幼馴染がウマ娘になった話   作:サボテニウム

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幕間4:嘘と雪と、強制送還された迷子たち

 

 

 

 1月1日――元旦。

 

 俺とクロの故郷である北海道は、色彩を剥奪された白銀の監獄と化していた。帰省ラッシュという名の民族大移動に巻き込まれ、鉄の塊に揺られて辿り着いた北の大地。そこには、東京の軟弱なファッション寒波とは格の違う、殺意に満ちた冷気が支配していた。

 

 そもそも、今年の正月は最悪だ。俺たちが暮らす東京の学生寮が「老朽化に伴う緊急配管工事」という名目で、三が日を含む一週間、完全閉鎖されたのだ。電気も水道も止まる廃墟に留まるわけにもいかず、俺たち寮生は強制的に実家へと送還された。それはさながら、囚人の仮釈放のようなものだ。自由なきシャバへの放逐。

 

「ガハハッ、あのカズユキが東京でシティボーイとはな! 似合わねえなあ! おい!」

「……ハハッ。ソッスネ」

 

 お正月というのは、システム化された「幸福確認マクロ」の強制起動だ。久しぶりに会う親戚、コタツとミカン、そして豪華なおせち料理。それらのアイテムを揃え、「私たちは幸せな血縁共同体です」というポーズを取り続ける同調圧力。俺の実家も例に漏れず、朝から親戚という名のNPCが集まり、日本酒と愛想笑いが飛び交う地獄絵図が展開されていた。俺は「東京の中高一貫に通う優等生」というアバターを被り、適当に相槌を打つ自動応答botと化していたのだが――。

 

 ブブブッ。  

 

 ポケットの中でスマホが震えた。

 画面には、この世で最も不吉な文字列。

 

『北島黒』

 

 嫌な予感しかしない。

 俺は「トイレ」と言い残し、廊下へ出て通話ボタンを押した。

 

「……なんだ。あけましておめでとう」

『……カズユキ。SOSだ。今すぐ来てくれ』

 

 受話器の向こうから聞こえてきたのは、新年の挨拶ではなく、雪山で遭難した登山家のような掠れた声だった。

 

「断る。こっちは今、お年玉という名の不労所得を横取りしようとする親戚のガキどもの迎撃戦で忙しいんだ」

『頼む……! このままだと、オレの社会的地位とアイデンティティが死ぬ。……ダイヤちゃんから、LINEが来たんだ』

「サトノダイヤモンドから? 新年の挨拶くらい、スパムメールよりありふれてるだろ」

『写真付きだ。「家族でおせちを食べてます! キタちゃんの家のおせちも見せてください!」だそうだ』

 

 俺は天を仰いだ。

 廊下の窓ガラスが、外気との温度差で白く曇っている。

 

 サトノ家といえば、日本有数の名家だ。

 

 あそこの「おせち」といったら、重箱自体が重要文化財レベルで、中身は伊勢海老やアワビが踊り狂う竜宮城に違いない。対して、クロの現状は――推して知るべし、だ。

 

「……分かった。15分で行く」

 

 俺は電話を切り、親に「セコマ行ってくる」と道民特有の符丁を残して、猛吹雪の中へと飛び出した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 クロの実家のアパートは、俺の家から徒歩圏内にある。

 

 築年数は古く、玄関のドアは結露で凍りついていた。

 まさに、昭和の遺物。ドアノブの冷たさが、手袋越しにも伝わってくる。

 

「……遅ぇよ、カズユキ。凍死するかと思った」

 

 部屋に入れてくれたクロは、ドテラを着込んでガタガタと震えていた。

 

 部屋の空気は淀んでいる。

 

 部屋の温度が極端に低いせいもあるが、何より「生活の匂い」がしないのだ。煮物の匂いも、笑い声も、暖かさもない。ただ、古い畳と灯油の臭いだけが漂っている。

 

「……なんでストーブつけねぇんだよ。ここ、冷蔵庫より寒いぞ」

 

 俺はもっともな疑問をぶつけた。

 

 母親は「仕事」と称して男と旅行に出かけているらしく、家には誰もいない。だからといって、わざわざ極寒の独房で我慢大会をする必要はないはずだ。

 

「……灯油がないんだよ。母さんのやつ、空っぽにして出ていきやがった」

 

 クロが恨めしそうにポリタンクを蹴る仕草をした。

 中身は空虚な音を立てる。

 

「最悪だな。寮を追い出された挙句、実家でもライフライン断絶かよ」

 

「まったくだ。あのクソ寮長め……よりによって真冬に工事なんか始めやがって。おかげでオレは、この極寒の地で難民キャンプ生活だ」

 

 それは切実な呪詛だった。

 

 本来なら今頃、俺たちは寮の自室で、PCの排熱に包まれながら温かい正月を迎えていたはずなのだ。新宿の『快活』に逃げ込むという手もあったが、この年末年始の割高期間に1週間も泊っていたら一体いくらかかるのか、わかったもんじゃない。俺たちに選択肢はなかった。

 

「……で、難民キャンプの配給食糧(おせち)は?」

 

 俺は話題を戻し、テーブルの上を指差した。

 

『……カップ麺(シーフード味)と、昨日スーパーで半額だったパック寿司が3貫』

 

 沈黙。

 

 その横には、ダイヤから送られてきたスマホの画面が光っている。

 画面の中の彼女は、豪華絢爛な料理をバックに、満面の笑みを浮かべていた。

 

 暴力的なまでの光。

 

 その純粋無垢な輝きは、俺たちのような日陰者の網膜を焼き尽くす。

 

「……詰んだ。正直に『ウチはセルフサービス制だ』って言うか?」

 

 クロが死んだ目で呟く。

 

「言えるわけないだろ。お前は学園で『深窓の令嬢』ってキャラ設定で通ってるんだ。そんな貧相な食卓を晒してみろ。ダイヤの純粋な心に、回復不能なトラウマを刻み込むぞ」

「じゃあどうすんだよ! 今からデパート行っても、おせちなんて売り切れだぞ!」

「落ち着け。……俺たちはこれから、現実を改竄(ハック)する」

 

 俺は来る途中で寄ったセイコーマートのオレンジ色の袋を、ドンとテーブルに置いた。

 

「いいか。ウマスタグラムなんてのは、切り取られた虚構だ。味覚情報は伝送されない。視覚情報さえ整えれば、カニカマも伊勢海老として認識される」

 

「……マジか」

「やるぞ。オペレーション『偽装御節(フェイク・オセチ)』開始だ」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そこからは、涙ぐましい工作活動の時間だった。

 俺たちは冷え切った台所に立ち、コンビニ食材という名の「建材」を加工していく。

 白い息を吐きながら、黙々と。

 

「まずは『紅白なます』だ。この大根サラダに、梅干しの汁を混ぜて赤く染めろ」

「酸っぺぇ匂いがするぞ。これ、化学実験か?」

「食うんじゃない、撮るんだ。味覚情報は捨てろ。……次は『伊達巻』だ」

 

 俺はコンビニ弁当に入っていた薄っぺらい玉子焼きを取り出し、斜めに切って断面積を稼ぎ、重箱(クロの家で唯一発掘された骨董品)に並べる。

 

「すげぇ……。なんかそれっぽく見えてきた」

「だろ? 人間の脳なんて単純な画像処理装置だ。黄色くて巻いてあれば、それは伊達巻だと誤認するバグを利用しろ」

「じゃあ、このカニカマは?」

「ほぐして散らせ。カニの身に見えるようにだ。『北海道の実家から送られてきた最高級タラバガニ』という設定(フレーバー・テキスト)を付与しろ」

「設定過多だな。……この黒い豆は?」

「コーヒー用のチョコボールだ。遠目に見れば黒豆だろ」

「お前、詐欺師の才能あるよ」

 

 こうして、約30分の格闘の末、重箱の中は「色とりどりの何か」で埋め尽くされた。近くで見れば粗悪な合成食品のキメラだが、スマホのカメラ越しに見ると、不思議と豪華な祝膳に見えるから不思議だ。虚構の方が、現実よりも美しく見える。皮肉な話だ。

 

「よし、撮影だ。フィルターを最大にかけろ。彩度を上げて、現実のくすんだ色を飛ばすんだ」

 

 クロが震える手でシャッターを切る。

 

 カシャッ。

 

 乾いたシャッター音が、何もない部屋に響く。生成された画像データ。そこには、温かい家庭の象徴のようなおせち料理が写っていた。

 

 そこに写っていないのは、部屋の寒さと、俺たちの虚しさだけだ。

 

「……送るぞ」

 

 クロが送信ボタンを押す。

 

 数秒後、既読がつく。

 

 処刑台に登る囚人の気分で待つ時間。

 

『わぁっ! すごい! 色鮮やかで美味しそう! キタちゃんの家はやっぱり素敵ですね! ご家族とゆっくり過ごしてくださいね♡』

 

 無邪気なスタンプと共に、ダイヤからの返信が届いた。

 

 完全犯罪成立(ミッション・コンプリート)

 

 俺たちは、深い深い安堵のため息をついた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 撮影会という名の儀式が終わると、後に残されたのは静寂と、冷え切った偽物のおせちだけだった。祭りの後の寂しさに似ているが、そもそも祭りなんて始まっていない。

 

「……食うか」

「……おう」

 

 俺たちはコタツ(電源は入っていない)に入り、自分たちで作った虚構を箸でつついた。カニカマを口に入れる。カニの味はしない。魚肉と添加物の味だ。チョコボールを噛む。甘さが歯に沁みる。おせちに入っているはずのない味が、口の中に広がる。

 

「……まっず」

 

 クロが苦笑いする。

 

「見た目は立派なのに、中身はコンビニ弁当以下だな」

「まさに今の俺たちそのものだな。ガワだけ取り繕って、中身はスカスカだ」

 

 俺の言葉に、クロは箸を止め、窓の外の雪景色を見つめた。

 

 母親は帰ってこない。

 

 この広い北海道で、クロの帰る場所は、この寒くて空っぽの部屋だけだ。  

 

 寮の改修工事さえなければ、俺たちは今頃、もっとマシな孤独を過ごせていたかもしれない。だが、その理不尽なおかげで、俺たちは今、こうして二人で肩を寄せ合っている。

 

「……なぁ、カズユキ」

「ん?」

「ありがとうな。……一人でこれ食ってたら、多分泣いてたわ」

 

 クロがチョコボールをかじりながら、ぽつりと漏らす。

 その横顔は、いつもの勝気なクロではなく、ただの寂しがり屋の少女だった。

 

「俺は共犯者だからな。死体(ゴミ)の処理まで付き合うさ」

 

 俺はセコマで買った温かいお茶を二つの湯呑みに注いだ。

 立ち昇る湯気だけが、この部屋で唯一の「本物」の温かさだった。

 

 外は吹雪いている。

 

 世界中が家族の絆を祝福し、確認し合う元旦。

 

 俺たちは、冷たい合成食品と嘘の写真を胃袋に流し込みながら、二人だけの歪でささやかな正月を噛み締めていた。

 

 その味は、きっと一生忘れないだろう。

 

 重箱の隅に残った、ほろ苦い青春の味を。

 

 

 

 

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