序幕Ⅰ 黒き剣のヴァンと凶星のアビゲイル
『
黒き剣のヴァンは広大な星の海の只中に自らを見出した。周囲には星々を複雑に結びつけたネットワークが広がり、無数の光点が絶えず往来を繰り返している。それらはアストラネットを通じて送受信される情報や、あるいは情報の海を漂流するアカウントの表れである。
健全かつ活発な賑わいを見せる公的ネットワークを人目を避けるようにして進み、霊都議会による管理が及んでいない暗黒の荒野へ。周囲の景観は煌めくような星空から禍々しい闇の坩堝へと一変し、平らに舗装されていた道路は所々が寸断された凸凹の荒れ路に。霊都議会の認可を受けていない非合法冒険者であるヴァンにとっては、この
「……さて、一体どんな物好きが釣れたのやら」
ヴァンが道路の裂け目から闇の底へと身を躍らせる。彼が降下してゆく先には、無数の本棚を押し固めて築かれた奇怪な浮き島が点在していた。
浮き島に着地し、手元に生じたタッチパネルを操作すると、周囲の本棚が独りでに動いて島の地形を変化させていく。筒状の壁が周囲を取り囲み、縦穴構造の個室スペースを形成した。
見上げた空にきらりと煌く星が一つ。寒気がするほどに美しいが、どこか不吉さを孕んだ妖しい色の星だった。星は直線の軌道を描いて落ち来たり、少女の姿をした
「はじめまして、黒き剣のヴァン」
少女は星空を編み上げたようなドレスの裾を摘み、楚々として一礼した。
見てくれの年代は人間で言えば10代の後半といったところ。襟足だけを長く伸ばしたボブカットの黒髪、血のように紅い瞳。少女と女の狭間に位置するような可憐さと色香が同居した容姿を持ち、メリハリのあるボディラインを露出度の高いドレスで彩っている。
ヴァンは少女の蠱惑的な容姿には目もくれず、油断なく眼光を閃かせた。
「
「そ。アビゲイル、それが私の名前。会えて光栄だわ、現界最強の剣士さん」
片目を瞑ってみせる星霊の少女を、ヴァンの剣呑な眼差しが凝視する。少女……アビゲイルは不服げに頰を膨らませた。
「むー。なによう、何も顔を見るなり身構えなくたっていいじゃない。流石に傷付いちゃうわ。……ま、無理もないけど。ブロックしたければお好きにどうぞ。安心してよ、逆恨みで呪い殺したりはしないから」
アビゲイルが寂しげに肩をすくめる中、ヴァンは再度タッチパネルを操作した。空間に漂う霊素が集まり、
「……いいの?」
「元より小さくまとまった優等生など求めてはいない。俺が欲しているのは危険を冒してでも上振れを狙える鬼札だ。検討を要するのはお前の方だぞ、凶星のアビゲイル。俺との契約が何を意味するのか、よくよく理解した上でこの場に立っているんだろうな?」
ヴァンの鋭い目に漆黒の火花が散った。物理的な圧力を感じさせるほどの苛烈な気迫。しかしアビゲイルは臆せず、笑顔すら浮かべて対面の席についた。
「勿論よ。条件には目を通してきたわ。───さあ、契約を始めましょう」
壁面を埋め尽くす本棚から複数の書籍が飛び出し、独りでに開いて空中へとウインドウを吐き出した。そこに記載されているのは、両者が提示した契約の条件。
この地は「深淵の書庫」と呼ばれている。公的アストラネットから外れた違法回線に存在し、後ろ暗い背景を持つ者達が集う裏サイト。ヴァンとアビゲイルを引き合わせたのは、深淵の書庫が提供する各種サービスのうち一つ。
───すなわち、人間と星霊の
序幕 集いし異星
『
ヴァンの指先によって剣のパターンを入力されたタッチパネルが霧散し、闇を纏う漆黒の刃へと形を変えた。
霊刃。霊素によって鋭利な刃を生成する、最も基本的な攻撃用霊術式のひとつ。だが、規格化された霊術式であっても、扱う者の技量によってその威力には天と地ほどの差が開く。凡百の
「───ふッッ!!」
両手剣の刀身に遅れて漆黒の軌跡が疾走し、通路の端から端までを一薙ぎにした。ソウルイーターの強靭な筋繊維と堅固な骨が容易く両断され、闇そのものの頭部が宙を飛ぶ。
捕食されかけていた素人同然の同業者を追い払った後、ヴァンは両手剣を片刃の二刀へと変形させて戦闘を継続する。彼の傍らには、ドレスの裾から星屑じみた輝きを振り撒きながら飛び回る少女の姿をした星霊が。
「悪くない斬れ味だ。まだまだ精度を上げていく必要はあるが」
ヴァンは漆黒の刀身を観察し、頷いた。同一の
「及第点は貰えたようで安心したわ。私の
「恐らくな。連中の目的もこの領域の制圧だろう。交戦もやむなしの状況だったが、こいつらのお陰で手間が省けたな」
会話の片手間にヴァンの左腕が唸りを上げ、新手のソウルイーターを一刀のもとに屠ってみせた。不意打ちとはいえ一匹だけでネオ・アストラの調査隊を壊滅させた脅威の魔物を、現界随一と謳われる
アストラネット未踏領域の探索・占領を狙っているのはネオ・アストラだけではない。通信業界のシェアを奪い合う競合他社、それらを相手に高値で売りつけようと企む冒険者たち、あるいは霊都議会と敵対する反体制組織。長き歴史において決して途絶えることのなかった
「……貴方の目的は『幽世の杯』なのよね? 書庫の
アビゲイルはヴァンに並走しながら問うた。「幽世の杯」。冒険者たちの間で実しやかに語り継がれる五つの伝説的秘宝、
「当座の狙いは書庫の運営に近付くことだ。奴らは
「そして?」
「俺の考えが正しければ、書庫は遠からず大掛かりな行動を起こすだろう。そこからが本番だ。その機に乗じて運営に近付き、俺が求める情報を引き出す。……あるいは」
ヴァンの双眸が物騒な光を閃かせる様に、アビゲイルは少々眉をひそめた。目的のためには手段を選ばぬ
「大掛かりな行動……深淵の書庫って、確か」
「ああ。旧魔導師ギルドの一つ、深淵閣の成れの果て。違法回線の裏サイトに擬態してはいるが、その実態は霊都の転覆を目論む反体制組織。未練がましく現界にしがみ付く、旧時代の亡霊だ」
「……そんな危険な連中を泳がせてチャンスを窺う、ってわけ?」
アビゲイルの言葉が非難のニュアンスを含んだ。ヴァンはじろ、と鋭い視線を投げかけた。既にソウルイーターの群れは掃討され、物言わぬ
「俺たちの契約は涙ぐましい社会貢献のためか? 言ったはずだ。俺は何と引き換えにしてでも『杯』を手に入れるとな。俺と組むからには道徳だの秩序だの、下らんものへの拘りは即刻捨てろ」
「……分かってるわよ。裏サイトを使った時点で覚悟はしてたわ。でもね、ヴァン。こんなことを続けてたら
「
ヴァンの目が漆黒の火花を散らした。アビゲイルは口を「へ」の字に歪めて黙り込み、やがて溜め息をついた。
「……言われて止めるくらいならそもそも私なんかと契約しない、か。いいわ、貴方の好きなようにして頂戴」
「元よりそのつもりだ。俺は死なん。運命ごときに俺が殺せるものか。……無駄話はここまでだ。
アビゲイルは首を縦に振った。ヴァンは前方に立ち塞がる石造りの重厚な扉に手をかけ、力を込めて押し開けた。
扉の先にはここまで進んできた老朽の遺跡とは一線を画する空間が広がっていた。
壁も床もすべてつるりとした材質の黒一色で、部屋の中央には前衛芸術じみた形状のオブジェが屹立している。中央のオブジェからは一定の間隔で光輪のごとき波紋が広がり、壁や床を伝って領域の外縁部へと広がっていく。
「やれるか、アビゲイル」
「ええ、任せて。道中は貴方に頼り切りだったし、次は私が良いところを見せないとね」
アビゲイルは片目を瞑りウインクした。が、ヴァンはというと一瞥もくれず、周囲に警戒を払っている。アビゲイルは口を尖らせつつ、両手を伸ばしてメインフレームに触れた。白い掌から血管を思わせるような紅が広がり、オブジェの表面に根を張っていく。
「5分……いや、3分で済ませるわ。もう少し待っていて」
血のように紅い瞳を0と1の列が駆け抜ける。メインフレームに侵入し、制御権を掌握せんとするアビゲイルの視聴覚を、アラートランプの光と無機質なアナウンスとが
『不正アクセスを検知しました。侵入者を消去します』
「……ッ!」
黒い壁面に無数の光点が生じ、強烈なフラッシュが室内を蹂躙した。光点一つ一つが砲門となり、侵入者に向けて四方八方から霊素の弾丸を浴びせかける。
アビゲイルはメインフレームの掌握に意識を割いており、身を守ることはできない。しかし、雨霰のごとき自動小銃の斉射は、彼女の肌に傷一つつけることはない。
「……え。え、えええっ!?」
「どうした。余所見の必要はない。そのまま続けろ」
アビゲイルは驚愕の声を上げた。奔る。奔る。黒い剣閃が、旋風のように。
壁面から発射される弾丸はアビゲイルに届かない。叩き落とされているのだ。ヴァンが振るう二刀によって、一発残らず。
「う、う、嘘ぉ!? 流石にそれはあり得ないでしょ、貴方!?」
「続けろ、と言っている。この程度は脅威のうちにも入らん。俺はこんなものより遥かに
「…………す、凄、い」
人智を超えた離れ業をやってのけながら、ヴァンの呼吸は微塵も乱れない。契約者の恐るべき技量を目の当たりにし、アビゲイルは思わず感嘆の呟きを漏らした。そして前方へ向き直り、メインフレームの掌握に全霊を傾けた。
思わず口角が上がる。胸が高鳴り、歓びと期待が膨張していく。彼女が新たに手に入れた契約者は前評判通り、否、聞きしに勝る強者だった。魔物の群れが襲いかかろうが、銃弾の雨を浴びせようが、この男を殺すことなど出来はしない。───もしかしたら。もしかしたら、本当に。
(───この人なら、
紅の侵食がメインフレームを越えて部屋全体に根を張ったかと思うと、ばきん、と音を立てて粉々に砕け散った。アラートランプが消え、無人の銃口が沈黙し、アビゲイルの掌の上にメインフレームの制御パネルが出現する。領域の管理権限が彼女へと移行したのだ。
アビゲイルはぱっと顔を輝かせ、背後を顧みた。ヴァンは頷き、漆黒の二刀を空に消し去ろうとした。かくして、
アビゲイルの笑顔が凍りついた。ヴァンの漆黒の眼光が弧を描く。彼は消し去りかけた二刀を握り直し、振り向きざまに剣閃を放った。襲い来る白銀の暴風雨へと。
一発、また一発と浴びせかけられる弾丸を叩き落とす。しかし、先程とはまるで様子が違った。一振りごとにヴァンは顔をしかめ、無傷だった刀身が刃こぼれを起こした。軌道を逸らされた弾丸が壁や床に突き刺さり、小さなクレーターじみた陥没痕を作っていく。
嵐が止んだ。濛々と立ち込める粉塵越しに、ヴァンとアビゲイルは部屋の入り口に立ち塞がる一人の男を視認した。
軽装型の
ヴァンは若者を睨んだ。射殺すような眼差しを、凄まじき
「……出たな、
「よォ、黒き剣。相変わらずシケた面っスね」