『アストラネットから切断しています。
無数の光点が行き交う星空が遠ざかる。ゆっくりと、ゆっくりと。異なる二つの世界の齟齬が、剥き出しの魂を減圧症に陥れてしまわぬように。星々のネットワークが視界を去り、抜けるような青空がそれに取って変わった。
若者は降下してゆく。アストラネットを離れ、物理に支配された地上へと。日進月歩の発展を続ける先進都市、すなわち
彼はカプセル内に横たわる己の物理肉体を見出した。霊界へと投射していた意識体が物理肉体に帰還を果たし、一つになる。彼は瞼を開けた。目の前にはガラス張りの覗き穴、そして本社ビルの天井が。
「ふー、とりあえず一段落、と……」
若者はカプセルから這い出し、伸びをした。彼は恵まれた長身と逞しい体躯、そして清潔感のある爽やかな風貌の所有者だった。若々しくハンサムな顔が歪んだ形に強張った。
「………い、痛ってえええええ!!??」
若者は片腕を押さえて跳ね回った。先程の戦闘で斬られた箇所だ。霊体が霊術戦によって傷つけば、物理肉体にもフィードバックが生じるのは自明の理。
「あーあ、急に動くから。さっさと病院に行くよ。
「……リオ先輩」
若者……
序幕Ⅱ
ネオ・アストラ調査隊の一つ、「翼の隊」。
彼らは新たに発見された未踏領域の探索に赴き、そして完膚なきまでに惨敗を喫した。ソウルイーターの群れによってメンバーの約半数が意識不明の重態に陥り、残る半数も重軽傷を負い、結果として領域は深淵の書庫に横取りされた。
霊都中央病院のエントランスを失意の表情で歩く松葉杖の男が一人。明るい橙の炎じみたソフトモヒカンの青年は、その名をフランベといった。彼は異名を持たない。「翼の隊」の一員として探索に挑み、ごくありふれた敗北を喫した、名無しの星屑であった。
(……あれが、
彼が頭の中で反芻しているのは恐るべきソウルイーターの姿ではなかった。それらを鎧袖一触に薙ぎ、次々と
フランベは
(何が違う。あの男と俺とで、何が)
若き冒険者は懊悩する。黒き剣のヴァン。見かけの年齢は20代の後半といったところか。ちょうど20歳のフランベよりも年長であり、それに伴って冒険者としてのキャリアも当然長い。だが、彼我の間には年月だけでは説明のつかない絶対的な差があった。
誰しもに夜空の一等星たる可能性と資格がある。それが夜の時代ではなかったか。であれば、あの男と自分とを
「───ンなわけあるかァ!!」
大音声で己の弱気を吹き飛ばす。直後、彼はこの場が病院のエントランスであることを思い出し、周囲の来院者たちにぺこぺこ頭を下げながら退散した。
たかが一度の失敗で大袈裟な。
鼻息荒く病院を出ていく間際、フランベは一度振り返った。彼は若い男女の二人連れとすれ違った。ぶわ、と肌が粟立つ感覚。黒き剣と出くわした時と同じ、五感を衝く強者の匂い。
片やずば抜けた長身の青年。片や猫科動物じみた細身の女。見たことがある。この二人は、確か。
「……
◇◇◇◇◇
「全治一週間か。その程度で済んで良かったじゃん」
「良くねーっスよ!! ああクソ、昇格早々とんだ醜態を……! 上席の皆様方に合わせる顔がねえ……!」
腕を吊ったウィリーは助手席に座り、リオが運転する車に揺られていた。
霊素自動車。読んで字の如く、
車窓の外には高層ビルが林立し、夕闇を霊素灯の光が駆逐している。かつて旧王国の王都であったレクシオンの様相はここ十年で全く
「……奴とは今までにも何度か出くわして、その都度取り逃してきたんスよ。だから今回こそはと意気込んでたんです。メトラから『法の紋章』を授かった今なら、確実に奴を仕留められるはずだ、と……」
「誰もあんたの失態だなんて思ってないから安心しなよ。あの状況で【秩序の法廷】が破られるなんて想定できるわけがない。……心配しなくても、すぐに雪辱の機会はやってくるよ。あの男は寝ぐらで大人しくしてるようなタマじゃない。次は捕まえるよ。あんたと、
リオの瞳が碧の電光を放った。ウィリーは闘志を露わに頷いた。ANPが誇る八人の一等捜査官、そのうち第五席と第八席。霊都議会が抱える最高戦力の一角とも呼ぶべき両者はその大仰な肩書きに似合わず、齢30にも満たない若年であった。
二人は車を降り、霊都の中央区に聳えるANP本部ビルへ。絢爛たる霊都の夜景を見晴かす展望用エレベーターに乗り込み、一等捜査官専用オフィスが存在する高層階へと上昇する。
霊体認証のドアロックを解除し、オフィスに足を踏み入れた二人を出迎えるは六人の捜査官たち。リオとウィリーを合わせて合計八人。すなわち一堂に会するは、秩序の紋章メトラが誇る最優の使徒にして、新時代の秩序を担う一騎当千の守護者たち。
「第八席ウィリー、帰庁しました。
「ご苦労だった。メトラを通じて状況は把握している」
奥に座る五十がらみの男が二人に席に着くよう促す。リオとウィリーの着席を確認すると、彼は八人の末席たる若者を労った。スクエアタイプの眼鏡を押し上げる手の甲には、ウィリーと同じ「法の紋章」。
「貴様の落ち度ではない。奴……否、奴らが保安局の想定を超えたのだ。凶星のアビゲイル。四人の契約者を悉く死に至らしめた曰く付きの
「不気味な話ではあったが、明確な因果関係が認められてたってわけではないからねえ。あえて言うならむざむざ
眼鏡の男……筆頭の隣に座る精悍な中年女性が肩をすくめた。筆頭は首肯した。
「うむ。違法霊契への監視体制を見直さねばなるまい。が、今はそれよりも差し迫った問題に対処すべき時だ。これを見ろ」
一等捜査官たちの目の前に一つずつウインドウが出現した。表示されているのは裏BBSへの書き込みを切り抜いたスクリーンショットだった。スレッドを立てたのは……深淵の書庫、その運営。
「……霊都への侵攻。その人員の募集、だぁ?」
「知っての通り、深淵の書庫は裏サイトに擬態した旧魔導師ギルドの残党。その危険性ゆえに霊都議会によって解体・封印された深淵閣の生き残りだ。
書き込みの内容は犯行声明、および人員の募集。霊都に対する物理・霊界両面からの大規模な攻撃を示唆し、多額の報酬を提示して実行犯を募るものであった。
「この内容が
「その通り。この書き込みは
「単なる脅迫……もしくは、本当の目的を隠している?」
リオが顎をつまみながら呟いた。筆頭は頷いた。
「私も同じ考えだ。書庫は霊都への攻撃を隠れ蓑にし、その陰で何らかの行動を起こす可能性が高い。とはいえ霊都の守りを疎かにはできん。保安局の総力を挙げて対処すべき事案となるだろう。そうですね、メトラ」
筆頭の背後、霊都を一望する全面ガラス張りの窓が黒く染まり、スクリーンへと姿を変えた。現れるは霊都の秩序を担う三面六臂の半神、秩序の紋章メトラの姿。
『然り。攻撃に対しては二等以下の捜査官を主として対処し、君達には深淵の書庫が秘匿する真の目的を挫いてもらう。……旧王国の崩壊ならびに霊都議会の設立より十年。
八人の一等捜査官は一斉に起立し、彼ら
第七席。境界越えのナユタ。
第六席。魔紋断ちのカシュア。
第五席。音無き雷刃リオ。
第四席。不落城塞アイゼン。
第三席。断罪の炎ロゼリア。
第二席。双界
第一席、すなわち筆頭。審判の天秤ヴェルデ。……そして。
「良かったじゃん。早速リベンジの機会がやってきたよ」
「そのようっスね。……見てろよ。今度という今度は逃がさねえ」
リオは獰猛に笑った。ウィリーは同じ表情で応えた。深淵の書庫が動くなら、必ずあの黒衣の剣士も現れる。その時こそ、奴との雌雄を決する時だ。
そして第八席。
───彼らこそが、暗闇の時代に人々の行く手を示す″極星″である。