夜半。
一期一振は正装し、自身の本体を持って静かに部屋を出た。あとから弟たちも追ってきてくれる手筈だ。
「相手は最高練度の打刀。しかも初期刀殿か」
鶴丸国永の驚きの声。しかし、弟たちは意外にも驚かなかった。
「山姥切の旦那の大将への忠誠心は半端なもんじゃねえ」
薬研藤四郎の言葉を一期一振は思い出す。「翻意させるのは至難の業だ」
「しかしやらねばならない。でなければ、本丸の『明日』は来ないままだ」
「わかってます、いち兄」
今度は前田藤四郎がコクリと頷く。
「だからこそ、山姥切殿は僕達に任せてください。いち兄はどうか、主君を」
「おれは役に立ちそうにないなぁ」
がっくりと肩を落としたのは鶴丸国永だ。「夜目がきかん太刀では、あの初期刀殿がどう動いたって全く見えもせん。まあ、賑やかしにいくとするか」
「鶴丸さんは何しに来ようっていうのさ!」
「そういうな、もし主が瀕死なら、賑やかに送ってやるのも手下の務めってもんだ」
暗い話題だが、あくまで明るく。鶴丸国永なりの気遣いなのだろう。
暗い廊下を月明かりを頼りに歩く。そして、執務室の前の廊下へ出た。
「しっかり、しっかりなさってください」
へし切長谷部の声。もう何度目だろう。
そして、背後から――
「――もう、おやめください、山姥切殿、へし切長谷部殿」
ないだ声が、一期一振の喉から漏れた。
「弟たち、手を出さなくてもいい。いや、手を出さないでくれ」
息を潜めていた弟たちが、一斉に飛び出してくるのを手で制する。背後に注意を向けつつ、無愛想に立っていた打刀に、一期一振は振り向いて視線を投げた。
「長らく、お付き合いくださって」
「……いつ、気付いた」
「割と、最初から」
「どういうことです、いち兄!」
平野藤四郎が叫ぶ。そうだ、という同調の視線を一身に浴びながら、一期一振は静かに、しかしきっぱりと、言い放った。
「繰り返しているのは、山姥切殿ではない。もちろん、へし切長谷部殿でもない。
――私だ。私が、この本丸の『今日』を終わらない日にしていた」
ぎょっとした視線、視線視線。そして、へし切長谷部が唇を噛みしめる気配があった。
始まりは、小さなミスだった。
眠りの浅い一期一振は執務室へ行き、そこで出会った。
へし切長谷部に抱かれて瀕死のまま横たわる、主に。
忠誠心、というほど大きなものではない。むしろそれは、母を亡くした子の不安に満ちた慟哭にちかい。
一期一振は泣いた。哭いた。ないた。
そして叫んだ。
「明日など、来なければいい」と。
その声に答えるように、時間の循環は始まった。
ただその場に居合わせたへし切長谷部と、ちょうど主の帰還を寝ずに待っていた山姥切国広だけが、そのループに巻き込まれた。
最初に動いたのは山姥切国広だった。
「あなたは最初私を殺した。殺せばループは止まると思ったから。しかしそうはならなかった」
「そう、お前を折ってもループは止まらなかった。その他にも色々やってみたが、結局俺ではループを止められない、と行き着いた」
一期一振の脇をすり抜け、山姥切国広は審神者のそばに膝を折る。
「酷なことは理解していたが、主の意見を仰ぐしかなかった。お前のことを報告したとき、主は言った『おそらく、明日を本当に望んでいないのは一期一振』――お前だと」
本人が納得して明日を望まない限り、このループは止まらない。
「付き合ってあげるしかない。本人が気づくその時まで」
「それが、主の方針だった。――悠長に、お前が弟たちと遊んでいる間も、主は!」
へし切長谷部の血を吐くような非難の言葉。否定はできない。そう、この現況を止める力を、止める方法を、知っているのは、一期一振だけだ。
「……主」
言葉が出てこず、一期一振は黙って天を仰いだ。
「御前を血で汚す無礼を、お許しください」
「いち兄!」
口々に声が上がる。弟たちを振り返った一期一振は、微笑んだ。微笑む事ができたかどうか、あまり自信はなかったが。
「大丈夫。明日は来る」
「でもそこにいち兄は!」
――いない。そう、弟たちは言おうとしたのだろう。だが、それでいい。
「私は、大丈夫。なにせ弟バカですからな。弟たちの戦働きを見せていただきに、きっとこの本丸にも顕現します」
何気ない声で言いながら刀を抜き放ち、一期一振は山姥切国広に斬り掛かった。突然の敵対行動。咄嗟に彼にできたことは、己も抜いて応戦することだけだった。
そこに生まれるのは――歴戦の刀剣と顕現したての刀剣との、歴然たる差。
何が起きたかさえわからないまま、一期一振はその場に仰向けに倒れた。
抜き打ちで深く斬り伏せられた一期一振は、驚いた顔で見下ろす山姥切国広を見上げてにこりと笑いかけた。カフ、と血を吐くと、かすれた声で囁く。
「弟と、鳴狐殿を、お願い致します」
「……それは、お前が次の主のもとで早めに顕現すれば済む話だ」
「はは、道理、ですな」
いち兄、という悲鳴が近づいてくる。
どうか、弟たちが自分と同じ過ちだけは犯しませんように。いや、きっと大丈夫。こんな愚かな兄の後を追いかけるような真似は、きっと、しない。
なぜなら彼らは刀剣男士。誇り高き歴史の守護者。
一期一振の自慢の、弟たちなのだから。
[newpage]
「本日より当本丸の審神者として配属となりました! よろしくお願いいたします!」
はつらつとした男性の声が本丸の大広間に響く。
本部での歴史遡行軍強襲を受け、殉死した審神者の後任が、本日配属となった。
「それで、ですね……皆さんに良いお知らせがあります!」
新任の審神者は嬉しそうに、それでいて照れくさそうに笑いながら、部屋の外に目をやる。
「新任のお祝いに頂いた資材を使って鍛刀を行ったところ、なんとなんと! 素敵な仲間が増えることになりました! ――入ってきてください!」
高らかな声に、しゅ、と障子を開ける最低限の摩擦音。
「本日より顕現いたしました、一期一振と――」
「いち兄だ――!!」
大広間に歓声が轟く。濃紺の軍服をまとった少年たちが一斉に立ち上がり、現れた刀剣男士に突進しようと走り出す。
その瞬間。
「顕現したての刀剣男士に突進攻撃を仕掛けるなッ!」
二方向から怒声が上がった。
一方は初期刀。もう一方は近侍。
白い布とカソックを蹴立てて立ち上がった二振りの刀剣男士の大音声に、部屋の中が心と静まり返る。
ゴホン、と咳払いをした近侍のへし切長谷部が、低い声で続ける。
「突進攻撃で後頭部を強打させて、初日から手入れ部屋に放り込む気か?」
やれやれ、とため息を付きながら、白い布を被り直した山姥切国広がその後に続いた。
「自分たちの練度を考えてやれ、こいつは『今日顕現したばかり』の『練度1』だぞ」
「ちえー、わかってますよ、そのくらい!」
鯰尾藤四郎が後ろ頭を掻きながら視線を逸らす。周囲の兄弟も気まずそうに苦笑して、ゆっくりその場に座り直した。
それを見送って、一期一振はのけぞっていた自分の体をなんとか立て直す。
「ははは…お手柔らかに頼むよ、弟たち」
その様子をニコニコしながら見ていた審神者は、その笑みを浮かべたままにぽんと手を打って周囲の視線を集めた。
「僕もまだまだこの本丸の業務状況に慣れていないので、しばらくは引き継ぎと情報収集に当てたいと思います。一期一振さんの新任のオリエンテーションは……粟田口の皆さんにお願いしますね!」
では解散! と手を叩く審神者に従い、三々五々散っていく刀剣男士たち。
一期一振はなぜか、懐かしい感覚に浸っていた。初めて顕現したはずの本丸で、初めてであったはずの弟たちに囲まれながら。
「さあ、何をしようか。隠れ鬼? 手合わせ? キャッチボール?
お前たちがやりたかったこと、すべて、私とやってくれるのだろう?」