幼馴染がウマ娘になった話   作:サボテニウム

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第18話:赤点回避の虎の巻と、ドーナツ事変

 

 

 

 5月中旬。  

 トレセン学園の空気は、湿った憂鬱に支配されていた。  

 原因は明白。来週に迫った「中間考査」である。

 

 学生の本分は学業である、と大人は言う。

 だが、俺に言わせれば学生の本分とは「理不尽な評価システムへの適応」だ。

 点数という単一の指標で人間の価値を可視化し、序列を作る。

 この残酷な選別作業において、持たざる者が生き残る術は一つしかない。

 

「……カズユキ。これ、本当に売れるのか?」

 

 放課後の空き教室。

 クロが不安げな顔で、手にしたルーズリーフの束を見つめている。

 

「売れる。断言してもいい」

 

 俺は窓枠に腰掛け、不敵に笑った。

 

「テスト前における『赤点回避』の需要は、砂漠における水の価値に等しい。特に、脳みその容量をすべて脚力に振ったウマ娘たちにとって、俺が徹夜で作成したこの『予想問題集(虎の巻)』は、聖書バイブルよりも尊い救済の書となるはずだ(ヘイトスピーチ)」

 

「……お前、本当に性格悪いな」

「なんとでも言え。俺たちは今、資本主義の最前線にいるんだ。知識を金に変えろ。でなけりゃ、明日の昼飯はまたパンの耳だぞ」

 

 パンの耳。

 そのパワーワードに、クロの喉が鳴った。

 成長期真っ只中のウマ娘にとって、空腹は死に等しい。背に腹は代えられない。

 

「……分かった。やるよ。営業担当はオレだな?」

「ああ。ターゲットは『勉強が苦手』かつ『金払いが良さそう』で、なおかつ『深く物事を考えない』バカだ。心当たりは?」

 

 クロは少し考え、パチンと指を鳴らした。

 

「一人、心当たりがある。……というか、さっき廊下で叫んでた」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 廊下の突き当たり。  

 そこに、青いツインテールを振り乱し、頭を抱えて唸る小柄なウマ娘がいた。

 

「うあー! わかんない! これなに!? 『Xを求めよ』って、Xはここにあるじゃん! なんで探さなきゃいけないのー!?」

 

 ツインターボ。

 常にエンジン全開、思考回路はショート寸前。

 本能だけで生きる、愛すべき野生児だ。

 

「……完璧なカモだ」

「……罪悪感がすごいんだけど」

 

 俺たちは目配せをし、作戦を開始した。

 クロがスッと優等生モードの仮面を被り、優雅に歩み寄る。

 

「こんにちは、ツインターボさん。ずいぶんと悩んでいらっしゃるようですね」

「あ! キタサンブラック! 聞いてよこれ! 数学の先生、絶対ターボのこと嫌いなんだよ! こんな呪文みたいな問題出しやがって!」

 

 ターボが涙目で教科書を突きつけてくる。

 そこにあるのは、中学1年生レベルの方程式だ。

 彼女は確か、俺たちの先輩だった気がするが……まあ、深くは考えまい。

 

「……まあ、それは大変。このままでは、来週のテストが心配ですね」

「そーなんだよ! 今回赤点とったら、夏合宿の参加禁止って言われてて……うぅ、どうしよぉ……」

 

 ターボががっくりと項垂れる。

 今だ。俺はクロの背後から、ぬらりと姿を現した。

 

「お困りのようですね、お嬢様方」

「だ、誰!?」

「通りすがりのコンサルタント、カズユキです」

 

 俺は怪しさ満点の自己紹介をしつつ、懐から「虎の巻」を取り出した。

 

「実はここに、とある高名な学者が開発した『奇跡の学習シート』があります。これを読むだけで、どんな難問もスラスラ解けるようになる……という噂の代物でして」

「えっ!? 読むだけ!? 勉強しなくていいの!?」

 

 ターボが食いついた。

 

 チョロい。

 

 チョロすぎる。

 

「ええ。要点のみを抽出し、脳に直接インストールする画期的なメソッドが採用されています。通常価格5000円のところ、今なら特別モニター価格、1000円で提供させていただきますが……」

 

 1000円。

 今の俺たちにとっては、数日分の食費。

 ターボにとっては、おそらくガチャ数回分。

 

 Win-Winの取引だ。

 

 詐欺ではない。

 中身は俺が真面目に作った要点まとめなのだから。

 

「買う! ターボ買うもん!」

 

 ターボがジャージのポケットをごそごそと探る。

 

 勝利確信。

 

 俺とクロは心の中でガッツポーズをした。

 

 しかし。

 

「……あれ?」

 

 ターボの手から出てきたのは、クシャクシャになった千円札……ではなく。

 100円玉が2枚と、10円玉が数枚。

 そして、何かのキャラメルのおまけシールだった。

 

「……250円しかない」

 

 沈黙。

 廊下に、放課後のチャイムが虚しく響き渡る。

 

「あ、あれぇ? おかしいな、昨日お小遣いもらったばっかなのに……あ! そういえば新作のチョコエッグ箱買いしちゃったんだ!」

 

 ターボがテヘペロと舌を出す。

 俺は天を仰いだ。

 

 バカだ。

 ここまでのバカには、計算高い悪徳商法も通用しない。

 

「……でも、これ欲しい! ねぇ、250円じゃダメ!? あと、この激レアなシールつけるから!」

 

 ターボが必死な目で俺たちを見上げる。

 

 その瞳は、一点の曇りもなく澄んでいる。

 

 疑うことを知らない、純粋無垢な「知能の欠落」。

 

 それを見ていたクロが、ふと視線を逸らした。

 

「……カズユキ」

「……なんだ」

「……オレ、無理だわ」

 

 クロが小声で言った。

 

「こいつ、バカすぎて可哀想になってきた。こんな純粋なバカから全財産巻き上げたら、オレたち地獄に落ちるぞ」

「俺たちはとっくに地獄の住人だ。心を鬼にしろ。250円でもパンの耳よりはマシなものが食える」

「でもよぉ……!」

 

 クロが葛藤する。

 その時、ターボが俺の手にあるノートに飛びつこうとした。

 

「お願い! これがないとターボ、夏合宿行けないの! みんなと走りたいの!」

 

 その言葉が、クロの琴線に触れたらしい。

 

 ──走りたい。

 

 そのシンプルな願いは、同じウマ娘であるクロにとって、何よりも重い言葉だった。

 

「……はぁ」

 

 クロが大きなため息をついた。

 そして、俺の手からノートをひったくると、それをターボの胸に押し付けた。

 

「……持っていってください。ターボさん」

「えっ!? いいの!?」

「ええ。ただし、お金はいりません。その代わり……」

 

 クロは俺を睨みつけ「諦めろ」という目で合図を送ってから、ターボに向き直った。

 

「これを使って勉強する間、わたしたちが監視……いえ、サポートします!」

「本当!? キタサンブラック、いいやつだなー! ありがとう!」

 

 こうして、俺たちの「知識ビジネス」はあえなく破綻した。

 

 それどころか、その後2時間、俺たちは「Xとは何か」という根源的な問いと格闘する羽目になったのだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 夕暮れ時。

 

 ターボを解放し、疲労困憊で図書室の学習コーナーに移動した俺たちを待っていたのは、静寂と、耐え難い「飢餓」だった。

 

「……腹減った」

 

 クロが机に突っ伏し、死にかけの虫のような声を出した。

 

「脳を使ったせいで、カロリー消費がいつもの3倍だ。……おいカズユキ、なんか持ってないのか」

「あるわけないだろ。俺の予定では、今頃ターボから巻き上げた1000円で、コンビニのホットスナックを堪能しているはずだったんだ」

「うぅ……唐揚げ棒……Lチキ……」

 

 クロが妄想上の肉を食べて空腹を紛らわせようとしている。

 

 末期だ。

 

 俺も限界だった。

 

 思考が鈍り、視界が霞む。

 

 このままでは餓死する。

 

 トレセン学園の図書室で、男子生徒とウマ娘が餓死体で発見されるなど、前代未聞の不祥事だ。

 

 その時だった。

 

 鼻孔をくすぐる、甘く、香ばしい匂い。

 

 シュガーと小麦と油が奏でる、背徳の三重奏。

 

「……匂うぞ、カズユキ」

「ああ。3時の方向、閲覧席だ」

 

 俺たちは野生動物のような嗅覚で顔を上げた。

 

 そこにいたのは、一人のウマ娘だった。

 

 芦毛の髪。涼しげな顔立ち。

 

 学園の有名人、オグリキャップ先輩だ。

 

 だが、問題なのは彼女の美貌ではない。

 

 彼女の目の前に積み上げられた、エベレストのごとき「ドーナツの山」だ。

 

「……なんだあれ。パーティーか?」

「いや、ソロ活動だ。オグリキャップ先輩の胃袋はブラックホールだという噂を聞いたことがある」

 

 オグリキャップは、難しい顔で参考書を睨みつけながら、機械的な動作でドーナツを口に運んでいる。

 

 問題を見る。

 

 唸る。

 

 ドーナツを食べる。

 

 問題を見る。

 

 唸る。

 

 食べる。

 

 そのサイクルが早すぎる。

 

 参考書のページは一向に進んでいないが、ドーナツの山は確実に標高を下げていた。

 

「……おい、見ろカズユキ。あの参考書」

「ん?」

 

 俺は目を凝らした。

 

 彼女が開いているのは『基礎からわかる物理』。

 

 だが、彼女の手は最初のページで止まっている。

 

 そして、回答用紙は白紙だ。

 

「……困ってる。明らかに勉強に行き詰まっている」

「……だな」

 

 俺とクロは顔を見合わせた。

 

 言葉はいらない。

 

 俺たちの思考は完全にリンクしていた。

 

 需要と供給。

 

 俺たちには「(こたえ)」がある。

 

 彼女には「燃料(ドーナツ)」がある。

 

 これはビジネスチャンスではない。

 

 生存競争サバイバルだ。

 

「……行くぞ」

 

 俺たちは席を立ち、音もなくオグリキャップの背後へ忍び寄った。

 

 クロが優等生スマイルを装填する。

 

「おひさしぶりです、オグリキャップ先輩。勉強が捗っていらっしゃらないようですね」

「ん……?」

 

 オグリが顔を上げた。

 

 口の周りに白い砂糖がついている。

 

 可愛いが、その目は獲物を狙う猛獣のように鋭い。

 

「……なんだ、キタサンブラックか。すまないが、今は取り込み中だ。この『慣性の法則』という奴が、どうしても理解できなくてな」

「慣性の法則。……物体がその運動状態を保とうとする性質のことですね」

 

 俺が横から口を挟む。

 

「失礼します。僕は通りすがりの家庭教師、カズユキです」

「家庭教師……?」

「ええ。見る限り、先輩は物理の迷宮に迷い込んでいるご様子。そこで提案なのですが」

 

 俺はオグリの参考書と、ドーナツの山を交互に指差した。

 

「僕たちがその問題を解きます。分かりやすく解説もし、宿題も終わらせます」

「……ほう?」

「その対価として──我々に、そのドーナツを分けていただけないでしょうか」

 

 直球勝負。

 

 オグリはきょとんとして、それから自分のドーナツを見た。

 

「……これをか?」

「はい。我々は今、深刻なエネルギー不足に陥っておりまして」

「……ふむ」

 

 オグリは少し考え、真剣な顔で頷いた。

 

「いいだろう。知識と食料の等価交換……悪くない取引だ。ただし」

 

 オグリの目が光った。

 

「私がこの山を食べ尽くす前に、課題を終わらせること。それが条件だ」

「……はい?」

 

 俺が聞き返す間もなく、オグリはドーナツを二つ同時に口に放り込んだ。

 

 速い。

 

 咀嚼から嚥下までのプロセスが、生物として最適化されすぎている。

 

「急げカズユキ! このペースだと3分で山が消滅するぞ!」

「マジかよ! 物理の問題10問だぞ!? タイムアタックにも程がある!」

 

 俺は慌ててペンを取り、オグリのノートを奪い取った。

 

 クロも横から覗き込む。

 

「問1! 摩擦係数がどうのこうの!」

「式は立てられる! 計算は任せた!」

「よし、答えは4.2だ! 次!」

 

 俺が猛スピードで数式を書き殴る横で、オグリは淡々と、しかし猛烈な勢いでドーナツを吸引していく。

 

 パクッ。

 

 モグモグ。

 

 ゴクン。  

 

 パクッ。

 

 モグモグ。

 

 ゴクン。

 

 そのリズムは、死へのカウントダウンのように正確だ。

 

「ちょ、先輩! ペース早すぎます! 味わってください!」

「味わっているぞ。……うむ、このフレンチクルーラー、空気の層が絶妙だ」

 

 言いながら、オグリはフレンチクルーラーを一口で消滅させた。

 

「残り5個! カズユキ、急げ!」

「分かってる! あと3問……くそっ、なんでここだけ応用問題なんだ!」

「オレがやる! ……あーもう、文字がゲシュタルト崩壊してきた!」

 

 極限の空腹と焦りで、俺たちの脳味噌は沸騰寸前だ。

 

 だが、目の前で減っていくドーナツが、俺たちを突き動かす。

 

 あれはただの砂糖の塊ではない。

 

 命の灯火だ。

 

「ラスト1問! 答えは……9.8m/s2乗!」

 

 俺が最後の数字を書き殴ったのと同時に、オグリの手が最後の一個──チョコレートがたっぷりかかったオールドファッションに伸びた。

 

「終わりました!!」

 

 俺とクロが同時に叫んだ。

 

 オグリの手が、ドーナツの数センチ手前でピタリと止まる。

 

 ──静寂。

 

 俺たちの荒い息遣いだけが響く。

 

「……ふむ」

 

 オグリはノートを確認した。

 

 全問正解。

 

 完璧な回答だ。

 

 彼女は満足げに頷き、その最後のドーナツを手に取った。

 

 そして。

 

「……約束だ。半分ずつやる」

 

 パキッ。

 

 オグリはオールドファッションを綺麗に二つに割り、俺とクロに差し出した。

 

「え、先輩の分は?」

「私はもう十分食べた。……それに、頑張った者には報酬が必要だろう?」

 

 オグリが微笑む。

 

 それは、学園のアイドルの名に恥じない、聖母のような笑顔だった。

 

 俺たちは震える手で、その半分のドーナツを受け取った。

 

「……いただき、ます」

 

 パクッ。

 

 口の中に広がる、強烈な甘さと脂質。

 

 脳が歓喜の声を上げる。萎縮していた胃袋が、生きる活力を取り戻していく。

 

「……うめぇ……」

「……生きててよかった……」

 

 俺とクロは、図書室の片隅で、涙が出るほど美味いドーナツを噛み締めた。

 

 たった半分のドーナツ。

 

 だが、それは俺たちの知恵と労働の結晶であり、勝利の味だった。

 

「……また分からなくなったら頼むぞ。次はメロンパンを用意しておく」

 

 オグリが荷物をまとめて立ち去っていく。

 

 俺たちは、その後ろ姿を拝むように見送った。

 

「……カズユキ」

「なんだ」

「……勉強って、役に立つんだな」

「ああ。物理法則を知らなくても生きていけるが、物理を知っていればドーナツが食える」

 

 俺たちは顔を見合わせ、力なく笑った。

 財布の中身は相変わらず250円(ターボから貰い損ねた幻の金)のままだが、胃袋には確かな重みがある。

 

 中間テストまであと一週間。

 

 俺たちの生存戦略は、まだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

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