コーラルリーフ1942 -珊瑚海海戦-   作:りゅーぜん

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米国太平洋安全保障史及び現状に関するレポート:後

 ヨーロッパ情勢の悪化

 さて、1941年開戦に向け、アメリカの太平洋方面に対する防衛計画は進展─するどころか後退を始めました。

 1938年9月、ドイツはチェコスロバキアのズデーテン地方を武力恫喝によって割譲させます。「ミュンヘン危機」と呼ばれたこの事件をきっかけに、フランクリン・ルーズベルト大統領は日独伊三か国が太平洋・大西洋の両洋でアメリカの安全保障を脅かしてきた場合に取るべき方策を策定するよう、陸海軍に要請しました。

 1939年4月に提出された報告書は、太平洋においては守勢に立つこと、防衛目標はハワイ・パナマ運河とすることとされ、ハワイ以西の領土については喪失することを覚悟しなければならないという情勢予測が記載されていました。─もうフィリピンは見向きもされていません。されないどころか、ハワイ、アラスカの防衛を固めるためにフィリピン増強は先送りにされる始末。

 これにともない、防衛後の反撃ルートについても検討が進みました。提案されたのはアリューシャン列島ルート、ミッドウェーからルソンへの直行ルート、マーシャル諸島・カロリン諸島・マリアナ諸島・ペリリュールート、そしてサモア・ニューギニア・ミンダナオルートの4つで、そのうちルソン直行、マーシャル諸島ルートが支持されました。

 ─攻勢案が決定されたものの、アメリカは日独伊三国と戦争を行うことになった場合、ドイツへの対応を優先することとし、太平洋は二の次とすることがこの時の検討で正式決定となります。また、これまでの「カラープラン」は米国単独で戦争をすることが前提とされてきましたが、ファシズム三か国を相手取る上でその想定は果たして妥当なのかという提案がなされ、カラープランに代わる新計画を策定することになりました。

 

レインボープラン

 こうして、日独伊の複合的脅威に対抗するための計画が作成されることとなり、これを「レインボープラン」と呼称することになりました。

5通りの計画が練られ、そのうち採択される可能性がある計画は「レインボー1」と命名されました。計画は以下の通り。

 

・アメリカは主要同盟国無しのまま戦争状態に突入する

・西半球の領土を保全し、アラスカ・ハワイの線から後方で戦略的守勢を維持する

 

 もっともあり得ない想定として、「レインボー5」計画として提出されました。

 

・英仏共同して行動する

・レインボー1と同様戦略的守勢を維持するが、東大西洋とアフリカ・ヨーロッパの一方または両方への早期のアメリカ軍投入を行う。

・続いて英軍および同盟国と同盟して独伊屈服を達成しうる攻勢作戦を実行する。

・太平洋では、欧州ファシスト国家に対する勝利が達成されるまで防衛を維持する

 

 このもっともあり得ない想定が現下の情勢にもっとも近いものとなり、今まさにわが軍の大原則として採用されることになりました。

 

大戦勃発以降の計画方針

 

 1939年9月、ドイツによるポーランド侵攻で戦争が始まるとその月の末には中立を宣言し、西大西洋と東大西洋とで南北アメリカ大陸沖合約 300 海里の地点を安全保障水域として宣言、その安全を保障する目的で中立パトロールが開始されます。準備のまるで整っていない我々にできることはここまででした。

 ところが1940年にフランスが降伏し、窮地に追い込まれたイギリスはアメリカによる本格的な支援を要求、41年1月に米英間で幕僚会議が開催されることになります。3月末まで14回にわたり開催されたこの会議により、おおむね下記の方針が決定されます。

 

・決戦を最初に求めるべき戦域はヨーロッパであり、アメリカの主要な軍事的努力は大西洋と欧州に向けて注がれる

・したがって、ドイツ・イタリアをまず屈服させ、しかる後に日本に対処する

・極東に対しては戦略的守勢を行う。

 

 太平洋方面はあくまで消極策で臨むことが、いよいよ外国を交えた共通認識として確定されたのです。しかし実際の作戦計画は全く定まらず、ハワイからフィリピンへ漸進的に進出を行うという計画は作戦案として具体化されておらず、太平洋方面の防衛完遂のための英仏間協同作戦についての討議も全くなされず、シンガポールを死守すべきか放棄すべきかについて二国間で意見が割れる始末でした。そもそも兵力動員や生産体制の用意もままならず、アメリカは戦争以外の方法で日本を抑制せざるを得ませんでした。

 

 しかし…1941年中旬ごろにアメリカは極東における外交攻勢を選択します。同年5月、中国をレンドリース法の適用対象とすることになり、アメリカ使節団が中国に派遣されビルマ公路を用いた物資援助を約束しました。7月26日には日本資産凍結と事実上の石油禁輸を宣言、政府の対日態度は急速に硬化していきます。

 軍首脳はこれら対日外交の強硬化に反対します。全く準備が整っていない中で日本を刺激するのは危険すぎる、と。しかし、41年6月にドイツがソ連に侵攻したことで大西洋における危機的状況は軽減され、太平洋方面に多少強気に出られるようになったと政府は考えていました。

 その意向が反映されたかのように、7月末にアメリカ陸軍はフィリピン放棄方針を撤回、これを防衛し、軍備を増強することとしました。日本に制海権を握られるため能動的に活動できない海軍と違い、陸軍は航空軍の装備するB-17爆撃機により台湾を脅かすこと、さらには日本のオランダ領インドシナ進出への抑えとなることが可能であると主張し、懐疑的な人々を納得させていきます。レインボー5には過去に削除されたフィリピン防衛方針が復活、目標をマニラ湾港の限定的防衛から全島防衛に格上げし、11個師団20万人体制で防衛することとなりました。すぐさまフィリピンは陸軍の最優先増強対象となり、1個沿岸砲兵連隊、1個戦車大隊、P-40戦闘機81機がフィリピンに配備されます。

 しかしこれら計画のほとんどは絵に描いた餅でした。装備の回送は遅延、11月時点でフィリピンの輸送予定の滞貨は100万トンに及びました。日本の対米宣戦は1942年春ごろになると見込んだ故の事態でした。結局、フィリピンにおける戦力は31,000人強にすぎず、35機のB-17と100機以上いたとされるP-40戦闘機も分散配置されていました。

 太平洋艦隊は戦艦9隻、空母3隻、重巡12隻、軽巡8隻、駆逐艦50隻、潜水艦33隻で編成され、かなりの戦力を集中できていましたが、ハワイ・フィリピン間の連絡線の防衛は全くおぼつかない状態でした。ウェーク島はわずか12機のF4F戦闘機、388人の海兵大隊分遣部隊、パンアメリカン航空の従業員70人と建設作業員1,000人のみの戦力しかなく、「ハワイの番兵」ミッドウェー島は784名の兵員のみ。グアムに至っては海兵隊365人しか存在しませんでした。

 こうして、アメリカの太平洋防衛はぎりぎりのところで防衛増強を行うことになりました。しかしその判断は今からしてみればあまりに遅すぎたし、なにより日本の行動開始時期を完全に読み違えていた。太平洋方面の戦力は日本陸海軍に対して全く無防備といってもいい状態で、12月7日を迎えることとなったのです。事実、この日は空母レキシントンが戦力増強策に基づいてミッドウェー島に航空機を輸送する予定が立てられていました。

 

                             第17任務部隊旗艦 ヨークタウン

 

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