幼馴染がウマ娘になった話   作:サボテニウム

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第2章
第17話:春の嵐と金の船


 

 

 

 中学2年生の春。

 

 

 世間一般において、この季節は「出会い」と「希望」のシーズンと定義されている。桜は舞い、クラス替えに一喜一憂し、新しい教科書のインクの匂いに胸を踊らせる。それが文科省が推奨し、J-POPが布教する正しい青春のあり方だ。

 

 だが、持たざる者──つまり俺たちにとって、春は「課金」の季節でしかない。

 

 副教材費、修学旅行の積立金開始、そして身体測定用の新しいジャージ(クロの胸囲が物理法則を無視して成長したため買い直しを余儀なくされた件については、全男子を代表して遺憾の意を表明したい)。

 

 これらの強制徴収イベントにより、俺とクロの資金力は壊滅的な打撃を受けていた。

 

 4月下旬。

 

 給料日前日のサラリーマンのような死んだ魚の目で、俺たちは購買部の隅、通称「最終処分場」に立っていた。

 

 狙いは一つ。

 

『昨日の売れ残りワゴンセール』だ。

 

「……おいカズユキ。周囲のクリアリングは完璧か」

 

 棚の陰に隠れたクロが、小声で囁く。

 その目は、ゲート入り前の競走馬のように血走っている。

 

「問題ない。ダイヤちゃんたちハイカースト連中は食堂で優雅にランチ中だ。今の時間は、金欠の運動部とボッチ飯勢、つまり我らが同胞しかいない」

 

「よし……行くぞ。狙うは半額シールの貼られた『焼きそばパン』一本だ」

 

 クロが唾を飲み込む。

 

 お嬢様キャラとして学園での地位を徐々に取り戻しつつある「キタサンブラック」が、賞味期限ギリギリの半額パンを漁っている姿など、文春砲に撃ち抜かれるよりも致命的だ。これは尊厳とカロリーを天秤にかけた、極限のステルス・ミッションである。

 

 クロが動いた。

 

 その動きは、未来のG1ウマ娘の片鱗を見せる神速のステップ。

 

 ワゴンの中に残された、最後の焼きそばパン。

 

 クロの指先が、そのパッケージに触れようとした、その刹那──。

 

「──異議あり!」

 

 突如、空間を切り裂くような大声と共に、謎の白い影が購買カウンターに滑り込んだ。

 

「おばちゃん! この『熟成焼きそばパン』をいただくぜ! 釣りはいらねぇ、とっときな!」

 

 バァーン!

 

 カウンターに叩きつけられたのは、500円玉硬貨。

 半額パン(60円)を買うにはあまりに過剰な火力だ。

 

「えっ……?」

 

 クロが凍りつく。

 

 そこに立っていたのは、長い芦毛に、耳当てのような奇妙な装飾をつけたウマ娘だった。制服の着こなしは乱れ、瞳には常人には理解不能な、宇宙の真理(あるいはただの混沌)が宿っている。

 

 ゴールドシップ。

 

 学園きってのトリックスターであり、関わるとロクなことにならない歩く災害指定区域だ。

 

「いい目利きじゃねーか、そこのお前!」

 

 ゴルシは正規の手続きで購入したパンを高々と掲げ、ニカっと笑った。

 

「こいつはただの焼きそばパンじゃねぇ。一晩寝かせることで、ソースが麺の芯まで染み込み、パン生地が適度に湿気ってフニャフニャになった『ヴィンテージ・ヤキソバ』だ! 通にしか分からねぇ至高の逸品だぜ!」

 

 うるさい。とにかく声がデカイ。

 

 周囲の生徒がギョッとして振り返る。

 

 クロの顔が引きつる。ここで騒がれては困る。

 

「あ、あの……ごきげんよう、ゴールドシップさん……」

 

 クロは瞬時に「深窓の令嬢モード」を起動し、引きつった笑顔で優雅に会釈した。

 

「そのパンは……わたしが先に……」

「ああん? なんだその喋り方。口の中にマシュマロでも詰めてんのか?」

 

 ゴルシはクロの演技を一刀両断した。

 そして、その視線を俺に向けた。

 

「おい、そこのモブA! お前もグルか?」

 

「……モブAとは失敬な。俺にはカズユキという、親が画数占いで三日三晩悩んでつけた名前があります」

 

 俺が抗議すると、ゴルシは「ほう」と目を細め、俺の顔をゼロ距離まで覗き込んできた。近い。整った顔立ちが無駄に迫力がある。

 

「いい目をしてやがる。三日三晩煮込んだおでんの大根みてぇな、味が染みすぎて崩れかけた目だ」

「それは褒めているんですか? それとも人格否定ですか? 仮に前者だとしても、煮崩れた大根に人権はありませんよ」

「褒めてんだよ! 退屈な日常に絶望しつつも、惰性で生きてるそのツラ……嫌いじゃねぇ!」

 

 ゴルシはニヤリと笑うと、俺とクロの襟首をガシッと掴んだ。

 

「よし、気に入った! お前らを『ゴルシちゃん特製・青空ランチ会』に招待してやる! 拒否権はねぇ! 参加費はプライスレスだ!」

 

「え、ちょっと、キャーッ!?」

「おい、離せ! 俺は今から図書室で静寂と孤独を愛する予定が……!」

 

「静寂? 寝言は寝て言え! 青春ってのはな、騒音(ノイズ)と炭水化物のハーモニーだろうが! 図書館なんて老後の楽しみにとっときな!」

 

 抵抗も虚しく、俺たちは怪力によって強制連行された。  

 行き先は、立ち入り禁止の札が下がった屋上への階段だった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 春の風が吹き抜ける屋上。

 フェンスの向こうには、東京の街並みが広がっている。

 

「へへっ、ここなら教師の目も届かねぇ。無法地帯(サンクチュアリ)だ」

 

 ゴルシは給水塔の下にドカッとあぐらをかくと、戦利品である焼きそばパンの袋をバリッと破った。

 

「ほらよ。半分こ……いや、三等分だな」

 

 ゴルシは器用にパンを引きちぎると、その切れ端の一つをクロに、もう一つを俺に放り投げた。

 

「……え?」

 

 クロが慌ててキャッチする。

 

 それは、焼きそばが一本も入っていない、ただのコッペパンの端っこだった。

 俺の手にあるのも同じだ。

 

「あの、ゴールドシップ先輩? これは『焼きそばパン』の概念を著しく損なっていると思うのですが。哲学的な問いかけですか?」

 

 俺がパンの耳をつまんで指摘すると、ゴルシはパンの真ん中──つまり焼きそばが100%詰まった部分──を手に持ち、不敵に笑った。

 

「甘ぇな、カズユキ。パンの耳こそが、小麦の魂(ソウル)が宿る場所だ。オレ様は焼きそばという『俗世の欲』を引き受けることで、お前らに『純粋な小麦との対話』を提供してやってんだよ」

 

「……なるほど。詭弁の切れ味が鋭すぎて、逆に感心しました。将来は政治家か詐欺師の二択ですね」

「おうよ! 来世は新興宗教の教祖になって、焼きそばパンを神体として祀る予定だ!」

 

 ゴルシは俺の嫌味を光速で打ち返すと、豪快にパンにかぶりついた。

 クロは手の中のパンの耳を見つめ、それから俺を見た。

 

「……(これ、食べていいのか?)」

「……(食え。カロリーに貴賎なしだ。炭水化物であることに変わりはない)」

 

 俺はアイコンタクトを送り、自分もパンの耳を口に入れた。  

 パサパサだ。水分が必要だ。だが、不思議と不味くはない。

 

 クロも意を決し、パンを齧った。

 

「……うめぇ」

 

 クロが思わず呟いた。

 キタサンブラックとしての口調を忘れ、素の声が漏れる。

 

「だろ? ここで食う飯は格別なんだよ。偏差値とか世間体とか、そういう余計なトッピングがないからな」

 

 ゴルシがニカっと笑う。

 

「お前ら、普段から肩肘張りすぎなんだよ。特にそっちのデカパイ。猫被りすぎて、そろそろ本体が猫になりそうだぞ?」

「ッ……!」

 

 クロがギクリとして固まる。  

 ゴルシは、どこまで見抜いているのか。

 それとも、単なる適当な放言がクリティカルヒットしただけなのか。

 

 この芦毛の怪物は読めない。

 

「……ゴールドシップさんは、どうしてこれを?」

 

 クロが話題を逸らすように尋ねた。

 

 ゴルシはパンを飲み込むと、遠くの空を指差した。

 

「ん? 決まってんだろ」

 

 ゴルシは真顔になった。

 

「焼きそばパンに含まれる紅生姜の波動を解析して、宇宙人との交信を試みるためだ。今のところ、受信感度はバリ3だ」

 

「……そうですか。それは日本の防衛にとって重大な任務ですね。我々の税金が無駄に使われていないことを祈りますよ」

「おう! 地球の平和はオレが守る。お前らは安心してパンの耳を食ってろ」

 

 ゴルシは豪快に笑い、俺の背中をバシバシと叩いた。痛い。骨が軋む。

 

「……ぷっ、あはは!」

 

 不意に、クロが吹き出した。

 教室での張り詰めた笑顔ではない。

 クシャッとした、年相応の少年の面影を残した笑い顔だった。

 

「変な人……。本当に、わけわかんない」

「褒め言葉として受け取っておくぜ! ……ほらよ、これも食え。オレは今、紅生姜の波動でお腹いっぱいだからな」

 

 ゴルシは自分が持っていた、一番焼きそばが詰まっている部分の半分を、ポンとクロの膝の上に置いた。

 

「え、でも……」

「遠慮すんな。これからデカくなるんだろ? 身体も、夢もよ」

 

 ゴルシは立ち上がり、スカートの土埃をパンパンと払った。

 

「じゃあな、腹ペコブラック! あとカズユキ! 次に会うときは、購買の『スペシャルカツサンド』を賭けてジャンケンだ! グーしか出さねぇから覚悟しとけよ!」

 

 言うが早いか、ゴルシはフェンスを飛び越えんばかりの勢いで去っていった。

 嵐が過ぎ去った後の屋上には、俺とクロと、ひとかけらの焼きそばパンだけが残された。

 

「……グーしか出さないって言われたら、パーを出すべきなのか? それとも裏をかいてチョキか?」

 

 俺が真剣に考察すると、クロが肩を震わせて笑った。

 

「バカだな、カズユキ。あいつなら、グーって言いながらキックしてくるに決まってるだろ」

「……違いない。理不尽の化身だからな」

 

 クロはゴルシがくれた焼きそばたっぷりのパンを、大事そうに二つに割った。

 

「半分こだ、カズユキ。……オレ一人じゃ、胸焼けする」

 

 俺たちは並んでフェンスにもたれかかり、眼下に広がる校庭を眺めながら、冷えた焼きそばパンを齧った。

 ベチャッとした食感。濃すぎるソースの味。

 それは、俺たちが今味わっている青春の味そのものだった。

 苦くて、しょっぱくて、でも腹の底に染み渡るような、確かなエネルギーの塊。

 

「……いつか食おうな。スペシャルカツサンド」

「おう。……定価でな。半額だと、またわけのわからないやつが飛んできそうだ」

 

 クロが力強く頷く。

 その横顔は、春の日差しの中で少しだけ大人びて見えた。

 

 足元を見れば、俺たちの上履きはボロボロだ。

 財布の中身は氷河期だ。  

 けれど、この嵐のような先輩のおかげで、今は少しだけ空が広く見えた。

 

 

 

 

 

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