『今日から姉弟だよね?』―突然できた義姉の愛が重すぎて困惑しています―   作:空田空

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帰還と仮面

 日曜日の夜。

 

 玄関のドアが開く音と共に、俺たちの短い生活は終わりを告げた。

 

「ただいまー。いやあ、疲れた疲れた」

 

「二人とも、ちゃんといい子にしてた?」

 

 父と義母が帰ってきた。

 

 リビングの空気は一瞬にして切り替わる。

 

 俺の隣でだらけていた結愛は、バネ仕掛けのように立ち上がり、完璧な「お姉ちゃん」の笑顔を貼り付けた。

 

「お帰りなさい! 二人ともお疲れ様。荷物持つよ?」

 

 その甲斐甲斐しい姿は、数時間前まで俺のシャツ一枚で甘えていた女と同一人物とは思えない。

 

 父はネクタイを緩めながら、リビングのソファにドカと腰を下ろした。

 

「あー、やっぱり家が一番だな。……お、部屋も片付いてるじゃないか。偉いぞ結愛」

 

「えへへ、湊くんも手伝ってくれたんだよ」

 

「そうかそうか。湊もありがとうな」

 

 父が俺に視線を向ける。

 

 俺は少し後ろめたさを感じながらも、努めて平静を装った。

 

「いや……俺は大したことしてないけど」

 

「はは、謙遜するな。どうだ湊、姉貴との留守番は。喧嘩しなかったか?」

 

 父の屈託のない笑顔が痛い。

 

 喧嘩どころか、俺たちは姉弟の一線を越える寸前までいっていたのだから。

 

「……大丈夫だったよ。結愛さんが、色々やってくれたから」

 

「そうか。結愛は世話焼きだからな。お前が鬱陶しがってないか心配だったんだが」

 

 父は豪快に笑う。

 

 その横で結愛がお茶を淹れながら、俺にだけわかる角度で妖艶にウィンクをした。

 

『鬱陶しいなんて、思ってないよね?』

 

 そんな声が聞こえた気がして、俺は冷や汗を流しながら曖昧に頷くしかなかった。

 

 

 

 夕食の時間。

 

 久しぶりに四人で囲む食卓は賑やかだった。

 

 話題は主に親戚の結婚式の様子だったが、不意に父が俺に話を振ってきた。

 

「そういえば湊。お前、進路のことは考えてるのか?」

 

 唐突な真面目な話題に、俺は箸を止める。

 

「え? まあ、一応理系に行こうかと……」

 

「そうか。お前は真面目だからな。大学に行っても、しっかり勉強するだろうし安心だ」

 

 父はビールを一口飲み、満足そうに頷く。

 

「俺は再婚して、お前に新しい環境を押し付けちまった。だから心配してたんだが……こうして結愛とも上手くやってくれてるみたいで、父さん本当に嬉しいよ」

 

 父の言葉は温かく、そして残酷なほど俺の良心を抉る。

 

 彼は俺たちを仲の良い姉弟として完全に信頼しているのだ。

 

「なあ湊。結愛は少しお節介なところがあるが、根はいい子だ。これからも姉貴として頼ってやってくれよ」

 

「……ああ、わかってるよ父さん」

 

 俺が答えようとした、その時だった。

 

 トン、とテーブルの下で何かが俺の足に当たった。

 

 向かいに座っている結愛の足だ。

 

 最初は偶然かと思った。

 

 だが、その足先はゆっくりと蛇のように俺の脛を這い上がってきた。

 

「ッ……!?」

 

 俺は思わず息を呑み、フォークを取り落としそうになる。

 

「どうした、湊?」

 

 父が怪訝な顔をする。

 

「い、いや……なんでもない。ちょっと足が攣りそうで」

 

「運動不足じゃないか? 若いのにだらしないなぁ」

 

 父は笑ってまたビールに口をつける。

 

 その隙に俺は結愛を睨んだ。

 

 彼女は澄ました顔でサラダを食べている。

 

 だが、テーブルの下では彼女の裸足が、俺の太腿を執拗に刺激していた。

 

(やめろ……!)

 

 俺は目線で訴えるが、彼女は気づかないふりをして、さらに足を奥へと滑り込ませてくる。

 

 父の目の前で。

 

 俺たちのことを信頼し、安心しきっている父の目の前で、彼女は俺に共犯の刻印を押し付けているのだ。

 

「結愛はどうだ? 湊に困らされてないか?」

 

 父が今度は結愛に聞く。

 

 彼女は足を止めず、むしろ俺の膝の皿を親指でくすぐりながら、天使のような声で答えた。

 

「ううん、全然? 湊くん、すっごく可愛い弟だよ。……私の言うこと、なーんでも聞いてくれるし」

 

 その言葉の二重の意味に気づいているのは、この食卓で俺たち二人だけだった。

 

 背徳感で頭が沸騰しそうになりながら、俺は必死に表情筋を固定し続けた。

 

 

 

 食後、父に「風呂に入ってくる」と告げ、俺は逃げるようにその場を離れた。

 

 あのまま座っていたら、叫び出してしまいそうだったからだ。

 

 自室に戻り、ベッドに倒れ込む。

 

 心臓がまだ早鐘を打っている。

 

 父さんのあの信頼しきった顔。

 

 それに対する裏切り行為。

 

 だが、恐ろしいことに、罪悪感と共に強烈な興奮を覚えていた自分もいた。

 

 ブブッ。

 

 スマホが震える。

 

 画面を見ると、壁一枚隔てた隣の部屋にいるはずの結愛からだった。

 

『湊くん、お父さんと話してる時、顔真っ赤だったよ? 笑い堪えるの大変だった〜』

 

『反省してないのかよ』

 

 俺が送り返すと、すぐに既読がつく。

 

『反省? なんで? 私たち何も悪いことしてないよ。仲良し姉弟だもん』

 

『足、あんなことして』

 

『触りたかったんだもん。湊くんも、お父さんにバレるかもってドキドキしてたでしょ?』

 

 図星を突かれ、俺は返信に詰まる。

 

『ねえ、今からそっち行っていい?』

 

『ダメだ。父さんたちが起きてる』

 

『じゃあ、皆が寝静まったらね。鍵、開けておいてよ?』

 

『……無理だ』

 

『開けてくれないと、お父さんの前で、今日の夕飯の時の続きしちゃうかもよ? 明日の朝とか』

 

 それは明確な脅迫だった。

 

 父という安全装置を利用し、彼女は俺を完全にコントロールしようとしている。

 

『……わかったよ』

 

 屈服のメッセージを送ると、可愛らしいスタンプが一つ送られてきた。

 

 壁の向こうで、彼女が勝利の笑みを浮かべているのが目に浮かぶようだ。

 

 父が戻ってきたことで、我が家は普通の家庭に戻ったはずだった。

 

 だが実際には父の存在すらもスパイスにした、より濃密で逃げ場のない関係が始まってしまっただけだった。

 

 俺は天井を見上げ、深く息を吐く。

 

 この家にはもう、俺の逃げ場はどこにもない。

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