文明圏から置き去りにされた寒村の教会で、その少年は怨嗟の咆哮を上げていた。
───呪われろ。
霊障の靄は村全体に広がり、魂を搾取する猛毒によって既に村人は死に絶えた。たった一人、その少年だけが生き残り、とうに冷え切った少女の骸を抱いて慟哭していた。
───呪われろ。この
彼は呪った。何一つ施さず、何一つ顧みず、ついにはすべてを奪い去った不条理を。
霊障によって麻痺する手足を強いて動かし、肺腑の苦しみを憤怒によって塗り潰し、死の霧に巻かれた故郷を脱出する。ただ一人連れ出すことのできた、もはや動かず、話さず、笑うことのない少女を荒野の土に横たえる。
頭上には抜けるような満天の星空。少年の血走った目が夜空を睨んだ。天に瞬く星のひとつひとつに、自分たちを見殺しにした罪を問うように。あれらの星々が狭間の土埃にまみれることはなく、地を這う虫に気を留めることもない。
「…………いいだろう」
少年は憎悪に満ちた声を絞り出した。そして片腕を空に掲げ、頭上の星々を握り潰した。
「なら、俺もお前たちに遠慮はしない。何と引き換えにしようと、何を巻き添えにしようと、俺が喪ったすべてのものを取り戻す」
少年は足元に横たわる少女に視線を落とした。古びた修道服に身を包んだ、亜麻色の髪の少女だった。彼女は胸の前で手を組んだまま事切れていた。最期の瞬間が訪れるまで祈り続けていたのだろう。次に生まれてくる時は、どうか
「……待っていてくれ。皆。エリシア」
少年の頰に一筋の涙が流れた。それが、後に「黒き剣」と呼ばれる男が最後に流した涙だった。
◇◇◇◇◇
凶星のアビゲイルは青ざめた顔で現れたものを見つめていた。メインフレームを掌握し、探索は恙無く完了したはずだった。しかし、何も終わってはいなかった。
アビゲイルはその若者を知らない。だが、本能に根ざす直感が彼女に否応なく理解させた。───この男だ、と。
「……ヴァン」
「気を引き締めろ、アビゲイル。……アストラネット保安局二等捜査官、ウィリー・ガン・ファルコ。またの名を『
「情報が古いっスよ、ヴァン君。二等じゃなく、今は
「そうか。おめでたい事だ。遅かれ早かれそうなるだろうとは思っていた」
黒衣の剣士と白銀の銃手の視線が衝突し、激しく敵意の火花を散らす。アビゲイルは戦慄を噛み殺す。背負う肩書きよりも、対峙した者を圧すプレッシャーが雄弁に物語っていた。この男は、ヴァンに勝るとも劣らない使い手だ。
「……で、映えある一等捜査官様ともあろう者が、どういう風の吹き回しでこんな僻地に現れた?」
「ネオ・アストラから情報提供があったんスよ。調査中の未踏領域で黒き剣のヴァンを目撃した、ってな。お前が現れたとなりゃ当然
「口の聞き方に気をつけろ、霊都の犬ころ。奴らが俺を使っているんじゃない。俺が、奴らを利用しているんだ」
「知らねえな。どっちだろうが大した違いはねえっスよ。……説明はこんなとこでいいか? 始めようぜ、黒き剣」
「いいだろう。そちらもメインフレームを壊したくはあるまい。……表に出ろ、銀の弾丸」
銀の弾丸ウィリーは不敵に笑い、背を向けて部屋を出ていった。一見隙だらけの行動。しかし、ヴァンは無防備な背中に剣を突き立てようとはせず、眼光を尖らせながら後に続いた。
アビゲイルは胸の前で震える手を握りしめた。彼女は恐れていた。銀の弾丸を。そして呪っていた。他ならぬ己を。
(……間違いない。こいつだ。───この男が、
◇◇◇◇◇
メインフレームが隠されていた制御室を離れ、石柱が林立する通路に出る。ヴァンは油断なくウィリーの背中を見据え、一定の距離を保って後に続く。
アストラネット保安局(Astral Network Police)。通称
(……あの木っ端か)
道中でソウルイーターを掃討しながら追い払ったネオ・アストラの雑兵。あれを伝ってANPに情報が流れたか。嗅ぎつけられた以上はやむを得ない。この男を排除し、領域の支配権を確保する。その先に待つ「幽世の杯」という最終目的のために。
「……気を付けて、ヴァン。あの男、危険だわ」
「知っている。奴とは何度か戦り合ったことがある。あれ以上の
「でしょうね。でも、違う。そういう意味じゃない。……あの男を呼び寄せたのは、多分、私」
ヴァンはアビゲイルを横目に一瞥し、すぐさま視線を敵の背に戻した。彼女は震えていた。ヴァンは彼女の懸念を一蹴した。
「下らん。奴がこの場に現れたのは俺が目撃者を消すのを怠ったからで、それ以上でもそれ以下でもない。迷信じみたことを口にするな」
「……分かってるでしょ、ヴァン。それが私なの。あの男こそが、私が連れてきた凶運なのよ」
「お前が連れてこずとも俺の方から出向いていた。
アビゲイルは唇を噛んだ。前方のウィリーが立ち止まった。この未踏領域は霊都にとっても貴重な資源であり、彼らとしてもメインフレームの損傷は避けたかったはず。而して、制御室からは十分に距離をとった。
ヴァンは二刀を重ね、身の丈を超える大剣へと変形させた。ウィリーの首から上が振り向き、瞳の照準が黒衣の剣士を捉えた。アビゲイルは総毛立ち、慌てて支柱の影に逃げ込んだ。───来る。
ゴウ、と唸りを上げて漆黒の闇が通路を薙いだ。ウィリーは地面をスライディングし、斬撃軌道の下に潜り込んだ。
ヴァンは後退しながら初撃を放ち、ウィリーは前進しながらそれを躱した。片や剣、片や銃を得物とする両者のあべこべな初手。しかし、ヴァンの斬撃は刀身のリーチを遥かに超えて伸び、彼我に明確な射程差はない。互いの手の内を折り込んだ応酬だった。
地面スレスレまで体を傾けたウィリーの両腕が白銀のマズルフラッシュを吐き出した。極度の集中が時間経過を限りなくゼロに近付ける。攻撃範囲を重視し、あえて集弾性のパラメーターを落とした弾幕。ヴァンは半身になってその隙間に体をねじり込み、掬い上げるような二の太刀を放つ。
敵は瞬時に真横へ発砲、反動を利用して横に跳んだ。ドリルのごとき空中回転から体勢を復帰させ、二丁の銃を構え直す。だが、ヴァンの攻撃は終わっていない。掬い上げた大剣の鋒を切り返し、大上段の一撃を振り下ろす。
「……くっ!」
ウィリーは片腕を掲げ、腕部装甲で斬撃を受けた。駆動音と共にアーマーが光を噴き上げ、霊素の盾が大質量の刃を押し留める。出力の差は歴然。到底止め切れはしない。が、短時間の防御で十分。空いた片腕がヴァンの胴体に狙いを定め、白銀の閃光を放った。
「ちっ……!」
ヴァンは致命の一撃を断念、引き戻した剣を二刀に分割して弾幕を斬り払う。軌道を逸らされた
立合いの攻防は五分と五分。二人の超人は同時に呼気の塊を吐き出し、殺気を露わに睨み合った。
支柱の影からアビゲイルが恐る恐る顔を出し、戦況を窺う。両者の力量は拮抗している。加勢したいのは山々だが、下手に手を出せばかえってヴァンの邪魔になりかねない。
一方ヴァンは苛立ちを堪え、自制に努めていた。あとほんの少し力を込めれば腕ごと真っ二つにできたものを。しかし、深入りすればこちらが胴に風穴を開けられていた。欲を掻いて詰めのタイミングを誤るべからず。
「やれやれ、自信無くすぜ。当たり前のように剣で銃弾を捌くなよな。
「随分と自己評価が甘いことだな。そんな豆鉄砲で俺を殺れると思うのか」
「殺らねえよ。お前を裁くのはあくまで霊都の法だ。それに、強がりは良くねえっスよ。その腕、いつまで保つ?」
挑発的に笑うウィリーに対し、ヴァンは不快さを面に出さぬよう努めた。腕の筋骨が軋み、剣を握る両手に痺れを覚える。弾幕を防いだ腕にダメージが蓄積している。
詰めのタイミングを誤ってはならない。だが、長引けばこちらが不利。ヴァンは老朽化した天井を一瞥した。既に布石は打った。ここで崩す。
ヴァンは二刀を合成し、黒い剣閃を放った。斬撃は上方へと大きく外れ、遺跡の天井を薙いだ。ウィリーは頭上を見上げ、目を見開いた。降り注いでくる。轟音とともに、瓦礫の雨が。
ヴァンは初撃で通路の支柱を両断し、続く二の太刀で天井に傷を付けていた。ウィリーは大きくバックステップし、天井の崩落から身を躱した。瓦礫の雨が両者の視界を遮断する。ヴァンは上体を捻り、フィニッシュブローの予備動作に入った。
黒き剣。違法改造した術式によって刀身に過負荷をかけ、限界を超えて流動させる無法の斬撃。敵に回避を強制して一手分の優位を奪り、必殺の剣を叩き込む好機を得た。ここで決める。
「……ッ」
ぞくり、と背筋を怖気が走った。瓦礫の隙間に彼は見た。勝ち誇ったように笑う敵の口元を。そして、その背後に浮かび上がる、見上げるほどに巨大な半神の
ウィリーの手の甲に天秤のごとき紋章が在った。彼は口を開き、厳かに宣言した。
「───″
紋章が清浄なる輝きを放った。次の瞬間、電流がヴァンの全身を走り抜けた。
「ぐあっ……!!」
四肢が強張る。黒い大剣の輪郭が乱れ、火花じみたノイズを散らす。ウィリーを中心として懲罰的な力場が生じ、秩序を乱す咎人から自由を奪う。決定的な隙を晒したヴァンに対して、断罪者は容赦無く二つの銃口を突きつけた。
マズルフラッシュが乱舞する。咄嗟に大剣を盾にして受けるも、劣化した刀身は儚く砕けた。衝撃に次ぐ衝撃。視界がひび割れ真っ赤に染まる。物陰のアビゲイルが息を呑んだ。吹き飛んだヴァンが背中から地面に叩きつけられる様を、ウィリーの背後に座す半神が無感情に見下ろしていた。
刹那の昏絶からすぐさま復帰し、ヴァンは手足に力を込めて起き上がろうとした。しかし、懲罰の力場が重石のごとく落ちかかり、犯罪者に身体の自由を許さない。
迂闊。敵は言った。昇格した、と。ANP一等捜査官、すなわち霊都の安寧秩序を司る大星霊より「法の紋章」を授かりし
「固有術式……【秩序の法廷】……!」
「ご名答。切り札は最後まで取っておくもんっスよ」
ウィリーは油断なく銃を構え、倒れたヴァンにじりじりと接近する。ヴァンは敵の銃手を、そしてその背後に君臨するものを睨みつけた。巨大な天秤を背負い、三面六臂の金属質な巨躯を誇る大いなるもの。
「……貴様がメトラ。秩序の紋章メトラか……!」
「いかにも。お初にお目にかかる、黒き剣のヴァン」
威厳に満ちた声が領域全体を震撼させる。ヴァンは歯軋りする。霊素が集まらず、うまく霊術を発動できない。周囲一帯の霊素が掌握され、ヴァンの干渉を拒んでいるのだ。これがウィリーの、否、ANPの契約星霊たる秩序の紋章メトラの力。
「君の風評は
「……秩序? 平和と安全、だと?」
ヴァンの双眸が血走った。男の腹の底で煮え滾る憤怒が、唸るような低声となって溢れ出た。
「……ふざけるな。平和だの、安全だの、貴様らが語るもっともらしい能書きは、すべて大都市の
「……なに?」
「貴様らの言葉は何もかもまやかしだ。法だの秩序だのが本当に人を守るなら、何故エリシアは死なねばならなかった」
ウィリーは僅かに表情を歪めた。しかし、メトラの鉄面皮は微動だにせず、一切の呵責なく熱のない声を投げかけた。
「深淵の書庫に与し、あまたの反社会的行為を働いた君の動機は法廷にて語るがいい。事と次第によっては情状酌量の余地があるだろう。確保せよ、
「……了解です、メトラ。……終わりだ、黒き剣。神妙にお縄に付け」
ウィリーが銃の片方を頭の高さに掲げた。銃身の側面に術式入力パネルが出現し、檻じみたパターンを全自動で描画する。
『
銃底から
ウィリーがトリガーを引いた。白銀の流星じみて、霊体を凍結せしめる拘束弾が迫り来る。ヴァンの瞳孔が極度に窄まり、そして───
───星屑の煌めきと共に、一陣の風が駆け抜けた。
「……何!?」
ウィリーは驚愕した。横合いから乱入したヒト型の星霊がヴァンを掻き抱き、拘束弾を躱して飛び去った。彼は支柱の影に隠れて機を窺う少女に気付いてはいたが、あえて無視を決め込んでいた。何故なら、
「どういうことだ!? 【秩序の法廷】の中で動けるはずが……ッ!?」
ウィリーは立ち竦んだ。片腕にヴァンを抱えたアビゲイルが紅い双眸を爛々と燃やし、彼に掌を突きつけていた。
「来ないで。私から彼を奪わないで。───でないと、私がこれから何をしでかすか、私自身にも分からない」
「
アビゲイルの背後に星空のごとき闇が溢れた。メトラが呻いた。両腕を交差させて防御姿勢を取るウィリーめがけて、極彩色の流星群が降り注いだ。
「【まがつぼし】」
流星が炸裂し、サイケデリックな色彩が咲き乱れた。
網膜を痛めるような光が晴れると、黒衣の剣士と正体不明の星霊は忽然と姿を消していた。