月明かりがスポットライトのように降り注ぐ、学園裏の空き地。
その中央にある切り株の上に、我が幼馴染にして、いまや学園のアイドルであるキタサンブラックが仁王立ちしていた。腰に手を当て、夜空に向かってふんぞり返るその姿は、天下統一を目指す戦国武将か、ジャイアンのリサイタル前か。
「いいか? オレが今、誰に一番心動かされてるか教えてやろうか」
クロは鼻を鳴らすと、あえてガサツにドカッと座り直した。その拍子にふわりと揺れる黒髪とスカートが、この状況の「ちぐはぐさ」を加速させる。
「……ダイヤちゃんだよ、サトノダイヤモンド」
その名前を出した瞬間、クロの瞳に、さっきの照れ隠しとは明らかに波長の違う、熱を帯びた光が宿った。それは、かつてあいつが教室の隅で「おい、隣のクラスのユカちゃん、マジで可愛くね?」と俺に同意を求めてきた時の、あの鼻垂れ小僧の『恋心』そのものだった。
「あんなに綺麗で、真っ直ぐでさ……。あいつと一緒に走ってると、なんていうか、胸の奥がキュンとするんだよ。これだよ、これ! 男なら、こういう箱入りのお嬢様を、泥にまみれて守ってやりたいって思うのが普通だろ!」
自分の豊かな胸をドンドン(実際にはボヨンボヨン)と叩きながら、クロは力説する。 ……待て待て。整理させてくれ。身体はキタサンブラックという、すれ違う男を全員振り返らせる絶世の美少女。その本人が、中身はまだ「昭和の男」のつもりで、親友のダイヤちゃんに「守ってやりたい」と恋をしている。
この構図、もはやバグである。システムエラーも甚だしい。俺の脳内CPUは処理落ち寸前だ。こいつのその感情は、本当に「男としての保護欲」なのか? それとも、ウマ娘という身体に変質したことで、ライバルへの強烈な憧れが「恋」に誤変換されているだけなのか?
少なくとも、特等席で見ている俺から言わせてもらえば、お前がダイヤちゃんを想って頬を赤らめているその顔は、どう見ても『恋する乙女』にしか見えない。百合の波動を感じる。
その光景があまりにも滑稽で、同時にどうしようもなく切なくて、俺は思わず、さっきまでのシリアスな湿っぽさが急速乾燥していくのを感じた。
「……お前、本気で言ってるのか?」
「本気に決まってんだろ! 今のオレは、あいつと並んで走るのに相応しい『男』にならなきゃいけないんだ。オレを変な独占欲だので邪魔する暇があったら、もっと良いトレーニングメニューでも考えろよ」
クロはそう言って、得意げに胸を張った。
ああ、そうかい。青春だねえ。
お前が必死になればなるほど、周りからは「キタサンブラックさんとサトノダイヤモンドさんの尊い友情(あるいはそれ以上)」として消費される未来が見えるよ。お前の中の「男」が叫べば叫ぶほど、お前は「可憐な少女」として完成していくんだ。なんという皮肉。
「……ま、せいぜい頑張れよ。ダイヤちゃんがお前に振り向いてくれるといいな」
俺がわざと棒読みで突き放すと、クロは「おうよ、見てろって!」と、少年漫画の主人公みたいな笑顔で夜空に拳を突き上げた。……その拳、華奢すぎて折れそうだけどな。
◇ ◇ ◇
青春というのは、嘘と秘密でできている。だが、本物のお嬢様というのは、時としてその嘘を土足で踏み荒らす残酷な純粋さを持っているらしい。
ある日の放課後。人気のない学生食堂。俺は、あのサトノダイヤモンドに呼び出されていた。いつもクロが「あいつ、マジで後光が差してるよな……」と遠くから(あるいは空回りしながら)見つめている、高嶺の花が目の前に立っている。
「……それで、話って何かな。サトノさん」
オレがそう言うと、彼女はいつも通りの気品ある微笑みを湛えているけれど、その瞳の奥には、どこか真っ直ぐで、ダイヤモンドカッターみたいに硬質な「意志」が宿っていた。カッターが刃をむく。
「あの……急に呼び出してしまって、ごめんなさい。でも、どうしてもお聞きしたいことがあって」
彼女は少しだけ身を乗り出すようにして、俺をじっと見つめる。良い匂いがする。クロの匂いが「陽だまり」なら、彼女の匂いは「洗練された香水」だ。俺みたいなモブキャラは、この距離にいるだけでHPが削られる。
「トレーナー課のあなたと、キタちゃん……キタサンブラックさんは、ただの幼馴染……だけではないですよね?」
……来やがった。女の勘ってやつか? いや、ウマ娘の野生の勘か?
「いえ、幼馴染なのは存じていますが、それ以上に何か……もっと深い、私たちが入り込めないような『絆』があるように見えてしまうんです」
ダイヤちゃんの手が、少しだけドレスのような制服の裾をギュッと握る。
「……あなたといる時のキタちゃんは、私といる時とは全然違う顔をします。もっと、こう……ガサツで、飾らなくて、それでいてすごく安心しきっているような。……お二人は、本当はどういう関係なんですか?」
その問いかけは、鋭利な刃物だった。彼女は気づいている。クロが被っている「キタサンブラック」という仮面の存在に。そして、その仮面を外せる唯一の場所が、俺という冴えない男の隣であるという理不尽に。
俺は一瞬、答えに詰まる。なんて言えばいい? 「実はあいつ、元男でして」なんて言ったら、俺は明日の朝刊の一面を飾る変質者だ。ここは、嘘をつくしかない。それも、限りなく真実に近い嘘を。
「……ただの腐れ縁ですよ。ガキの頃からずっと一緒にバカやってた、それだけです」
俺は努めて平然と、ハードボイルドを気取ってそう答えた。だが、ダイヤちゃんはその言葉を簡単には飲み込まない。小さく「腐れ縁……」と繰り返し、まるで高級フレンチの隠し味を探る美食家みたいな顔をした。
「そうですか……。あんなに素敵なキタちゃんを『腐れ縁』と言い切れるなんて、やっぱりお二人の時間は、私たちが想像するよりもずっと……密度が濃いのでしょうね」
彼女はふっと、寂しげな、でもどこか納得したような笑みを浮かべた。その表情には、俺たちが共有している「泥だらけで取っ組み合いをしていた過去」への、形容しがたい嫉妬のようなものが滲み出ている。
「私、キタちゃんのことが大好きなんです。彼女のあの、太陽のように周りを明るくする力……」
言葉が途切れる。彼女の視線が、床に落ちる。
「でも、時々、何かに必死に耐えているような、無理をして『皆の憧れのキタサンブラック』を演じているような……そんな風に見えることがあって」
……恐ろしいな、ダイヤモンド。クロが必死に隠している「男としての名残」や、アイデンティティの揺らぎを、彼女は理論じゃなく直感で見抜こうとしている。
「だから……あなたが羨ましいんです。彼女が、そのメッキを剥がして笑える相手が、あなたなのだとしたら」
ダイヤちゃんはそう言い残して、優雅に、でも少しだけ肩を落として去っていった。後に残されたのは、甘い香りの余韻と、冷や汗をかいた一人の男。
「……勘弁してくれよ」
俺は壁にもたれかかり、大きく息を吐いた。あいつは知らねーだろうな。自分が恋してる相手が、実は俺に一番嫉妬してるなんて。まったく、青春ってやつは、どいつもこいつも面倒くさくて、最高にたちが悪い。