ヘルメス・ファミリア団長アスフィは、オラリオから離れたアグリスの町でリュー・リオンが目覚めるのを待っていた。
重傷であるリューの手当てをした後、アスフィは独自で情報を集めていたが、オラリオに入ることが出来ていないので、あまり多くの情報は手に入れられていない。
「うっ……、ここは?」
「リオン、目を覚ましたか」
「アンドロメダ、ここはどこですか?」
「ここはアグリスの街。ヘルメス様の指示で避難しました」
最初こそ、何故早く目覚めさせなかったのかと、リューはアスフィを責めた。
だが、どうして自分たちがここにいるのかを、アスフィに説明され、リューは冷静になる。
「すみません、八つ当たりをしてしまいました…」
「いえ、気持ちは分かりますから。私も1人だったら、何かに八つ当たりをしていました」
「先ほど、オラリオは神フレイヤの魅了に支配されていると言っていましたが、シンも支配されているのですか?」
リューとしては、やはりシンの状況が気になる。彼の強さなら、もしかしたら魅了から逃れているのではないかと…。
「………いえ、それは無いでしょう」
「どうして、そう言い切れるのですか?」
「それは…」
「アンドロメダ、何を隠しているのですか?」
言葉を発そうとしないアスフィに疑問を浮かべるリュー。彼女の真剣な眼差しに、アスフィは正直に口に出す。
「シンさんは神フレイヤについています」
「一体どういう事ですかッ!!」
アスフィは最後にシンと会った時のことを、そのままリューに伝える。その内容を聞いて、リューは動揺が止まらない。
「剣製都市ゾーリゲンでアストレア様と平和に過ごす…、シンとはさようなら…?そんなの…、そんなの…、私が納得するとでも思っているのかッ!!!シンッ!!!!」
「リオン、落ち着いてください!!」
「これが落ち着いていられるかッ!!シンは何を一方的に別れを告げているんだ!!私がそんなの納得するわけないだろう!!私がどれほどシンの事を愛しているのかも知りもしないで!!愛おしい?ならば、私を愛せば良いッ!!赦されないなど、関係無い!!」
疲労困憊の身体を無理矢理起こして、リューはすぐにオラリオへ向かおうとする。
だが、それはあまりにも愚策だとアスフィに止められた。
「リオン、落ち着きなさい!!今は身体を休ませる事が最優先事項です!!」
「しかし!!」
「リオンッ!!今は休むべきです!!!これからどうするにしても、今のあなたでは何も出来ない。せめて、今は回復を…」
「………分かりました」
リューは渋々納得するが、すぐにでもオラリオに向かいたい気持ちでいっぱいだった。
「準備が整い次第、オラリオに戻りましょう。私もこのままで良いとは思っていません」
「……アンドロメダ」
それから翌日には、アスフィとリューはオラリオへ戻る。
だが、彼女たちを待ち受けているのは、フレイヤという強大な力だ。抗うのは至難の技だろう…。
一方の豊穣の女主人では、いつも通りミアを筆頭に、ルノアやクロエたち従業員が必死で、早朝から営業準備を行っている。相変わらずの忙しさだが、従業員の中で一人だけ、アーニャだけはずっと塞ぎ込んでいた。
理由は無論、オラリオが変わったからだ。
「どうしてニャ…」
一昨日から部屋に引きこもっているアーニャ。そんな彼女を同僚であるルノアとクロエはとても心配していた。
「アーニャの奴、ずっと塞ぎ込んで何かあったの?」
「分からないニャ。ミア母ちゃんはそっとしておけって言ってるけど、ミャーは心配ニャ。リューも戻って来ないし」
「ちょっと励ますか?」
「何か美味しいお菓子でも用意するかニャ?露店で珍しい茶菓子が売っていたニャ!!」
「それはアンタが食べたいだけだろう」
ルノアとクロエがそんな事を話していると、店の扉がガラガラと開かれる。店の中に入って来たのは汗だく状態のシンだ。
「シン、どうしたの!?そんな汗びっしょりで!?」
「走り回ったのかニャ?」
「まぁ、似たようなものだ。オラリオの外で修行していた」
「オラリオの外で?修行ならダンジョンの方が良いんじゃないの?モンスターとかいるわけだし」
神の恩恵を得た冒険者たちなら、強くなるためにはダンジョンでモンスターと戦うという選択肢を選ぶだろう。
だが、シンはオラリオの冒険者と同じではない。
「モンスターは弱いから無駄な作業が増えるだけだ。それよりも外で覇気を鍛える方が良いと判断したんだよ。それに時間もかかるからな…。まぁ、オレのことよりも、そっちは何を話し込んでいたんだ?」
「アーニャの事ニャ。ずっと塞ぎ込んでいるニャ」
「……ミアはなんと言っている?」
「ミアお母さんはそっとしておけって言ってるけど…、私らとしては放っておけないんだよね」
「その気持ちも分かるが、今はミアの言う通りにしておけ。女神祭も終わって、アーニャも少しブルーな気分なんだろう」
シンは自身の意見を言い終えると、そのまま汗を流すためにシャワーへと向かう。
(アーニャ、大丈夫だ。シルのいない日常も慣れる。オレも慣れるよ…)
シンは自身に言い聞かせるように、そう思うのであった。
そして、シャワーを浴び終えたシンは、いつも通りに仕事を行う。
「そう言えば、フレイヤ・ファミリアの少年が訪ねてきたよ」
「フレイヤ・ファミリアの?そいつの名は?」
「ほら、最近話題の【
「そうニャ。あの尻は良いけど、エア街娘を探しているなんて、かなりヤバい少年ニャ」
「確かにそうだな…。お前等、そいつと変に関わるなよ。良いことなんて一つもない。……オレは買い出しに出かける」
そう言って、シンは買い出しに出かけた。彼の発する声のトーンやその言動にルノアとクロエは少し違和感を覚える。
まるで、いつもの余裕のあるシンではないようだと…。
「シンの奴、ちょっとおかしいよな。ここ数日、酒も飲まないし、何よりもサボらない」
「確かにニャ。リューがいないから寂しがっているのかニャ?」
「それはあり得るな。まぁ、それよりもアーニャの事、どうする?シンやミアお母さんはそっとしておけって言っていたけど、私としてはアーニャを励まそう思うけど?」
「それはミャーも同意見ニャ!後でちょっとだけ抜け出して、お菓子でも買うニャ!」
シルのことを忘れたルノアとクロエは、アーニャが何故閉じこもっているのか知らない。
二人がアーニャを励ますために、彼女の自室を訪ねるのは次の日となる。
■
翌日、ルノアとクロエはアーニャの為に美味しいと噂されている茶菓子を買い、アーニャの部屋を訪ねた。
「アーニャ、良い加減にするニャ!!」
「何があったか知らないけど、立ち直りなって!!ほら、美味しい茶菓子を買ってきたから後で一緒に食べよう!!」
「この茶菓子はめちゃくちゃ美味しいニャ!!味見しといたから、それは間違いないニャ!!」
「味見って、勝手に食べただけだろう!!」
「結果は同じだニャ!!」
ルノアとクロエに無理矢理連れ出される感じで、アーニャは久々に自室から出る。
「……シルは?」
「またシルかニャ?従業員にも客にもそんな奴はいないニャ」
「えっ…、いや、…そんな…、どうしてニャ!!」
「止めな、アーニャ」
動揺してクロエに詰めかかるアーニャを諌めたのは、この店の女将のミアだ。彼女はアーニャ同様にみんなとは違い、記憶が変えられていない。故にアーニャの痛みも理解している。
「ミア母ちゃん!!ミア母ちゃんは覚えて…」
「もちろん、覚えているさ。けど、これはどうにもならない。フレイヤが皆の記憶から消したのさ」
「そんな…、どうして!!!フレイヤ様がっ!!」
アーニャは勢いよく店を出ていく。ミアは戻るよう言うが、今のアーニャには全く聞こえていない。
何処に行くかも何も決めていないアーニャは、ただ勢いに任せて走り出す。そんな彼女を引き止めたのは、彼女の実兄であるアレン・フローメルだ。
「兄様…」
「あのまま引きこもっていれば良いものを…。チッ!!黙って付いて来い」
「何処へ…」
「質問するな。愚図は黙って付いて来れば良い」
「……はい」
実兄であるアレンに逆らうことなど、アーニャに出来るはずもない。彼女は何も分からず、アレンの後ろをついていく。
そして、辿り着いた先には、アーニャにとって、驚きの人物が待っていた。
「フレイヤ様…」
「いらっしゃい、アーニャ。どうしたの?顔が真っ青よ?」
「シルは!!どうして、シルを!!」
「シルはもういない。と言っても納得しないだろうから、これを見せるしかないわね」
女神フレイヤは身につけているそのフードを取る。そして、それを見たアーニャは驚いた。
なぜなら、フードを取った女神フレイヤの姿が自身の探している同僚シル・フローヴァの姿だったからだ。
「こういう事だよ、アーニャ。酒場でずっとあなたと接していたのは私。フレイヤはシルで、シルはフレイヤ。ねぇ、単純な話でしょ?」
「そんな…嘘ニャ…、シルがフレイヤ様…」
「初めて会った時のことも覚えているわ。大丈夫?風引いちゃうよ。私たちの家に来る?豊穣の女主人って言うの?ってね。…これはただの娯楽。神の気まぐれよ」
「そんな…そんな……そんなあああぁぁぁぁぁぁ…ッ!!!!…あぁ…、ッ、違うッ!!違うッ!!違うッ!!!」
アーニャは正常な判断が出来ない。目の前の現実があまりにも逸脱していたからだ。彼女はこれは偽物だと、シルに飛びかかるが、それはアレンに止められ、逆に蹴り飛ばされる。
「愚図が…」
「ガハッ!!!」
「アーニャッ!!!!」
地面に倒れて気絶したアーニャに駆け寄ろうとしたのは、神フレイヤに支配されたオラリオに潜入していたリューである。
彼女はアーニャの側に行こうとするが、彼女の存在に気づいていたアレンが阻む。
「出たわね。…アレン、槍を下ろしなさい」
「ダメです。このまま…」
「下ろしなさい!!」
「ッ!?……分かりました」
シルに強く言われ、アレンは手に持つ槍を下ろした。
リューもまた、手に持つ短剣を下ろして、シルの方を向く。
「……シル」
「待っていたよ。アーニャにつられて来ると思っていた」
「貴方は本当にシルなのですか!!」
リューはまだ信じられない。シルの言葉を聞いていたが、それでも事実だとは認めたくないのだ。
だが、彼女のその願いもシルの言葉によって、踏み躙られる。
「本当だよ。ずっと聞いていたんでしょ?」
「……私を助けた事も、あの酒場の日々も、貴方にとっては遊びだったのですか!!!」
「だったら何?女神の単なる遊び。誰だって嘘は付くでしょう?アーニャだって、リューだって、シンだって」
「ッ!?」
「私だって嘘は付くよ。今回はこれだっただけ。…ねぇ、私は誰も傷つけるつもりはないの。私はリューもシンも、みんなの事がとても大切だから。…受け入れて」
シルはリューに友好の握手をしようとするが、リューはその手を弾いた。かつてシルから触れられても彼女は嫌ではなかった。しかし、今は弾いてしまう程の嫌悪を抱いている。
「貴方はシルではない!!」
「黙って!!」
シルは無意識に自身の持つ【美】の権能を使ってしまう。
そのせいで、リューは何も喋ることは出来ず平伏している。
「ごめんね。今の私は歯止めが利かないの。今だって、嫌いだったこの力を簡単に使う。ベルを手に入れるためなら、私は全てを切り捨てられる。……すぐ解くね」
シルはリューに対して、無意識に使った権能を解いた。
「これは私の幸せのため」
「これが幸せだと言うのか!!」
「そうよ。リューには肯定して欲しいけど、その様子から見て、肯定はしてくれないのね。でも、良いよ。許してあげる。だって、最後まで私の味方をしてくれる人がいるから」
「まさかッ!?」
「───リュー、何故ここにいる?神アストレアと平和に過ごせと言っただろう。【万能者】から聞いていないのか?」
その声の主は、リューが最も会いたかった人物。だが、それと同時に今は完全なる敵と言っても過言ではない人物だ。
「……シン」
「別れを伝えた筈だが?」
「そんなの納得出来ない!!私はあなたを愛している!!」
「知っている。その上で遠ざけた。リュー、オレには愛される資格が無いんだ」
「何を言っている…」
「オレは罪人だ……。お前の愛を受け入れる事も、お前を愛することもオレには赦されない」
愛し愛されたいと思いながらも、それが出来ない。その悲しい想いをシンは伝える。
「オレは
「シン!!」
「安心しろ、この世界の脅威であるダンジョンも黒竜も、太陽神ニカもオレが始末する」
「……シン、私はッ!」
「さようならだ。もう、オレのことは忘れろ。外で神アストレアと平和に暮らせ。それがお前の本来の幸せだ」
「シン!!」
ギロッ!!!!
シンは覇王色の覇気を使い、リューを気絶させようとする。
だが、リューはそれを受けながらも立ち上がった。
「シン!私の話を聞けッ!!!!!!!」
「ッ!?」
(オレの覇王色の覇気を受けて、立ち上がるだとッ!?)
「シン、私は貴方を救う!!!」
「何をッ!?」
リューは動揺しているシンの懐に入り、彼の顔に自身の顔を近づけようとする。
「シン、簡単です。私を──」
「止めなさい!!」
シンとリューの顔が触れようかと言うときに、シルはその力を振るった。
そして、その結果、シンとリューは魅了されたのだ。
これは女神フレイヤの暴走。本来なら魅了を使うことは無かった。だが、力を安易に扱うようになった彼女は、リューだけではなくシンまで魅了してしまったのだ。
(私はどうして、シンまで魅了したの?…いえ、分かっているわ。私の味方では無くなろうとしたからよ)
「ダメ。揺れてはダメよ、シン。貴方は私の味方」
フレイヤに戻ったシルは、魅了されたシンとリューを自らの本拠地へと保管する。
「魅了したままで良いのですか?」
「時期が来れば、解放するわ。私にとって、シンとリューはとても大切な人なのだから。…でも、ベルを手に入れるためには多少の荒事は必要。……軽蔑する?」
「いいえ」