『今日から姉弟だよね?』―突然できた義姉の愛が重すぎて困惑しています―   作:空田空

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おにぎりの中身と友人の違和感

 昼休み。

 

 俺は教室の自分の席で結愛特製の弁当を広げていた。

 

 今日のメインは唐揚げと卵焼きだが、白米の上には海苔で『午後も頑張って♡』という文字が踊っている。どうやってここまで繊細に海苔を文字に切り取れるのかを知りたい。

 

 蓋を開けた瞬間、隣の席の悪友である健太けんたが身を乗り出してきた。

 

「うわ、出た。今日もお姉ちゃんの愛妻弁当かよ。すげーな」

 

 健太の声は茶化しているようで、どこか引いている響きがある。

 

「……うるさいな。作ってもらえるだけありがたいだろ」

 

 俺は海苔の文字を箸で破壊しながら答える。

 

「いや、そうだけどさ。お前んちの姉ちゃん、ちょっと気合い入りすぎてね? 毎日これだろ?」

 

「料理が趣味なんだよ」

 

「ふーん……。あ、そうだ。今日放課後、駅前のカラオケ行かね? 久しぶりにクラスの連中で集まるんだけど」

 

 以前なら二つ返事で断るような誘いではない。

 

 だが、今の俺の脳裏には、GPS画面を監視する結愛の笑顔が浮かんでいた。

 

 寄り道などすれば、即座に通知が鳴り、帰宅後に「尋問」が待っている。

 

 それに、今日の交換日記に書くネタとして「カラオケに行った」などと書けば、「誰といったの? 」と追求されるのは目に見えていた。

 

「……悪い。今日はパス。家の用事があるんだ」

 

「またかよ。お前最近付き合い悪いぞ? 彼女でもできた?」

 

「違うって。再婚したばっかで色々忙しいんだよ」

 

「そっか。まあ、お前が『姉ちゃん、姉ちゃん』ってなる日が来るとは思わなかったけどな」

 

 健太は肩をすくめて自分の席に戻っていった。

 

『姉ちゃん』。

 

 その響きが、俺を縛る鎖の名前であることを、健太は知らない。

 

 俺は周囲の笑い声から切り離されたような疎外感を感じながら、弁当の唐揚げを噛み締めた。

 

 味は美味しいはずなのに、喉を通るたびに鉛のように重く感じられた。

 

 

 

 5時間目の休み時間。

 

 次の授業の準備をしていると、前の席の女子生徒、篠原しのはらさんが振り返った。

 

「ねえ湊くん。さっきの数学の板書、見せてくれない? 私、寝ちゃってて書き漏らしちゃった」

 

 篠原さんはクラスでも明るく、分け隔てなく接してくれるタイプの子だ。

 

「ああ、いいよ。そんなに綺麗じゃないけど」

 

 俺はノートを渡す。

 

「助かる〜! 湊くんのノート、要点まとまってて見やすいんだよね。ありがと!」

 

 彼女は屈託のない笑顔を見せる。

 

 そこには、俺の顔色を窺うような湿度も、俺を独占しようとする暗い光もない。

 

 ただの、同級生同士の健全なやり取り。

 

「……どういたしまして」

 

 たったそれだけの会話に、俺は砂漠で水を飲んだような安らぎを覚えた。

 

 これが「普通」なのだ。

 

 相手の機嫌を損ねないか怯える必要も、言葉の裏を読む必要もない関係。

 

 ノートを書き写す数分間、彼女と雑談をした。

 

「次のテストやばいよね」「先生の話長いしね」

 

 そんな他愛のない会話が、今の俺には酷く眩しく感じられた。

 

「はい、ありがと! 今度ジュース奢るね」

 

「いいって、それくらい」

 

 篠原さんが前を向く。

 

 俺は少し軽くなった気分でスマホを取り出した。

 

 画面には、通知が一件も来ていなかった。

 

(……よかった。流石に学校の中までは見てないよな)

 

 俺は安堵の息を吐き、次の授業の準備を始めた。

 

 

 

 帰宅後、夕食と入浴を済ませた俺は、自室で例の「交換日記」に向かっていた。

 

『今日の出来事』欄を埋める作業だ。

 

 授業の内容、健太との会話、食べた弁当の感想。

 

 嘘は書けない。

 

 だが、篠原さんのことだけは書くのをためらった。

 

 ただノートを貸しただけだ。やましいことは何もない。

 

 しかし、結愛がそれをどう受け取るかは別問題だ。

 

「女子と話した」という事実だけで、彼女のスイッチが入る可能性が高い。

 

 俺は迷った挙句、篠原さんとの件を隠して、日記を書き終えた。

 

 深夜、結愛が回収に来た。

 

 彼女はその場でノートを開き、さらさらと目を通す。

 

「うんうん、お弁当美味しかったんだ。よかったぁ。……健太くんの誘いも断ってくれたんだね。偉い偉い」

 

 彼女は満足そうに微笑み、俺の頭を撫でる。

 

 だが、次の瞬間、撫でる手がピタリと止まった。

 

「……ねえ、湊くん」

 

 声のトーンが落ちる。

 

「5時間目の休み時間のこと、書いてないね?」

 

 心臓が凍りついた。

 

「……え?」

 

「書いてないよね? ノート貸してあげたこと」

 

 なぜ知っている?

 

 俺は動揺を隠そうと必死に声を絞り出した。

 

「あ、ああ……忘れてた。ただノート貸しただけだし、書くほどのことじゃないかと」

 

「ふーん……忘れてたんだ」

 

 結愛はノートをパタンと閉じ、じっと俺の目を見つめた。

 

 その瞳は、獲物を追い詰める捕食者のそれだった。

 

「私ね、たまたま見たんだ。友達のストーリーに、教室の動画が映っててね。背景に、湊くんが楽しそうに女の子と話してるのが見えたの」

 

 SNS。

 

 盲点だった。誰かが休み時間に動画を撮っていて、それに俺たちが映り込んでいたのだ。

 

 彼女は一日中、俺の高校に関連するSNSのアカウントや投稿を巡回監視しているのかもしれない。

 

「……隠そうとしたわけじゃない。本当に大した話じゃなかったんだ」

 

「嘘」

 

 彼女は短く切り捨てた。

 

「大したことないなら書けるはずだよね? 書かなかったってことは、私に知られたくなかったからでしょ?」

 

「……」

 

「ショックだなぁ。私たちは隠し事なしって約束したのに」

 

 彼女は悲しげに眉を下げるが、その口元は微かに歪んでいた。

 

「その女の子、篠原さんだっけ? 結構仲良いの?」

 

 名前まで特定されている。

 

 俺は恐怖で喉が渇くのを感じた。

 

「……ただのクラスメイトだよ」

 

「そっか。ただのクラスメイトに、あんなに優しそうな顔するんだ」

 

 彼女はゆっくりと俺に近づき、耳元で囁いた。

 

「罰ゲーム、決定だね」

 

「……え」

 

「明日の朝、早起きしてね。学校に行く前に、たっぷりと『姉弟の絆』を確認し直さないと。……湊くんが誰のものか、体に教えてあげる」

 

 彼女は日記帳を俺の机に戻すと、背筋が凍るような笑顔を残して部屋を出て行った。

 

 普通の同級生との会話。

 

 そんな些細な外部との接触すらも、彼女の監視網には引っかかり、俺の首を絞めるロープをきつくする結果にしかならなかった。

 

 明日、俺はまた「普通」から遠ざかる。

 

 その予感が、重い鉛のように胃の底に沈殿した。

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