現在シンは仕事から逃げられないように厳重な包囲を強いられていた。その内容は豊穣の女主人であるミア・グランド自らが彼を見張っている状態だ。
シンはかれこれ数時間ジャガイモの皮剥きをしていた。
「ミア、オレはサボらないから厨房に戻ったらどうだ?厨房の仕事も沢山あるだろう?」
「まだまだ混む時間じゃないからね。気にしなくて良いよ。それよりもこの間、会いに行ったらしいね…アレに」
「……ッ」
ジャガイモの皮を剥いていたシンの手が止まる。シンは特別やましい事をしたという自覚は無いが、変な空気がこの場を漂っていた。
「先に言っておくが、アタシは別に怒っちゃいないよ。あんたが何をしようとそれはあんたの勝手だ。ただし、内容によってはきっちりと責任を取らせるだけさ」
その責任が怖いんだよとはこの空気の中でシンは言わなかった。
「ミア、オレに聞きたい事があるんだろう?」
ミアが態々シンと2人だけの空間にしたという事は何かしらの話があるというのはシンも安易に推測出来ていた。
「ああ。一応聞いておこうと思ってね。……今のオラリオで何が起きているんだい?」
「あいつ以外の話だと、面倒な事が起きていると思う。まぁ、断片的な確証とオレの勘が混じった感想だけどな」
「はぁ~。それはつまりヤバい事が起きるって事だね。アレの方も変に合わさったら最悪だね。さっきも魔導書を持ち込んでいたよ」
「欲望が抑えられないんだろう。まぁ、オレたちは成り行きを見守るしかないけどな。いや、それはオレだけか。ミアは何だかんだ助言するのだろう?」
「どうだろうね。アタシはこの店を切り盛りするのに手一杯だ。それに…こう見えても、アタシはあの女神には救われて欲しいとも思っているんだよ」
ミアの言葉を受けて、シンは押し黙る。ミアがそのように思っていた事は何となくシンは分かっていた。だが、言葉として彼女から聞くのは初めてだ。
「まぁ、今のアタシには今まで通り接する事しか出来ないけどね…。壊れないのを祈るばかりだよ」
「本当の母親みたいだな。…母は強しか…。愛されているな」
「何を当たり前の事を言ってるんだい」
「そうだな。………当たり前の事だよな」
その時のシンは何処か遠くを見ているようだった。
ミアはシンが何を考えているのかは分からない。だが、少しの変化は感じ取れていた。
まだ、出会った時から
■
次の日、シンは朝早くに厨房で仕込みを行っていた。厨房の仕込みは基本的にミアとシンがすることになっている。
最近、サボりまくっていたシンはこれから2週間全ての厨房の仕込みを行う事をミアに約束させられた。シンの自業自得であるので、シン自身は余計な事を言わずに了承したのだ。
「はぁ~。シル、それがミアの言っていたやつだな」
「そうなの。お客様が忘れたみたいなの」
シンとシルの目の前には『ゴブリンにも解かる天体魔法』と書かれた本が置いてある。
ミアはそれを見る度に嫌そうな顔をしていた。そして、それは今、その本の前にいるシンも同様である。
「程々にしとけよ」
「どういう意味かよく分からないなぁ」
シンは可愛い子ぶるシルを見て、そのあざとさに一体何人の者たちが転がされて来たのだろうと思うのであった。
「それにしても、あの少年はそんなに見どころがあるか?」
「ベルさんは素敵な人ですよ」
「そうニャ!!あの少年はかけがえのない最高の少年ニャ」
シンとシルの会話に入って来たのは、2人の同僚であるクロエ・ロロだ。クロエはベルの事を思い出してか、頬を赤らめている。
「ミャーはあの少年のプリッとした形のよい未成熟なお尻に興奮を覚えずにはいられないニャ」
クロエは重度のショタコンであり、問題児の一人だ。
今もベルの事(特にお尻)を想像して、口からヨダレを垂らしている。
そんな彼女を見て、シンはため息をつく。そして、シルはクロエの耳を摘んで投げ飛ばした。
「痛いニャ!!シルが暴力を振るったニャ!!」
「「「自業自得」」」
豊穣の女主人の店員たちは誰一人として、クロエには味方しなかった。それは普段のクロエをしているからこその反応だろう。そんなバカみたいな問答を繰り返していると、一人の少年、ベル・クラネルが来店した。
「ベルさん!!!」
シルはベルを見るなり、彼の元へ走っていく。ベルの手を握り、彼を愛おしそうに見つめているその姿は単なる恋する女の子のように見える。当の向けられている本人は気づいていないが……。
「あんな如何にも好きですと向けられているのに気付かないとは鈍感そのものだな」
二人のやり取りを見ていたシンはつい感想を口に出していた。
「少年は魔法を得るか…。そう言えば、魔法でハズレは聞いたことがないな。向こうでは偶に変な能力があったから、そこは良い点だ」
シンが元いた世界では悪魔の実というものが存在している。基本的にそれを食えば得られるメリットが大きい。しかし、偶にハズレと思われる実がある。
シンが知っている例を出せば、ジャケジャケの実やコロコロの実だ。一生ジャケット人間やトロッコ人間になるのは最悪だと思える。
「オレは当たりだな」
(まぁ、能力者になるつもりは無かったけどな。あの忌まわしい戦場で腹が減って仕方なく食べただけだ。でも、そのおかげで戦場を脱せた、……皮肉なものだ)
「シン、何をボーッとしているの?早く終わらせないとミア母さんに怒られるわよ」
シルはいつの間にかこちらに戻って来ていた。どうやら、ベルとの会話を終えたようだ。
「少年にあの本を渡したのか?」
「ええ。ベルさんの役に立てば良いのだけれど…」
それから数日後、ベルは貸し出された本が如何に高価なものなのかを知り、慌てふためいて豊穣の女主人にやって来た。
「シルさん!!これ魔導書だったんですよ!!!僕、知らずに読んじゃって……ッ!!」
「……それは大変な事をしてしまいましたね…ベルさん」
「ちょっとシルさんッ!!?何で他人事みたいに!!!?」
本当にシルは完璧な役者だと、厨房で事の成り行きを見ていたシンは感心している。
しばらく問答が続くと思っていたが、彼の隣にいるミアがベルの元へと足を運ぶ。
「朝っぱらからうるさいよ坊主。こんなもの気にする必要はないよ。そもそも置いていった奴が悪い」
「で、でも…、!?」
「男だったらグズグズ言ってるんじゃないよ!!さっさとダンジョンへ行って稼いで来な!!そして、うちの飯を食って、たんまりとお金を払いな!!」
「は、はい…!!」
言いたいことを言い終えると、ミアは厨房へ戻った。
さっきまでのミアを見ていたシンは、迫力あったなぁ感心しており、女神に手を加えられた少年を一瞥する。
「あれがアレの伴侶になるのか?」
「分からないよ。……でも、確実に時は進んでいる」
「違いないな」
この豊穣の女主人の中で、シンとミアだけは何が起きているのか知っている。いや、知ってしまった。
その結末がどうなろうと見守る義務があるのだと、2人は言葉に出さないが察している。
「本当に分からないね」
「だな。……仕込みを終えたからオレは買い出しに行ってくる」
シンは買い出しのメモと買い物カゴを手にすると、外の扉へ向かおうとした。
その瞬間に、シンの肩はミアの手にガシッと掴まれる。
「そうかい。…分かっていると思うが、サボるんじゃないよ?」
「…あ、ああ」
「少し返事がおかしかったねぇ。もしかして、小遣い稼ぎしようと思っていたんじゃないだろうね?」
「まさか…そんなはず…、ないだろう?」
シンは目線をミアから外して、違う方向を向けている。それがかえって良くないと気づくまで後数秒かかるだろう。
「相変わらずバレる嘘をつくね。目があさっての方向を向いているよ。ったく、お目付役が必要だね」
「お目付役とは?」
「アーニャとシルは論外だ。アンタと一緒にサボるからね。確かルノアは休みでクロエは夜からだったね。…仕方ない、少々アンタに甘いがリューをお目付役にするよ」
「はい!分かりました!!」
いつの間にかミアの後ろにいたリュー。ミアに意識を集中していたせいで、シンはリューが声を出すまで気づかなかった。
「お目付役なんていらないけどな…」
「アタシの決定に文句あるのかい?」
ギロッとミアに睨まれたシンは首を素早く横に振り、文句が無いと一瞬で伝える。
この日はダンジョンで小遣い稼ぎをしようと思っていたシンだが、ミアにバレたので仕方なく普通に買い出しをして、豊穣の女主人へと帰った。