【刀剣乱舞】落葉、未知明日【二次創作】   作:ハコぶね

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未だ委細を知らず

 しっかり、しっかりなさってください。

 何故ですか、なぜこのようなことに。

 

 ああ、こんな。こんなことになるのなら。

 

 こんなことになるのなら。明日など。

 

 明日なんか、来なければいい——!

 

 

 目を覚ますと、そこは薄暗い場所だった。

 炉があり、火が燃えている。恐ろしいような気もするが、それが己を生み出したものだと思えば恐怖も和らぐ。そこは、自分を生み出した鍛冶場だ。

 

 ——つきり、と頭が痛んだ気がした。何か嫌な夢でも見ていた気がする。いや、夢など今顕現したばかりの自分が見るはずもないのだが。

 

 何はともあれまずはあいさつを。彼は静かにうなずき、目の前の男に向かって一礼すると、口上を述べた。

 

「私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀。藤四郎は私の弟達ですな」

「……歓迎する、一期一振。あんたの弟たちにはいつも世話になっている」

「それは宜しゅうございました」

 

 一期はにこりと微笑むと、その男をじっと見つめた。

 主ではない。霊力の大きさからすれば同じ刀剣男士、体躯からおそらく、打刀だろう。色白の肌に金色の髪、翡翠の瞳。太刀の一期よりも少し華奢な印象の強い全身を紺色のブレザーと淡い色のスラックスで包み、さらにその上から白いぼろ布で全身を隠していた。一見すると非常に柔らかな物腰の青年のようにも見えるが、白布の下からこちらをじっとうかがうその瞳は、どこか暗いものを宿している。

 青年は一期の視線にひどく気分を害したらしく、暗い瞳にさらにきつい感情を乗せて、唸り声を上げた。

 

「……なんだその目は」

「は……いえ」

「フン、天下に名だたる名剣名刀殿は、視界に写しがあるだけでもお気に召さないか」

「写し」

 

 同じ刀剣男士としても、この青年について一期は何一つ知らない。写し、と言われても何の写しなのかもわからない。

 それでも己の視線が相手の気分を害したことに変わりはなく、一期は素直に頭を下げた。

 

「これはぶしつけな真似を。どうかお許しいただきたい」

「…………」

 

 自分の言葉が言いがかりに近いものだと言うことを悟ったのか、青年は気まずげに己のかぶったぼろ布を引き下ろす。それからぼそぼそとうめくように口を開いた。

 

「すま……ない、あんたに頭を下げさせるつもりは。……まったくどうして俺はこう……」

「いえ、お許しいただけましたなら幸いです。

 よろしければお名前を伺ってもよろしいか」

「……………………」

 

 そこでようやく、青年は自分が自己紹介もせずにいたことを思い出したらしい。かぶった布をさらに深く引き下ろし、青年は先ほどよりも低い声でぼそぼそと呟いた。

 

「俺は……山姥切国広。

 足利城主長尾顕長の依頼で、刀工堀川国広が鍛えた。長船派にして正宗十哲の一人、長義の打った山姥切の写しとしてな」

 

 なるほど、この方が気にしている「写し」とはそういうことであったか。

 一期は納得し、そして思い出した。堀川国広といえば、新刀の祖と呼ばれるほどの名工だ。しかもたしか山姥切国広といえば、その国広晩年の最高傑作とも歌われ、写しとして打たれながら本歌とともに国の重要文化財にまで指定される、名刀ではないか。

 どうりで立ち振る舞いに気品があるわけだ。そのように劣等感など感じずとも、胸を張ってよいはずであるのに。一期は思いはしたものの口には出さず、もう一度丁寧に頭を下げた。

 

「弟ともども、これからよろしくお願い申し上げる。山姥切国広殿」

「……あ、ああ。こちらこそ」

 

 山姥切はうなずくと、一期が顔を上げるのを待って踵を返した。

 

 

「……あっちが湯殿、そっちに厠。厠は他にも数か所にある。余裕があるときに弟たちにでも聞けばいい。それからここの奥が厨だ。手前が食堂になってて、朝昼夕の食事はそこでとる。配膳は自分でやる。これも詳しくは弟たちに聞くべきだろうな。ああ、冷たい茶や水はそこに用意してある。用意は当番制だ、ここでの生活に慣れたらあんたにもやってもらうことになる。あとは……」

 

 足早に歩きながら、山姥切は一期に手早く本丸内を案内する。それに遅れないようついて歩きながら、一期はずっと頭の中にある疑問を山姥切にぶつけることに決めた。

 

「失礼ながら、主はどちらに」

「主は現在出張だ。近侍を伴って本部へ出向いている。帰りは本日深夜だ。……明日朝顔合わせになる。それまで待機していてくれ」

 

 立て板に水と言わんばかりの早口で返されて驚く。顕現に居合わせたというだけで、山姥切はどうやら近侍ではないらしい。

 

「俺は主の初期刀だ。先日まで近侍職を拝命していたが、この度錬度が最高値まで上がったから他との釣り合いが取れなくなってな。二番手だった奴に近侍職を譲って、今は前線を退いている」

 

 白い布をかぶった青年の面白くもなさそうな言葉に、一期は絶句した。初期刀、最高錬度。今顕現したばかりの一期からしてみれば、逆立ちしたところで敵う相手ではない。まあ、事を構える必要性など全くないので安心だが。

 

「山姥切殿のような方がおいでならば、主も安心でしょうな」

「……どうだかな。あんたの寝起きする部屋だが、一応粟田口が使っている大部屋が……」

 

 世辞のつもりはないのだが、一期の言葉を受けた山姥切は面白くもなさそうに鼻を鳴らすにとどめた。何事もなかったかのようにそのまま案内を続けようとする。だが、すぐに口をつぐみ、小さな声で早口にささやいた。

 

「――踏ん張っておけ」

「……え?」

「あっ、いち兄だ!」

「ほんとだ、いち兄!」

「待ちくたびれたぜいち兄、どこほっつき歩いてやがった!」

 

 聞き返すと同時に口々に甲高い歓声が聞こえてきて、山姥切は静かにその場を横にどく。その次の瞬間、紺の軍服をまとった少年たちが口々に歓声を上げながら一期にむかって飛びついてくるのが見えた。

 ……見えたからといって、それに対応できるはずもない。一期は正面から飛びかかられ、体勢を整えることもできずにそのまま後ろへひっくり返る。したたかに腰と背中を床に打ち付けうめき声をあげたとたん、甲高い歓声は悲鳴に変わった。

 

「きゃーっ、いち兄!」

「わーっわーっ! いち兄大丈夫か!」

「しっかり! しっかりしてください!」

「い、い、いち兄が、し、死んじゃうぅ……っ!」

「だ、だい、じょうぶっ……!」

 

 一期は後頭部を打つのだけは何とかこらえて、首だけを起こす。背中や尻の痛みをこらえつつ、全身の力を顔の一点に集中させて何とか笑い顔を作ると、弟たちはあわてたように体をはなし、一期を助け起こしてくれた。

 

「ごめんなさい、いち兄……」

「ぼくたち、いち兄が来たってわかってうれしくて!」

「で、でもまさか押し倒してしまうだなんて……」

「い、いや大丈夫。私の方こそずいぶんと心配をかけてしまったね」

 

 何とか乱れた髪と服装を整え、一期はもう一度にこりと笑った。今度はうまく笑えたようだ。

 

「あらためて、よろしくみんな」

 

 ぱっと明るくなった弟たち一人一人の髪をなでてから立ち上がると、弟たちの突進を一人でかわした山姥切を振り返った。一期の瞳に何か感じたか、彼はすうっと視線を明後日へ飛ばしてしまった。

 

「……奴らのほとんどはとんでもない錬度だからな」

 

 悪いが止めてやる勇気はない、と言い訳のように言われて、一期は隠すこともせずにため息をもらす。それならば現時点、弟たちと錬度において雲泥の開きがある一期はさらに危険ではないのか。まあ、弟たちの抱擁に応えずかわすという選択肢など、一期にはないが。

 

「俺の案内はここまでだ。一期一振は主の帰宅まで待機。その間にこの本丸での日常生活について説明してやってくれ」

「はいっ」

 

 山姥切に声をかけられた弟たちがみな一斉にうなずく。どうやら山姥切は初期刀として相当信頼を置かれ、慕われているらしい。先程の弟たちの突撃を回避した件に関してはひとまずおいておくとして、一期は彼を信頼することにした。

 

「では俺はこれで。遠征に向かった連中がそろそろ戻るはずだ」

「ありがとうございます、山姥切殿。これからよろしくお願いいたします」

「よろしくお願いしまーす!」

 

 一期が頭を下げると、弟たちが一斉に唱和して同じように頭を下げる。驚いた顔をした山姥切は、きゅっと音を立てそうなほど勢いよく、かぶっていた布を引き下げてそっぽを向いた。

 

「……ああ、あんたの役に立てたんならいいんだがな」

 

 

「ここが俺たち粟田口の刀剣が寝起きする大部屋だっ!」

 

 すぱんと勢いよく障子を開けた薬研が叫ぶ。弟たちに手を引かれるまま歩いてきた一期は、彼らに促されて中を覗き込み、目を瞠った。広い。何畳分になるだろうか。

 

「これは……随分と広い部屋を賜ったものだな」

「刀派が同じ者は同じ部屋で寝起きした方が慣れも早かろうと、主君が気を使ってくださるのです」

 

 前田にそう説明されて、覗き込んだ目線を下へやる。弟たちが一期のわきを抜けて、部屋へ滑り込んでいった。

 

「お部屋には鏡台があって、身支度もここでできる事になってるの!」

「み、みんな並んでお布団を敷いて、寝るんです」

「遠征に行ってる鯰尾兄いと骨喰兄いも、もうじき戻ってくるんですよ!」

「そうそう、国吉作の鳴狐の旦那もな!」

 

 どうやら一期は、粟田口の中でもかなり遅れて顕現したようだ。腕を引かれて部屋へ踏み込んだ一期は、改めて周囲を見回した。部屋の日が一番入る場所には鏡台、部屋の隅には机があって、そのそばにはそれぞれの私物であろうか、荷物が整然と並べられている。

 一期は弟たちを見回してほほ笑んだ。

 

「きちんと片づけられているね。関心関心」

「へへへ……!」

「いち兄がおいでにならないからといって、片付けもできないようでは主君の命を果たせませんから!」

「……とかなんとか言って、昨日もしかしたら次に鍛刀でくるのはいち兄かもしれんと出かけに大将に言われて、慌てて片付けした奴がいたよなぁ……? 何人か」

「あーっ、ちょっと薬研、それ内緒って言ったのにー!」

 

 楽しげに話す弟たちの可愛らしさ。ここに来てよかった、一期は思う。己も弟たちのように、一期一振の名に、ひいては粟田口の名に恥じぬ働きをせねばならない。気を引き締めねば。

 ……と、思ったときであった。

 

「……?」

 

 視線を感じ振り返る。中庭を隔てて向こう側の廊下に、誰かがいた。

 濃紫のカソックを着こんだ男だ。鋭い藤色の眼光は、一瞬ではあるが確かに一期を射抜いていた。

 

 ……だれだ、あれは?

 一期が驚くと同時に、相手も大きく目を瞠る。なぜか、まるでこの世にないものを見せられたような顔をして、彼は一期を見つめてきていた。

 

「あの方は……」

「どうしたの、いち兄?」

「あ、いや、今そこに……」

 

 弟たちに声を掛けられ、振り返る。再び視線を戻したときには、すでにその場に人影はなかった。

 

「……いない」

「……? へんないち兄!」

「それより、行きましょう、まだご案内したいところがあるのです!」

「あ、ああ……」

 

 釈然としないながらも、一期は弟たちの誘いに答えて部屋を出る。もう一度廊下に視線を投げてみたが、やはりどこにも、あの男はいなかった。

 

 

 ……眠れない。いろいろなことがありすぎたのだろうか。

 一期はため息をついて布団をはねのけた。周囲では弟たちと鳴狐が静かに寝息を立てている。起こすのも忍びなく、一期はこっそりと息をついてぼんやりと天井を見上げた。

 

 本丸中の仲間たちが歓迎してくれる中、弟たちは時間が足りないと言わんばかりに本丸中を一期の手を引いて駆け回った。主が好きな「かふぇおれ」を作ることができる食堂、奥の厨では一期を歓迎する宴会で出された料理のうまそうな香りがしていた。手合せの後顔を洗うための井戸、なん振りもの刀剣の衣服を洗うための水場に、近侍が待機する事務室、主が仕事をする執務室。戻ってきてからは内番用の服の衣装合わせがあった。真面目な採寸が行われたのは最初だけ、最後には意味もなく他の刀剣たちの衣装まで持ち出して来て、ちょっとした見世物にされたような気もするが、弟たちが楽しかったのならそれはそれでいいのだろう。

 

 とはいえ……と一期は考える。あれだけのことがあって忙しく、こうもつかれているにもかかわらず、眠れないなどということがあるだろうか。

 

 ……いいや。

 一期は己が寝付けない理由をなんとなく悟っている。顕現してすぐ見かけた、あの男のことだ。

 煤色の髪、濃紫のカソック、藤色の瞳。手にした刀剣は打刀のそれであり、問いかければすぐに弟たちからその正体を聞くことができた。

 

「その方はたぶん、長谷部殿です。……でも」

 

 前田が言うと、五虎退が傍でじゃれ合う小虎たちを抱きしめて眉根を寄せる。

 

「で、でも長谷部殿は……」

「うん、おかしいよ」

 

 緊張した表情をしている五虎退の肩を抱き寄せて様子をうかがってみると、乱が同じように心配そうに五虎退を覗き込み、うなずく。

 

「いち兄、そりゃ見間違いじゃないのかい」

「どういうことだい、薬研」

 

 平静そのものの声で薬研が問いかけてくるので、一期は問い返すしかない。冷静に弟たちを見渡し、その後前田と顔を見合わせた薬研は、その紫色の瞳をまっすぐ一期に向けて、こう言い放ったのだ。

 

「長谷部……へし切長谷部は今、この本丸にいるはずがない刀剣だ。

 なんせ近侍で、大将と一緒に本部へ出張中の身だからな」

「……出張?」

「はい。お帰りになるのは主君とともに、本日深夜ではなかったかと」

 

 今いるはずのないへし切長谷部という刀剣を、一期だけが見かけている。しかも、一期は長谷部と直接の面識などない。知り合いと似ていたからと別の誰かを見間違えた可能性はあり得ないのだ。

 

 ……どういうこと、なのだろう。

 一期は首をかしげて考える。しかし顕現してまだ一日も経たない身で、この本丸や己の置かれている状況を正確に推し量ることなどできるはずもなく、考えてはから回る思考に、一期は再度ため息をもらした。

 

「考えていても、仕方ないか」

 

 まずは落ち着こう。食堂で少しのどを潤して、それから布団をかぶって、眠ってしまおう。

 一期は寝床から抜け出し、綺麗に掛け布団を敷きなおすと、寝乱れた浴衣をきちんと整えた。それから静かに障子を開き、一度後ろを振り返る。弟たち、そして鳴狐が、一日の勤めを終えて眠りに落ちていた。

 起こさないようにしなければ。

 柔らかな寝息を聞きながら、一期は障子をそっと閉める。それから厨へ向かって歩き出した。

 太刀で夜目が利かないとはいえ、中庭にさす月明りが一期の視界の先を照らしている。さほど苦労もせずに厨までたどり着けるだろう。一度案内をされた場所だ。迷うこともないはず。

 

 そう思って歩みを進める一期の耳に、それは届いた。

 

 ――もうしばらく御辛抱を。

 ――すぐに、お部屋へお連れ致しますので。

 

 丁寧すぎる声は、今日あいさつした刀剣たちのどれとも違う。

 ……誰だ? 一期は身を固くし、声のした方を探った。

 

 ――大丈夫です。もう、安心ですよ。怖いやつらは襲ってきません。もう安心です。

 ――ああ、ああ。なんということ。なんという。申し訳ありません、申し訳ありません……。

 

 聞こえてきたのは、敬意と謝意と、かなりの絶望が混じった男の声だ。一期は声の聞こえる方を探りながら、足音を忍ばせて進む。厨へ水を飲みに行こうとしていたことは頭の中からすっかり消え失せ、不審者を警戒するために、疲れや眠気が完全に吹き飛ばされてしまっていた。

 

 角を曲がる。ゆっくり進む。声はだんだんと大きく、そしてはっきりと聞こえるようになった。男の息遣いまで聞こえるようになって初めて、一期はその声がどこから聞こえてくるのか、はっきりとわかるようになる。

 

 ……主の、執務室?

 

 そこは昼に案内された主の執務室の前であった。角を曲がって、一期は突き当りを覗き込む。主の執務室があるその扉の前で、男がこちらの背を向けていた。影はいかつく、戦装束をまとっていることは一目でわかった。

 

「ああ、申し訳ありません、申し訳ありません。お願いです、どうか今しばらく御辛抱ください。あなたがいなくなったら、俺は、どうしたらよいのですか」

 

 声は、何かに向かって懇願している。何に向かっての懇願なのか、一期はさらに身を乗り出してその背中を覗き込んだ。

 

 こちらに背を向ける男は、何かを抱えているらしい。何かを抱えて膝をついて、そして嘆いている。懇願している。それは何かと思い、視線を少し横へずらす。

 

「……な」

 

 一期は思わず己の目を疑った。足だ。丸まって震えている背中のその向こう側から、足袋を履いたほっそりとした足が、力なく投げ出されていた。

 

 あれはなんだ。

 一期は息を詰める。あれはなんだ。人ではないのか。

 

「…………っ」

 

 思わず後ずさった瞬間、そのわずかな衣擦れを耳にとらえたのか、男が背中を震わせ、はじかれたように振り返った。思わず身を隠そうとしたが、男の動きは存外に素早く、一期は大して身構えることもできずに男と目が合ってしまった。

 しかし、己を鋭く睨み据えるその姿を見て、一期はさらに愕然とする。

 

「……貴様何者だ。なぜここにいる」

 

 問いかける男を、じっと見つめる。

 暗がりで正確な色合いはわからないが、男の髪の色は煤色ではないのか。

 座り込んでいるためよく判別できないが、身にまとっているのは濃紫のカソックではないのか。

 月明りだけでは何とも言えないが、その瞳は藤色ではないのか。

 

「……へし切、長谷部……殿?」

「! なぜ俺の名を?」

 

 主の近侍を務めているという打刀が、なぜこのようなところに。

 いや、主とともに帰宅されたというのならば、なぜこのように苦しんでいるのか。

 

 いったいどうしたのだと声をかけようとして、一期は一歩長谷部に向かって歩み寄る。いつお戻りになったのですか。そう声を出そうとして、しかし口を開いた瞬間、首筋に何か凄まじい衝撃が走った。

 

 がくん、と視界がぶれる。前にいる長谷部が驚いたように目を瞠って、一期の後ろに視線を投げた。一体、いったい何が起きて。

 

 振り返ろうとする一期の肩を掴んだ背後の何者かは、一期が顔を上げるよりも先に固い拳をそのみぞおちに叩き込んだ。あっという間に暗くなっていく視界の隅に、なにか白いものがふわりと翻る。

 

 捕まれていた肩を乱雑に離され、一期はその場に膝をついた。体の自由が利かない。急速に視界が狭まっていく。

 

 何者なのだ。一体、私を殴ったのは何者なのだ。

 

 頭の中にひらめいた疑問ごと、一期の意識は暗闇に引きずり込まれていった。

 

 ◆ ◆す

 

 目を覚ますと、そこは薄暗い場所だった。

 炉があり、火が燃えている。恐ろしいような気もするが、それが己を生み出したものだと思えば恐怖も和らぐ。そこは、自分を生み出した鍛冶場だ。

 

 ……ちょっと待て。

 

 一期の思考はそこで警鐘を鳴らし始めた。

 おかしい、おかしいではないか、どうして私はここにいる。

 昨夜顕現し、夜中……そう、夜中帰宅したと思しき、しかし、何やら様子のおかしい近侍殿に声をかけようとして、殴られ、気を失わされて。

 

 ……なぜ、そんな私が、顕現時と同じ場所に立ち、同じ装束を着て、しかも目の前には、この本丸の開設当初から主を支えてきた初期刀殿が、不機嫌に私をにらんでいて……。

 

「……フン、天下に名だたる名剣名刀殿は、写し相手に自己紹介もままならんか」

 

 ……ああ、こんな嫌味も昨日言われたのだったか。一期は何が何だかわからないまま、反射的に頭を下げていた。

 

「も……申し訳ありません、とんだ無作法を。

 どうかお許しいただきたい、山姥切国広殿」

「……? 俺はあんたに名乗ったことがあったか?」

 

 訳が分からない、と不審そうな顔をして問いかけられ、一期は思わず顔を上げた。

 

「何をおっしゃいます、昨日顕現時に、自分から名乗られたでは」

「おい何を言ってる。あんた今顕現したばかりだろう」

「……は?」

 

 訳が分からなかった。

 何かの冗談だろうか、と思い目の前の青年の顔を見つめる。しかしその表情はとても演技をしているようなものではなく、一期はさらに混乱した。

 

「あんた、大丈夫か」

「……失礼ながらお伺いしたい。

 主は今、どちらに」

 

 問いかけた一期の言葉に明らかな不審を感じているようではあったが、山姥切は白い布をふわりと翻して、それから呟いた。

 

「主は現在出張だ。近侍を伴って本部へ出向いている。帰りは本日深夜だ。……明日朝顔合わせになる。それまで待機していてくれ」

 

 ……いや、その前に自己紹介してくれ。

 

 付け加えられた言葉を聞きながら、一期は膝の震えを止められずその場にへたり込んだ。

 なぜだ。なぜこんな事態が起きている。

 

 ……なぜ、「昨日」が繰り返されている?

 

 ◆ ◆ ◆

 

「……あっちが湯殿、そっちに厠。厠は他にも数か所にある。余裕があるときに弟たちにでも聞けばいい。それからここの奥が厨だ。手前が食堂になってて、朝昼夕の食事はそこでとる。配膳は自分でやる。これも詳しくは弟たちに聞くべきだろうな。ああ、冷たい茶や水はそこに用意してある。用意は当番制だ、ここでの生活に慣れたらあんたにもやってもらうことになる。あとは……」

 

 足早に歩きながら、山姥切は一期に手早く本丸内を案内する。「昨日」と同じ内容のそれは全く一期の耳には入ってこない。遅れないようついて歩きながらも、一期はずっと頭の中の疑問を消化するのに躍起になっていた。

 

 何が起きている。何が起きているのだ。

 考えても考えても空回る思考をなんとか整えようとする。

 昨日顕現したはずの己が今日顕現したことになっている。昨日と全く同じ案内と、全く同じ仲間たちの反応。まさか己をからかっているのか。いや、そんなはずは。

 

「……おい、大丈夫か」

「……は」

 

 思考の海に沈んでいた意識を浮上させる。いつの間にか俯いていた顔を上げてみれば、心配そうな、不審そうな山姥切と目があった。慌てて笑顔を作る。

 

「大丈夫です、どうかお気になさらず」

「……そりゃ、あんたのような名剣名刀にとっちゃ、俺のような写しにつきあわされるのも嫌でたまらないのだろうが」

「そのような。主の初期刀、最高錬度の持ち主がなにを仰せになります」

「……さっきから疑問なんだが、あんたなぜ俺の事を知って……いや」

 

 山姥切は先程から一期がごく普通に山姥切のことを口に出すのが不審でならないらしい。眉をしかめて質問をぶつけようとし……しかし、すぐに口をつぐみ、小さな声で早口にささやいた。

 

「――踏ん張っておけ」

「……え?」

「あっ、いち兄だ!」

「ほんとだ、いち兄!」

「待ちくたびれたぜいち兄、どこほっつき歩いてやがった!」

 

 聞き返すと同時に口々に甲高い歓声が聞こえてきて、山姥切は静かにその場を横にどく。その次の瞬間、紺の軍服をまとった少年たちが口々に歓声を上げながら一期にむかって飛びついてくるのが見えた。

 

 ……待ってくれ、何か今、既視感が。

 戸惑う一期めがけて弟たちが飛びかかる。他事を考えて完全に油断していた一期は、逃れる隙もなく正面から突撃してくる弟たちを受け止め……そのまま後ろへひっくり返った。「昨日」と全く同じタイミング、全く同じ飛びつきかた。……「昨日」と違ったのは、昨日はきちんと回避できた床への後頭部強打を、完全に許してしまったことである。

 したたかに腰と背中、そして後頭部を床に打ち付けうめき声をあげた一期の意識は、そのまま遠のいていく。即座に弟たちの甲高い歓声は悲鳴に変わった。

 

「きゃーっ、いち兄!」

「わーっわーっ! いち兄大丈夫か!」

「しっかり! しっかりしてください!」

「い、い、いち兄が、し、死んじゃうぅ……っ!」

「は、はは……。この反応は、昨日と同じ、で、すな……」

 

 助け起こそうとする弟たちの心配そうな表情に笑い返し、遠のく意識に身を任せながら、一期はようやく実感した。

 

 ――自分は、繰り返している。

 顕現したその日一日の最初に、巻き戻ってしまっているのだ。

 

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