「か、えで……?」
目の前にいる見慣れた女性は、見慣れぬ笑顔を浮かべていた。
「うん。おはよー結翔くん」
聞きなれた声で、聞き慣れない話し方をしていた。
「ねえ。後でノート見せてほしいなー? 結構休んじゃったから不安なんだー」
上目遣いでこちらを見る、見慣れぬ仕草で。
俺が見慣れぬ桂木楓が、確かにそこに立っていた。
「結翔?」
動揺のあまり呆けていたところに後ろから声をかけられ、ハッと我に返る。
「珍しいね、こんなに早く登校するなんて。何かあったの?」
「白栞……」
白栞は教室に入ってくると、楓を見て。
「おはよ、楓ちゃん。もう大丈夫?」
と問いかけた。
「大丈夫だよー。色々迷惑かけちゃってごめんねー」
楓は、やはり白栞に対しても先ほどと変わらぬ態度で返す。
あまりにも違和感のある話し方。まだ双子と入れ替わったとか、記憶喪失と言われたほうが現実的だ。
にも関わらず、白栞は何事も無かったかのように。
「そっか、それなら良かった!」
と、満足げに自分の席に向かってしまった。
「お、おい白栞!」
俺はとっさに後を追う。
「どしたの? デートする?」
楓と対照的に、こいつはいつもと何も変わらない。
この違和感だらけの楓を前に、なにも。
「おかしいと思わないのか?」
「何が? 別に何もおかしくないよ」
そんなわけはない。もはや俺だけパラレルワールドに迷い込んでしまったのだろうかと、ラノベ展開すら疑ってしまうレベルだ。
「楓の様子だよ。明らかにおかしいだろ? 何かあったとしか思えない」
「女の子なんて、ある日突然変わるものだよ。あ、私の結翔への愛は永久不変だから安心してね!」
普段とまるで違う楓と、普段とまるっきり変わらない白栞も。
今の俺には、違和感しかなかった。
「何突っ立ってんだ?」
すると、教室に千夏が入ってきた。
普段からアビカに関係ないことには無頓着なやつだが、もはや別人レベルの楓に変貌にはさすがに気付くだろう。
「おはよー、千夏ちゃん」
「はよ」
それだけ言って、千夏は自分の席へと歩き出す。
「待て待て待て!」
このアビカバカは、どう見てもおかしいこの状況に一切違和感を覚えていないとでも言うのだろうか。
「いくら何でももうちょっとあるだろ!」
「んだよ、急に大声出して……」
「楓の様子だよ、違和感あるだろ!」
「色々あるんだろ? それに、違和感って言ったらお前が早起きして先に学校に行くなんて方がよっぽど違和感あるぜ」
そう言われてしまうと返す言葉も無いのだが、色々あるの一言で片付けるにしては大きな変化過ぎるだろう。
それに、先日の一件もある。俺としてはこのまま放っておくことはできないし、何かあったなら力になりたい。
「おかしいと思わないか?」
先ほど白栞に投げかけた質問を千夏にも問う。
「まあ、何かあったんだろうとは思うぜ」
「なら……」
「けど、アタシがそう簡単に踏み込んでいい問題でも無いだろ。この前の聞いた限りじゃな」
確かに、楓の抱えている事情は複雑そうなのは事実だ。
先日本人から語られた過去も、知っているのは俺だけ。となれば、千夏から見ると介入すべきかの判断に迷うのも理解できた。
改めて楓の方を見やると、登校してきた他の男子と何やら会話していた。
男子側も少し困惑しているようだったが、楓が距離を少し詰めると、狼狽えながらもニヤニヤと楽しそうな様子に変わっていった。
♢♢♢
放課後。
結局、楓の様子は終始おかしかった。
クラスの反応は大きく二つに分かれている。
「桂木さん急にぶりっ子してどうしたんだろ」
「なんか男子に媚びてるよねー」
「ありえないんだけど」
女子からは相当不評だ。ここまで聞こえてくるのだ、本人にも聞こえているのではないかと不安になる。
楓の振る舞いは変わらないので、聞こえていないのだろうか。それとも聞こえてて無視しているのか。
いずれにせよ、このままだと楓がクラスで浮き始めてしまうのではないかと不安になる。
「なあ、なんか桂木すげー可愛くなってないか?」
「分かる。めっちゃいい匂いするし女の子っぽくなったよな」
「俺、今度デート誘ってみようかな」
と、これは男子の声だ。聞くたびにイライラしてしまうのでなるべく聞かないようにしていたが、どうしても耳に入ってくる。
何も知らない癖に、手のひらをクルクルと回すやつらが、堪らなく腹ただしかった。
「なあ、楓。ちょっといいか?」
考えていても埒が明かない。朝は面食らってしまったが、直接聞いたほうが早いだろうと考えた。
クラスの男子と話していた楓の所に行くと、男子は少しムッとした表情になった。
「どうしたのー?」
今日一日聞いていたが、この間延びした喋り方はどうにも慣れない。
「ちょっと話したいんだけど。今日一緒に帰れないか?」
「うーん。ごめんねー。今日はちょっと先約があって」
先約という言葉に、胸のあたりがグッと重くなったような不快感を覚える。
「……そっか。じゃあ、また明日とかどうだ」
「明日は少し残らなきゃいけないんだー。だから、部活に顔を出すのも遅くなっちゃうかも。ごめんねー」
まるで取り付く島もない。この分では、当面の予定が埋まっているのではないだろうか。
あるいは避けられているのだろうか。
判断がつかない以上、俺はすごすごとその場を離れるしかなかった。
一人になりたいと言って、千夏と白栞とは別で帰路に着く。
楓が休む前までは頻繁に一緒に帰っていたが、思えばいつも楓から声をかけてくれていた。
いつしか、それが当たり前になっていたように思う。
俺から一緒に帰ろうと言ったのは、先ほどが初めてだった。それを断られてショックを受けるとは、何とも都合の良いことだ。
もっと俺からも声をかけていれば良かったのだろうか。
その答えを唯一知る女性は、俺の元には居ない。
いつも通っていたはずの歩道が、何故だかいつもより広く感じた。