幼馴染がウマ娘になった話   作:サボテニウム

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幕間3:恋文の解剖学と、湯気の向こうの共犯者

 

 

 

 クリスマスを一週間後に控えたこの時期、トレセン学園という閉鎖空間は、一種の集団ヒステリー状態に陥る。街全体が赤と緑の警告色(アラート・カラー)に染まり、聴覚を蹂躙するジングルベルの無限ループ、そして「誰かと過ごさなければ人権を剥奪する」という無言の全体主義的圧力。この時期の寒風には、独り身の精神を蝕み、自意識を肥大化させる未知のウイルスが混入しているに違いない。

 

 特に、発情期を迎えた男子生徒たちの挙動は目に余る。彼らは「クリスマスマジック」という名の集団催眠に掛かり、普段なら絶対に話しかけないような高嶺の花(ウマ娘)に対しても、無謀な特攻(バンザイ・アタック)を繰り返す。玉砕覚悟と言えば聞こえはいいが、要はただの生存本能の暴走だ。

 

 そんな狂騒の最中、俺のスマホが短く振動し、一通の業務連絡が表示された。

 

『至急、第3会議室へ。敵勢力、予想以上に強大なり。援軍を求む』

 

 送信者はクロ。

 

 文面から察するに、あいつは今、人生最大の「モテ期」という名の激甚災害に見舞われているらしい。やれやれ、持つ者は辛いね。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 放課後の第3会議室。

 

 扉を開けた瞬間、俺は回れ右をして帰りたくなった。そこは、愛と欲望と勘違いが煮詰められた、産業廃棄物の集積所だったからだ。

 

「……おい。なんだこの山は。年末の大掃除で出た燃えるゴミか?」

 

 俺が部屋に入ると、長机の上には、色とりどりの封筒や小箱が地層のように積み上げられていた。その質量は、物理的な圧迫感すら伴っている。その向こう側で、クロが深海魚のような死んだ目をして座り込んでいた。美少女の皮を被っているが、中身の魂(ソウル)は完全に枯渇している。

 

「……よぉ、カズユキ。見ての通りだ。オレの下駄箱とロッカーが、この『好意の塊』で埋め尽くされてたんだよ」

 

 クロが手近な封筒を一つ、汚物でも摘むように指先で弾く。

 パステルカラーの封筒には、ハートのシールが厳重に貼られている。

 中身が炭疽菌でないことを祈るばかりだ。

 

「クラスの女子いわく、『キタちゃんモテモテだね! 全部読んで返事書かなきゃ!』だとさ。……正気か? これ全部に返事書いてたら、オレの寿命と腱鞘炎がマッハで尽きるぞ。労働基準法違反だろ」

 

「なるほど。これは『モテ期』じゃなくて『DDoS攻撃』だな。処理能力の限界を超えるリクエストを送りつけ、サーバー(お前)をダウンさせるサイバーテロの一種だ」

 

 俺はパイプ椅子を引き寄せ、クロの対面に座った。この状況下で平然としていられるのは、俺の神経が図太いからではなく、単に他人事だからだ。

 

「で、俺への依頼は?」

 

「検閲(フィルタリング)だ。オレ一人じゃSAN値が削りきれて発狂する。お前のそのひねくれた性格と歪んだ視点で、この愛の言葉たちをバッサバッサと切り捨ててくれ」

 

「人聞きが悪いな。俺はただ、物事を客観的かつシニカルに分析しているだけだ。……まぁいい。やるか、恋文の解剖学(プロファイリング)を」

 

 俺たちは精神衛生上の防護服(見えない壁)をまとい、作業を開始した。

 

「エントリーナンバー1。2年C組、サッカー部からの刺客だ」

 

 俺が封筒を開け、中身を読み上げる。

 

『キタサンブラックさんへ。君の走る姿は、まるで草原を駆ける一陣の風のようだ。僕のハートというゴールネットを揺らしてくれ』

 

「……審判(ジャッジ)、どうだ?」

 

「有罪(ギルティ)。サッカーの例えが絶妙に滑ってるし、オレは風じゃなくてウマ娘だ。生物学的分類すら間違ってる。そもそもゴールネットを揺らされたら痛ぇだろ」

 

「処理方法は?」

 

「シュレッダー直行。次」

 

「エントリーナンバー2。1年A組、図書委員」

 

『拝啓。遠くから見つめることしかできない僕ですが、もしよろしければ、一緒に図書館で勉強しませんか? P.S. 得意科目は物理です』

 

「……ふむ。これは文体が丁寧な分、多少マシか?」

 

「いや、減刑なしだ。P.S.で自分語りをする奴にろくなのはいない。それに『物理』でオレを釣ろうとする魂胆が気に入らねぇ。俺は勉強がしたいんじゃなくて、速く走りたいんだよ。ニーズの不一致だ」

 

「もっともだ。恋愛市場において、自分語りは需要のない供給でしかない。次」

 

「エントリーナンバー3。……なんだこれ、箱か?」

 

 クロが小さな箱を手に取る。中には、手作りのクッキーと、一枚の写真が入っていた。写真には、上半身裸でサイドチェストのポーズを決める男子生徒が写っている。

 

「……うわっ」

 

 クロが反射的に箱を取り落とした。

 その反応速度は、スタートダッシュよりも鋭かった。

 

「テロだ! 視覚テロだ! なんだこの筋肉アピールは! オレの方がいい筋肉してるわ!」

 

「『僕の肉体美を召し上がれ』というメタファーか。……衛生管理上の問題および公然わいせつ罪で却下だな。保健所に通報レベルだ」

 

 次から次へと開封される「愛の告白」。

 だが、そのどれもがクロにとっては「ノイズ」でしかなかった。

 美辞麗句が並べば並ぶほど、そこにある「キタサンブラック」という作られた偶像と、実際の「北島黒」との乖離(ギャップ)に、あいつは深く傷つき、そして呆れているのだ。彼らが愛しているのは、クロの「ガワ」であって、中身の薄汚れた男子中学生ではない。その事実は、どんな辛辣な言葉よりも残酷だ。

 

「……はぁ。疲れた。男ってのは、どうしてこう、文字にするとポエムになるんだ? 読んでるこっちが恥ずか死ぬわ」

 

 クロが机に突っ伏す。

 その背中には、全人類の男を代表して謝罪したくなるような哀愁が漂っていた。

 

「お前も中身は男だろ。同族嫌悪だ」

 

「いーや、オレならもっとマシな文章書くね。……『肉食いに行こうぜ。金は出す』。これだけで十分だろ。シンプル・イズ・ベストだ」

 

「それ、ただのパパ活の誘い文句だぞ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ゴミ袋が二つ満杯になった頃、ようやく机の上が片付いた。だが、問題は「在庫処分」だけではない。供給源を断たなければ、このイタチごっこは終わらない。

 

「……カズユキ。ここからが本題だ」

 

 クロが真剣な眼差しで俺を見る。

 レース前よりも真剣かもしれない。

 

「手紙は捨てればいい。だが、直接アタックしてくる特攻野郎(カミカゼ・ボーイズ)たちが後を絶たねぇんだ。……明日から、オレの『マネージャー』をやれ」

 

「マネージャー? トレーナーじゃなくてか?」

 

「あぁ。オレへの接触を全て遮断する、鉄壁の防波堤(ファイアウォール)になれ」

 

「お断りだ。俺はそこまで安くないぞ。プライベートな時間を割いてまで、他人の恋愛事情という泥沼に首を突っ込む趣味はない。リスクとリターンが釣り合ってない」

 

 俺が席を立とうとすると、クロがニヤリと笑った。

 悪魔的取引を持ちかける詐欺師の顔だ。

 

「……報酬は、駅裏にある『天下一本』の特製チャーシュー麺だ。もちろん、大盛りで、煮卵トッピング付き」

 

 俺の足がピタリと止まる。

 あそこのチャーシュー麺は、一杯1200円もする高級品だ。男子中学生にとっては石油王の食事に等しい。それを提示してくるとは、足元を見られている。

 

「……煮卵は、半熟か?」

 

「黄身がとろけ出す、完璧な半熟だ」

 

「……交渉成立(ディール)だな。俺の対人スキルの低さをナメるなよ。人を不快にさせて論理的に追い返すことに関しては、右に出る者はいない」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 翌日。

 休み時間のたびに、ウマ娘校舎とトレーナー校舎の境界線、通称「嘆きの壁」の前に、一人の男(俺)が仁王立ちすることになった。俺の役割は、愛に狂った暴徒たちを鎮圧する機動隊であり、同時に融通の利かない役所の窓口係だ。

 

【第1の波:純情な1年生】

 

「あ、あの! キタサンさんにこれ、渡したいんですけど!」

 

 最初にやってきたのは、いかにも純朴そうな1年生男子だ。手にはファンシーな紙袋。まだ現実を知らない子羊のようだ。

 

「申し訳ありません。現在、キタサンブラックはレースに向けた『超・集中モード(ゾーン)』に入っております。ドーパミン以外の物質を受け取ると、自律神経に深刻なエラーをきたす恐れがあります」

 

「えっ……そ、そうなんですか?」

 

「ええ。彼女に必要なのは愛の言葉ではなく、高純度のプロテインと絶対的な静寂だけです。あなたのその紙袋の中身が、G1勝利に直結する科学的根拠(エビデンス)があるなら通しますが? なければ、それはただの妨害工作です」

 

「い、いや、ただのクッキーで……」

 

「では、お引き取りを。彼女の血糖値を乱す行為は、トレーナー法第9条違反で逮捕されますよ」

 

「ヒィッ! す、すみませんでした!」

 

 少年は脱兎のごとく逃げ出した。

 チョロい。だが、これはほんの前哨戦に過ぎなかった。

 

【第2の波:勘違いナルシスト】

 

「よう。俺の作った『愛のバラード』のデモテープ、キタサンに渡してくれよ。聴けば飛ぶぜ?」

 

 次に現れたのは、ギターケースを背負った軽音部の2年生。

 前髪が目にかかっていて視界が悪そうだ。

 

「却下です。現在、彼女の聴覚はスタートゲートが開く音と、風切り音以外を『ノイズ』として処理する設定になっています」

 

「はぁ? 俺の美声がノイズだってのか?」

 

「ええ。あなたの歌声に含まれる特定の周波数は、競走馬の本能を逆なでし、暴走を引き起こす危険性があります。音響兵器を持ち込むのは止めていただけますか?」

 

「なっ……! 俺の歌は兵器じゃねぇ!」

 

「では、騒音規制法に基づき排除します。お帰りはあちらです」

 

【第3の波:成金ボンボン】

 

「ふん、貧乏くさい門番だね。……これ、キタサンちゃんに。100本の薔薇の花束だよ。花言葉は『100%の愛』さ」

 

 キザな3年生が現れた。

 抱えきれないほどの真紅の薔薇。

 視覚的にうるさい。

 

「受け取り拒否です。現在、彼女の生活空間における植物の持ち込みは、酸素濃度の管理上、厳しく制限されています」

 

「なんだと? これは最高級の薔薇だぞ!」

 

「植物の呼吸による二酸化炭素の排出が、彼女の有酸素運動の効率を0.01%低下させるリスクがあります。その責任、あなたの実家の資産で賠償できますか?」

 

「そ、そんな馬鹿な……!」

 

「それに、薔薇の棘で怪我でもしたらどうするんです? 彼女の脚には数十億の保険金が掛かってるんですよ。過失致傷で訴えられたくなければ、その薔薇はサラダにして自分で食ってください」

 

【第4の波:粘着質ストーカー予備軍】

 

「……あの。手紙だけでも。……せめて、一目だけでも……」

 

 最後は、一番厄介なタイプ。目が笑っていない、粘着質の男子生徒だ。

 

「現在、面会予約は300年待ちとなっております」

 

「……待てます。僕の愛は永遠なので」

 

「素晴らしい心がけですが、物理的に彼女が寿命を迎えています。来世で予約を取り直してください。なお、整理券の配布は行っていません」

 

「……チッ」

 

 男は舌打ちを残して去っていった。

 

 ……一番肝が冷えた案件だった。

 

 チャイムが鳴り、ようやく昼休みという名の防衛戦が終了した。

 俺は眼鏡(伊達)の位置を直すフリをして、物陰から様子を伺っていたクロにハンドサインを送る。

 

『害虫駆除完了(クリア)。殲滅数、2桁』。

 

 クロは呆れたように、しかし心底安堵した表情で、柱の陰から小さくサムズアップを返してきた。俺たちは、青春という名の病魔から、お互いの平穏を――そして俺のチャーシュー麺(大盛り)を、鉄壁の守りで勝ち取ったのだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その日の夜。

 俺たちは駅裏のラーメン屋『天下一本』のカウンターに並んで座っていた。

 目の前には、丼を覆い尽くすほどの肉厚なチャーシューと、黄金色に輝く煮卵が鎮座している。その神々しさは、どんなイルミネーションよりも美しい。

 

「……いただきます」

 

「おう、食え食え。オレの『聖域(サンクチュアリ)』を守ってくれた報酬だ」

 

 俺たちは無言で麺を啜った。

 

 濃厚な豚骨醤油のスープが、冷えた身体と荒んだ心に染み渡っていく。

 店内は疲れたサラリーマンや空腹の学生たちの熱気で満ちており、ここには「愛」も「恋」も「クリスマス」も存在しない。あるのは「食欲」という、最も原始的で、嘘のない誠実な欲望だけだ。

 

「……ふぅ。生き返るな」

 

 クロがレンゲを置き、ふと呟いた。

 

「なぁ、カズユキ。あの山のような手紙の中にさ、一通もなかったな。『北島黒』宛ての手紙」

 

 クロの声は、湯気の向こうで少しだけ寂しげに響いた。

 何百通ものラブレター。その全てが「美少女ウマ娘・キタサンブラック」という虚像に向けられたものであり、中身の「彼」という実像を見て書かれたものは一つもなかった。それは孤独かもしれない。だが、見方を変えれば、これほど贅沢なことはない。

 

「……当たり前だろ。お前の中身を知ってるのは、世界中で俺だけだ」

 

 俺はチャーシューを噛み締めながら答えた。

 

 クロは一瞬きょとんとして、それから、丼の湯気に顔を隠すようにして笑った。

 

「……そっか。そうだよな。……なら、いいか。量より質ってやつだな」

 

 クロは再び箸を取り、残りの麺を勢いよく啜り込んだ。

 世界中からの称賛なんていらない。

 隣で同じラーメンを啜り「美味い」と言い合えるたった一人の共犯者がいれば、それで十分だ。

 

 立ち昇る白い湯気が、俺とクロの顔を柔らかく包み込む。

 その向こう側にある笑顔は、作られたアイドルのそれではなく、ただの「北島黒」としての、無防備で、少し情けないほど温かいものだった。

 

 

 

 

 

 

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