君がカードを引いたなら   作:七紫ノごんべえ

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楓ルート 十四

 

 ──楓side──

 

 内臓の不快感に耐えながら、私は家を出た。

 七日ぶりの外の空気だが、気分は晴れない。

 

 母からの再教育を受けた私は、今日からは学校でも母の教え通りの、男に好かれる女であらねばならない。

 決して裏切らず、一生を捧げてくれる白馬の王子様を射止めなければならない。

 そうでなければ、私が不幸になってしまうから。私が不幸になれば、母の不幸を消し去ることができないから。

 

 

 いつもの時間に学校に着く。

 教室に入ると、真っ先に目についたのは彼の席。

 

 彼の前でも、偽りの私でいなければならない事実に気が重くなる。

 

 ……でも、それで良いのかもしれない。

 どのみち、彼への未練は絶たねばならない。

 

 どういうわけか、母は結翔くんにはなるべく関わるなと言ってきた。

 横恋慕など不埒だ、やはりあの男の娘だと。

 そういう見方をするなら発言には納得なのだが。それよりも私が気になるのは──

 

「お、おはよう」

 

 ほぼ無人の教室に、小さな声が静かに響いた。

 姿を見るまでもなく、結翔くんだと分かる。

 彼は真っすぐにこちらに歩いて来ている。心なしかいつもよりもゆっくりと。

 

「楓。お、おはよ」

 この一週間で母から矯正された私が、一瞬で消えてしまいそうになった。

 

 覚悟を決めて、彼を見る。

 笑顔はにこやかに、無邪気に。頬を上げて、涙袋を強調するように。

 

「結翔くーん。おはよー」

 発声は高く、笑顔が声音から伝わるように。

 男性の庇護欲をそそる声を。

「心配かけちゃってごめんねー。もう大丈夫だよー」

 

 彼の表情がみるみるうちに変わっていくのを見て。

 

 胸の中から、何か大きなものが抜け落ちたような感覚がした。

 

 

 ♢♢♢

 

 手近にいた男子たちに適当に声をかけていく。

 最初こそ戸惑いを見せていたが、少し距離を詰めればすぐにデレデレとした様子になった。

 罪悪感もあるが、手ごろな女と見るやよく知りもしないのに尻尾を振る様子に不快感が募っていく。

 

 彼でいいやと、よく知りもしない結翔くんに媚びた僕も、これと何も違わない。

 私がやっていることは、結局あの時と同じだ。言葉遣いを変えても、結局私の本性はこの醜い姿に相違ないのだ。

 それを突きつけられていることが、何より辛い。

 

 

 放課後、結翔くんに一緒に帰ろうと誘われた。

 すぐにでも頷きたい気持ちを抑えて、適当な理由をつけて断った。

 落ち込む彼の顔に、胸が締め付けられるようだった。

 

 彼でいいかと近づいておいて、ピンチに颯爽と駆けつけてもらったら彼が良いと願うようになった。

 心に寄り添われて、あっさりと彼を求めるようになった。

 

 都合のいいことだ。

 

 でも、彼を選ばなくて良かったとも思う。結ばれる前に終われて良かったとも。

 だって、こんな女に人生を縛られることはないのだ。

 長年好いてくれる幼馴染と結ばれて、恋人として学生生活を過ごし。就職して、結婚して、子どもも生まれて。

 優秀な奥さんと力を合わせて何不自由ない生活を手に入れて、幸せな一生を送る。

 

 彼はきっと幸せになるだろう。

 それで、いいじゃないか。

 

 

 ♢♢♢

 

「桂木さん、今ちょっといい?」

 翌日の放課後。直帰しようと荷物をまとめているとクラスの男子に呼び止められた。

「なーに?」

「ちょっと、ついてきてくれないかな」

 

 ああ、告白か。緊張してやや舌足らずになっている男子の様子で、これから何が起こるかすぐに分かった。

 少し話した昨日の今日で、随分と性急なことだ。

 言われるがままに着いて行くと、中庭で立ち止まった。

 

「桂木さん、僕と付き合ってください」

 予想通りの展開だ。何のひねりもない。

 一定の関係値なら好印象な告白だが、お互い何も知らないはずのこの状況で言われても困るだけだろうに。

 それでも、彼の中では確かな勝算があるのだろう。母に習った、思わせぶりな態度の成果が出ていた。

 

 ぼんやりと中庭の端に視線を向ける。

 あのベンチで、結翔くんは私の話を聞いてくれたんだっけ。ほんの少し前だというのに、遠い過去のようだ。

 

「す、好きです!」

 私の反応が無かったからか、慌てて言葉を重ねる男子。

 

 もういいか。すべて面倒だ。気の毒とも思うが、何も知らない私に惚れたのだ。

 

 そこに愛がなくてもいいのだろう? 

 

 今頷くだけで、私はこの人と結ばれる。

 やがて生涯を誓い、子を成し、一生を終えるのだ。

 母も満足するだろう。一般的に考えられる幸せな暮らしを送るのだ。ならば、私だって不幸では無いはずだ。

 

 それでいいじゃないか。

 

 もう、どうでもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪いけど、妨害だ。割り込ませてもらうぜ」

 

 

 

 

 瞬間。

 

 

 目の前に立っている後ろ姿に既視感を覚えた。

 

 

 女子たちに呼び出されたあの時も、彼はこうやって間に入ってくれたっけ。

 あの時は、守るように前に出てくれた背中。

 それが今度は、大切なものを渡すまいと言うかのように、私を背中に隠していた。

 

 

「結翔、くん?」

 

 

「ワリい、ちょっと貰ってくな」

 

 戸惑う男子に対してそう言うが早いか、私の右の手首を掴むと、踵を返して足早に歩き出した。

 手を引かれるがままに着いて行く。

 後ろから、困惑した男子の声が聞こえてくるが、お構いなしに歩き続ける結翔くん。

 

 白馬に乗ってもいない。甘い言葉を囁くわけでも、抱きしめてくれるわけでもない。

 無遠慮に掴まれた手首に感じる少しの痛みと、温かさ。

 それが、とても嬉しかった。

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