目を覚ますと、そこは薄暗い場所だった。
炉があり、火が燃えている。恐ろしいような気もするが、それが己を生み出したものだと思えば恐怖も和らぐ。そこは、自分を生み出した鍛冶場だ。
「……」
一期一振は名乗らなかった。
けげんそうな顔をしている目の前の初期刀殿の前にツカツカと歩み寄ると、静かに口を開く。
「……《昨日》は世話になりましたな」
「っ、なんの話だ」
言いながらも、目の前の初期刀殿は静かに目を逸らす。一期一振は確信した。
――この男は、本丸が「今日」を繰り返していることを認識している。
◆ ◆ ◆
「……あっちが湯殿、そっちに厠。厠は他にも数か所にある。余裕があるときに弟たちにでも聞けばいい。それからここの奥が厨だ。手前が食堂になってて、朝昼夕の食事はそこでとる。配膳は自分でやる。これも詳しくは弟たちに聞くべきだろうな。ああ、冷たい茶や水はそこに用意してある。用意は当番制だ、ここでの生活に慣れたらあんたにもやってもらうことになる。あとは……」
もう何回目だろうか。聞かされた本丸の案内を聞き流しながら、一期一振はその背中を見つめ、「昨日」のことを思い返していた。
あの、鳴狐に励まされた「昨日」、結局一期一振は目の前の初期刀に何もいえずに殴り倒された。
それから何度も何度も、何度も何度も同じことを繰り返し、繰り返し、繰り返し。
そしてようやく、「昨日」、必死の防戦の中で咄嗟にとはいえ、彼に向けて声を荒らげることができた。
――私は明日へ行かねばならぬのです。何がなんでも、弟たちとの約束を果たさねばならぬのです!
さけんで2度目の攻撃をなんとか凌いだあと。山姥切国広は、不意に手を止め、どこか疲れた表情を浮かべて呻いたのだった。
――何度繰り返そうが同じことだ。
――この日は終わらせない。明日には行かせない。何がなんでも。
その言葉は言外に、彼が、この現象に気付いていることを示していた。
◆ ◆ ◆
居心地の悪そうな気配を漂わせつつも、あれから、山姥切国広はどれだけ追求しようとも頑として己が「今日を繰り返している」と認識していることを認めようとしなかった。
彼がどうして、この状況を放置しているのかはわからない。
それでも、この状況を放置していること、そのものが問題なのだ。時を、決して変えてはならないその流れを、歪めてまで、一期と弟たちとの明日を妨害している。そのことそのものが問題なのだ。
「私は決して、赦すつもりはありませんぞ」
「……何度も言うが、俺はあんたの言ってることがわからな——」
「あっ、いち兄だ!」
「ほんとだ、いち兄!」
「待ちくたびれたぜいち兄、どこほっつき歩いてやがった!」
追求の途中、それは響いた。
駆け寄ってくる音が聞こえる。
一期は静かに息をついて、するりと身を翻した。
「お、おい、踏ん張って——」
「踏ん張っては、『また』昏倒することになります」
山姥切国広の声に言い返し、ふらりと全身から力を抜く。
ここ数回の『繰り返し』のせいで、山姥切国広も理解しているだろう。
「一期一振は、弟の突進を受け止めきれない」
「一期一振の追及を躱すためには、ここで弟たちに押し潰してもらった方が手っ取り早い」
しかし、一期はここで、絶対に引くわけにはいかない。
「私はもう振り回されるのはごめんなのですよ。
——貴殿には聞かねばならぬことが山とありますからな!」
一撃目を紙一重で躱し、二人目の足を引っ掛ける。もう一人突っ込んでくるその腕を取って勢いを逸らし、最後の一人の腰を抱き寄せて覗き込んだ。
「ひゃっ……!?」
「——お転婆もほどほどにな、乱?」
顕現したばかりだと言うのに、明らかに自分たちの突進を見切り、躱すどころか一瞬の反撃をしてのけた兄の、あまりにも強者感漂う身のこなしに、刀剣男士にそぐわぬほど顔を赤らめ、乱藤四郎はへなへなとその場に座り込んでしまった。
「い、いち兄ぃ——」
「何かな?」
「カッコよすぎて腰が抜けたー!」
「おやおや」
思いもよらぬその告白に、一期一振は思わず目をみはった。
どうやら、少々本気を出しすぎたようだ。
――――――――――――――
「……あんたが自覚している通りだ」
並々ならぬ怒気を発している兄にしゅんとなった弟たちの助力により、一期はこの繰り返しが起きて初めて、山姥切国広と二人きりでの会談にこぎつけた。
そこで無言の圧を感じ取った山姥切国広は、ため息混じりに語り出したのだ。
「この本丸は繰り返している。と言っても、あんたが感じているのは顕現から後の半日程度だろうが、正確には繰り返しは二日間だ」
主たる審神者が日課として鍛刀し、出張に出た。その一日の始まりから、この本丸は一日を繰り返しているという。
「……なぜそのようなことが」
「——なぜ?」
山姥切国広は顔を上げ、ギロリと一期を睨みつけてきた。
「何度も見たはずだ、あんたは。あれを見て、あの悪夢を見て、それでもあんた『なぜ』と問うのか」
思い出したのは、この一日を締めくくる最後の記憶。白い足袋に包まれた足、背中を震わせる打刀。
「まさ、か」
「主は今日の午後開かれた本部会議で敵である歴史修正主義者の強襲を受け、瀕死の重傷を負った」
その言葉は、これから始まることだと言うのに、まるで過去の出来事のように言い放たれた。
あまりの言葉に、一期は目を見開いて言葉を詰まらせる。
山姥切国広は苦しげに顔を伏せ、続けた。
襲撃はすぐに鎮圧されたが、一時的に現場の情報伝達機能が麻痺し、本部の医療システムはダウンしたらしい。主たる審神者はさんざん本部内をたらい回しにされ、辛うじて本丸へ撤退した時には、もう意識が混濁していた。
「医術の心得がない俺や長谷部でももう助からんとわかる容態だった……!」
吐き捨てるような早口に、一期は必死で探していた言葉を引っ込めるしかなかった。
想定して然るべきだった。しかしそれでも。それでも、この事実は重い。
「では、繰り返しているのは私の顕現とは別で」
「主がこの本丸を出たあと、つまり昨日の昼から、今夜この本丸で息を引き取る直前までだ」
こちらを睨み据えてくる山姥切国広の言葉は、あまりにも重く、一期は息を詰めて目を泳がせるほかなかった。
「他の奴らは知らない。近侍である長谷部と、帰るまで起きていて、戻った音を聞きつけて迎えに出た俺と、寝付けずその場に遭遇したあんただけが、この本丸が繰り返しているのを知っている」
言葉もなく、一期は黙り込んで俯くしかなかった。
繰り返しを選ばなければ、今夜、主は息を引き取る。
そうなればこの本丸は、顕現する核を失った刀剣男士たちは、自分も含め皆刀剣に戻るだろう。
つまり——望んでいた明日は、来ない。永劫に。
日付が変わろうが、あるいは繰り返そうが、明日叶えると弟たちと交わした約束は叶わない。
「……あなたが言ったあの台詞、あれにはそういう意味があったのですね」
――何度繰り返そうが同じことだ。
――この日は終わらせない。明日には行かせない。何がなんでも。
『昨日』言われた言葉の真意は、そこにあったのだ。
「俺はこの繰り返しを止める気はない。明日まで主の命運が保たないなら、明日なんて来なくていい」
キッパリとした口調で、山姥切国広は言い放った。
その言葉は、明確に歴史修正主義と同じであり、時間の流れを歪める行為だ。
刀剣男士として、歴史を守る戦士として、許されざる行為。それでも一期は、その場で責める気にはどうしてもなれなかった。
山姥切国広の、その主君を想う気持ちに、嘘偽りがないことは明らかだった。きっとへし切長谷部も同じなのだろう。
「あんたには巻き込んで申し訳ないと思ってる」
ついと立ち上がった山姥切国広は、振り返ることなく障子を開ける。
「だが状況は変わらない。来ない明日に拘ってないで、今日あんたが納得できる終わり方を考えたらどうだ」
いうなり、一期の返答を待たず山姥切国広は部屋を出ていった。
ピシャリと閉じた障子の音、残されたのは茫然自失となった一期だけだ。
「そんな……」
一期は果たせない。弟たちの要望も、主のためにこの身を振るうという、刀剣男士として当然の思いも。
この上、この絶望を繰り返すのか。
この先、なんども、なんども。
「耐え……られるのか、私に……?」
一期はほとんど初めて、血の気が引いていく怖気に全身を震わせた。
投げた問いは、どこまでいっても答えが見つからなかった。