一期一振は手入れ部屋を出てすぐ、鶴丸国永にしたたかに殴られた。
次いで、弟と鳴狐にもみくちゃにされた。
「みな、すまない。心配をかけたこと、心から謝罪する」
大部屋へ戻された一期は、弟と、そして鳴狐、それからちゃっかりいる鶴丸国永に向かって頭を下げていた。
山姥切国広は何の反応も示さなかった。主との接触をとがめることができなかったからなのか、それともこちらの意図を理解していないのかはわからないが、いずれにせよ一期にとっては都合の良い展開ではあった。
「なあ、いち兄、俺たちは別に、いち兄のことを頭ごなしに責めたいわけじゃないんだ」
誰もが黙り込んでうつむく中、胡坐をかいて宙をにらんでいた薬研藤四郎が静かに口火を切る。
「ただ、顕現してすぐだっていうのにふさぎ込んで、しかも鶴丸が言うには、言葉の途中で突然自分自身で自刃に及んだというじゃねえか。俺たちはその理由が知りたいんだ」
「そうです!」
前田藤四郎が、今にも泣きそうな顔で声を上げ、つづけた。
「いち兄、どうか教えてください。僕たちはいち兄がいらしたことがただうれしくて、なにか粗相をしたのでしょうか……!」
一期は薬研と前田、そしてこちらをじっと見つめる弟たちを見渡し、それから静かに首を横に振る。
「お前たちが何かしたということはない。ただ私の体験が、ほかの誰も信じられぬほど突拍子もないことだったから、口を閉ざしていた。結果的に、それがお前たちを心配させることにもなってしまったようだが」
「……その体験というのは、何?」
今度は、鋭い視線で鳴狐が詰問してきた。その質問は、その場にいる誰もが一期に問いただしたいことなのだろう。ゆっくり周囲を見渡し、それから一期一振は静かにつづけた。
「信じてもらえるかはわからないが、……私は、この本丸に既に100回以上も顕現している。繰り返しているんだ、『今日』を」
その言葉に、その場にいた誰もが顔を見合わせた。
「あの、いち兄、それってどういう……?」
「巻き戻っている、ということだよ、今日を。正確に言えば、主がお出かけになった後から、今日の夜まで」
乱藤四郎が首をひねり、困った顔で言う。そちらを見て、一期は冷静に返した。
「信じられないのも無理はない。お前たちはその繰り返しに気づいていないのだから。だが私はそのくり返しに巻き込まれ、すでに100回以上、顕現直後にお前たちの突撃を食らっているんだよ」
「——……あ……」
とっさに出た言葉は嫌味か冗談か。しかし、その言葉に何かに気づいたように顔を上げたのは、五虎退だ。
「た、確かに僕たちのあの時の突撃、何事もなかったように躱されて、しかも、僕なんて虎君たちを抱き上げて保護してもらったりして」
「ボクも、勢いあまって転びそうになったところを腕でかばってもらった……」
「とても顕現直後の太刀にしちゃ、動体視力と身のこなしが手馴れてると思ったが」
「まあ、100回以上も同じ順番で飛び込んでこられればね」
「いやあ、その100回を数えてる時点ですごいですけどね」
「何を言う。100を数えた時点で数えるのをやめただけだ」
「100まで折れないだけでもすごいんですよ!」
苦笑しながら肩をすくめたところで、鯰尾藤四郎が楽しそうに笑い、隣に座る骨喰藤四郎がこくこく、と何度も頷いた。
「で、だ」
驚くべきことに、弟たちだけでなくそばにいた鶴丸国永すら、一期の言葉を信じてくれたらしい。ガシガシと後ろ頭を掻きむしって、それから途方に暮れた顔で宙を仰ぐ。
「繰り返してるっていうなら、一期は当然、その繰り返しをなんとかしようとしたんだろう? それがなんで100度も繰り返されてんだ。俺たちはもう、自覚もないまま明日帰ってくる主を待っている『今日』を、繰り返し続けることになるのか?」
「いえ、本日深夜、主はお戻りになられます。——ただし、瀕死の重傷を負って」
その場にいる全員の目つきが変わった。
彼ら一人一人の目を見ながら、一期は説明を続けた。
一つ、今日の会議中、本部は歴史遡行軍に襲撃を受ける。
一つ、主はその襲撃のさなか、重傷を負う。
一つ、本部の医療システムはダウンしており、治療は望めない。
一つ、本部をたらいまわしにされた主は、深夜近侍へし切長谷部に守られ帰還する。
一つ、しかし瀕死の重傷を負った主は、このまま絶命する可能性が高い。
一つ、繰り返しが発生していることで、かろうじて主の命はつながっている。
山姥切国広から教わったことで、また聞きではあると前置きしてからの言葉だったが、それによって全員の緊張感が嫌が応にも高まっていく。
前田と顔を見合わせた平野が、自身のポケットから取り出したモバイルで何か操作していたが、すぐに眉を顰め、首を横に振った。
「——ダメです、本部の主君に連絡できません。……いえ、そもそも本部サーバに接続できなくなっています」
「スタンドアローン……以前主君がおっしゃっていましたね。ネットワークのどこにもつながらない状態だと。ではいち兄の仰る通り、この本丸だけがループの輪に……」
緊張が高まる。小規模とはいえ時間の遡行……ループが起きているとなれば、刀剣男士として黙っていることはできないと、正義感に満ちた弟たちが顔を見合わせた。しかし、それらがふと困惑に変わる。
「で、でも一体、誰が時間遡行を……?」
「大将を死なせないように時間遡行を繰り返しているなんて、まさかこの本丸に犯人が……?」
そこで真っ青な顔色の五虎退が、今にも泣きそうな顔をしながらうめく。
「し、しかも、もしこの本丸がループを抜けたら、主様が……!」
弟たちが一斉に下を向く。鳴狐も難しい顔で考え込み、鶴丸国永もガリガリと頭を掻きむしっていた。
「——私は」
一期は静かに口を開く。「この状況をそのままにすることはできない」
「私自身が繰り返しを自覚しているからというのはあるが、この状況がそもそも本丸の健全な状態であるとは言い難い。加えて、主の死を回避するための繰り返しであるとすれば、それは明確に『過去改変』を目的とした時間遡行だ」
顔を上げた弟たち一人ひとりを見ながら、一期は表情を表に出さないように努めた。
「それ故に、主への目通りをなんとしてでも叶えねばならないと考えた。諌める……というより、そのご真意を確かめるためだ。だが今直接、主に目通り叶うことはない。——ならば答えは一つ。そのお力に触れる場で、主の気配を探らせていただく以外に方法はない」
ふ、と息をついた。聡い子らだ、無論一期の考えることを理解してくれただろう。
「先ほど私が自刃したのは、手入れ部屋に入るため。一刻も早く手入れしなければならない状況に置くことで、主に目通りが叶うのではと考えたためだ」
「おれの目の前で腹を切った理由がそれか。最初から折れる気などなく、おれに手入れ部屋へ運ばせるための」
「はい」
頷き肯定してから、一期はさりとて、と息を吐く。心配をかけたことについては申し訳ないが、自刃など。自身の破壊など。それがどれほどのものだというのか。
「尤も、今の私にとって刀身の破壊など特に大きな痛手にもならぬのです。折れたとて、また繰り返すだけの話なのですから」
「君は……なんということを……」
信じられない顔でうめく鶴丸国永に、一期は頷く。弟たちも鳴狐も、どこか悲しげで、どこか苛立たしげに一期を見ていた。
「……ああ、そうかそう言うことか」
ややあって、何かを諦めたように鶴丸国永がうめいた。
「この本丸の繰り返し現象は、おれたちが認知できていないだけで確実に起きている。それは理解できた。だが君がそこまで言うのは——一期一振、君がこの繰り返し現象を食い止めることを妨害し、何度も、何度も、繰り返しを黙認……あるいは積極的に起こしている奴が、本丸内にいる。しかも、君の錬度では太刀打ちできぬ古株が。——そういうことだな?」
「……はい」
言葉を詰まらせてから、一期は小さく頷いた。本丸内に敵がいる。しかも、練度の高い古株が。その事実が間違いなく、弟たちにも察せられた深刻な問題だった。
「……そこまで、追い詰められているならば」
ややあって、鳴狐が静かに口を開いた。大切なことを言う時は、必ず彼自身が口を開く。狐は頼もしくも優しく、こう言う時には口を閉ざすのが常だ。
「粟田口国吉が打刀、鳴狐。これより主の御帰還に際し、一期一振を主の御前へ連れゆくため全力を尽くすと誓う」
かいていた胡座をなおし、畳に拳をついて言い放つ鳴狐の姿に、粟田口の短刀たちも一斉に居住まいを正す。
「そうだな。俺たちも同じだ!」
「そうですよ水臭いですよ、いち兄!」
「きっと顕現直後で、なれぬことも嫌な思いもされたのでしょう? 僕たち、今からでも全力でお支えします!」
「お前たち……」
一期は息を詰めた。何を言えばいいのか、よくわからなくなってしまった。
「ここまで聞いちまったおれも一蓮托生だ! こうなりゃ徹底的に付き合ってやるぞ!」
開き直ったように鶴丸国永が叫んだ。かと思うと胡座の上に頬杖をついて周囲を見渡す。
「とは言え、ここまで大人数で動くんだ、確実に相手の裏をかかんとな。相手は繰り返しを認知してる。今回失敗して次も繰り返しが確定しちまったら、次はこちらをへし折る覚悟で対策する。——俺なら……な」
折る、という言葉に、全員の顔がこわばった。やはり折れるのは恐怖だ。この繰り返しを、意識しているのでない限りは。
そして『相手』にとっても、それは同じだろう。『折っても』、翌日にはまたやり直せる。
……尤も、あの初期刀殿が、一期のような、そんな歪み切った覚悟を決めているとは思いたくないが。
「……だとすると、いち兄、教えちゃくれねえか、いち兄のことを妨害し、ループを確定している奴の名を」
その言葉に一斉に、弟たちが一期の顔を見る。息をついて、一期は静かに告げた。
「繰り返しを確実に認知しているのは、山姥切国広。この本丸最初の刀剣にして、最高錬度の打刀」