吐瀉物に愛を込めて   作:マウスブン

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番外編
最強呪術師への激励会


人外魔境新宿決戦、その火蓋が切って落とされる数日前のことである。 本来であれば、史上最強の術師・五条悟を中心とした作戦会議は、張り詰めた緊張感の中で行われるはずだった。世界の命運を懸けた、呪いの王・両面宿儺との決戦なのだから。

 

しかし現在、高専の一室は異様な空気に包まれていた。 机の上には、書類の代わりに皿が並んでいる。 大皿には、紫色に脈打つ肉塊。 スープ皿には、ドブ川のような悪臭を放つ緑色の液体。 グラスに注がれているのは水ではない。かつて特級呪霊であった何かの「血液」をろ過し、怨念だけを抽出したどす黒い液体だ。

 

その全てが、夏油傑の手作りであった。

 

「……なぁ、傑」

五条悟は、机に突っ伏し、もはやグロッキー寸前の蒼白な顔で呻いた。

「俺はこれから宿儺と戦うんだよな? 拷問を受けるためにここにいるわけじゃないよな?」

 

「何を言っているんだい、悟」

エプロン姿の夏油傑は、慈愛に満ちた笑顔で答える。

「これは全て君が生きるためだ。宿儺は『呪い』だ。何でもありの殺し合いになる。正々堂々なんて言葉は通用しない」

 

その認識は、全員が共有していた。 当初の作戦では、歌姫の術式と、楽巌寺学長の奏でる旋律、そして伊地知による結界術のサポートにより、五条の『虚式・茈』を初手で放つ手はずになっていた。 出力は理論上120%を超える。 だが相手は千年前の術師たちを葬り去った呪いの王だ。遠距離からの奇襲一発で葬り去れるほど、甘い相手ではないという見立てが大半だった。

 

「初撃で削りきれなかった場合、そこからは総力戦だ。持久力、瞬発力、そして何より『呪力総量』が勝負を分ける」

夏油は、お玉で鍋の中の何かをかき混ぜながら続けた。

「そこで私は考えたんだ。悟のタンクを強制的に拡張する方法をね」

 

五条の背筋に、六眼ですら捉えきれない悪寒が走った。

「……嫌な予感がする。お前のその顔、先生の水筒の中身を呪詛汁にした時と同じだ」

 

「あれは先生の身体と心を慮ってのことだよ。それにこちらは立派な科学的なアプローチだよ」

夏油はホワイトボードに図解を描き始めた。 胃袋の絵と、時計の絵だ。

 

「一般的に、人間が食べたものを完全に消化・吸収し、エネルギーとして血肉に変えるまでには、約24時間から72時間かかると言われている」

 

夏油はチョークを置き、ビシッと五条を指差した。

 

「つまり、決戦までの残り3日間。君が私の特製『呪霊フルコース』を食べ続け、一切の呪力を使わずに胃袋の中を常に特級呪霊で満たしておけばどうなるか?」

「……まさか」

「そう。決戦の瞬間、君の体内では消化吸収のピークが重なり続け、呪力が爆発的にリチャージされ続ける『無限機関』が完成するのさ!!」

 

室内が静まり返った。 あまりにも論理的で、あまりにも狂気じみた提案。

 

「ふざけんな!!!」 五条が悲鳴を上げた。椅子を蹴倒して立ち上がる。

「死ぬわ! 宿儺と戦う前に食中毒で死ぬわ! お前やっぱり俺のこと殺そうとしてるだろ!? 今すぐ傑を牢屋に戻せ!」

 

五条は必死に周囲を見渡した。常識人である七海や、後輩の灰原なら止めてくれるはずだ。 しかし。

 

「……なるほど。一理ありますね」

七海建人が、眼鏡の位置を直しながら真顔で頷いた。

「は?」

「宿儺という規格外を相手にするのです。こちらも規格外の手段を取らねば勝率は上がりません。五条さんが多少腹を壊そうが、死ぬよりマシです」

「ナナミン!?」

 

「すごいよ夏油先輩! ナイスアイデアです!」

灰原雄が屈託のない笑顔で親指を立てた。

「先輩の料理、見た目はアレですけど呪力はすごいって評判ですし! 五条先輩なら絶対いけますよ!」

「灰原、お前その笑顔で俺を地獄に突き落とすのか!?」

 

五条は家入硝子と庵歌姫に助けを求めた。 だが二人の女性陣は、ニヤリと口角を吊り上げただけだった。

 

「いいじゃない、五条」 家入が気安く返す。

「あんた最強なんでしょ? 胃袋も最強であることを証明しなよ。最悪反転術式で常に舌と内臓をリフレッシュしてあげる」

「硝子、お前医者だよな!? 倫理観どこに置いてきた!?」

 

「五条、情けないわよぉ〜」 歌姫が扇子で口元を隠しながら、楽しそうに煽る。

「嫌ならもっとマシな代案を出してみなさいよ。宿儺に勝つための、これ以上に確実でノーコストな方法をね!」

「コストは俺の味覚と尊厳だろ!! 代償がデカすぎるんだよ!!」

 

五条は抵抗した。最強の術式を使ってでも逃げ出そうとした。 しかしここは高専。秩序を守る場所だ。なので最も先進的で公平な方法を夏油は提案した。

 

「では五条悟・呪霊漬け強化合宿案に賛成の人」

 

夏油が手を挙げた。 家入が、歌姫が、七海が、灰原が、そして「すみません五条さん、これも世界のためです」と小声で謝りながら伊地知が手を挙げた。

 

賛成:6票。 反対:1票(五条)。

 

「はい、可決〜!」

「これは不正だ! 陰謀だ! 俺は認めないぞ!!」

五条の絶叫が響き渡るが、誰も聞く耳を持たなかった。そこに良心はなかった。あるのは「打倒宿儺」という大義名分と、「呪力」を得られるという理、そして「日頃の五条への鬱憤を晴らすチャンス」というどす黒い本音だけだった。

 

「さあ悟、口を開けて。今日は『特級仮想怨霊・化けナマズの肝吸い』だよ」

「やめろ! 近づくな! 無下限で止めるぞ!」

「あはは、味まで無下限でも防げるのかな」

「うぐぅぅぅぅぅ!!!!」

「いっき! いっき!」

「ちょい残し! ちょい残し!」

 

こうして、地獄の3日間が始まった。

 

 

 

 

 

そして迎えた、12月24日。決戦の朝。

 

新宿に向かう前の控室で、五条悟は椅子に座り込んでいた。 その姿にかつての覇気はない。 肌は土気色になり、目は虚ろ。お腹だけが異様に膨れている。まるで妊娠後期のようだが、詰まっているのは夢や希望ではなく、煮込まれた呪霊の怨念だ。

 

「……うっ」

五条が口元を押さえる。 立ち上がることすら億劫だった。全身の毛穴という毛穴から、腐った雑巾と生ゴミを混ぜて煮沸したような臭いが染み出している気がした。

 

「……吐きそうだ」

五条が弱々しく呟く。

「もう無理……限界……胃の中で何かが暴れてる……」

 

最強の術師が弱音を吐いた。 その背中に、そっと手が置かれる。夏油傑だった。 彼は五条の隣に座り、まるで我が子をあやすように優しく語りかけた。

 

「よく頑張ったね、悟。君の体内には今、これ以上ないほどの呪力が満ちているよ」

「……傑……」

五条は少しだけ救われた気がした。なんだかんだ言っても、こいつは親友だ。俺の苦しみを分かってくれて……。

 

「吐いても大丈夫だよ、悟」

夏油は聖母のような微笑みで言った。

 

「吐いたら、それを鍋でもう一度煮込み直して、すぐに食べさせてあげるから」

 

時が止まった。 五条は六眼を見開き、夏油の顔を凝視した。夏油の顔をした偽物かと鑑定したが、どうやら本物のようだった。五条の心も本物だと叫んでいる。

 

「苦しいのは分かる、だがこれは戦いに必要な呪力を得るためで悟の命に関わることだ。それに一度胃液と混ざることで、酵素分解が進んで消化しやすくなるんだ。言わば『反芻』だね。無駄がないし、合理的だろう?」

 

五条は悟った。 呪霊よりも、宿儺よりも。 目の前にいる、エプロン姿の親友こそが、この世で最も恐ろしい存在なのだと。

 

「……ひっ」 五条の喉から、短い悲鳴が漏れた。

 

その言葉を合図にしたかのように、家入と歌姫が左右から五条に迫った。

「聞いた? 良かったわねぇ!」 歌姫が良い笑顔で袖を捲り上げる。

「吐いてもいいんだって! 楽になりなさいよ!」

「ああ、遠慮するな。背中、さすってやるよ」

家入がボクシングのような勢いで掌を構えた。

 

「ま、待て! 待ってくれ! 吐かない! 俺は吐かないぞ!!」

五条は必死に口を両手で塞いだ。無下限呪術を使えば追加で食わされるから術式も使えない。吐いたら終わりだ。吐しゃ物をリサイクルした「何か」を食わされる未来だけは回避しなければならない。それは死よりも深い尊厳の死だ。

 

「遠慮すんなって!」 ボコォッ!! 歌姫の掌底が、五条の背中に炸裂した。

「ぐぼォッ!?」 五条の目が飛び出る。衝撃で胃の内容物が逆流しかける。

 

「五条さん。宿儺との戦い頑張ってくださいね」

「うっす。全力の五条先輩、楽しみにしてます」

真面目な顔をした七海と灰原まで参加し、五条の背中をバンバンと叩き始めた。それは激励というにはあまりにも物理的打撃力が強すぎた。

 

「んぐぐぐぐッ!!!!(飲み込め! 戻れ俺の朝食!!!)」

五条は白目を剥きながら、喉元まで上がってきた地獄の味を、意志の力と呪力操作で無理やり胃袋へと押し返した。 涙が滲む。

(あいつら……帰ったら絶対に……絶対に全員シメてやる……!!)

 

 

 

 

「おーい、先生ー! 時間だぞー!」

 

控室のドアが開き、虎杖悠仁と乙骨憂太が顔を出した。 彼らの目には、決戦を前に円陣を組み、仲間たちが五条の背中を叩いて鼓舞している、美しく感動的な光景が映っていた。

 

「見ろよ乙骨。やっぱり五条先生と夏油さんたちは仲が良いな」

「うん。みんな笑顔だ。五条先生、感極まって泣いてるよ」

 

二人は純粋な眼差しで、地獄絵図を「青春」と誤認していた。

 

「……んぐッ、ぷはぁッ!!!」

五条はどうにか嚥下に成功し、乱れた呼吸を整えながら立ち上がった。 その顔色は最悪だったが、瞳だけはかつてないほどの殺意と覚悟に満ちていた。

 

「……行くぞ」

低い声で五条が言った。 その背中には「絶対に生きて帰って、まともな飯を食う」という、宿儺への殺意以上の執念が立ち昇っていた。

 

「いってらっしゃい、悟。おにぎり(呪霊)、持っていくかい?」

「帰ったら牢にぶち込んでやる!」

 

五条悟は中指を立てて出撃した。 人外魔境新宿決戦。 最強の術師は、最強の胃もたれと吐き気を抱えながら、呪いの王と対峙する。

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