シンは最近シルの機嫌があまり良くないと感じていた。他の者たちには分からないようにしているが、何処か不機嫌だ。
理由を聞く気もないし、意味もない。彼が思うのは女の心を理解するのは一苦労なのだということだ。
「ベルさん!!今日は助かりました!!!」
昨日までの嫉妬とは裏腹にシル・フローヴァはベルを見るなり、満面の笑顔を出している。
皿洗いを手伝わされたベルからして見れば、疲れた一日だった事だろう。
「いえ、こちらこそ良い気分転換になりました!」
シルに連れてこられた時、ベルは元気があまり無さそうだったが、今はとても明るくなっている。
彼の言う通り、本当に気分転換出来たようだ。
そんなベル・クラネルを一瞥したシン。彼は少しだけベルが強くなっていると判断した。
(初めてこの店に来た時よりも強くなっている。だが、やはり凡夫だ。取るに足らない存在。………少年は善人というよりも純粋なだけだな)
「シン、どうしましたか?」
通りかかったリューは考え事をしていたシンに話しかける。シンは何でもないと返答して、自らの仕事に戻った。
昨日まではシルがサボっていたので、彼女の分の仕事が大量にシンの方へやって来たが、今はちゃんとミアに叱られて働いているので昨日よりはマシとなっている。
シンはいつものように少し手を抜きながら仕事を再会した。
それからしばらくの時間が経った時、シンは誰かが自分を監視している。しかも、監視しているのが複数人いるのを感じ取った。
シンは見聞色の覇気を全開にして、誰が監視しているのかは分かっている。監視されているのを少し不愉快だと思う彼は監視している者たちだけに殺気を飛ばした。
殺気を向けられた者たちは逃げるという行為事態が出来ない。なぜなら、シンから受けている殺気は、動けば殺すぞと伝えられているような状態なのだから。
「あれから随分と時間が経っている。何故、今さらオレのことを探りに来たんだ?………
シンはゆっくりと歩き出す。その時の彼はサボり魔の店員ではなく、幾千もの敵を狩ってきた猛者だ。
一歩、また一歩と進むごとに殺気を向けられている者たちのプレッシャーが上がっていく。
そして、この殺気はシンの覇王色の覇気だ。彼が近づくたびに段々と監視している者たちの意識が保てなくなる。最終的には一人を除いて全員が気絶した。
シンが店を出ると、監視している者がいる屋根上へと移動した。それは一瞬の出来事。監視していた者はシンを目で追えず困惑している。
だが、その困惑も次のシンの言葉で消えていく。
「さて、オレに何のようだ…ロキ・ファミリア?」
シンは監視していた者の真後ろに立っていた。しかも、監視している者たちの中で唯一気絶しなかったフィン・ディムナの頭を掴んでいる状態だ。
「まさか、団長直々に監視しているとはな。もうすぐ遠征をすると聞いていたが、暇なのか?」
「……ッ」
「どうした、何故返答しない?………あぁ~!、なるほどな。悪い悪い。覇王色を少々使い過ぎたせいだな。今収めるよ」
先程までのプレッシャーが一瞬で消える。フィンはようやく喋る事が出来る状態となった。彼の周りには彼の仲間たちが気絶して倒れている。
「…お前以外にはオレの監視は荷が重かったようだな。見たところ、そいつらのレベルは中堅だ」
「僕がいれば、ある程度は事足りると思っていたからね。ラウルたちには迷惑をかけてしまったよ」
今回、シンの監視をしていたのは団長であるフィンとラウル、アナキティなどの第二軍の中核メンバーたちだ。
本来なら首脳陣たちが出張るべき事案なのだが、フィンは戦いに来たわけではない。あくまで目的は監視なので、戦闘能力よりも監視能力や判断力に長けている者たちを選出していた。
「見誤ったな。監視だけなら問題ないと思ったか?オレは心底不愉快だったぞ」
「……それはすまなかった。こちらとしては敵対する気はない」
「どうして今ごろオレの監視を始めた?あの犬コロとの件から随分と日数が経っているぞ?」
シンにはそれが疑問だった。何か仕掛けるならもっと前に起きていた筈だ。なぜ、今頃なのか?それを確かめるために気絶程度で済ましていた。
「……数日前、ダンジョンで事件が起きた。殺人事件だ。その時、僕たち第一級冒険者と互角に戦う者が現れた。残念ながら僕たちはその者を知らなかったし、見たこともなかった。けれど、あの強さだ」
「なるほど。オレと繋げたわけだな」
「ああ。君も未知なる強さを持っている。もしかしたら、仲間なんじゃないかと疑ったわけさ。……君のことをミアに聞いたけど、単なる店員としか教えて貰えなかったよ」
「だろうな。ミアが教えるわけもない」
「……ここは実質フレイヤ・ファミリアの縄張りと言っても過言ではないからね。少し距離を置いての監視だけに留めていた。ロキ・ファミリア対フレイヤ・ファミリアなんて都市が崩壊するような事は望んでいないからね」
「都市の心配より、自分の心配をしたらどうだ?オレの手に少しでも力が加われば…お前は死ぬぞ?」
フィンの額に汗がにじみ出る。少しでも相手の不興を買えば、一瞬で殺されるからだ。何よりもフィンは自分の死だけで終わるとも思っていない。ファミリアの団長たる者が出しゃばってしまった。ファミリアの者たちにも危害が加わる可能性が高い。それだけは避けたかった。
(ロキの見立てでは、ファミリア総戦力で戦ったとして、五分五分くらいだと言っていたが…、彼の力の一端を見て確信した。僕たちは必ず負けるだろう…。ベートの時では掴めなかったが、今なら分かる。いや、分からされてしまった。曖昧な線がはっきりとした線に変わった)
「君の機嫌を損ねてしまい、すまなかった。接触して分かったよ。君が事件に関わっていないと…」
「それはどうしてだ?」
「君の方が圧倒的に強いからだよ。ダンジョンでモンスターを調教しながら戦力を整えるなんて小狡いことはしない。君一人で何もかもを引き起こせるからね」
「疑いが晴れたようで何よりだ。………今回はうちの大事な常連客ということで許してやる」
そう言って、シンはその場を後にした。
残されたフィンはようやく安堵するが、まだ立ち上がれない。監視を始めた日にとてつもない殺気を浴びたのだ。今は動く気にはなれない。
「だいぶ見誤ったな。……もし、フレイヤ・ファミリアと抗争となった時、彼が参戦するかどうかで全てが変わる」
今までの見立てではロキ・ファミリア対フレイヤ・ファミリアとなれば、勝つことは可能だとフィンは考えていた。
だが、シンという存在によって、それは簡単にひっくり返ってしまう。
(最強とは彼のことを指すんだろうね)
フィンはしばらくの間、空を見上げている。
この日を機にフィンはシンに喧嘩を売るべきではないと首脳陣に話した。そして、暴走しがちな幹部たちへ厳重注意をする。
豊穣の女主人の店員であるシンに対して仕掛けるなと…。
そんな渦中のシンは豊穣の女主人の主人であるミアと珍しく酒を飲んでいた。しかも、これはミアの奢りである。
「やっぱり、アンタの能力は便利だね。酒が冷えていて美味い。それに魔導具を使わなくても野菜や魚を冷凍保存出来る点は店にとっちゃありがたいね」
「オレの能力が店の役に立っているようで何よりだ。……そう言えば、ロキ・ファミリアの団長にオレのことを聞かれたらしいな」
「ああ。フィンの奴、相当アンタの事を怪しんでいたよ。あれは何か探りに来る気だ。せいぜい面倒事にならないようにするんだね」
「それなら大丈夫だ。既に対処したからな」
数十分前に解決した。これ以上、フィン自ら仕掛けて来ることはないだろうとシンは確信している。
「オレの考えとして、ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアが抗争を始めたら、フレイヤ・ファミリアが勝つだろうな。二大派閥と言われていても力の差が明らかだ」
「抗争ねぇ…。そんな事になったら最悪だよ。せいぜいアレが暴走しない事を祈るばかりだよ」
「そうだな。あいつは暴走しがちだ…」
■
ロキ・ファミリア団長フィン・ディムナの件から2週間程経った頃。オラリオ内ではロキ・ファミリアの遠征について、盛り上がっていた。どうやら、今日から遠征が始まるらしい。
「ロキ・ファミリアは遠征か。もし生きて帰ったら、またここで宴会を開くんだろうな。常連客だから、当然と言えば当然だが…」
「良いことじゃないか。金をたんまりと落としてくれる。それよりも今日は休みだろう?何でニンジンの皮むきをしているんだい?」
「気を紛らわせたくてな…。…これから行きたくもないところに行かなければならない。全く、アイツから金を借りるんじゃなかった…」
シンの給料は少ない。それも他の従業員たちよりも…。
しかし、これはシンの自業自得の部分が大きい。サボり魔のシンは文字通りサボる。それによりミアから減給されていた。これは仕方ない事だ。
残り少ない手持ちのお金で凌げば良かったのだが、シンは大好きな酒を飲むためにお金を借りた。
そのせいで今日は貸してくれた者の言うことを聞かなくてはならない。内容がまだマシな部類なので、シンは面倒ではあるが従う。
「誰に金を借りたか知らないが、変なことに巻き込まれるんじゃないよ」
「そうならない事を祈るばかりだ。まぁ、大丈夫だとは思うが…」
シンは適当にニンジンの皮むきを終えると、お金を貸してくれた者のいる場所へと向かう。
そこはオラリオの中心にあるバベルの塔。しかも、彼が向かった先は先日話に行ったフレイヤの部屋だ。
そう、彼にお金を貸したのはフレイヤである。
「何で態々オレを部屋に呼んだ?」
「ふふっ…あなたと一緒に鑑賞したかったからよ。私の伴侶が壁を乗り越えるところを…」
フレイヤは観戦する為に千里眼を有した能力『神の鏡』を使用した。そこから見えるのはベル・クラネルと大剣を持ったミノタウロスが戦っている光景だ。
「さぁ、見せて貰うわよ。あなたの
(これも神に用意された舞台。茶番劇も甚だしい)
隣で期待の目をしているフレイヤとは違い、シンはその光景をとても冷めた目で見ていた。
ベルは必死で藻搔いて戦うが、ミノタウロスとは力の差がある。その差を埋められるかが、この戦いのベル・クラネルの勝利条件だ。
「勝てると思っているのか??」
「質問を返すようで悪いけど、シンはあの子が勝てるとは思わないの?」
「……残念ながら、思わないな。…確かに以前見かけた時よりも少年は強くなっている。きっと本人の努力の成果だろう。…だが、それでも追いつけない」
シンの言う通り、ベルは劣勢となっている。レベル1では勝てないとされているミノタウロスが相手なのだ、無理もない。
ベルは勢いよくミノタウロスのタックルを喰らい、後方へと吹き飛ばされる。それは決定的敗北の瞬間だと、見ていたシンは悟った。
(終わったな…。また、フレイヤの伴侶探しが始まってしまう…。いや、始まったところで…恐らく、フレイヤの伴侶は……現れない)
「シン、これからよ」
「ん?」
シンはフレイヤから神の鏡へ目線を変えると、そこでは遠征途中でミノタウロスの話を聞き駆けつけたアイズ・ヴァレンシュタインがベルを庇う形で立っていた。
アイズがミノタウロスを討伐する。その流れなのかと思ったが、そうはならなかった。
なぜなら、ベル・クラネルが雄叫びを上げたからだ。
『もう…アイズ・ヴァレンシュタインに助けられるわけにはいかないんだッ!!!』
ベル・クラネルは覚悟を決めたように走り出す。それを迎え撃つミノタウロス。両者の攻防を見る者たちを魅力する。
英雄になりたいと思う少年。彼は冒険をしている。
誰かが呼んだ…【アルゴノゥト】と…。
「素晴らしいわッ!!!!!最高よ!!!!あなたこそッ!!!私に相応しいッ!!!!美し過ぎるわッ!!!ベルーーーーッ!!!!!私の伴侶ッ!!!!」
喜びのあまり尋常ではない程、魅力されているフレイヤ。
ここまで喜んでいるフレイヤをシンは見たことがない。
(これが…フレイヤの伴侶か…。まさか、立ち上がるとは…。オレの見る目がなかったという事だな…。何よりも、思いのほか見せつけられている)
決定打に欠けていると思われたが、ベル・クラネルの魔法により、それは解消される。それにより、ミノタウロスとの激闘をベル・クラネルは制した。
「素晴らしいわ!!!!とても美しい戦いだった!!!これこそが始まりよ!!!ああ、ベルッ!!」
「………」
(これが始まりなら、終わりも生まれたという事だ。……ベル・クラネルが何処まで抗えるか見物だな。…いや、抗う事は出来ないかもな…。今のままでは…)