吐瀉物に愛を込めて   作:マウスブン

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認可

クリスマスパーティーから一週間後。 呪術高専の最奥、忌庫の更に地下にある特別独房。四方を幾重もの封印符で埋め尽くされたその部屋は、重苦しい静寂に包まれていた。かつて数多の呪霊を使役し、百鬼夜行ならぬ「百鬼ビュッフェ」を引き起こした首謀者、夏油傑はそこにいた。

 

精神鑑定でも医学の限界から異常なしと判断され、拘束具こそつけられていないが、その身は強力な結界によって完全に外界と隔絶されている。だが夏油の表情に悲壮感はない。むしろ、コース料理の最後に出されるコーヒーを待つような、穏やかな余韻に浸っていた。

 

重厚な鉄扉が開く音がした。 かつ、かつ、かつ。 聞き慣れた足音が響き、不機嫌さを隠そうともしない男が入ってくる。

 

「……遅かったじゃないか、悟」

 

夏油は寝台に腰掛けたまま、薄く笑った。 入ってきた五条悟は、六眼を隠す包帯ではなく、黒いサングラスをかけていた。その眉間には深い皺が刻まれている。彼は無言のまま、手に持っていた厚手の封筒を、夏油の胸元に放り投げた。

 

バサリ、と書類が散らばる。

 

「その顔だと……どうやら上層部は認めたようだね」

 

夏油は散らばった書類の一枚を拾い上げた。そこには無機質な明朝体で、こう記されていた。

『呪霊経口摂取による呪力強化及び身体能力向上に関する運用ガイドライン(暫定)』

そして、その下には『承認』の赤い印判。

 

「……あぁ、認めたよ。揉めに揉めたがな」

五条は壁に背を預け、忌々しそうに吐き捨てた。

「お前がビュッフェの開催と同時に送りつけた、あの膨大なレポートと提案書のせいだ」

 

夏油傑は、ただテロを起こしたわけではなかった。 彼は新宿で「実演販売」を行うと同時に、総監部へ向けて論文並みの資料を送付していたのだ。 内容は極めて合理的かつ実利的なものだった。

『呪霊を食材として加工・摂取することで、術師の呪力総量は一時的、あるいは恒久的に増大する』

『既存の回復手段よりも即効性があり、前線での生存率を劇的に向上させる』

『適切な調理工程を経れば、健康被害は軽微である』

『食べ慣れれば好む人もいる(夏油一派の一部のみ)』

 

あの日、新宿で乙骨憂太やパンダたちが証明してしまった。 彼らは呪霊を食べパワーアップし、副作用なく(精神的ダメージは除く)生還した。その「臨床データ」が、保守的な老人たちの重い腰を上げさせたのだ。

 

「上層部の老害共も、自分たちが食うわけじゃねぇからな。若い術師が泥を啜ってでも強くなって、生存率が上がるなら文句はねぇって腹だ。……合理的すぎて吐き気がするぜ」

「素晴らしいよ。本当に、素晴らしい」

 

夏油は書類を愛おしそうに撫でた。その瞳が潤んでいる。

「これで、若き術師たちが命を落とす確率は減る。呪いはただ祓うだけの『ゴミ』から、明日を生き抜くための『糧』に変わるんだ。……少しだが、世界を変えられた」

 

それは純粋な達成感だった。 五条はその横顔をじっと見つめた。かつて道を違えた親友。非術師を殺すと言って去っていった男。だが今の彼は、歪んではいるが、確かに「術師の未来」を救おうとしていた。

 

「……傑。なんで、ここまでやった」

 

五条の問いかけに、夏油は書類から目を離し、天井を見上げた。

「……誰が何と言おうと、私は非術師は嫌いだ」

その声は静かだが、確固たる意志が込められていた。

「彼らの吐き出す呪いのせいで、私たちが摩耗する構造には反吐が出る。その気持ちに変わりはない」

 

夏油は視線を五条に戻した。

「だがね、悟。別に高専の皆まで嫌いな訳じゃないんだ」

彼の脳裏に浮かぶのは、灰原の笑顔、七海の仏頂面、そして目の前の親友と過ごした青い春。

「ただ、あのままでは……この世界では、私は心の底から笑えなかった」

 

来る日も来る日も、吐瀉物の味のする玉を飲み込む日々。 誰のために? 何のために? その問いの果てに待っていたのは、孤独な離反か、あるいは精神の死だった。 だから彼は「調理」した。 苦痛を「味」に変え、義務を「探求」に変え、孤独な食事を「パーティ」に変えた。

 

「今の私は、料理人だ。客が喜び、家族が腹を満たし、若者が強くなる。……これ以上の幸せがどこにある?」

夏油は寂しげに、しかし憑き物が落ちたように微笑んだ。

「方法は少し強引だったかもしれないがね。それでも、私は『私』を保つために、この道を選んで良かったと思っているよ」

 

五条は沈黙した。 六眼は嘘を見抜く。夏油の言葉に偽りはない。彼は狂ってなどいなかった。あまりにも真面目に、あまりにも優しく、自分と世界との折り合いをつけようとして、その結果が「ゲテモノ料理人」だっただけだ。

 

部屋に空調の低い音だけが響く。 五条はポケットに手を突っ込み、足元の床を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 

「……不味かった」

 

夏油が瞬きをした。

「え?」

 

五条はサングラスを少しずらし、露骨に顔をしかめて見せた。

「不味かったっつってんだよ。お前の料理」

 

「…………」

夏油の目が大きく見開かれた。 あの日。新宿で。五条は「誰が食うか」と拒絶していたはずだ。 だが彼は食べたのだ。 親友が人生を懸けて作り上げ、世に問うた、あのおぞましい料理を。最強の術師が、必要もないのに、わざわざ口にしたのだ。

 

「……は、はは」

夏油の口から、乾いた笑いが漏れた。次第にそれは大きな笑い声へと変わっていく。

「あはははは! そうか、そうか! 食べてくれたのか、悟!」

 

夏油は子供のように破顔した。

「どうだい? 深みがあっただろう? スパイスの配合には自信があったんだ! 特にあの隠し味の……」

 

ドゴォッ!!!!

 

鈍い音が響き、夏油の言葉が強制終了した。 五条の拳が夏油の頬に深々とめり込んでいた。呪力強化なし、純粋な肉体言語による右ストレート。

 

夏油は寝台から転がり落ち、床に大の字になった。

「いった……ッ。乱暴だなぁ、悟は」

「黙れ。次変なもん作ったら、今度は胃袋ごと消し飛ばすからな」

 

五条は鼻を鳴らし、扉を開けて出て行った。

「じゃあな。……刑期が終わったら、美味いもん奢れよ。普通の…な」

バタン、と重い扉が閉まる。

 

残された夏油は、ジンジンと痛む頬をさすりながら、冷たい床の上で大の字になった。 頬は痛い。拘束はきつい。これからの処遇も不透明だ。 だが、不思議と気分は悪くなかった。

 

「……普通の、か」

 

夏油傑は目を閉じた。 瞼の裏には青い空と、仲間たちの顰めっ面と、そしてこれから始まる忙しくも騒がしい「調理実習」の日々が浮かんでいた。

 

二〇一七年の冬。 彼の青い春は少し形を変えて、まだ続いていく。 吐瀉物の味ではなく、少し焦げた苦くて、でも仲間と分け合える料理の味と共に。




一旦終わりでハッピーエンドです。後はデザート(番外編)のみ数日後です。年度末は仕事が忙しいのよ。
高評価、お気に入り登録、感想、ありがとうございます。作者は食育ができて満足してます。
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