ビッグ7は沈まない   作:ドラフェノク

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短い。


何でもない日常に

「……ただいま」

 

「お帰りなさい」

 

豪華客船『出雲丸』で日本に着いてから、三日後。

到着するや否や明石と夕張を工廠に連れ込み、ひたすらパーツの設計・組み立てを行っていた提督が、やっとこさ自宅へと帰還した。

 

時差ボケ、馬上で溜まった疲労、船内での完徹によって消耗した身体に鞭打って作り上げた戦車は、一応の完成を見ていたのだが……やはり、と言うべきか。その顔には疲労の色が濃く出ていた。

 

「……疲れているの?」

 

「いや、全然」

 

割烹着で迎えてくれた加賀に未だ弱みを見せられない彼は、その才能を遺憾なく発揮した。

 

―――つまりは、演技の才を。

 

いつも通りに振る舞い、軍服を脱ぐ。

作業中に彼女が差し入れにいったときは作業服のようなものを着ていた―――最も、自分が姿を見せる直前に目敏く察知したらしい彼は軍服に戻していたがから、あくまで明石に聞いただけだが――から、室内用の作業服からわざわざ軍服に着替えてきたのだろう。

 

血色も悪くはない。良くもないが、元々肌に血の気がない方だからいつも通りと言える。

言動も彼女に違和感を感じさせない程度に自然を装っていたが、それは等しく無駄だった。

 

(……疲れているわね)

 

外見には現れなくとも、暇さえあればチラチラ観察している相手の内面の微細な変化を見逃す加賀ではない。

 

言葉に出しては問わないが、彼が疲労していることは彼女の中では確定だった。

 

「提督、ご飯にするの?お風呂にするの?」

 

「風呂。臭いのは嫌だ」

 

「はい」

 

そうは言ったが、提督の軍服には香が炊き込めてあるためそれほど臭くはない。わりかし落ち着く匂いでキープされている。

 

だがしかし。美人の前では自分の身なりがつい気になってしまうのが男という生物の宿命であり、彼もまたその例外ではなかった。

 

「……大丈夫なのかしら」

 

下拵えを済ませておいた食材を調理し、お風呂から上がってきたらすぐに食事の支度ができているようにと手を回す。

 

食べることの好きな人間は、味にうるさい。

味にうるさい人間は、味覚が鋭い。

味覚が鋭い人間は、料理に妥協を許さない。

 

彼女は提督の料理を食べて自分の料理の腕に落胆していたが、彼女とて充分に料理は上手い方なのである。

 

「…………いいな」

 

ポツリとこぼれた声に振り向くと、そこには着流しを着た提督が新聞を読みながら卓袱台の脇に座っていた。

 

気配を消すのは、心臓に悪いから止めてほしいのだけれど。

 

そんなことを思ったが、自分にとってそう気になるものでもない。

それよりも今は、彼女にとって興味深い事項があった。

 

「何がいいのかしら?」

 

「んー……ま、美人が料理してるときの後ろ姿はいいもんだと思っただけだよ」

 

そのまま、沈黙。

疲れているお喋りと、動揺の極致にある無口。

この二人の状態を考えれば、この沈黙は必定だった。

 

「あと少し待っていて」

 

殺人的脳内桃色染色能力を内包した口説き文句の如き一言から辛くも立ち直り、必死に一言絞り出す。

 

「おう」

 

帰ってくるのも、また一言。

 

口説き文句らしき一言を言った気すらないのか、その意識は新聞に写る活字に集中されていた。

 

(私は少し、馬鹿なのではないかしら)

 

リズミカルに鳴っていた野菜の切断音が途切れ、包丁が俎の上に置かれる。

 

思い悩むように胸元に手をやると、いつもと変わらぬ甘い痛みが感じられた。

 

この瞬間が幸福でもあるが、反面いつも怯えている。

永遠にこの時が続けばいいとすら思うが、そんなことはできはしない。

 

時を操る彼の一族ですら、難しいだろう。

 

「やりました」

 

切り終えた野菜を盛り付け、大皿小皿を運び終えた。

 

新聞に向かっていた視線がこちらの眼を捉え、それから卓上に広がる色とりどりの料理へと向く。

 

「食っていいのか?」

 

「ええ」

 

会話はない。互いが『いただきます』と言い、思い思いに料理を摘んで、味わう。ただそれだけの時間。

 

二人が殆ど同時に『ごちそうさまでした』と言った後も、自然な沈黙が場を包んだ。

 

「美味かった」

 

湯呑みに注いだ緑茶を飲み干し、卓袱台に置き、一言。

 

その一言だけで胸がいっぱいになったのを、彼女は感じた。

 

「はい」

 

必死に絞り出した言葉は、たった二文字に過ぎない。

しかし、この場合はそれだけでよかった。それだけで伝わる相手だったし、真意が伝わらなくとも察してくれる相手だったのだ。

 

「平和だな」

 

卓袱台から縁側に向かって歩き、腰掛ける。

彼が何故、眩しく光る月を見上げようとしたのかはわからない。

 

風流を介したのか、それとも月に何かを見たのか。

 

「そうね」

 

その一言が含む重さも葛藤も、一人で抱え込んでいて、自分には分けてくれないのだろう。

 

その悔しさは、心の内に。

 

「提督」

 

「ん?」

 

「月が綺麗ね」

 

隣に腰掛け、そう言った。

並び立てないが、寄り添うことならできる。

 

「……ああ、綺麗だな」

 

彼の背負った重い荷を分かつことの出来る自分に、なりたいと思った。




加賀さん回は、書きやすいです。

そして読了ありがとうございました。感想・評価いただければ幸いです。
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