ビッグ7は沈まない 作:ドラフェノク
「……」
意識が覚醒し、むくりと身体を起こす。
体温が高い状態の自分が寝ていたからか、布団がほんのり熱を持っていた。
(……情けない)
或いは、意気地がない。
後ろから抱かれたのだから、がんばればもう少し先に進めただろうに。
でも、と心の中で反論する。
(予想外だったのよ)
そう、予想外だった。抱き締められて、耳元で告白じみたことを言われるなどとはあの時欠片も思っていなかったのだから。
「……提督」
胸当てを外されたいつもの艤装の匂いを嗅ぎ、残った彼のを探そうとした、その時。
「何してんの?」
枕元から、訝しげな声。
安物のブリキ人形のように後ろを振り向き、現実をしっかと視認する。
「提督、いつからそこに?」
「加賀さんが上体起こしてからだけど」
噂をしたら、どこからともなく現れる。
魔術回路の特性上、気配には聡いはずの自分ですら欺くこの穏行は最早達人の域に達していた。
「で、何で逃げたの?」
「…………自分の馬鹿さ加減が嫌になったからよ」
提督の目が細まり、口元が弧を描く。
面白いものでも見つめるような視線が、自分を射抜いていた。
「そこで『昔の』とかを付けないあたりが、いかにも俺好みな釈明だよ」
俺好み。おれごのみ。おれは、すき。
一瞬で脳内変換が終了し、心臓が縮むように痛み、疼く。
こんなときでも、心と本能は平常運行だった。
「……はんそくよ」
「ん?」
「たらし提督」
そんな意図はないことはわかっている。十割方自分の所為だということもわかっている。
しかし、あまりにも自分の欲しい言葉を的確に投げかけてくる彼は、たらしだ。
自分がそう認識しているだけかもしれないが、たらしなのだ。
「誑し込まれるのは加賀さんくらいだと思うけど」
枕が放られ、代わりにその場に彼が腰を下ろす。
一つの布団に、二人で居る。
(…………私は、本格的に故障が激しいのかもしれないわ)
行動の端々に幸せと甘い疼きを感じてしまう辺りは、もう手遅れと言わざるを得ない。
そんな結論を出した後に、疼きっぱなしの胸を隠すように枕を抱く。
白いふかふかの枕は、心の沈静化にそれなりの効果を与えてくれた。
「……まあ俺から言わせれば、昔も今も加賀さんは馬鹿じゃないから安心しなさい」
「あなたを理解してなかったし、しようともしていなかったわ」
それだけで充分、愚か者の名をいただくに値する。
感情に踊らされるのはいつものことだが、この時は群を抜いて酷かった。
そして、この彼に対して向ける感情の激しさは今になっても変わりはしない。
彼女は気づいていないが、今も昔も一番自分の感情をぶつけているのは提督に対してであった。
「あの頃はまあ、俺も尖ってた。理解しない奴が馬鹿、みたいな感じになってから仕方ないさ」
後付け良心回路こと、長門による性格矯正が行われた後、彼は数十年後から降りてきた。同じ時代に立ち、人と人と、組織と組織の間との調整に立つようになったのである。
権力を握る能力があっても、数十年進んだ技術を提供したとしても、根幹的な疾患を治さねばいずれは滅ぶ。
この事に気づいてから彼は人間味を増していき、比例するように過労死への道が加速した。
この降りてくるか降りてこないかの間に、加賀と提督は出会ったわけである。
「加賀さんには、これからも俺が間違ってたら言って欲しい。長門はあんまり口出さないからさ」
政策とか、人事とか、軍政とかには口を出さず、ただただ国の剣であり、盾である。
その道を守っているのが、長門だった。今は道を外している―――文字通り寄り道している状態だが。
「長門さんの代わりに?」
嬉しいが、悲しい。
先の騒動での助言による実績を経て、頼られたのだろう。この事は嬉しい。その場で空中三回転をしたいほどに、嬉しい。
しかしながら、長門の代わりならば圧倒的に悲しいのだ。
何せ、代替品は本物に勝てないのだから。
「散々父の代わりにされてきた俺が人を代わり扱いすると思うか?」
「……ごめんなさい」
「いや、こっちの言い方も悪かったよ」
加賀は、加賀。長門は、長門。それぞれに個性があり、この二人は正に対極に位置する思考を持っている。
それを片方の代わりとして扱う方がどうかしていた。
「弱みは見せるわけにはいかないけど、頼りにしてるよ」
弱みは見せないが、頼りにしてくれている。
胸に抱く枕をきつく抱き締め、俯き気味に一つ頷いた。
「後、加賀さんのことは信用しつつ、信頼することにしたから。よろしく」
俯くのを止め恐る恐る目を合わせる。
目と目があったその瞬間、肩を叩きつつそう言った。
しんらい。信じてもらって、頼ってもらえること。
信頼。長門さんだけに、おかれていたもの。
「信頼?」
「そ。流石に一人でやってくには辛くなったから、加賀さんを頼ることにした。仕事を時々任せることになるのは変わらないけど、重要な案件も頼むことになるかもしれないから。勿論嫌なら断って―――」
「やります」
ぐいっと身を乗り出し、枕を離すまもなく彼に迫る。
千載一遇のこの好機。逃す乙女はただの馬鹿だ。
「元々やらせてほしかったの」
「お、おう」
「私、頑張るわ」
枕を布団へ落とし、両手を握ってやる気を示す。
凄まじい勢いに圧倒されたのか、提督は少し後ろへ引いていたが、そんなことは彼女にはわからなかった。
ただただ、嬉しかったのである。
「そう言えばさ、二つ目のご褒美に何が欲しいの?」
「…………これ以上望むと罰が当たる気がするから、止めておきます」
「そんなこと言わずに言ってみな。聞くだけにするから」
考える。
今自分は、幸せの絶頂にいる。これは確かだ。
しかし、『華々しい勝利から没落への道はただの一歩に過ぎない』とナポレオンも言っている。この幸せは、保って初めて幸せなのだ。
「あなたから、私を抱きしめてください」
だが、そんなことはどうだっていい。
頭の中のナポレオンを葬り去り、更なる望みへと手を伸ばす。
正直、死ぬほど恥ずかしい。しかし、何もしなかったら数ヶ月後にこの幸せは終わる。
行動あるのみ。積極的攻勢に出て、隙を逃さず勝ち続けなければならないのだ。
幸せを保ち、耽溺するのは勝ち終わった後でいい。
「抱きしめる……って、俺に対してのご褒美じゃないの、それ?」
「混じりっ気なしの、私へのご褒美よ。別に今日は充分に幸せだから、いい―――」
ふわりと、身体が浮く。
腰の辺りに手がかけられて、持ち上げられたのだろうと気づいたのは、随分後になってからだった。
「―――けれ、ど」
とりあえず言い切り、期待とおびえを心に含みながら後ろを向く。
腰と肩に手が回され、後ろから抱きしめられている形に、なっていた。
「これでいい?」
「……」
無言で首を振り、身体をよじって彼の両腕の中から抜け出す。
後ろからは、好きではない。
「あなたを見ながらがいいの」
見て、自分から感じたい。
後ろからでは、少し不安になってしまう。だけど、前からならそれはない。
「……対面で?」
「……………………いや?」
「そんなことはないけどね……」
広げられた腕の中に膝で歩いていき、体温が伝わってくる程まで近づく。
腕が回された場所はやはり、肩と腰。
(好きなのかしら)
それとも、自分の身体を引き寄せやすいだけなのか。
どちらかはわからないが、自分もこの抱かれ方は好きだった。
「提督」
「何かね?」
棒読みで、口調が硬い。
やっぱり、嫌なのだろうか。何か悩ましげな顔もしているし。
「ぎゅってして」
「これより?」
「いや?」
彼女に、柔らかながら我が儘な張りのある胸が思いっ切り当たっていることは知っている。
だが、それによって男がどんな懊悩を抱えるかの認識はない。ただ単純に、当たってるだけとしか考えていないのだ。
つまり、ただ脂肪を当てているだけで、その所為であんまりくっつけていないという認識しか、彼女には無い。
「…………嫌ではない」
腰に回された手に力が籠もり、やけくそとばかりに引き寄せられる。
「ん……」
骨が軋み、背中に回した腕に力を込めた。
もっとくっつかなければ、自分の身体が壊れそうな程、彼の力は強かった。
(壊されたくも、あるわね)
力が抜ける。なすがままにされ、全部が彼の身体の中にある。
意識がまたも朦朧とし、残り香などではない彼の匂いが全身を包んだ。
(虐められたい、のかしら)
優しい姿勢を崩さなかった彼の意外な苛烈さに瞠目し、またも惹かれる自分に気づく。
どうしようもなく、彼の虜だ。
「てい、とく……」
甘露のように甘く、背筋が竦むほどに官能的な呟きが漏れた瞬間、一層身体が引き締められる。
もう少しで、何かが壊れる。
骨が折れるのではなく、なにがが壊れる。
(あと、すこ、し……)
顔を胸板に埋め、力を抜いた。
軟体動物のように脱力した身体が、より一層の強さをもって抱き締められ―――
『おい、親父殿ー!』
いきなり、反発した。
「……っは、ぁ」
「危な、かった……ッ」
一体になるかと思うほどにくっついていた身体を離した二人がお互いを見てビクリと身体を動かし、しばらく惚ける。
その間を怪しんだのか、ダンダンダンと床板が踏みしめられ、侵入者が悠々と廊下を抜けた。
珍しく少し汗をかいた彼が再起動を果たして応対し、なにがしかを談笑して、去っていく。
侵入者が去った後、再び彼がこの場へ戻ってきた。
「加賀さん、ごめん」
開口一番、土下座謝罪。
「あのままだと、相当ヤバかった」
「……は、い」
自律する意志を無くしたかのように、自分の身体は動かない。
未だにこの身体を動かせる決定権は、目の前の彼にあるのだろう。
「加賀さんを滅茶苦茶にぶっ壊してたかもしれん」
腰が抜けたように動けない。頭も働かず、返す言葉が見つからない。
「ごめん。未遂だけど、本当にごめん。いや、謝ってすむもんじゃないけど……提督って言われたときに、意識が吹っ飛びかけた。正直、理性的なセキュリティーがあるから最後まではいかないと思ってから油断してたんだと思う」
身体が、痺れている。意識も、痺れている。今、なにをされても抵抗できない。壊されたいとしか、考えられない。
理性が、何かに持っていかれたような感じだった。
「加賀さん?」
「……ていとく。わたしは、あなたにこわされてもよかったわ」
目の前の彼の理性の仮面が解けかけ、嗜虐的な面がギラリと覗く。
本当に、お互いギリギリだったのだ。
少なくとも普段の仮面が、壊れそうになるくらいには。
「加賀さん」
「はい」
「しばらくは、加賀さんのことは抱き締められないから」
「……しばらく経ったら、いいの?」
「……………………さあ」
自分の抱き心地を気に入ってくれたのか、或いは自分の方に好意のベクトルが振れたのか。
好きではあるが、二番手である。
そう言うポジションだったはずの彼女の位置が、動いたことは確かだった。
次回から、次回から原作ッ……!(明確なフラグ)