、俺の胸にストンと落ちた。

 甘いパフェじゃなく、鉄の味がするジュース。

 

 それが、これから俺たちが歩んでいく道の味だ。

 

 だけど、二人で飲むなら、その鉄の味さえも悪くないと思える気がした。

 

「……へいへい。パシリはつらいね」

 

 俺は苦笑いして立ち上がった。

 

 スマホのライトを消すと、部屋の中はまた夕闇に包まれたけれど、クロの瞳だけは、窓の外の星よりも強く、温かく光っていた。

 

 俺はドアノブに手をかけ、振り返らずに言った。

 

「……行ってくる。待ってろよ、相棒」

 

 背後から、衣擦れの音と、短くて力強い返事が聞こえた。

 

「……おう! 早く戻ってこいよ! ……待ってるからな!」

 

 医務室を出ると、廊下はひんやりと冷たかった。

 外に出れば、さらに冷たい秋の夜風が吹いているだろう。

 

 ジャージのファスナーを一番上まで上げても、きっと肌寒さは消えない。

 

 けれど、俺の胸の奥――ちょうど心臓のあたりには、さっきまであいつと一緒にいた熱が、使い捨てカイロみたいに残っている。外気は冷たいのに、身体の内側だけがポカポカしている。この奇妙な温度差が、今の俺にはたまらなく愛おしかった。

 

 秋の夜長は冷えるっていうのに、俺の青春ときたら、暑苦しいことこの上ないな。

 

 でもま、悪くないか。

 

 この温もりさえあれば、どんなに寒い冬が来たって、凍えることはないだろうから。  

 

 まずは不味いジュースで乾杯といくか。

 

 俺は夜空を見上げ、白く濁った息を一つ吐き出した。

 

 一番星が、まるで俺たちを祝福するように、チカりと瞬いた気がした。

 

 

 

 

(第一章 完)

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